3/31 風をはらめるように髪をきりたい



 晴れ。静か。
 ふわふわとこれからのことを考えている。いまいち焦点が定まらないような感じ。軸が無いというか、中心に重さが無いというか。ちょっとがっかりすることもあったりして、今日はどうも虚ろだ。あまりなにかに依存する方ではないと思うのだけど、むやみに期待するのもやめよう。ひとことひとこと鵜呑みにしないということかな。発せられた言葉ってのは難しいなあ。
 駅までの道路脇にツクシがいっぱい生えてきてて、しまった!と思う。しばらくマイつくしスポットには行けないなあ。ふたたび辿り着けるかも曖昧だ。どんだけ必死か?ってね、一年に一度のことですので、まあ貪欲ですわね。食べとけば来年も花粉大丈夫かもとか思っちゃうし。近場でも摘めそうだけど、出来ればのんびりあそこへ摘みにいきたいわけです。
 さて、今日はレッスン。今日は誰か来るだろうか・・・。誰も来なかったら凹むな。うまいもの食べてやるっとか思っちゃうな。笑
手習いも再開。しばらく休んでいたので、またインベンションから仕切りなおし。Yちゃん、BALLET飽きちゃったよ。次の課題をよろしくね。



3/30 虫到来

 晴れ。あったかい。昨日作ったキウイのジャムとジンジャーシロップをお湯で割って飲んでる。うちには砂糖というものがあまり無いので、ジャムもシロップも甘さ控えめ。
ここにきて疲れのサインがようやく脳に届いたのか、気が抜けたのか、陽に身を委ねたままじっとぼうっとする。ベランダにもぽつぽつと小さい草の花が咲き出したなあと思っていたら、小さい虫が1匹飛んでいる。虫だ。ようやく本当に春がくるのだな。玄関の外の鉢を覗きに行ったら、数日前までは居なかったアブラムシもつきはじめた。今年も虫とのたたかいの時期が来たか、と思うも、今だけは、よしやっぱり来たね!というほっとした気持ち。いつもと変わらないことがここにあること。


今日のプランター収穫。スティックブロッコリーは何度か収穫したのでもうひょろひょろ。去年は小さなプランターでもよく育ったほうれん草は、今年は大きくなる前にトウがたってきた。


ルッコラも大して大きくならず花が咲いてしまった。この花を見ると「ルッコラとか気取った名前ついてるけど、やっぱおまえ大根(アブラナ)の仲間だな」といつも思う。和名は無いのかなと調べたら『キバナスズシロ』とね。 まさにやっぱ大根じゃん。キバナってところがよくわからないけれど、花も食せるようなので、いくつか咲いたら摘まんでみよう。


あちこちからこの丸い葉が出てくるたびに「なんだ?」と、いぶかしく見ていた葉っぱ。花が咲いてようやく勿忘草だということがわかった。忘れててごめん。しかしどこからも連れてきた覚えはないんだけどなあ。
さて、活力が戻ったら土を耕して春蒔きの用意をしよう。



3/28 もうまぶたの時間です

 晴れ。まだ風はつめたい。出張レッスンへ行ったあと、お昼に中華屋さんでレバニラ定食を食べて、戻ってきて夕飯まで仕事を1つして、大根を煮て、夜は読みかけの本を最後まで読んだ。家で本を読むなんていつぶりだろう。家で本(仕事などを関係ない本)を読んでいる時がいちばん、時間を贅沢に使ってるなあ、と思う。今日はレッスンのあと都内へ出ようと思って出かけたのに、すっかり忘れていたことにさっき気づいた。なんの躊躇もなく普通に下り電車に乗って帰ってきてしまった。あらら。 今日も原発の新しいニュースが流れている。原発うんぬんに関しては、ここでは語らないけれど、電気を全く使わない生活は、私にはたぶん出来ないだろう。だから、この小さいライトの灯りひとつ分の電気でも、どこからきてるのかときどき意識して覚えておかなくてはと思う。育った町には、住宅地の中を幅5Mくらいの用水路がはしっていて、その終着点に小さな水力発電所があった。あれが町の電力を一手に担っていたとは考え難いけれど、発電所はまだ稼動してるのかな。小高い山の斜面に立った2本の太いパイプの中を、どーんと水が落ちる音がしていたっけ。落ちた水がいったいどこへいったのかとても不思議だった。



3/27 『みみうた』 ありがとうございました



 会期を無事終えられたこと、足を運んでくださった皆様、支えてくださったcarawayさんに感謝いたします。来てくれた友達が、来てよかった、やってくれてよかった、と言ってくれたたこと嬉しく励みになりました。その言葉で、不安的な生活や心情も2週間持ちこたえられたように思います。ありがとうございました。ほんとに。
ただ、今、そういうところとはまったく別の部分で、正直、作品展そのものの意味を追求してしまえばしまうほど、同じくらいやりきれなさが残ってしまったのもほんとうで

私の知っている限りでも、あちこちたくさんの展示や大きなイベントが中止になりました。その中で出来たのだから私は幸せだ、と納得しようと思ってもなかなか出来ません。比べるものではないです。出来たこと嬉しかったし、きっとよかったのだろうと思います。でもね。今回は自分の中でGARDENにピリオドを打つ締め括りのつもりだったので、まあ内容はともかく、見てほしい人にはみんな見てもらいたかった。それが外的要素で中途半端になってしまったこと、素直に自分が残念です。やり切らない内に終わってしまったような疲れとは違う重たさを処理しきれないでいます。ちっさいっす自分。
そんなのも全部荷物が戻ってきてそれをきれいに片付けたら、踏ん切りがつくのかな。終わってしまったのだ。もうね。身辺をゼロに戻して、すこし休みをもらって、次になにをしていくか考えようと思います。



 『みみうた』プレートの売上全額に、他の作品の売上の一部をイシカワ分として足しまして、今月末に東日本大地震義援金として送りたいと思います。送り先は悩みましたが、すこし時間が経ちましたこともあり、日本赤十字社にいたしました。プレートの枚数分よりも多くの金額を募金箱へ入れてくださったみなさま、ありがとうございます。(金額や振込み書など確認されたい方は、ご連絡いただければお返事いたします。)
 WEBで様子を見てくださっていた皆様の中で、もしこの『みみうた』プレートが欲しい!もしくは小額でも気持ちとして募金に参加されたい という方がいらっしゃいましたら、メールにてご連絡下さい。23日の写真を見ていただくとわかるかもしれませんが、
白い木のプレートで、草花の名前がついているのや、植物モチーフがプリントされていたり、黄色い丸い刺繍模様?がついてるのとかがあります。形、サイズはそれぞれ違うので、ご希望枚数をおっしゃっていただければ、バランスをみてこちらで選びます。枚数×100円と、送料80円でお送りいたします。2枚以上だと触れあったときに音が鳴るので、いい音さがして送りますね。


3/25 かわいいひとたち

 なあやさんとことりちゃんの展示のはしご。行く先行く先で弱さも愚痴も語り合える友たちと会って喋って、笑って、ほぐれた。笑顔にしてくれるおいしいご飯も食べたし、妄想トークも復活!

なあやさんの展示は4/2まで続きます。 




3/25 ふりむかなければきえてしまう このしゅんかんを

 "みみうた"ってどういう意味(こと)ですか?ときかれる。もしひとくちで説明できたのなら、わたしも聞いてみたいと思う。「なんていうかニュアンスです」と、とても曖昧にこたえる。展に先立てて書いた詩がある。自分の思うよりもずっと具体的に書いたつもりなのだけど、たぶん読んでもあまりにつかみどころがなくて、はっきりしないだろう、と思ったので文章として恥ずかしい気もして、会場では一部を一行ずつばらばらにして、これまた曖昧に展示した。受け手次第だなという逃げとも言えるけど、ほんとうに自分でもちぎれちぎれにしかわかってこなかったのだ。
 草場に行き始めて8年くらい。草を摘みだしたのは、行き始めて1年後くらいで、草場って呼ぶようになったのはそのまた1年後くらいかな。今では草場のことはまるで色々わかってしまったような口ぶりだけど、そんなことはなくて、何かが固定されたようにわかることなんてたぶん無いのだなあ。わからないことだらけで、どうしてこんなにそこへ向かいたくなるのかもまだ曖昧だから、いつだってどきどきしながら私は行く。(トップページからそんな詩をリンクしました)



3/24 微生物のすみかの隣で

 曇り。寒い。きのうは帰りがけ、雨が雪になった瞬間をみた。雨が風で横へ流されて軽くなった?と思った瞬間に塵のような雪がぶわっとあらわれて、わっと舞った。イリュージョンみたい!と一瞬感激したけど、ごっつい寒くてひさしぶりに歯がガチガチふるえながら自転車で帰宅。ここのところ灯油がきれていてストーブが点けられない。軟弱だとはわかりつつも、ホットカーペットを許した。近くのスタンドはガソリンが無いらしく閉めてしまっている。
 今日はレッスン。生徒がひとり西へ行ってしまって、もともとお休みの生徒も居るので、今日来るのはひとりだ。先生はちょっとさみしいです。レッスンを小さな拠り所にしているのは誰より自分なのだな。頭ではわかっている(わかりたいと思っている)けれど、気持ちはあとからあとからやっとついてくるみたい。水のこととか飛散量とかもね。テレビでも色々やってて言ってたけれど、放射線科のお医者さんの記事を読んでようやく、そうだよね、とせり上がっていた肩あたりが納得した。そういうのがひとつあれば、結構もう楽だ。それも人それぞれ。
揺れに関してはどうもまだだめだけど。今朝も余震に身を固くしながら(寝ているから感じやすいんだと思う。でも起きても寒いんだもの)、ふと初めてサーフィンした時のことを思い出した。コチコチの姿勢でボードの上に立って「へっぴり腰!」とインストラクターに言われたこと。あれから数年、サーフィンは今も大して出来やしないし、きっと地球の波のうえでもずっとへっぴり腰だなあ、と、コンポストの中身をぐるぐるとかき回しながら考える。コンポストの中の微生物たちは、こんなにぐるぐるされても平気なんですねえ。三半規管てやつがないのか。1週間前に入れた多数の甘海老の頭たちが、いつの間にかまったく見当たらない。うちの微生物は元気です。海の微生物たちも元気であるといいなあ。
このコンポスト、まだ外に置く場所を作っていないので、部屋の中に置いている。全くニオイがないとは言え、脇で添い寝してしまうのはたいがいにしようよ私。


冬のあいだも青々と元気だった月桂樹。なんかすごい伸びた。あったかくなったらあれこれ植え替えだね。



3/23 『みみうた』2週目



 日が射したり曇ったり。朝方の余震続きで顔が凝ってます。布団からは出てませんけどね。なんてったって地球がズレを調整したがって動いてしまってるので、その上に乗ってる自分が動くのは当然だと思っても、まだ理屈じゃ処理しきれないわけで。やっぱり力が入ってしまうわけですね。
 さて今日からまた、『みみうた』2週目スタートです。1週目はなんというか、無かったようなあったようなそんな1週間になってしまったので、今週は電車の運行などが安定して、色んな方が観に来てくれるといいなあ。今週も今日と土曜日にお店へ行きます。今日は知人のお店の様子を見に行ってから、carawayさんに14時とか15時くらいに顔を出せると思います。13時〜18時までです。


では今週はお尻のショットを。もちもちといい感じの肉付き。上着は紅茶染め。パンツはビンテージの生地をさらにヤスリをかけてやわらかくして穿かせてます。



3/22 ひっそりと



 冷たい雨のなか、玄関先とベランダから緑を摘む。夜にパスタにでもしましょうか。ローズマリーはじゃがいもにオリーブオイルとつけ込んでグリルしよう。 葉っぱが落ちてしまったので、隅っこの暗がりに置いておいたブルーベリーと杜仲から小さな新芽。なんともやわらかい色。この雨のあと暖かくなれば、ほかにも若葉が伸びてくるだろう。温室のビニールをぺらんとめくってベランダの下を覗けば、側溝脇にナガミヒナゲシの葉っぱがびっしりと生え揃っている。そう遠くない日にオレンジ色の花が咲くでしょう。きのうはそんなヒナゲシの花の絵を描きました。そのうちにお披露目。寒いので色々なものを身にまとって今日もひっそりと過ごす。
 もしかすると今日は父さんの誕生日かもしれない。ここ数年毎年のことだけど、ほんとはこっちだったと日が変わってからどうしても覚えられない。もしかして昨日だったかな。でもいいや、いつでも
おめでとう。70ちかくになったのに元気で働いて居てくれてありがとう。きっとあちこちガタきてるだろうけれど、梅干しと松前漬けは父さんの味じゃないとだめです。まだ作り方は訊かないわ。



3/20 今日はおやすみ

 晴れて穏やかな天気。あわただしかった一週間の片付けをすこしずつ。昨日は重い荷物をもっていくつもの駅の階段を上り下りしたせいか体がごわごわ。この状況だと足腰弱い人とか視力の弱い人は出歩きたくても電車に乗るのが困難だろうな。うまく駅員さんとかに助けを要請できるといいけど。電気は、ここが消えててここが点いてるの?と思うところもあり。まあなにか理由があるのだろうね。ただなんていうか、うまくいえないけど、個人の家で節電合戦みたいなことにはならないで欲しいな。節電は必要。でも独り身が必要以上に不安を招いてまでするのは。テレビだってさ、やっとバラエティを見れて笑えた自分に安心したもの。でもつけっぱなしで寝てはいけません。(←自分へ警告) 自宅よりも外のほうが過剰な光が多いんだなあと、計画停電の街をみていてちょっと思います。まあそれがこれまでは景気のいい証拠だったりしたわけだけれど。そして自分もネット経由の仕事が確実に減ってくるし、これからのことを少し考えなくてはいけません。現実が自分の身に返ってくるのはこれからかもしれない。お仕事遠慮なくどーぞー。


草場から拾ってきた桜。つぼみがふくらんできた。


似てる。(ピスタチオ)


むむむ。



3/19 みみうた一週目おわり  
 
 朝から色々と身支度をしてcarawayさんへ。電車の運行が不安定な中でも、毎日ぽつぽつと友達が観に来てくれていることがとても嬉しい。会えなくて残念だけど、よかった元気なんだな、とほっとする。ほっ が出なくなるまでにはまだ時間がかかるかもしれないけれど、ひとつひとつ自分の ほっ が増えて減って、他の人の ほっ も増えて減っていくといい。こうして小さく想って祈るだけだけど。
 夜は親しい友を招いて草BARという名のご飯会。飲み食いの場は今とても判断が難しいところ。たった一日の数人を招く自分のおもてなしだって悩むのだから、飲食店には本当に今が辛いところだろう。でもここで気持ちが暗くなる人を出してしまってどうするのだろう。いつもどおりに食べて呑めばいいやと思う。いつもどおりに。楽しく呑む。酒屋のおじさんも肉屋のおばさんもスーパーのお兄さんも丁寧に対応してくれてありがとうといってくれる。小さなお店だからこそ、地域の人の拠りどころになるのだろう。お金を外へまわすのも今できるほんのわずかなことかな。お金持ちじゃないから少しばかりの小銭でこんなこと言って恐縮だけどね。
 やっと見れた友たちの顔、顔、顔。ほんとうはハグしたかったけれど照れて頭をぽんとしたり、ちっ とあしらってみたり。笑
ひとつ場所でご飯を囲む笑顔とお喋り。わたしを包むあったかいものが、友たちをも包んでくれてたらいい。そういうのが遠くまで広がっていくことを願うよ。鼻の穴がガビガビすると思ったら、どうやら鼻血がちょっと出てて乾いたらしい・・・。そのくらい嬉しかった。それでいいじゃん。よし ってまた働ける。月がまぶしい。


3/17 がんばる肩と もてサブレ

 起きたら停電してて、行くつもりでいたレッスンもお休みになった。子ども達の顔を見たかったけれど。パソコンが使えないならば仕事もできないやと、お風呂に入ろうとしたらお湯は出ず。ガスなのになんでだろうと思ってガスレンジをひねったら火はついた。給湯だけはなにか電気によってスイッチが入るみたいだ。知らなかったなあ。お風呂は諦めて外へ出る。帰ってきたらアパートのあちこちからお風呂を入れる音。知らない隣人同士が昼間にみんなお風呂に入っているなんて、なんだか変なの。なんて思いながら、自分も冷えた体をシャワーであたためる。
何をしていても知らず知らず肩に力が入ってしまう。私の肩よ、そんなにいからなくても頑張らなくても大丈夫。すこし休んでおくれ。ラベンダーのオイルを手に少しつけて、両肩をなでた。今わたしいい匂いだよ。
 お湯を沸かして、白湯といっしょに、dans la natureさんが展示に合わせて作ってくださったミント入りのチョコサブレを食べる。ミントがふわんとかすかに香って甘さがあとに残らない。このサブレの他にも、ローズマリーとオレンジピール、くるみのパウンドケーキが展示期間中のオリジナル。こちらも美味しいの。葉っぱが入っていてなんか嬉しい。carawayさんに行ったらコーヒーに合わせて是非。お菓子がつくれる女性っていいなあ。もてそうで。笑 いつかオーブンを買えたら、もてるかどうかお菓子に挑戦してみよう。


草場草場ってなんなの?という方。草場ってこんなところ。写真は2年前くらいの4月。草たちがわいのわいのしだす、私が一番興奮する桜の季節。今年はちょっと草のスタートが遅いみたい。桜はどうだろう。



3/16 『みみうた』オープン

 強い風が吹く中、『みみうた』がこっそりのんびり始まりました。私もまた土曜日の夕方くらいに行きます。会場の近くの世田谷公園では、風で木から落ちてしまったらしいカラスの子が歩道の真ん中で動きもせず心細そうに鳴いて親を呼んでいました。見るだけでなにもしてはあげられません。自分にできることってのは少ないもの。でもそれがちょうどいい量なんでしょう。
帰りにスーパーに寄ってみたら皆が言うように本当に棚という棚が空でびっくりしてしまった。パンも米も麺も牛乳もペーパー類もあれもこれも。なにを買ったらいいのか、なにかを買った方がいいのかもわからなくなって、普段買わないようなお菓子を買ってしまった・・・。うちにはトイレットペーパーがもうあまり無いけど、いつまでもこんなことって続くのだろうか。ちょっとたかをくくっている自分も居る。先日実家から届いた米も、この状況で思えばこういうことなのか、としか思えない。しかも珍しく無洗米。はーっ。先見の明とはこのこと。親ってすごい。(ようやくほんとに)
 連日の慣れない満員電車や長距離の自転車移動で疲れ果てたのか、家に着いてご飯を食べてそのままばったりと寝てしまいました。今は自分が元気でいることくらいかな。私に出来るのは。元気なら誰かにも「元気?」と声をかけられる。なにかいいこと思いつくかもしれないしね。



 Carawayさんに飾ってある作品に、言葉をつけた木のプレートがあります。色々考えて、このプレートの売上を全額、災害の義援金に寄付することにしました。大きさも形もいろいろで、何枚かいっしょにつるしておくと、風で揺れてころんころんとそれぞれにささやかでほっとする違う音がします。1枚100円。ちいさいことだけど、自分に無理ないとこで。よかったら手にとって揺らしてみてください。



3/15 『みみうた』はじまります

 carawayさんへ搬入をしてきました。お店の中は静かで穏やかな時間に包まれています。情勢は厳しいですが、もし私のようにひとりで夜を過ごしていて、悶々とした気持ちを抱えてしまっている方がいたら、どうぞいらして下さい。もちろん無理なく。少しでも声を出して気持ちを出す時間が必要なときなのではないかなとも思います。店主のあしかわさんが、いつものように丁寧にコーヒーを淹れてくださいます。『みみうた』はひっそり、ときどき音がきこえることもあるかもしれません。初日は、スタートから夕方くらいまで私も居る予定です。その後は随時お知らせしますね。


 こんな子も、ぽつんぽつんと居ます。遠目と近くとでは、すこし表情の印象が違うと思う。ぜひ近くでみてください。靴が可愛い子も居るし、この子はお尻もかわいいの。さわっても大丈夫です。

 今回の展示『みみうた』は、前にも書きましたが、自分の柔いところにふれるような感じでした。良い意味で。それだけ素直に感情を開けるようになってきたのだろうと思います。2月くらいかな、展示は"居場所をつくりたい"からやるんだろう、と書いたけれど、それはまだカッコつけてたみたい。今は、もっと単純に"大好きな人たちに大好きな場所を見せてみたい"という、ほんと子供みたいにただそれだけなのかも、と 特に『みみうた』については思います。
その場所へ直接連れて行くことはなかなかできないから、その場所で私が感じたことを形をかえて。その場所ってのは、まあ草場だね。今までにも草場でのことをイメージして作ってきた作品は多いけれど、たぶん今回は、表面的じゃない自分と草場のなにか(アバウト...)。 そのなにか(それをひとまず"みみうた"としておく)を空間全体からでも、言葉のひとつでも、作品からでも なにか感じてもらえたなら、もうそれはそれで幸せだなあと思います。もうこういう気持ちで出来たことが幸せなんだけどね。制作中度々そんなことを道々考えて、涙がでちゃったり。ドリカムの「ラブラブラブ」の唄みたいに、"ただ好きと伝えたいだけで涙が出ちゃう"みたいなね。
 そして当初の"居場所"ってのが、それまで思っていた '場所と自分' だけでなくて、そこに大好きな人たちが存在(現実的に常に居るというわけじゃなくて)してはじめて私の思う"居場所"になるんだ、と、地震のほんと数日前にわかった。わかったの。大切な人が増えたり、大切なことがわかってきたから、こんな地震が続くことが心底不安。でもまだ自分のことでいっぱいいっぱい。今夜はとりあえず富士宮の実家も、静岡の妹も無事だったことだけで、ほんとにほっとした。長い一日よ、おやすみ。また明日。



3/14 あおむしくんありがとう



 晴れてあたたかい一日。停電の予定だったけれど無かったようだ。ひとまずさっきまで停電のつもりで過ごしていた。家に居るだけでもどうも気が張っているのか緊張があるのか、頭や首に力が入って凝っている。今朝は、ふとした瞬間にメンタル的にも落ちるも、実家から荷物が届いて立ち直った。実家の畑からやって来たと思えば菜っ葉についてきた青虫でさえ愛おしく。もしもこういうことを想定してのこのタイミングでの荷物だとしたら、やっぱ親ってすごいと思う。違うと思うけれど・・・。でも救われたのだ。
が、次々と出てくる菜っ葉、菜っ葉?菜っ葉、菜っ葉・・・。大量の菜っ葉ー。どんだけー! その下に芋とか米もあったけど。嬉しいけど。運んできてくれた配達員のかたのハツラツの笑顔がまた心底有り難かった。嗚呼、笑っていいんだよ。明るくていい。それが人にパワーを与えるんだから。
 と、菜っ葉で持ち直したけれど、いろいろ落ち着かないので制作は終了。この状況下、来て下さる方のことなども考えて開催については悩んでいたけれど、お店の意向もあり予定どおり開催予定。予定ばっかだ。お店の方は停電などないようなので何より。しかし自宅は3グループに重複して入っている。神奈川はそんなとこが多いですね。決行の有無も時間等もはっきりしないのでどうも気が重い。明日は交通の混雑の心配もあるし、繊細なパーツのある作品なので手持ちで搬入。人ひとり分くらいの荷物を運ぶので、どうか電車が混んだりしないで、周りの人に迷惑がかかりませんよう願うばかり。どのルートも乗り換えが多いのでね。とりあえず最寄駅から走っててくれるといいんだけど。がんばれ小田急。 
あ、こうして書いているだけでも、奥歯かみしめてる。こめかみが痛い。よし寝てしまおう。



3/13 ひとつはじめてみる

 晴れ。きっとそれぞれの人がそれぞれに様々なことを思って過ごしているのだと思う。テレビを見ていると、それがどういう感情なのか自分でもよくわからないまま泣けてきてしまうので、自分の日常を戻そうとまた制作に戻った。地震のことに限らず、物事受け止めてもすべて受け入れることは出来ないだろうけれど、なんにつけて過剰にならず、動くべき時には動けるよう、せめて自分を整えておこうと思うのです。いつもやっていることくらいはなるべくやってね。だからモリモリご飯もちゃんと食べるよ。
とにかく正直なところ、キャパが狭い私は、家族や身近な友達が怪我無くて、ほんとにほっとした。それからのことは、今からゆっくり受け入れながら考える。なにか出来るだろうか。被災地の方々が少しでも早くほっと出来るといい...。
 展示は今のところ予定どおり開催する予定。こんな時に、と考える気持ちもあるけれど、ほんとはこんな時だから やりたいと思ってる。今後の計画停電のこととかあって、その時になってみないと状況はわからないけれど・・・。気晴らしにでもなったらいいなと思う。制作は、ラストスパートー!!のつもりが、明日も停電になるみたいだし、もう腹括ってやめるーかも?明日は真っ暗になっちゃったら、キャンドルでのんびりお風呂に入ろうと決めた。 今回、静岡の実家の方が地震直後からずっと停電になっちゃって、寒いし物は多いしで私よりも大変だったらしいけれど、「薪で風呂わかしてもう寝る」と妹経由で連絡がまわってきた。薪・・・。さすが、強い。 真似しよう、とは言わないけれど、なんていうか、そういう臨機応変な暮らしのすべを(風呂に限らず)、少し持っておきたいかもと、頼もしく思った。次の日に地震のことになんか全く触れずに「とうさんが里芋とか掘ったから送るよー」と電話してくる母さんの平常さにも驚いたけど(こっちのこと訊かないのか?みたいな)、もしかしたらそれが優しさやデカさなのかもしれない。違う気がするけど。
そうそう、このタイミングで先月くらいに注文していたコンポストが届いた。これが今回の災害に直接繋がるとは思わないけど、ひとつ自分でやれることをやってみようと思う。それは微々たることかもしれないけどね。 うう、余震が・・・。こわいよ。



3/8 時間の量り売り


 晴れ。ベランダのタネツケバナが、これまでとは違う様相に育っていて、それがとても美味しそう。なにかと交配したんだろうか。ほんとにタネツケバナなのかも怪しく、つまんで味を確めては首をひねるばかり。わからないけれど美味しいのでまあいいけれど。啓蟄過ぎてこれから人が外へ出るのと同じようにすこしずつ虫も出てくるだろうから、展示が落ち着いたら春の種まきをしたいなあ。ラスト1週間正味数日。すこしずつすこしずつしか進まなくてたくさんではないけれど、見てもらいたいものが出来てます。『みみうた』来週からです。


まだまだやりたいことがいっぱいだよー。なのによりによって仕事の〆がなんでここに集中するのだ。モニター見てると眉間がずーんとして目玉がぐらぐらする。やーん。毎度ながらやっぱりあと1週間欲しい!って思うのよ。時間は過ぎていくから良いと思う。でも今日は1時間いくらだったら買おうか。



3/4 おとな



 晴れあがって冷える。ベランダの簡易温室の中では、鎌倉の草原で採取されたフキ(食べたあとに根っこだけ植えたやつ)が葉を増やしている。まだまだ小さい葉っぱだから、これは食べるのには勇気がいるね。少しずつ少しずつだけど小さい緑が増えてきた。正月くらいに葉っぱを全部落とした通称"小豆島くん"にも、芽吹きの兆候。根っこがあれば飾るものが何も無くなっても必ず芽が出るのだ。よしあせるな。
 昨日はレッスンのあとに鎌倉で音楽と食事の会。集った友たちとゆるりと空間と音楽と会話を楽しみながら美味しいものを食べる。こんなふうに時間を使えるなんて、大人になってよかったなーと、しみじみ思った。ちょっと大きくなりすぎたけど。そして、世の中の大人の皆さまは、こういうことにお金を使うのか、なるほど、これが俗に言う ちょっとした自分への贅沢みたいなやつだ と 昨晩は妙に納得した。基本、その日暮らし人だからね。そんなことをした自分に気分がよかったのか、帰って深夜に清志郎ロックンロールショーのチケット応募してしまった。褒美としてバーンとお金を使ってやる!と思って。バーン!にしてはちいさいとか言われそうだし、なんの褒美?って感じだけど...。とりあえず楽しく生きていくための褒美だ!よし働くぞ!メンバーが豪華すぎて名前だけで胸いっぱい。当たれ。



3/2 どういうわけか大きなクラッカーの箱をカバンに入れて出かけた日

 片付けたつもりだったか?近所の用事でよかったけど。
うまくいくことばかりじゃないということは、やっぱりひとって平等にあたえられているのだなあと ふと思う。きっと今、よっしゃあ!と思ってる人が居るね。それならいいよ!



3/1 おなかがへったなー と 食欲 は同じ?



 寒の戻り。昨日は降っていた雨がやけに弾むなあと眺めていたら、雹になった。パランパランと葉っぱや地面で踊っているのをしばし眺めているうちに、もっさもっさとちぎれた紙みたいな雪になって、それでまたしばらく眺めていた。先週からいくつか予定をキャンセルさせてもらって篭っている。昨日も布団の中で雨の音をききながら、お休みしますと連絡。ひとつを始めてしまうと、どうもあれこれはうまいことやれないのである。人付き合いも同様で、これじゃなろうと思っても八方美人にはなれないなあと思う。幸い、こうして我儘を快く受け入れてくれる友に恵まれていて、ひとりぽっちにならずにすんでいる。ほんとうによかった。どっちからというと、ひとりは嫌いじゃないし平気だけど、ひとりじゃないのも楽しいことに気づいてしまったから、ひとりに飽きると誰かに会いたくなる。誰とも喋らなくてもわりと平気だし、日々そんな生活だけど、喋ると結構楽しいことを知ってしまったから、ちょっとしらじらしいメールを送って喋ろうとする。知ったことで欲が出る。
欲って、ちょっと疎まれがちだけど、適度に何かしらに欲が無いとだめだわ。無欲が続く時ほど日々が虚しくて途方も無いことこのうえないもの。こないだの夏の終わりから秋のあいだ中、いつまでも日陰の水たまりに浮いたほっそい藁みたいに漠然とどうしようもなかった。だから、どうしようもなかった時間のことを許せるように、日がな制作。やっと楽しくなってきたのね。仕事はまとめて明日!あれこれ締め切りが?やばい?ようで。


2/28 てのなかから生む

 冷たい雨。数日前は木を切っていたんですけれど、今度は布。気にいって買っておいた物や一枚一枚古い端切れを集めてきた中から、染めたりやすりをかけたり、色を抜いたりしてイメージに近い素材を作っております。こういうとこがわりと楽しいんだけど地味ね。手をかけるだけ愛着が湧く。
やわらかくて小さいものは、ほんとうに手のひらの中で形成されて生まれてくるからかわいくて仕方ない。凍ったメジロを手のひらに包んで生還させたことを思い出した。


元気かなあ。



2/26 ターン

 方向チェンジ。というか、見ていた方向と別の方向の信号が青になったから、そっちに行こうっていう感じ。なんかそっちの方が楽しそうな景色が見えるしーみたいな。去年のうちにそっちの道の可能性に気づいていたはずなのに、いつのまにかまたカッコつけてすましていたらしい。もうそういうのに無理がきてるんだってことに薄々気づいているんだから、いい加減殻ごと捨てちゃいな。と昨日目の前で風船が割れたわけです。
  そんなわけで、まさにおすまし顔のDMを送っている最中ですけれど、うまいことターンしたら「こっちかっ」っていう感じにしちゃうかも。あと2週間ね。かーっ、上等よ。涙



2/24  ひとつこわしてひとつ知る



 雨が降ってきた。一日かけて作ったモノを次の日に壊してしまうような一進一退の繰り返し。パソコンに慣れてしまうと、「ああここで『戻る』ボタンが使えればいいのにぃ〜〜」としばしば思う。ハサミで切り刻んだものは寝て起きても切り刻まれたまま。失敗は、失敗してみないとわからないので、こういうことになるわけだ。二日分がゼロに戻ってしまって残っているのが失敗だけでも、それでも進めていると思いたい。ちくしょう。
 あれ、日が射した?今日はこれからレッスン。レッスンのあとに大急ぎで閉店間際のcarawayさんにDMを届けに行きたいのだけど、雨だと学園から駅と駅からお店までダッシュ出来ないから、どうかその時間だけでも晴れててくださいまし。そしてどうか間に合いますように。腰をかばいながら荷物をふって息あげて走ってるやつがいたら、顔は見ないでおくんなましね。最後のレッスンで盛り盛りにならず時間どおりに終わらねば。それが一番難しい。

昨日よりDMお届け中。届いたら眺めてください。


2/21 草場遊び

 くもりときどき晴れ。レスポンス待ちを言い訳に、いそいそと初草場。3時間早起きは到底無理のようなのでやっぱり自転車で。いろいろ拾って荷物が増えたので正解です。先日の雪のせいなのか、葉っぱがついたままの大きな木の枝があちこちに落ちてて、ほんとはいっそそれごと引きずって持ってきたいくらいだったんだけど、自転車に乗っているのか、木に乗っているのかわからないような見た目になるので断念。ほんとあまりにも持ち帰りたくて、軽トラと広い部屋が欲しい!と思った。


 
草の方はまだまだ大半は落ち葉とふかふかの土の中。街中の道ばたよりも草場のスタートはいつも遅いのでした。でも今のうちからよく見ておいて、ハルジオンやブタクサの類、知らない草たち(←食べれないやつ)が育って地面を覆ってくる前に、どこにどんな頼もしいやつが生えてきているか、あたりをつけておくわけです。まあ別に覚えていなくたっていつだって隅々まで眺めて歩くのでなにも困りはしないのですけれどね。ただ、1ヵ月後、2ヵ月後、はたまた夏までの成長を追えているってのが、ちょっとした楽しみでもあり、なんていうか、やらしい言い方しちゃえば、あの時のあれね、みたいな知り合いちっくな関係がね、ちょっと誇らしげ?ってやつであります。ま、実際は、誰も居りませんしひとりほくそ笑みながら、おっと見つけたぞ、くらいの感じで摘んじゃいますけどねー。

一面茶色の地面のようでも、枯れ草の合間からは緑が空を覗いています。興味をひくのは、タンポポとシロツメクサ、のびるの若いの。ハコベやよもぎも出てきているけれど、まだまだってところ。ユキノシタの丸い葉っぱもまだ落ち葉の中にひっそり隠れています。これからこれから。桜のつぼみもまだ小さくぎゅっと固いまま。


そんなわけで草摘みはあっというまに終わってしまったので、縦横無尽に歩きながら枯れ草やツルで即席リースをつくって遊ぶ。ああ楽しい。花殻をつけたままのヤマイモのツルもたくさんで、今なら芋の場所がわかりますよ。掘りませんが。枝を集めたり草を編んだり、久しぶりの草場ですっかり開放され、いくらでも遊べて困ったものです。せせこましい部屋でちまちましたものを作るのなんて、あほくさーと心の叫びが。
いえ、家の中も好きだし、絵を描くのも細かいものを作るのも好きなんですがね。はい。

鳥の巣リース。ヤマイモとヘクソカズラみたいなツルで。草場じゅうの木にたくさんかけたら面白いだろうなあ。でも残すものはなるべく足あとだけにしておきたいのです。


きれいな色の葉っぱのツルでもくるくると。深くて濃い、冬の葉っぱの色。

草場の神様に挨拶して、タンポポとノビルとヨモギをほんの少しずつ頂いてきました。初物です。嬉しいなあ。摘んだ指から久しぶりにプーンとそれぞれの草の香りが立って、ほ〜っと肩の力が抜けました。ひとまず草場があんまり変わってなくてよかったあとしみじみ思います。草よフォーエバー。次に行けるのは3月かな。



2/18 身代わり急須

 雨のち曇り。ときどき日射しそして小雨。バラバラと降っていた雨があがって突然パカっと晴れたと思ったらお天気雨。あったかくてめまぐるしい。今日は力む夢をいくつも見たような気がします。暑かったのかな。最近また体が自転車に乗りたがらないので、今日こそ草場へ、と思っていたのにやはり行けず。歩きたいみたいです。草場まで歩いていくとなると最低3時間は早起きしないとダメだわ。起きてみるか?むむー。
 個展のDM用の写真がようやく決まったので、これから入稿作業です。それでもまだ方向に迷いがあって頭がぐるんぐるんしています。たぶん今回は搬入してしまうまで迷いに諦めがつかないような気がします。それでもやってみるしかないと言い聞かせてボツ増産中。もし納得いくようなうまいこといったらGARDENシリーズももう終わるような気がしています。そんな時期みたいです。 といいながら、次のタイトルと内容を思いついたりしてニヤリ。まだ危機感が薄いのですな。脳天気。
 心ここにあらず状態でよそ見をしながら
洗い物をしていたら、急須の口をシンクにぶつけて欠いてしまいました。不注意なのはわかっているけれど気にいっていたのでガワワーンとショック。同時に忙しくても目の前のことをちゃんと見い!という忠告なのだろうと思う。自分が怪我でもする前に急須が壊れて教えてくれたのだな。展が終わったら欠けたところを接ぐ方法を調べてみよう。
 

ボーツ。ボツの数だけ進化するのだ。ボツは力なり。

 会場のcoffee carawayさんのblogでも展の案内をしてくださっていますので、ご覧になってみてくださいね。≫coffee caraway
期間中のドリンクなどご相談させていただいて、カフェインレスの飲み物も用意してくださいます。コーヒーがお好きな方はもちろん、小さなお子さまやカフェイン気分でない方もどうぞのんびりしにいらしてください。いつもあるのかわからないけれど、以前に伺ったとき頂いたタルトがめっさ美味しくてとびあがりました。また近くなったら色々お知らせします。

 最後になりましたが、今日から3日間、鎌倉のHAND&SOULで、マーガレットブックス開店中です。引きつづき、ブックカバーを置かせてもらっています。長く売り切れ状態だった『あお』も増刷されたみたいですよ!わーい。書き忘れていましたが、mpレターズ(フリーペーパー)も2号目が出来上がってますのでね、週末は鎌倉へ是非。
マーガレットブックス in HAND&SOUL



2/17 8分音符とポピーの関係

 日が射したり曇ったり。雨が近いせいか風があたたかくて、春一番を思い出す。ごっそりと胸のうちを持ってかれていしまうような、あの不安定な感じ。早くあったかくなれ、と思ってはいたけれど随分春に先を越されてる。
夜から雨。仕事から帰ってきてご飯を食べたあと、しばらくごろんと寝てしまった。もう日付が変わる頃。雨音が強くなってきた。季節が変わってく音だ。

〔今日の手習い〕Debussy/BALLET レッスン室にて。
今日はレッスンが楽しくてハッスルしました。ハナちゃんと赤いポピーの花になってふたりで頭を揺らしながら弾いたら、自分だけしばしクラクラ。やりすぎらしい。ポピーの細いけれどしなやかな茎の話をしてるうちに熱くなったのでした。


2/16 緑の背伸び

 晴れ。何をしていても時間がおしい。春に向かってぐんぐん進んでいるのがみえるようです。今何がしたいかっていったら、縫い物と料理。すでに現実逃避モード。でも今日は絵を描きます。描きますとも。
いいかげん草場にも行きたいなあ。タネツケバナの好い時期がもうそろそろのはず。しかし自転車で20分強と案外遠く、行けば数時間滞在してしまうだろうし、摘めば処理もあるしと、日々葛藤しながら渋ってます。好い頃合を見計らってサクッと行かないと、春の草への出遅れは一年悶々とすることになるわけで、一発目のタイミングは結構重要課題です。



〔今日の手習い〕Debussy/BALLET , BEETHOVEN SONATA Op27-2『月光』  『月光』はたぶん10年以上ぶりにフルで弾いた気が。弾いてた頃の記憶がフラッシュバックしました。大人になってからはドビュッシーの『月の光』のほうを好んで弾いてましたけど、やっぱり自分ぽいのはベートーヴェンかも。ほっとするつかのまの2楽章が好きです。


2/14 あいまいme

 曇り。カラスがやけに鳴いている。展示のことを常に考えてはいるのだけど、形にするにはまだ輪郭がぼやけていて曖昧。今回は、絵を描くぞ、とか人形作るとか、決まった作業ではないイメージから入ってしまったので、たぶん作品作りというよりか、空間に居てダイレイクトに作り上げるのが早いのかもしれない。まあ、なかなかそうもいかないので、昨晩も夜更けまで地味に空間を想像しながら、パーツパーツのスケッチ。ニュアンスは出来てるのだ。うまくアウトプットしてくだけ。
部屋にもひとつ外から拾ってきた大きな材料が入ってきて、また手狭になった。これから展示までは部屋の中が庭化する。でもほんとうはたぶんそういうことがしたいのかもしれない。別に、展示とかという特別なことにしたいわけじゃなくてだ。
GARDENをテーマにして展示をし始めたのは、もしかしたら、単に自分の城(居場所)を作りたかっただけかもしれないなあ。作っては壊して作っては壊してすこしずつ形を変えながら。たぶんこの部屋に住んでいる限りは作り続けていくんだろうと思う。もし本当に庭を持ったら、そこから出ずに、もうやることが無くなるまでそこに居る(作っていく)んだろうよ。
展示の『GARDEN』は、イコール一般的な文字通りの『庭』を示しているばかりではないけれど、記憶だなんだを掘るより、自分は現実に土を掘って目の前のことをリアルタイムで見て(作って)いくんでいいんですわ。もうね、ほんとうは。無欲のようで、庭欲しいとか言ってるんだから強欲?まあ、そんな場所が手に入れば万歳だし、それからのこともその時次第だからわかんないか。 って個展の前に言うことでも無いですけれど、結論、展示は楽しいしやる気あるうちにはがんばろう。ということですわ。vol.7は、こっそり頭をなでなでされるような空間にしたいのです。ニュアンスっす。曖昧すぎるー。

〔今日の手習い〕Bach/inventionen 1-15 ユーカリオイルを焚きながら。


2/9 ローズとマリー 植物に名前をつけるのはもうやめたんだった

 晴れ。洗濯物からほのかに湯気が。温室効果あるみたいです。昨日、帰宅時間の満員電車にぎゅうっと押し込まれるようにして乗る。ひと駅で乗り換えだったので、むう〜といいながらもまあ我慢していましたが、毎日の人は大変です。慣れるものなんでしょうか。みんな頑張ってるなあ。ここでも何度も書いている気がするけれど、行き帰り電車に乗って通勤するだけでも手当を出したいくらいです。ローズマリーの小さな鉢を2つ買って乗ったら、もみ合いの中、荷物が隣の人と隣の人のお腹のあたりで挟まれて止まってしまって、力づくでひっぱってもこないので仕方なく「葉っぱたち大丈夫だろか..」と心配してたら、揉まれてこすれたローズマリーからプーンと香りがたって「なんとか大丈夫です」と返事が届きました。手元に戻ってきてからもしばらく匂い発してました。びっくりしたかね。今は温室の一等席でお日さまを浴びてます。すこし触るだけでも結構強烈な香り。料理につかいたいのでどんどん大きく育って欲しいのね。
 と、ハっと気づくと申告の時期じゃん。今年は何度もハっと思い出して、何度も100%忘れてしまう。だからハっとしてばかり。いつも用意周到だったのに、今回はどうも手をつける気にならないんだわ。大して収入も無いからやればすぐなんだけどねえ。

〔今日の手習い〕MOZART K.V.525 Gdur 最終楽章,Debussy BALLET  これからレッスン。中学生のMちゃんに新しい曲をなにか持って行こう。



2/8 やさしいうた

 アオモジの花がひらいた。花とか土とかくらいの感じで、やさしいひとでありたいと思う。日がな みみうた制作。
いいかげん買い物に行かなくちゃ。お腹がすいた。



〔今日の手習い〕寝坊。最近さぼり気味ですよ。週末たまたま観た展示作品の1つの題材が、手習いで弾いているバッハの平均律が使われてて、思わぬ再会に「しっかりやろう」と心新たにしたばかりなんだけど。


2/7 チクタク

 2月がもう1週間終わってしまった。またたくまに日が過ぎていくようだけど、そんなことないのだ。いつも時間の速度は同じ。落ち着こう。わたしに与えられた時間も、他のひとがもつ時間も同じ。同じ長さ同じ重み。最近珍しくなんだか頭痛持ち。頭でっかちになってるのかな。


買い物に行く活力が無いので、お昼は干し野菜でしのぐっぺ。いい按配に干されました。


2/4 静かな日暮れ 拾う人とアサリの寝言 



 すっかりと宵っ張りのお寝坊さんに戻ってしまいました。手習いはなんとか続いているけれど、早起きはすっかりどこふく風。何時に寝ようとしっかり寝るので、これではまた朝がなくなってしまいそう。
 今日から手を動かして作品の制作の試作。まだまだ先が見えません。ここがある程度決まってこないとDMが作れなくて、焦りの第一波がくるわけです。と思いながらもあちこちから素材(拾ったモノ)を出して並べてニヤニヤしたりね。大概はこういったモノを使うことがあまり無いのですが、"いつかなにかに使う"を前提に、というか言い訳にして拾ってくるので、まあ一度は広げて考えてみたり。どうもね、拾いたい人です。ただの小枝でも石でも、一度なにか思って手になじませてしまったりすると、なんだか特別なものになってしまって、どうもこうもポイとは捨てられずに困ることになるのも承知ですけど、拾いますね。拾う人です。むしろいつだって探しちゃってます。目が。空と地面、どっちを多く見てるかっていわれたら、完全に地面です・・・。空を眺めてるほう多い人も居るでしょうね。爽やか。 でも空より地面はずっと前からです。たぶん子供の頃から。いろんなものが落ちてたし、生えてたし。それらは=楽しいモノとしてインプットされちゃってます。完全に。今は、形あるものと一緒に、形無いものを拾うような気持ちで、もしくは形無いものに形をつけておきたくて拾うのかもしれません。意味持たせたがりなとこもあるし。詩を書くのと同じようなものかなと思います。
でも結構 夢中でたくさん拾っちゃったやつとか剥きになってたくさん拾っちゃった同じようなやつとか、やっぱり困るのね。この小さな部屋では。
 キッチンでは、ホーローのボウルに入れられて水に浸かっているアサリが、くちゅ ちゅり カ チン。元気に動いているようだこと。晩御飯に菜の花といっしょに蒸してやりましょうか。さて、ご飯が炊けるまで今日はこれから手習いです。ずいぶんと日が伸びたこと。



2/3 ひきだし中



 晴れ。窓際のゆるりとした暖かさの中、ぼーっとまぶたに眩しさをあてていたら、すっかり何曜日かわからなくなる。いつまでも冬の真ん中にいる気分だったけれど、もうちゃんと春のほうに近くなってることに素直に気づこう。
 作品の手法がまだ定まらないので、頭の中のあらゆる引き出しを開けてノートにスケッチをガンガン描いて、素材と照らし合わせながら方向を探っています。頭で考えてても仕方無いじゃん!てところまで頭の中がとっちらかった次は、あらゆるモノで部屋の中がとっちらかるわけです。時間の問題です。この段階になる度に、この部屋での制作はもうほんとに限界・・・と哀しくなるわけですが、引っ越せる力量が無いのでまあ仕方ありません。すでに部屋のあちこちから、うまく隠してあった板やら額やらが姿を見せはじめて、居住空間が狭まってきています。それでも今より作品になっちゃった後の方が、一体それらをどこへ置けばいいのか毎回呆然とするわけです。で、毎回引越し熱があがって、したい、できない、したい、できないの堂々巡りしたあと、やっぱり出来ない不甲斐なさに落ち込む、というパターン・・・。
なのに大きいものが作りたくなるんだなあ。今回も一枚は大きいのを作りたいのです。そう思うとわくわくする。展示限りの壊せるものにしようかな。妄想は続きます。

〔今日の手習い〕 MOZART K.V.525 Gdur
いわずと知れた『アイネクライネナハトムジーク』。手っ取り早く済まそうと思って選んだけれど、ところどころ指がもじゃもじゃ。モーツァルトはどうも上手く体が馴染まない気がします。師事していた先生がベートヴェン派だったので、自分もソナタはベートーヴェンで育ってきました。ベートーヴェンはダイナミック(個人的に)な曲が多かったので、モーツァルトのころころと流れるようなパッセージに今でも憧れます。最終楽章を弾き始めた途端に「黄金伝説」を思い出したけど、流れてたっけかな。今日はレッスン室でまた少しやっとく。



1/31 『みみうた』

 晴れ。展のタイトルを『みみうた』にした。年末に決めた今年のテーマは『listen』で、それにしようかと思っていたのだけど、同時にアボリジニのソングラインのようなイメージがあって、なにかもうすこし自分に寄り添ってくる言葉はないか考えていた。発信するとは逆で、受け取る ような感覚の意味で。ひとまわりして自分や時間がいつかそこに残したうた(気配)に、ふと振り向くようなそんな感じ。『みみうた』。うん。
それが一体どう作品になるの?ってとこは、そりゃアタシがききたいくらいなんですけどー。たぶん今までのGARDENの中では一番淡くてニュートラル。あたしの頭の中がってことです。でも制作はニュートラルのままじゃダメなんす。さあて、今日からはじめます。

〔今日の手習い〕Bach /inventionen 1-10 今日からある程度弾きこむことにした。8番だけがどうも苦手。相性が悪いらしい。

 ■〔GARDEN vol.7 『みみうた』〕インスタレーション展
3/16(水)-19(土), 3/23(水)-26(土) 目黒区祐天寺 coffee carawayさんにて。言葉と絵とか。空間展示の予定。

2月に入ったらご案内ハガキを制作、お送りいたします。もし私とあまり面識がないけれど、ご希望の方がいらっしゃいましたら、どうぞメールにてご連絡くださいね。


1/30 ルーツ

 晴れ。きれいな青空。今日は白い雲もぽかりぽかり。こういう空は久しぶりな気がして、ストーヴをつけているのにベランダを全開にしたまま、ずいぶんのんびりと植物達と空を交互に眺めていました。すごく贅沢。
昨日今日とあった予定が流れたので、仕事やなんやかや考えつつも、干し野菜を煮たり、本をめくってみたりとゆとりがあります。昨日はすこし街を歩きに行って、閉店してしまう雑貨店で秋に落としたマフラーのかわりのマフラーを買いました。高校卒業して上京する以前に、キャトルセゾンやF.O.B COOP、LAZYSUZANなどと共に強い憧れを持っていたお店。今みたいにインターネットで見たり買ったりなんてなかったから、数ヶ月に1度でるインテリア系雑誌の中のロゴや写真を何度も何度も食い入るように眺め、田舎じゃとうてい見たことの無いお洒落な雑貨が欲しくて見たくて、だからそんな店が集っている東京にも強く憧れたわけですね。地図や店構えなどの写真から想像だけでその街を歩いたことがなんどあったか。カタログを取り寄せて、それをカラーコピーしてファイルしたり封筒にしたり。カタログの表紙の洗練されたデザインが好きで今でもまだ取ってあるはず。
最近はこんなふうに特別に思っていたお店が、雑貨店だけでなく洋服屋もすこしずつ無くなっていくような気がする。テナント店の撤退なので他所に店はまだあると思うのだけど、ただ、なんていうか自分の中で ここなら好い物がある!という場所が身近から減るのは、買い物しようがしまいが、そのあとに新しくて物がたくさんある次の店が出来たとしても、ちょっと残念なわけです。


 田舎時代からの雑誌の切抜きをまとめたファイルの一部。いつ開いて見ても褪せてないし、やっぱりわくわくする。よくぞ作った!と思う。お宝だ。お店に行けなかったり買えなかったりしたから、欲しいものは真似して工夫して、作れるものはなんでも作った。ここにも私の物作りの原点があるのかも。作りたかったというより、ほんとうに欲しかった。ハングリーだったからこそモノが生まれたのだね。石に英字や絵を描くようなところから始まって、木の箱も針金雑貨も、苔玉もドライの実を埋め込んだトピアリーも、時には苔を育てるところや、花を実を乾かすところからやってみたりして、とにかく作ることであふれてた。よかったんだな、あたし。田舎育ちで貧乏で。
 スクラップをペラペラ眺めながら写真を撮ってたら、デレクジャーマンの本の切り抜きがあるのに今気がついた。今の私がこの本を買って持っているなんて、このころの自分は全く思いもしなかっただろうなあ。ていうか、デレクジャーマンも本の名前も知らなかったー。ま、大部分は、けっこう都会に憧れたただのミーハーだったわけー。

〔今日の手習い〕ぼけーっと外を眺めててさぼりました。えへ。午後に出来たら。いや、やんないだろな。


1/28 しるし

 晴れ。今日も陽が照って窓際があたたかい。これぞ求めた温室効果と思いたいのだが、おとといから泊まりで遊びに来てた友は、んー という顔をしていた。んー。思い過ごしでしょうか。
友とは夕方前から夜中まで延々と食べて飲んで喋り続けて、お互い布団にもぐりながらもモゴモゴ話しているうちに寝落ち。笑ったり考えたり怒ったり哀しくなったり食べたり作ったりで、ほんとくるくると忙しいのでありました。
 最近こうしてあちらやこちらに話が出来る友と機会が増えて、お喋りをする度になにかのきっかけをもらったり弾みになったり、自分の思うことも定まってビジョンが見えたりする。それは感情と同じで一時のこととしてくるくる変わったり忘れていく事柄もあるけれど、自分のほんとのほんとの根っこには、少しずつあったかい土が盛られて守られる準備ができてきたみたい。なにがしたいか、どんなふうになりたいかは、ずっと言葉じゃうまく言いあらわせないかもしれないし、そういうことをひとつの形にして見せることだって出来るかわからないけれど、でもなんていうか、しるし みたいなモノは手に入れた気がする。それは"見る"というより"響く"ような、すごくいいしるしみたいなの。温度や重さとして捉えるような響き。
で、友たちのしるしも時々ジーンと明るさをともなって響いてきて、それも おおーっ!と嬉しいのだ。ちっ と思っちゃうほど、みんないいしるし持ってんだよなあ。ちっ。


 友達ってひとつの星座っぽい。きちんと距離をおけるからみんながみんなを守ってる っつーか。
なんてたまには夜空に想い重ねてみたりするわけさ。あのマブイ一等星は今あいつだなーとか。点滅中はあいつかー?とかさ。

〔今日の手習い〕Bach/ Fughetten 3品, Zwolf kleine Praludien1-12 これでひとまず1冊最後の曲までクリア。
〔昨日の手習い〕Bach/ Fughetten 3品,Sechs kleine Praludien1-6

1/25 冬時間



 晴れ。ようやくアラジン始動。昨晩は、さっそく網をのせて干しイモを炙り夜な夜なアチチといただきました。焼くと蜜(糖?)が出てきて歯にくっつきますがね。軽く焼いたのが好きです。
しかし相変わらず灯油の減りが早いです。アラジンくん。うちの灯油容器は10Lと小ぶりですが、それでも満タンで持ち運ぶと即効腰にくるので、シーズンとはいえなんども給油に行くのは無理そう。無駄にせず使わなければ・・。それでもしっとり包んでくれるような暖かさは、エアコンの暖かさとは質が違います。そうそう、ストーヴのせいかわかりませんが、今朝この冬初めて結露しましたん。あまりに乾燥続きだったので、ちょっと嬉しかったりもします。朝はタイマーでエアコンをつけてしまうので、温度がくっと下がる日没頃と寝る前の時間、お茶や夜食と一緒にしばらく炎を楽しむことにいたします。あ、銀杏もあるんだった。のせるでしょ。もちろん。鉄砲玉のように飛ぶけれど。
 〔今日の手習い〕は、ちょっと寝坊しちゃったからお休み。そのかわり買い物がてら外を歩いてきました。歩けば汗ばむ。


1/24 準備

 陽が出てきたら外がざわざわ人の気配がしだした。夜に雨がすこしふったからうっすら湿った匂いだね。ベランダの方をふと見たら、びゅんと鳥の影が横切った。私も窓からふぁっと飛び出したい。でも寒い。道路添いのナガミヒナゲシがぐんぐんと葉を広げ育ち始めた。花は4月の中頃だったような気がするけど、やっぱり今から準備するんだな。なんかノープランなあたし、やばいか。


〔今日の手習い〕Bach /Sechs kleine Praludien1-6, Fuga, Fughetten
 バッハのこの手の曲は全く飽きない。見てる人は飽きちゃってるかもね。はは。ぼーっと単に譜面を追ってると弾いた端から忘れていくような感じ。やたら感情をこめる曲ではない(と思っている)のでとても機械的、でも技巧的。テーマの発見、事柄の整理、道筋を記憶、魅力的に表現て流れかな。まだ発見中だったり、整理と記憶あたりの曲がほとんどだけど、飽きるまでやってみる。


なんかぜんぜんわかんない(つかめない)ーと眉間にシワ。ま、1回じゃね。また明日。


1/23 土にもどして土からもらう

 前の家のキンカンがたわわに実ってお飾りのよう。ムクドリや小さい鳥たちがつついて持って行くのがちょっと羨ましい。そんな鳥たちの落としものらしきモノが玄関外の通路に点々と落ちている。フンだね。もう乾いていたので、なんとなくじっと見てみると、赤っぽいのや黄色いのなど、数種の実の種らしきものに交じって、キンカンの種らしきのも入っている。ここに落とさなくても、と思うも、種にしてみてもここに落とされて不覚、ってとこだろう。よって少し採取。空いたプランターに埋めてみる。何か出るかね。
 それにしても、遠くの国からなんでも取り寄せて食べる雑食な人間と違って、こうして地域の季節のモノを食べている鳥や動物のほうが、やっぱり健全な気がするなあと、どこの国の具材が使われているのかわからない肉まんを頬張りながらふと思う。もちろん美味しい物には貪欲だけど、それでも今の季節には今 日本で採れるものが体にあってるのだろうし、それをちゃんと楽しんでおくべきだなあと、今日も大根の皮を干すのです。冬は土のモノを食べてあったまろう。
こんなに寒いのに、日向に置いたワイルドストロベリーが実をつけた。でも苺狩りはもうシーズンインだね。

〔今日の手習い〕 Bach /Sechs kleine Praludien1-6, Fuga 3品



1/22 よるのとばり まぶたのえしゃく

 ザーっと空気を吐き出すエアコンの音が、静かに静かに床をはってきて、まぶたがこっくりこっくり。もうすこしがんばりたいのだけど。切ったり貼ったり彫ったりの試作。

〔今日の手習い〕 Bach/ Zwolf kleine Praludien1-12、Sechs kleine Praludien1-6  このへんは初めての曲が多いけどやさしくて音がきれい。

 

1/20 大寒



 青空。つんと冷えて鼻の頭に水粒がまとわりつくのが、自分の中の冬のイメージなのだけど、もう随分とそんな冬には出会っていない。土や樹木が少ないからなのか。
 昨日はベランダをざっと掃除して整理。空いたプランターをなるべく陽があたりそうなところへ置いて、冬の野菜の種をまたすこし蒔いておく。土を掘り返していたら、ゴロンとアボカドの種が出てきて、自分も懲りないなあと思う。角みたいな根っこがちょんと出ているので、やっぱりまた土に戻した。アボカドも一時に比べたら随分鉢数が減ったけれど、どれも立派に大きくなって、この時期にもベランダに緑をひろげてくれている。いい子だなあ、ありがとねと葉っぱをなでた。
 今日はレッスン。〔今日の手習い〕もレッスン室でアンサンブルの曲の練習。防音室の冷え込みはハンパじゃなく、暖房をいれて鍵盤が常温?に戻るまでは手袋でもして弾かないと痛くてしかたない。そんなことも数ヶ月のこと。


野菜もよく乾く。温室中だから雨がふっても大丈夫だよー。



1/19 見えないところでシフトチェンジが始まってる



 晴れ。ヘリコプターの音。救急車の音。遠くをザーッと流れるのはたぶん電車。気配が多い水曜日だ。
個展のタイトルを考えている。いくつか候補があって、どれも自分のニュアンスとしては大きく変わらないのだけど、すこし持っててみて一番なじんだのにしようかと思う。"思う"なんて悠長に言ってられるのは今のうちだろう。だいたい最後の2週間くらいですべてをひっくり返したりするんだもん自分。でも3月になにを考え出すかなんて、今はわからないし、ひっくり返した瞬間に泣きたくなるんだろうけど、そのときはその時で仕方ないなあ。泣いてる暇があるくらい余裕をもってやってみたいものです。ま、無いと思う。(断言)
 さあ、陽があたるうちにベランダと部屋の掃除をして、午後はかぼちゃでも煮ながら新しい制作物の構想。日曜に精米したてのホカホカな新米をもらったので、ここのところごはんの時間が待ち遠しくてたまらない。だから朝がくるのが嬉しい。今週は一日一日が少し落ち着いていいリズムだ。次の波がくる気がする。

[今日の手習い] Bach/Symphonien1-15, Praludien1-12 
質より量。ただ弾くのみ。



1/18 ひだまり製作中

 晴れ。天気予報では最低気温がここのところ連日マイナス。でも陽のあたる窓辺はあたたか。ベランダの前面にカーテンのようにビニルシートをつけてみた。まだサイドが空いているので保温の効果はあるようで無いんじゃないか?というところ。それでも見た目が温室内に居るようでテンションがあがるので、あったかい気がするのである。乾燥もすこし防げるのではないかと期待してる。
サイドにもシートを付けるには一番大きい鉢植えを移動して、ベランダ内
全体の配置替えをする必要がある。温室が出来たらぽかぽかしながらベランダ掃除を、と目論んでいたのに、やっぱりそうは問屋がおろさないのだわさ。つべこべ言ってるまにやった方が早いか。さっさとやって、土づくりして種をまこう。冬から春先は 虫の被害が少なくて収穫も楽しいもんね。うまいこと温室になるのかな。外からみたらますます怪しいベランダになりつつあるよ。あはは。

[今日の手習い] Bach/シンフォニア no.1-15  とりあえず3日坊主はクリア。



1/15 今朝のバッハはシンフォニアから


 曇り空の中を飛行機が飛んでいる。そろそろとベランダを少し開けて網に入れた大根を干しながら、顔もちょっと突き出して鼻の先で寒さの確認。白い息がわずかに飛んだ。今日はきっとあちこちでため息吐息白い息。
 鍵盤も冷えていて打鍵する指先が痛い。すり合わせて休み休み。つま先がじーんと冷たい。寒くて歯をくいしばってるのか、気づくと顎と頭に力が入ってる。


1/14 宇宙とあたし ちいさな蓄熱体



 晴れて冷え込む。ひとまずポリ袋をかぶせた簡易温室の中に手を入れてみたら、とても暖かい。中ではほうれん草と春菊が成長中。冗談でなくベランダを温室化すれば、暖房はカーペットだけでもいけるかもしれない。ストーヴは風物として点けたいところだけど、やっぱり先に透明ビニルを買ってこようと思う。寒さのせいかメダカも全く姿を見せない。
 2日続けた早起きも、今朝は大幅に寝坊。もともと金曜日は朝が遅いのに加え、昨晩は午前さまだったのと、biweekly poetでの美穂子さんのお話でたぶん体がすこし緩んで休みたがったのだろう。
美穂子さんのお話や朗読(声)は、なんていうかとてもソフトに伝わってきた。初めて美穂子さんに会った日に(おととしの≫9/30、ちなみに2回め≫11/27 )背骨を水が流れるような感覚を覚えたのだけど、その声は たぶん自分でそこにすこし意識を向けないと" 言葉"だと気づかないくらいの、どこか奥で静かにコロコロと水が流れている音 のようだ、と思った。個人的感想ですが。時々くぐもったり聴こえてくる言葉のひとつ、またひとつに、身体を思ったり宇宙を思ったり、ただ安心したりしていたのでした。
 帰り、自転車をこぎながら、寒い寒い夜空に向かって、「あたしはここにいるよー」と意識を飛ばす。たしかに居る。時々悶々としたりぐるぐるしたりしながらも、いつもちいさく蓄熱してる。

 なんか今 急に、あそっか、体が頭の下にくっついてるんじゃなくて、体の上に頭がのってるんだ。と思った。どっちも見た目同じで、しかもあたりまえのことだけど・・・。いつも人の絵を描く時って、ほぼ 頭の○から描くのだけど、今自転車にのった自分の図↑を想像したときに、あとから頭が乗っかった。アンパンマンの顔がポン!と飛んできてくっつくみたいに。棚ぼただ。へー。




1/13 はなされし/かごの小鳥の/とりどりに/たのしみおおき/春ののべかな

 この詠は、年末に来宮神社でひいた御神籤に書いてあったもの。末吉。お正月に鎌倉の八幡さまでひいたら吉だったのだけど、末吉のこっちの方が、この詠とか書いてあることが気にいっているのでまだ持っています。内容を自分なりに解釈してしまうと、人には心遣いをもって、物事には適度に距離をもちなさい って感じかな。デスクの前に貼ってあるので、時々眺めては心にとめています。短歌の訳は 「籠の中にいた小鳥が放されて自由にとび歩く様に苦しみを逃れて楽しみの多い身となる運です 世の為人の為に尽くしなさい 幸福(さいわい)まして名も上がります」 春がくるって感じ?いいことあったらお礼参りにまた行こう。
 今日はレッスンのあとタンバリンギャラリーでのbiweekly poetに参加予定。語り手はロルファーの高橋美穂子さん。お話と簡単なボディワークとのこと。ここんとこどうも腰が痛いのでほぐすこつを聞いてこよう。体がコリコリしてる方は一緒に聞いてみませんか?≫詳細
ギャラリーでは 「『daily poet』 村椿菜文(詩)×廣瀬義智(写真)展」も開催中。こちらも楽しみ。≫詳細

 

1/12 インヴェンションは6番が好き 

 晴れ。2時間早く目覚ましをかけて、1時間経ってから起きる。上出来。ひとまずこれから飽きるまで、バッハを一冊 時間がゆるすところまで弾くことにする。
昨日は、部屋の荷物を整理しながらようやくストーヴを出した。週末には火を入れよう。体もすっきりプチ断食しようと思ってたのに、土鍋いっぱいに豚汁をつくってしまった。連休前に仕込んだ塩豚もいい具合に漬かったし、やっぱり断食は見送り。大根やシイタケを干して、柚子もハチミツ漬けに。やっと気持ちが冬のしっぽに追いついた。だからまだ寒くてもいいよ。



1/11  リ・スタート ダンシャリズム

 薄曇り。年末から続いたリハから本番が明けてぼんやり。今年もホールのピアノがスタンウェイで、その音と弾きやすさにほくほくとテンションがあがり心地好く弾けた。ピアノは住宅事情もあって簡易的なもので練習する人が多いし、本気になったら買います、みたいなことが多いけど、本物だからこそ増す意欲や楽しさってのが必ずあると思う。半分別の方面に行っちゃって、常に身軽になりたいと思ってるこのわたしでさえ、手元にグランドピアノがあったら・・・と今だって思うもの。そしたらまた世界変えられるかもしれない、とかね。まずは格好からっていうじゃないの。ほんとにそれなわけさ。音全然違うから。
まあそんなことを思うほどすばらしい演奏会だったわけですが、素晴らしければ素晴らしいほど、日々を100%こっち方面(音楽)で過ごしていない自分がひとり引き離れてしまったようで深く落ち込んだわけでありました。関わってる時間は手を抜いているわけでもないし、引き受けた演奏だって上々だったけど、一年とおしてみたら、力注いでる時間はほかに比べてわずかなわけで、周りとのその違い?みたいなのを、勝手に感じてしまったわけです。結果そつなくやってのけた自分がなんか腑に落ちないっていうか。他の人とは違う生き方なんだから、仕方ないってわかってるんですけれど。全力の場にいると、100%でなかった自分が悔しいんですね。←負けず嫌い たぶんうまく意識を切り替えないと、こういうふうに分野の違う仕事をかけもちしている限り、何かあるたびに自滅しそう。 とにかく生活や仕事のスタイルをどちらかへ100%にすることは、もう無いだろうけど、それならば実力だけは100%近くに保っておこう・・・とボロ雑巾みたいな気持ちで思ったのでした。うう。
 これから1時間早く起きて弾こう。そう、たぶんそういうことなのだ。自分の中に事実をつくるのが必要だ。まあそう思っているうちだけでもやってみる。ほんじゃそういうわけだから、Yちゃん、早々に曲仕上げるんでセッションしちゃって次の曲決めよう。

 さあ、今日は一日家の中のこと。ダンシャリズムがわいてきた。片付けて整えて個展のことにもそろそろ向かわないと。この日記ももうすこし何か変えたい。どうも ひとり人生相談みたいな長い愚痴ばかりでね。すみません。かなり素になっちゃってて。



1/7 たぶん二泊三日の旅行鞄くらいの中身で



 晴れ。実家の畑の菜っ葉とベランダに生えたセリとかタネツケバナとかルッコラなんかで七草粥もどき。スティックブロッコリーも伸びてきた。寒に入ってほんとに冷え込んできたので、はやく温室計画を進めたいところ。そのまえに身辺をすこし整理しなくては。自分にスペースをあけておきたい。なにかが飛び込んできたらキャッチしたいものね。なんていうか、なにに向けてかわからないけど身支度したいのだな。過去を手離すという感じじゃなくて、今持ちたいものを持つ感じ。でもたぶんやり出したらとことんやりたいし、そう思うと、どこからやったらいいのか漠然としてるなあ。いやしかし、まずは目に見えるモノからで、デスクの上ってことですわ。ここには出来れば忘れたいもの(請求書とか雑務)がいっぱい積まれてるわー。



1/6 小さなチェリストたちに会いにいく

 曇り気味。今日はこれからチェロの生徒さんとの初合わせ。次に会う時は本番。その数日の間にきっと演奏もまたすこし変わっているはずだし、本番の一回に何がおこるのかわからないので、演奏というのはいつもまあぶっつけ本番だけど。
今回はここにきてさらに演目を背負うことになって、ちょっと不安を通り越して呆然です。でもお客さんは結果のみを見るわけなんで、ここでなにをこぼそうが言い訳になりそうだし、お客さんからは「良かった」のひと言だけをもらえるように、黙っていっちょふんばりますよ。
それにチェロとの1対1の合わせは初めてなので、今日はわくわくです。ちいさな子ども達の伴奏が主なので、楽器も大人が持つチェロよりふたまわりくらい小さいですが、チェロの音色はとても好き。抱いた時の重みも身体が共鳴する音も。そんなわけでね、さあ行ってこよう。




1/4 仕事始め 



 晴れて穏やか。実家の寒さで凝ってた体が、ようやく折り目をもどすようにすこし楽になってきた。荷を解いて、洗濯をして、鉢植えに水をあげて、ニシンを煮ながら仕事始め。もうすこし 暮らしだけをするようなニュートラルな時間が続くといいのだけど、明日〆の仕事が手付かずであるわけで。忘れたふりをしているけれど、忘れられはしないわけさ。
でも今すごーく温室をつくりたい...ベランダ丸ごと温室にしてしまおう計画。野菜は育つし、部屋はあったかくなるだろうし、すごくいい考えだと思うんだけどー。



 ふわふわの花の正体は、秋明菊の種のかたまり。花が枯れたあと、綿毛を包んだ種のボールみたいなのが膨らむ。それをそうっとひらいたら、真ん中にウサギのしっぽみたいなちいさな芯があって、綿の花が咲いたのです。真っ白で柔らかくて可愛い。ふーっと吹いたらほろほろ崩れて飛んでった。小さな庭の中にも、まだまだ知らないことがたくさんあるなあ。



2011年 あけましておめでとうございます
今年もどうぞよろしくお願いいたします



1/3

 底冷えする富士のふもとから戻ってきました。寒さのおかげで富士山は白く美しく、わたしは例年どおり相変わらずのぐーたらなお正月。お正月に限らず実家へ帰ればいつでもぐーたらです。とにかく思考回路をポーンと取り外してしまったかのように、食べて、寝て、妹ちゃんと喋って、本を読んで(20年ぶりくらいに『ノルウェイの森』を読み返してみた)、また食べて、寝て、とそんな数日でした。
 ようやく今、またひとりに戻って落ち着いて、そういえば と、昨年一年を振り返っています。低迷した時期もあったけれど、起伏の多い一年だったかな。なんだかいつも自分が何なのか知りたがったり、定めたくて、なるべく小さな円の中に自分を入れていたような気もします。とにかく大地ごとグラグラしてたような感じだったから固定したくてしょうがなかった。
 今年は、目標や目的を決めることは必要だろうけれど、だからといって自分自身の決めごとに頑固にならずに、許容範囲を広く、柔軟に過ごせるといいなと思います。全くもって今さら?だけど、ここにきて改めて、自分が思っているよりも社会は広くて、進んでいて、いろんな人が居て、でも狭くて、ひょんなことで出会う人が居たりして、ほんとなにがあるかわからない。なんとなく、困らない程度なら別に世間知らずでもいいか、と思ってたけど、外は知ってれば知ってる分だけ楽しいこともちょっと増えそうだよ、って思う新しいスタート。なんて。今年も健やかに楽しくやれますように。

 上の写真は、年末に行った来宮神社の大クス。念入りにお参りする図 を、マリーに撮ってもらいましたよ。木の表情がすごいの。いろいろなものが宿ってるんだなあ。高く高く空を埋めるようにしっかりと枝葉は茂らせていました。こんな木が生きててくれて嬉しい。



 お正月は、集落にある小さな神様へ。この写真は"山の神様"って呼んでる神様の社。こんなふうに山の中に、氏神さんやお稲荷さん、水神さん、妙法神さんと、他にもたくさんの神様の小さな社や祠がひっそりとあるのだけど、山に動物が出るようになって、だんだんと人が入りづらくなってしまいました。この日もちょっと山道を分け入ったら、幅50センチ程の道幅の中央に、てんこもりの猪のフンがあって、妹とふたり「ぴゃーっ!」と逃げ帰ってきました。家に着いて母から「熊も出たってよ」と言われさらにどきどきしたのでした。先に教えてください。。。
「庭の前を鹿が歩いてた」と聞いた時にもびっくりした。そんなのどこの田舎?みたいな話だと思ってたら、自分ちも相当な田舎だったわけです。鹿なら見てみたいけど。



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