12/29 今年もありがとうございました。
のどの痛みが気になりますが、洗濯をして荷支度をして午後一番で病院へ行って、そのまま鈍行に延々と揺られて静岡入りします。まずは妹んちへ。この妹、どういうわけか秋頃から立て続けに3回?4回?も見合いをいたしました。私もしかして今モテ期か?と言っている厄年女ですが、縁談の方は蹴って蹴って蹴って。最後の話をじっくり聞いてないので、飲みながら聞いてみたいところです。
大晦日には実家へ移動。まあ実家に2〜3日も居れば、今度はきっと何か作りたくて早くひとりの生活に戻ってきたくなるでしょう。戻ってきたらまず1月はモリモリと制作三昧です。やり残したこともやらなければならないことも、一旦全部忘れちゃったふりして、何の肩書きも無い(要らない)生活をしてきます。そういう時間がきっと必要なのでしょう。
今年は2つ続いた個展に始まり色々ありました。様々の人と会い、社交的にも広がった年でもあります。こころがおいしいと思う時間を大切に、素直に、また来年もやっていければなあと思います。年内のうちにもう1回会ってご挨拶したい方もまだ居ましたが、また来年ひょろっと会いましょう。今年の日記はこれでおしまいです。お付き合いありがとうございました。好いお年を!

12/28 美しい と 悲しい
夜に降りだした雨があがるのを待って鎌倉へ。打ち合わせという名目で、ロルファーのみほこさんちへお邪魔して、美味しいお昼ごはんをご馳走に。 お鍋で炊いてくれたタコ飯が美味しいこと!リラックスしながらテンションあがって陽が傾くまでお喋り。なんでしょう。最近の私はかなりお喋りです。聞いてくれる優しさに甘えて調子に乗りすぎる感があります。
でも今日もよく喋ったら、帰りの駅のホームで綺麗な夕焼けを眺めた時に、すっかりニュートラルな自分に戻っていることに気づきました。まつぼっくりのカサが全部取れちゃってどんぐりみたいになっちゃった感じというか、鱗がパラパラ取れてうなぎになっちゃった感じというか、すっきりで無防備な感じ。
そしたら空の色の美しさが、ストレートとまっすぐ入り込んできて、ツンと胸の奥を刺しました。それで、ああそうか、こんな状態でふいに気づかされる儚い美しさって悲しみの痛みと似てると思ったのです。黄金色から空色へのグラデーションの中を、ほんの数秒飛行機雲が線を描いてまたすぐに消えていくのを見ながら、ああたぶんこの空の色は、小さい痛みのようにずっと忘れないだろうなあと、ぼんやりした目で、でもはっきりと思ったのでした。

八幡宮はあちこちで初詣の準備。今日こそ、と楽しみにしていたぶどう飴は、いちご飴に変わってたー。そうかー季節物だったかー。
12/27 うたた寝くつした と 大事なガラクタ
仕事納めをして細かいところの掃除など。明日でゴミの収集が最後なのでと冷蔵庫の中身をあれもこれも使って夕飯つくりしたら、ちょっと作りすぎちゃったみたい。部屋の中の物の減量は着々と進むけど、どうも自分は重たくなっていくようです。近くのブックオフが洋服類も買い取ってくれるようなので、もう思い切ってダンボールひと箱分くらいは持って行ってしまおうと思う。コーヒー代くらいにはなればいいかな。しかし、ゆるゆるのびのびになった靴下やシャツなんて方が、どうしても捨てられない。そのゆるくまとう肌触りに、うたた寝みたいな心地好さがあるの。

拾い物のガラクタも捨てられない。鉄の管とかペンキにまみれたセメント塗るコテみたいなのとかぐるぐるした枝とか蔓とか。
急に欲しくなっても買えないからなあ、と思うとね。
12/24 イブ
昨日は一日、途方も無い虚しさと哀しみがやってきて、ぐずぐずと過ごす。今日は朝からレッスンに行って、子供たちとなんだかんだ喋ったらちょっと落ち着いた。「せんせいんとこはサンタさんくる?」と訊くので、「うーんどうかなあ。来たら嬉しいなあ」と答えたら「こないよ。もう大人なんだから!」とピシャリ。そのとおりだけど、えーん。 「さみしいなあ」とこぼしたら、「じゃああとでいいものあげる!終わったらあげるからね!」と帰りにクッキーとお手紙をくれました。もしやこれがツンデレ?しかも本来なら立場逆でないか?まあいいや。
話を聞いていると、レッスンに来ている子達は、お父さんとお母さんそれぞれからプレゼントを貰い、それとは別でサンタも来るらしい。プラスおじいちゃまやおばあちゃまから
と、欲しいものが一挙に獲得できる日のようだ。ましてやこのあとお年玉がくるなんて、これはボーナスよりすごいじゃないかい。(ボーナスってモノを貰ったことないからよくわからないが。) 自分の子供の頃のクリスマスは、プレゼント交換みたいなのを友達とはしたけれど、特別なプレゼントというのはサンタクロースからだけだったなあ。確かに縁側に立って暗い空に手を合わせて「○○を下さい」的なお願い事をしていたような気もするけれど、それとは関係ない物を与えられていた気がする。サンタが白い大きな袋に手をつっこんで、たくさんのプレゼントの中から手に触ったものを各家に投げ入れていたと思っていたので、「わ。なんだコレ!サンタからこんなのが来たよー!」って具合だったし、そういうものだと思っていたのでいいけれど。
しかしね、幼稚園の頃ってそんなにたくさん欲しいモノがあったっけ。もし父さん母さん、仮にじいちゃんばあちゃん+サンタさんとプレゼントを貰えるとしたら、とてもじゃないけれど数が多すぎて、何がいい?と訊かれても知恵熱でるほど考え込んできっと決めることが出来なそうだ...。 先週レッスンに来た中学生の女の子は「うちさー、もうサンタが来ないかもしれないんだよね・・・。今年が最後かも。」と、ピアノの前に座るなり凹むので、なぜ?と訊くと、パパママにしたら、もう中学生なんだから、サンタ(の存在)は無いでしょ! ってことらしい。でもパパとママからはやはりそれぞれ普通にプレゼントを貰うというので、サンタの存在うんぬんについては少し寂しい気がするが、プレゼントに限っては「全く問題無いと思う」と言ったら、「違うんだよ。サンタは一応サンタ(パパやママじゃない)ってことになってるから、どんな(高価な)モノでも頼めるんだもん!」だそう。どんだけすごいものを欲しがっているのだろうか・・・うーん。「パパとママのを1つにまとめて一番欲しいものを頼んだら?」と言ってみたけど、やっぱり数も欲しいしそれも嫌で、「やっぱサンタが来ないと困るんだよ〜」と嘆いていた。まだサンタサンタと言ってるうちは可愛いというのか、結構シビアで緻密というか・・・。アタシはキミのサンタにはなれないな、と呟かずには居られないのでありました。まあとにかくクリスマスが、どこのどの子供にとっても、いつまでもちょっと嬉しい日であってくれたらなと、十分大人になってしまった私は思うのであります。

やっぱりだんごが乗っているところが可笑しい。もう一年以上おだんご頭はしてないんだけどなあ。
今日は、この可愛い手紙と友達から届いた便りに少し救われた。本来きっとアウトロー気質なのに、周りと同じ歩幅で進もうとする(進みたいと思ったりする)から苦しくなるんだわ。結局私はどうしたいんだろーよー。
12/23 急がば回れ
少し焦りすぎていたかな。どれもちゃんと整えようとしたくて頭が固くなっているみたい。物事や人に勝手な期待を抱いておいて、思うようにならない とこれまた勝手にがっかりする。小さいイラっとの手前には、〜はず、〜だろう といった具合に必ず自分の変な期待があるのだ。推測はいかんね。
と、呑んだ席の自分の言動から反省する。まあ、よう喋っておりましたが、年忘れってことでね。えへへ。
今年後半は、並んだお寿司の中から無意識に一番好きなネタから食べてしまうのと同じく、ざっくり並んだ案件からパっと手が伸びたことを美味しく消化してきた感じ。一様に好きなネタでどれも大事な案件であることは変わりないのだけど、やっぱりこれは美味しいに違いないと確信出来るところ、新鮮さで目に付くことへ無条件に手が伸びる。動物的。食わず嫌いや知らず嫌いの固執を解かないと、さらなる美味しいものへ世界は広がらないなあ。きっと美味しくて楽しいことがたくさんあるはずだなあ。

昨日は、友たちとのドライブ遠足。美味しい冬至弁当を、眼下に海を眺めながら頂きました。お重入り。わーい。わいわい食べると空気も美味しい。途中立ち寄った神社でひいたおみくじには、まさにピシっと肩を叩かれるような思い。色々書いてあった気がするけれど『急ぐな浮つくな辛抱しろ、そしたら道は開ける』と受け取りました。ハイ。神様のいうとおり。
今朝は、おととい辺りからきていた喉の痛みが増して、唾ごっくんもひっかかる。柚子を絞ってはちみつ湯でも作ろうか。レッスンは明日が年内最後。風邪に発展しなければいいけど。家仕事はこの調子じゃ正月に持ち越し、だいたいまだ食いだおれしたいんだからー。年末ってなんでこうなんでも、存分にやって締めくくりたい気分になるのかしら。時間の移り変わりはいつも同じなのにね。区切りもけじめも堅物にならない程度にしようっと。自分にはどうも頑張れない時間(手付かずの時間)が多い気がする。そのかわり頑張れる時にはモウレツな人になってしまうみたい。そういうのがもうちょっと均等になってくと、もっとやわらかい人になれるのかな。でもそれって私なんだろうか。
12/20 拗ねる象の音楽隊
穏やかに晴れ。日射しがあるところは暖かい。のんびり寝ていたので、もう じきに夕闇がやってくるだろう。鍋いっぱいにミネストローネを煮たし、今日はひと片付けしながら、年末までにやることの整理。まだまだもうちょっと。
昨晩のCOYAのライブは満員御礼。今年最後だったこともあり、出演者も総出でいつも以上にわいわいとした空間となった。サイトを通じてお知り合いになった方が、朗読会というなかなか知らない方には入りづらいだろう場に、心決めて扉を開けてくださったこと、そして楽しんでいただけたこと、言葉が届いたこととても嬉しかった。帰り、凍えるような寒さの中、体を震わせて電車を待ちながら、ほんとにこんな寒い中来てくださってありがたい...とひしひし思わずにはいられないのでありました。来て下さった皆様ありがとうございました。
自分自身は、"参加することに意味がある" だけ の時期は終わったかな。特に今年はステージに立つたびに思うのが、ステップアップして臨む、もしくはそういった気持ちで常に精進している状態でないと、お客様はもとより、良い場にしようと努力している仲間や出演者に失礼じゃないか?ということ。大したことするわけでないのに、いつまでも必要とされていると思うなよ、ってこと。伝わるってことを実感したからこそ、声に出すことは心もってきちんとやりたいのです。まあそんな具合に、日々自己戒め中。
逆に同じステージでも音楽部門に関しては、果敢に挑めって感じです。出してないもん出しちゃえ。出し惜しむな、というか。で、象の音楽は、嫌がってなんてないですよー。というか、やるなんて聞いてないし。まあ、たまに?よく?ムっとしてたかもしれませんけど、そういうのはきっとよくいう音楽性の違いってやつですよ。眉間のシワはボスの要求の難易度を示しています。ってやっぱどうも私がおこりんぼみたいじゃん。バンジョーに忙しくて象を放っておくから拗ねちゃってるですよ。勝手に拗ねてろとか言わないで、来年はよろしくたのみます。
一晩明けて、テーブルの上には、コーヒー豆とドーナツとマーガレットプレス。それぞれどれも友人たちがこれまでコツコツと築いてきた時間がつまっています。友達が作ったのよと自慢できる嬉しさ。
昨日の日記、アップし忘れてた。意味の無い告知。
兵庫の展示のお知らせをnewsにアップしました。
12/19 今夜はCOYAライブ
いつものリーディングライブです。
逗子COYAにて19:30〜 fee \1500(1drink)

実家を真似て、みかんの皮も干してみる。夏にいぶせば蚊取り線香になるみたい。

今日の野菜たち。小さいプランターで大きくなろうとしていた聖護院大根も抜いちゃいました。変な形。下の方がだんだんと大きな球になっていくんだな。
12/18 マウンテンビュー
すっきりと晴れ。友と近場の大山阿夫利神社へ。2度目だし寒いかもしれないしで、それほど新鮮でも無いだろうと思っていたらところがどっこい。駅から大山ケーブルの駅までバスに揺られ、徐々に山に近づくにつれテンションも上がる。ケーブルカーに乗り込めば、あまりの急勾配と、眼下に見えた相模湾に、年甲斐も無くはしゃぐ。空気が澄んで山日和。

乗ったのはカエルのオモチャみたいなグリーンのケーブル。「見て!あそこにあたしたちが映ってる!」と急いで写真を撮っています。

どれだけ寒いのだろうか...と思っていた山の上も、風はピタリと止まっていて陽に照らされ暖かい。吸い込む空気だけが、しんと冷たく体をめぐって浄化していくみたい。神社を囲む山々の枯れた山肌に陽が射し込み、青空が落ちた先は海。遠くまでクリア。水たまりに浮いたビスケットみたいな江ノ島、ちょろっと伸びた三浦半島。山の上から見るその地形のちっぽけなこと。背伸びすれば腕が届きそうな距離。あっちに住みたい、こっちに近くなくちゃ嫌だなんだと言ってた自分が馬鹿らしく思える。ここから見える範囲なんて、行きたいと思えばどこからでも行ける距離なんだなあと。

中央から右に伸びてるのが三浦半島。その向こうはたぶん房総。さすがに房総半島は大きい。
大山は金運パワーがあるスポットらしいので、今回は念入りにお参り。護摩木を焚いてお願い事をして、前回ノータッチだった本堂脇に湧き出ている長寿延命の水もいただく。本堂横のひっそり小さな社は何だろうと見てみれば、コノハナサクヤヒメが祀られており、美願と御酒に関係すると書かれている。もちろん手を合わす。この社は富士山浅間大社と繋がりがあるよう。浅間さんの湧玉池の水も強いパワーがあるみたいだし、今度の帰省は実家に篭ってばかり居ないで行ってみようかなあ。


茶店で焙られていた草団子でエネルギーチャージ。ぬられた甘めの味噌が美味しい。ヨモギの季節になったら作ってみよう。
腹持ちもよくて、団子を食べて旅をしてた昔の人の気持ちになる。
帰りは友と喋りながらケーブルひと駅分、山道を歩く。石を積んだだけのような急な階段で、ええー!と言いながらも、なんだか楽しくて仕方ないアラフォー2名。途中の大山寺で、かわらけ投げ(小さな土器を山間に投げるやつ)もして、満足して下山。バスに乗れば気分すっきり、安堵の眠気。

「膝にきた」「いやふくらはぎにきた」と互いに勝手なことを喋りながらトントンと降りていく。落ちても助けられないから油断するなーとか、調子づくと危険!とか背後からうるさく戒めている図。

やっぱ山はいいなあ。
向かいの山は丹沢国定公園。ヤビツ峠とかあっちの方かな。
ぷるぷるしてたふくらはぎが、明日どういう状態になっているかがちょっと心配。
次は宮ヶ瀬あたりに行きたい。ダムに沈む前とダムになった後も見に行ったことがあるけど、最近ダムに沈んだ村の話を読んでから、なんとなく、あの緑に溢れていた長閑な谷底の村ことをもう1回思い出しながら、ダムの湖面を眺めてみたいのだ。
12/16 2月の庭に思いをめぐらす

昨日は寒くて縮こまって丸まって、なにもやる気がしないとメールの返信をした他はぼんやりしたり眠ったり。きっと本能的に冬眠しようとしてるんだと思った。夜になって、これじゃ駄目だと少し片づけをして、レッスンの支度をしてからスケジュール帳を眺める。展のことを色々イメージ。本格的に取り掛かる前に、まずはあっちを終わらせないとなあ、と妄想がふくらむのをセーブしてるつもりが、もりもり沸いてきてあちこちに走り書き。あーなんか,もしかして、ちょっといいこと思いついちゃったかも。こりゃ寝てる場合じゃないかも。受験生と一緒にもうスパートしないと。
今日はこれから駅までスパートしてレッスン。今日は長丁場。レッスン室の冷えに備えて防寒具でカバンがパンパン。
12/15 sowing
ぐんと冷え込んだ窓の外へ顔だけなるべく突き出して、じっとベランダを眺める。煙たいようなくすぶった冬の空気のにおいが、くっきり濃くなった。ああ冬だね。やっと、とうとうここにも来たね
と縮むような寒さの中でも、季節の到来はいつもわくわくする。
今朝は、場所は少々悪いが、トイレに座っている時ふいに来年のテーマを思いついた。やっと始めてもいい土が出来たような気がする。これまでは色んな種を蒔いて蒔かれて、時間や流れ、暗黙の了解みたいにやってきたとこもある。でもそこから間引いて減らして、残したいことが絞れてきたみたい。やれば楽しいだろう、ということもたくさんあるけれど、今の自分が時間を注ぎ込みたいことって何か。
ついでに兵庫の展示のタイトルも決めた。見えるときはふいに見えるんだな。鏡の中の自分の顔を見るより早くに。

ほらあ。ずいぶん出ちゃってまあ。
昨日はなあやさんちに転がりこんで、あれこれよもやま。暗くなってからはマイマイとマシミに移動して続き。自分の悩みの大きさや重さを、誰かの何かと比較する必要は無いけど、明らかに今、自分が持ってる悩みとか迷っていることなんて、ちっちぇーと思う。その
ちっちぇーのが自分をぐるぐるさせて見えなくさせるんだからなあ。
しかし、くだらないことまで一生懸命なんだかんだと真面目に考えて喋ったりして、私って自覚が無いだけで酔っ払いなんだろうか。どうもお酒入るとちょっと説教臭くよう喋るようになった気がしないでもない。もしや父さんの遺伝か?だとしたら少々控えねば。
12/14 疾走
たぶん柄にもなく頭を使ったりしたので、無性に疾走したくなったのだ。下り坂を自転車で風に包まれてびゅんびゅん走る耳鳴りと興奮。今度はそのどきどきだけで作る押し寄せてくるうねりみたいな音楽。
でもね、今日はもう寝るのです。昨日の夢が面白かったから今日もたくさん夢を見れるように寝るの。曇り空で流星も見えないから。明日も疾走してますように。ぶわっと毛が逆立つようなのが作りたい。あたってくだけろ。
食べずにさらに放っておいたアイツを見たら、さらにアレが出てきちゃっててどうしよう。(アレが出るとか書くと、また変な検索でヒットしちゃうか?)写真はのちほど。おやすみなさい。
12/13 one day I walk
兵庫のカフェオーナーさんからお声をかけていただき、2月の頭から個展をさせてもらえることになりました。作品は、お店の雰囲気に合わせて、これまであまりやったことがない小さなイラストとかドローイングを中心に用意しようかなあと思っています。詳細は今から考えるので、決まり次第ご案内します。最近は自分のこういうことを考える余裕が無かったので嬉しいかぎり。楽しい忙しさになりそうです。そしてなかなか自発的になかなか動けないエリアだけに、声をかけてもらえたことありがたく思います。妄想の種がまたひとつ。
one day I walk.は、昨日開いたノートにメモしてあった一文。何を思って書いたのだかすっかり忘れましたが、その下には ブルースと一緒に と続いていました。清志郎になってましたかね。自分。 今朝は床で目が覚め起き上がる。昨日は午後から楽器に向かっていて、日付が変わる頃には椅子に座って弾くのが億劫になって、床に座って鍵盤に手を伸ばして顔を椅子にのっけて目を瞑りながら弾いてたのだ。まさに瞑想弾き。それでどうやらそのまま床に転がったあと干して取りこんであった布団の山の中にもぐりこんだみたい。布団干しておいてよかったよ。
今回の曲作りは、100%暴走していたこれまでと異なって、説明書無しのプラモデルを組み立てているような手探り状態。何度完成させてみても良し悪しの判断が出来ない。もう1日継ぎこんでみようか。窓ガラス越しの外の色が白くて、寒い。ブルースはまだ寝てるよ。
12/12 矢をつがえる
青空。冷たい雨降りの昨日より晴れた今日の方がさびしいのは、今週あまりにも人に会ってないからですかね。週末ってみんな忙しいんだろうなあって思うと余計。まあこういう偏った情態が、何かを生み出す原動力になってきたことも確かだけど。明るい太陽なんて
でえ嫌いだー、と思う日もあるということで。それでも洗濯機を2回まわして、今日やることを自身に並べてやることで多少解決。この孤独感と比例するようになにか集中出来そうな予感が。感と勘は大事です。そしてねらいが現れれば俄然やる気が起こる射手座であります。逆にねらい(的)がはっきりしていないと途方も無くモヤモヤしてしまいます。洒落じゃなく靄だけに弱いんだよ。ああほんとに。曖昧な案件にはからっきし駄目だわ。はあ。
まあ、対面ばかり気にしてないで、ちゃんと内面にも緩急つけて付き合っていかねばね。さて青空には洗濯物をジャンジャン乾かしてもらって、私は夜に向けて矢をつがえる準備をしよう。お篭り瞑想です。でもせっかく暖かいし、おひさまの下にちょっくら出てこようか。

実際親指の関節の上を何本矢が走ったことか。弓道は二段とった時に、ここまでやればこれ以上はヨシと自分で勝手に決めて辞めました。社会に出てから何か役立った覚えはありませんけど、弓道は自分と同じくらいの背丈の弓をひいて矢を自分の手で水平に維持するので、腕は力こぶ、腹筋はへこんでたなあ。たしか口割りといって、横向きになった顔の唇の真ん中の線の位置に矢をピタリとつけて射るので、体がゆがんでいると弦が髪や耳、頬をはたきます。今じゃ怖くてやれないかも。やめてからも何年かは電車にのって左手で棒に掴まった時、自然と人差し指がおぼろにねらいを定めてました。でもハート以外は討ってませんよ。うふ。
12/11 雨ふりふりふり降り続く
冷たい雨。友と山へ行く約束だったけれど、残念ながら延期。紅葉が来週まで残っているといいけど。昨日は何をして不完全燃焼気味で、色々といっぺんに考えていたせいもあるけれど珍しくいつまでも寝つけず。レッスンもなんだかやり残した感があるままサヨウナラ。こまめにカリキュラムを見直したり立て直さないと、小さな子供たちの場合はその時その時柔軟には対応できないなあ。大人だったら回数弾き込むことも上達の道だけど、子供は自発的に"やってみよう"と思う気持ちで大きく伸びる気がする。1つ何かやるごとに「ちゃんと〜して!」とばかり言ってる自分がいて言いながら落ち込む。ちゃんとさせる前にちゃんと臨まないと。まず自分が、伸びたいと旺盛な気持ちにならなければね。まあ、始終床に転がってだらだらしてたら、「ちゃんと椅子に座りんさーい!」と渇も入れますよ。もしくは黙っていつまでも放っておくと練習しだしたりしますが...。レッスン時間にも限りがあるので、こちらの忍耐次第です。来週はなにか楽しいことを企んで披露してやろう。ついてこいってな勢いがなくちゃあね。
12/9 ポンチョとあゆみ
昨日テーブルやシンセをあちこちと移動したりしたせいか、どうやら腰にきました。ふがー。書きもの気分になれるすっぽりと落ち着いた場所を作りたくて、狭い場所へ椅子を入れるようなテーブルの配置にしてみたけど、なんか違う、やっぱ違う。そんなのより、とっくりのポンチョをかぶって、とっくりから顔を出さずにいる状態がすごく落ち着く。タジン鍋の蓋の中に入ってる感じっていうか、かまくらの中に入ってる感じっていうか。ポンチョの中にもぐったままだと書きものは出来ないけれどね。ポンチョってば着けたまま寝れば肩があったかいし、まことに好い。持っているのは妹からもらったニットの物だけど、フリースで作ってみたら肌触りも優しくていいかもしれない。次の冬は作ってみようかな。
夕方、お腹を満たして顔を洗って歯を磨いて髪をひっつめてから楽器の前に座って曲書き。何度トライしてもすんなりいかなくて、これをやる日は今日じゃなかったんだ・・・とポンチョにもぐって座椅子に丸まってふて寝。さすがポンチョ、あっという間に眠れます。起きたら友人達からのメールが何通か。笑えたり心暖まる内容ばかり。
そんな誕生日の一日は、同時に両親の結婚記念日。"あゆみ"の名前は共にこの日からということでつけられました。そうか、ゴールを見つけたり決めなくても、私はただこうして歩いていけばいいんだなあ。ぼちぼちトコトコと。 漢字は父さんが本屋で好い画数を調べてきて決定したんだそう。ありがとう。おめでとう。これからは1年サンキューイヤー。

枝のシルエットが美しくてぞくぞくする。地上の根っこみたい。ひょっとしてこっちがアンダーグランドかもしれないと思うと世界がひっくりかえって面白い。
12/8 ひなたの侵入 てのひらにのせて冬のあいさつ
晴れ上がって冷える。午前中のうちは部屋に明るい光りが射しこむので、それでもあれこれ狭い部屋を動き回るけど、昼過ぎて部屋から陽が出ていくと、デスクライトの下の椅子にのっかったまま動きたくなくなる。ライトの熱がわずかに暖かい。人工太陽だ。
10月から取り掛かってきた紙物の作業がようやく終わったので、テーブルの向きを変えて冬仕様にする。今度の週末には灯油を用意して、そろそろストーブを楽しもうか。ついでに焼き網も買ってこないとね。

干ししいたけにするわけでは無くても、買ってきたしいたけはパックから出してお腹をちょっと日にあてる。そうすると日持ちがいい(気がする)。うちの冷蔵庫はうんと小さくて野菜は保存できない。だから夏場なんかはほんとに哀しくなるほど野菜が駄目になって落ち込む。これからの時期はこうして干して保存させたり、菜っ葉でも新聞にくるんでベランダの隅においておけば持つからほんと嬉しいなあ。肉厚しいたけは、半干ししてフライにしたのが好き。今日は白菜とかぼちゃのチャウダーとしいたけフライ。夜が待ち遠しい。
実家で拾ってきて雨水溜めにしてたヤカン。なんか茂ってきたよ。
12/7 壁 というか 堂々巡り
やってる仕事のどれもがレス待ちになって進まなくなったので、今日はこれから用事を済ませに都内へ。昨日は掃除して紙物の整理をして、読みかけの本を読みきった。昼間から時間を気にせず家で本を読むなんて幸せ。
しかしまたしても引越し熱が急上昇して困っている。応急処置に何か捨てて身軽になろうと、溜まった紙袋のたぐいを整理して少しにしてみたけれど、大しておさまるものじゃない。こうして地団駄を踏んでるばかりの理由の大半は懐事情ゆえのことなので、よしこれはもう外に働きに出るしかないか、いや出てしまおう、どっちにしても今以上に働かなければ、望むような引越しも、今より広いところに越したらその後だって成立たないのだ、バイト探しだ。 と思ってはみたものの、でも自分の時間が無くなってしまったら元も子もなく、だからといってやりたいことやるならその時間分を補う必要もあるし。現状維持ではどこへも動けない。
やりたいことが見えてきてからは、こういう堂々巡りの繰り返し。それでこの2年もここに居たわけで。嗚呼、引っ越したいなあ〜 でも春を前に草場を手放すのはおしいかなあ。って自分の土地でも無いんだけど。
バイトか、久しぶりでピンとこない。とりあえず、はよ熱がおさまってくれるといいんだけど。むずむずしっぱなしで落ち着かない。

1つだけしばらく放っておいたら何か出てきた・・・ も、もしや、育つ気か?"せんなりうり"とも言うくらいだし広いとこで存分に育てたいけど、今のおれは甲斐性なしだからなあ。涙 もっと出て伸びてきたらもっと悩みそうだから早いとこ食べちゃお。
12/6 今日は休日にしようと思う
雨あがりの晴れ。洗濯洗濯。昨日は最後のラジオに行って、滞りなく終えて横須賀を後にする。3年通ったけれど、京急とJRの駅の間以外は大してどこにも行けなかった。ひとりでぽつんと居てても、知識も地理感も無く、どこかへ行こうと思うには漠然としすぎてた横須賀。ついでだからどこかへ、と毎回思ったけど、どこか目的があるならその目的に向かうだけのこれからの方がちゃんと足を向けるだろう。そんなわけで、昨日も逗子でワークショップの忘年会があるなあとは思ったが、夜までの時間、どこに行くあても居れるあてもなく、とんぼ返りで電車に乗る。お腹もすいたし、と横浜で乗り換えついでに珍しくすこし街を歩いていたら、目に止まった帽子の前で足が動かなくなってしまった。手にとって、置いて、かぶって、置いて、店の中を少し歩いて、を2〜3回繰り返したあと、ようし!3年間のご褒美だ!と購入。コミュニティラジオという宿命での番組は、これといった反響も無くもちろん素人の私達などギャラも無く、(地元である相方の友達は聴いてくれていたようだけど)最後ぐらい自分を多少評価してあげてもよいだろう、ご褒美ご褒美 と、まっとうな理由をくっつけて。きっと、ラジオをやると話した時から「つらくなったらすぐやめさせてもらえばいいんだからね」と言った母さんなら、帽子の1つや2つ「いいさいいさ頑張ったね」と言ってくれるに違いない。週末にはこの帽子かぶって山行くさ〜。
音楽の仕事をしてるからさすがステージ慣れしてる、なんて言われたこともあったけれど、そんなことは全く無い。やってること全然違うし。ただ、上ったステージの上で、どんなに自分が拙くても自信が無くても、客の前でうろたえるような事は控えたいし、よくやっちゃうけど言い訳で自分のレベルを下げるのは本来お客さんに対して失礼なことだと思う。それは別に舞台発表に限らず、そんなあやふやならステージに上がらないほうがいいとは思ってる。だって自分でやるやらないを決められる大人なんだし。まあこれはなんていうか、私なりの筋っていうか、腹を据えるってやつだから、色んなやり方の人が居ていいと思う。
親が真顔で「いつでもやめていい」と心配したほど私は喋りが得意でなく、一生懸命話そうとすればするほど言葉に詰まって哀しい事じゃなくても泣けてくる。だから親とも差し向かいで真剣な話など出来ず、大切な話ほどいつもぶっきらぼうだ。伝えたいことは沢山あっても、だいたい話す前から、いやこう考えているだけでもこみ上がって言葉より先に涙がこぼれるね。
なんて書くと、なんだかラジオが辛かったみたいだけど、そんなことは全くなく、私はいつもゆるく楽しく、時に調子にのって愉快に喋りすぎては自分で勝手に自滅したりしていた。それは来てくれたゲストの方々がよく知ってくれていると思う。ちっ、喋り足りなかったなあー、続きをもう1回やってもいいな...って思ったことも何度もあった。3年ちょっと続けてわかったことは、喋るのは下手だけど嫌いじゃなくて、台本さえあれば結構うまいことやれるってことです。毎回暴走して下手こいたのはアドリブの部分ですしね。
そんな居心地良い空気で野放しにしてくれたブルー湘南さんと初音さんには深く感謝。ありがとうございました!初音さーん、奄美連れてってくださいねー。
となれば来年はNEWビキニ買ってしまいますよ。 郁ちゃんには今度こそ地元に根付く新しい番組作りを頑張ってもらいたい。みなさんも『クウちゃんのサタデーわいわいラジオ』(嘘)をどうぞ応援よろしく。
12/4 音の傍らで
晴れ。あちこちから色々な音がして目が覚める。近所の家の建替えの音。ガス屋さんのボンベ。ヘリコプター。隣の家のベランダを歩く音(きっとおばさんが洗濯物を干している)、かすかにシャーっと電車の通る音。どの音の傍らにも人が居て、もう働いているんだなあと思ったら起きずには居られなくなった。自分は自分のリズムで暮らせばいいと思っていても、朝から働いている人の方がやっぱりなんだかまっとうだ。おひさまと一緒という強み。まあ仕方ないか。引っ越せばきっと早起きになるさ、と思っているあたり、早起きへの意志は弱い。今日は病院。最近は夏からの薬でずっと調子がいい。まあ根本的に痛みへの対処だけで治療にはなっていないけど、それでいいならそれでいいか。あたしのお腹んなかはどうなってんのかなー。もう開くのはヤダからね。
12/3 冷たい雨
細い雨の一日。コンクリートのレッスン室は凍えるように冷えきっていて、エアコンを入れても芯が寒い。誰かが居る時はそれも忘れるけれど、ひとりになった途端に震えがはしる。今度は間違えずに貼るカイロを買わなくては。レッスンを終え、窓から真っ暗い外を眺めながら、外はどれほど寒いのかとブルブルしながら靴を履いてドアを開けたら、外の方がずっと優しい冷えで、湿った空気の匂いをかいだら肩の力がやっと抜けた。
帰りがけにコーヒーショップで原稿の推敲と下書き。いつもの気に入っている席が空いてたので長居する。ぽこんとくぼんだ壁に小さなテーブルと小さなソファ席が3つはまったような場所で、その一番端の席が、背中と左側が落ち着くので気に入っている。椅子の横に誰かが忘れていった青い傘。まだ雨が降っているのだから、きっと戻ってくるだろうとぼんやりそのまま。1時間くらいした頃、店に入ってきた女の人とやけに目が会うなあ、と思ったら傘の持ち主でした。帰ってきてからは家仕事。眠くならないので寝ずにいたら、朝近く。木曜日にしては珍しく夜も集中。
12/1 12月ですね
昨晩も遅く寝床に入って、いったい何時なんだろうと携帯をパカンと開いてみたら12/1の文字が飛び込んでくる。12月の始まりは、なんだかいつも頭ではわかっているつもりでも、突然存在をあらわしてきて驚かす。今朝も穏やかな晴れ。あと3日くらい待ってくれたら、きっと心の準備ができたのに。でも12月は好き。だから さあ、さあさあ。今日もひとつずつ。

おまえ様はもしや聖護院大根・・・
ここでお太りになるのはちと難しいかと。
キミたちは、レモンバームっぽいね。
11/30 夕刻
くちゅ ぽちん しゅ。何かと耳を澄ましたら、キッチンに置いたあさりたちの音。私も手だけを動かしながら静かに呼吸。大丈夫。すこしずつちゃんと進んでいる。
お命美味しく頂戴いたしました。ありがとう。
11/29 あくびつづき
曇り。陽が射したので洗濯をし始めたけれどすぐに曇ってしまった。寒いなあ。寒くなって体が固まるからなのか、最近背中が痛い。最初は嫌な痛みに風邪を疑って風邪薬を飲んでみたりしたけれど、どうも風邪はやってこず。凝りだろうか。
昨日は出張レッスンのあと、葉山へ寄ったあと鎌倉を周る。土曜日だからと知ってはいても、鎌倉駅周辺の人の多さに驚く。まっすぐアトリエキカへ向かい真琴さんの帽子の展示を拝見。ふわふわの帽子をほとんどかぶらせてもらう。真琴さんの帽子は、装飾品としての帽子というより、ほんと作品だなあとつくづく思う。キカでの展示は今日まで。来月には恵比寿での展示をされるそう。こちらも気になります。>>
真琴さんweb
とぼとぼ歩いて八幡宮へ戻ってきた頃にはすっかり陽が落ち、夜の帳。明るければ紅葉が綺麗だったはず。お目当てだった銀杏とぶどう飴の屋台も店じまいしていて残念。それでもせっかくなのでお参りをしようと、まだ人の多い境内をのんびり歩く。その後、小町通を観光客みたいにふらふら戻ってきながら、人のあとにくっついて漬物屋で試食をつまみ、牛蒡の漬物を買ってみたりする。人が多いから、何となくどっかのグループにひっついて歩いているみたいで、独りとはいえちょっと気が大きくなる。しょっぱい漬物を食べたら、朝から肉まん1つきりだったお腹が目を覚まし、これまた人の波にのってコロッケを買い食い。その後、友人と合流して呑み食べしながらひとしきりお喋り。お帰りは午前様。朝、向かい風が強くて電車に乗り遅れたのが遠いことみたいだ。あっというまの長い一日だった。

11/27 悲しいからって空を見ない
今日は早起きしてなあやさんと美穂子さんの『体に流れる言葉』のワークショップへ。2回目の参加の今日は、向かう段階からリラックス気味で、着いてからも終始だらりんと体も気持ちも緩ませていただいた。ストレッチをしたり寝ころびながら朗読を聞く。庭に面したガラス戸から差し込む陽は暖かく、眠る少し手前のところをいったりきたり。眠る直前て、現実的な思考回路は最小限だけど、よくわからない思考(夢のような妄想のようなもの)は良く働いていて、ぽとんとキーワードのように言葉をひとつ捉えると、ワーっと映像が広がる。私は、以前にも何度か聴いたことがあった、おしっこジョロジョロの詩(知らない方にはこれだけの説明だと全く正確に伝わってないと思うんだけど、ごめんなさい)が好きで、丸い地球とそのてっぺんにしゃがんで座ってる小さい自分の影みたいな図を、クローズアップしたり引いたりしながら何度も眺めてた。記事のタイトルにした『悲しいからって空を見ない』もなあやさんの詩のタイトルで、随分前に象の音楽で聞いた時から好き。悲しいからって空を見ない。見ないの。嗚呼。
きっと参加した方みんながそうだと思うけど、時間と記憶の中を漂ようように流れるなあやさんの声の中、美穂子さんが体にあててくれる手の温かさは、あー美穂子さん大好きっ、と抱きつきたくなる優しさ。もし自分が犬か猫なら、すかさずお膝元ゲットだ..。お膝元争奪戦である。もしくは美穂子さんが犬か猫なら惜しみなく抱きつくか。(どちらも変な妄想すみません)まさに声と手のベストカップリング。
ストレッチが効いたのか、今日が暖かかったのか、薬膳のお弁当のおかげかユニクロ下着のおかげなのか分からないけど、帰りもずっとホカホカしていて、特に手先と足先があったかくて、それですごく満たされたように眠く、油断してると口元がニヤっとしてしまう。もしかして気持ちの問題なのかなって思ったけれど、気持ちでこんなに暖かいならこりゃすごいことだ。ボワボワ眠たい頭の中では、スンドゥブーランデブー
とよりによってこれまたアホな言葉がぐるぐるし出して、なんで最終的に私はこういうところへ行き着くんだろうかと100%脱力であります。同時に数年前の"ヒゲが伸びたね野比のびた"を思い出して恥ずかしくなる16時の上りホーム。空にはもう月。今日もありがとう。
11/26 たとえば詩のひとつでも書いてみたり
晴れ。うちは朝のうちが一番部屋に陽が入る。ベランダの植物の影が床に落ちてくるのは、太陽が低くなるもう少し先だけど、窓辺でゆらゆらと揺れる影は、誰かが呼んでるみたい。だから晴れの日ってのはいつもよりすこし早く顔を洗って着替えて洗濯機も回してと、こんな私もいっぱしに朝気取り。
今朝は、いつだって自分のことをしているはずなのに、いつまで経っても自身のことが満足に出来る状態にならなくて、ちょっとひねる。純粋にゼロからしみ出る何かを生みたい今日この頃。でもそういうことしたいならその分を先に頑張っておかないとね。生きる為以外のことをしたがってるんだもの。それらは真面目に何をしようが苦労しようが道楽ってなもんで。

昨日は、仕事の材料を買いに都内へ。駅の周りはどこもキラキラがいっぱい。
ブルー主体のイルミネーションが多いのは、LEDってやつだから?そういうわけでもないのかな。
11/25 朝
昨日あれだけ寝たせいか、少しばかり早く目が覚めた。布団の中からじっと耳を澄ませて雨が降っているのかうかがう。窓ガラスの向こうは白くてとても静かだ。こっそり降っているのかな。まだ降っているかもしれないな、と、降っていることに少しばかり期待しているのは、きっと何かどこか疲れてるんだよ。心地好い毛布の中で足をもぞもぞさせながらまたまどろむ。そんなことを何度か繰り返したあと起き上がった。
まだ窓は開けていない。でもかすかに鳥の声が聴こえるから、雨はあがったんだと思うよ。ほら、陽が差してきた。それなら出かけようか。
11/24 そんな日
今日はぐっすり寝て起きたはずなのに、5時間後くらいには睡魔がやってきて、パソコンの前でぷっつり途切れるように寝る。気づけば雨が降っていた。ああ、雨のせい?起きて描いて寝て食べてちょっと描いて寝るという日。今日もファンシーなトラを描きました。
11/23 sonority
学園のコンサート。気持ちの好い音をたくさん吸って吸収した。まさに晴れ舞台、という演奏はもちろん、拙くてもごまかしの無い音はクリアに響いて飛んできて、何度も全身をぶるっとさせる。
今年のホールもスタンウェイ。去年のホールのスタンウェイより、歳とってる感じっていうか鍵盤が馴染みやすく、弾きやすくて自分の役目もそつなく楽しく。ピアノの演奏は、唯一弾く前に楽器に触ることが出来ない。ほとんどの場合、本番の一音目が、ようやくの初めましてなわけです。毎日の練習で親しんだ楽器を家から持ってきて、楽屋で音出ししたあとに舞台袖で自分の楽器を抱いていれたなら、どんなに気持ちが落ち着くだろうといつも思う。自分はもとより、本番前、弦楽器の生徒が楽器に触れながら居る横で、手ぶらでただもみ手をするばかりの心細そうに待つピアノの子たちを見ると、ぎゅっとせずには居られない。
11/21 リハーサル
明後日に控えた演奏会のリハーサル。アンサンブルも出演者がほぼ揃っての練習で、先日の練習より音の厚みがぐっと増して完成度も高く、波に揺られるような気持ち好さ。毎年この時だけ無性にストリングスをやりたくなる。いやそれなら買ったギターを習得せよって話なのだけど、違うのだ、美しいアンサンブルってやつをしたいのだ。まあ、ピアノで連弾でもいいのか。よし、いいやそれで。明日さっそく友に提案してみよう。
11/20 その前にカーテンをつけなければね
すこしずつ色々なことが進んで、部屋の中を雑然とさせていたモノが徐々に整理されて無くなったり片付けられたり。それと比例して気持ちも整理され、次のことが考えられるようになってくる。やる量が減るわけではなく、むしろどんどん増えてはいるけれど、アウトプットも同時進行なので随分楽だ。作ったり描いたりと抱えているばかりの時は、こりゃ全く便秘みたいなもんだ、とつくづく思った。クローゼットの中なんか日に日にすごくなって、自分の頭の中の状態を見てるようだったし。
窓を開け放して空気を入れながら、玄関と玄関の外の植物たちの手入れをして、ベランダの空いていた鉢に新しい種を蒔いたら、なんだか随分と風通しがよくなったみたい。ついでにストーブも出して拭き掃除。アラジンはあんまり燃費がよくないので火をいれるのは12月になってからと決めているけど、そろそろテーブルの配置も冬仕様にしよう。もうすぐコトコトと何かを煮込みながら仕事が出来る季節だなあ。
11/19 深夜の苦悩
トラをデフォルメするとどうしてもファンシーになってしまうのだよっ。嗚呼。でもリアルに描いてどうする・・・オレ。その点来年はきっとやりやすはず。でもその次には辰が・・・。辰って・・・。
11/18 うたう
ぴかぴか眩しい青空が綺麗だなあと、ぽかんと眺めながら洗濯を干していたら、隣の部屋のサッシが開く音がして、隣人も歌をうたいながら洗濯干しを始めた。ご機嫌の様子。今日は鼻唄くちずさんでいる人が多いかもね。寒いけれど明るければ気分が晴れます。さて今日は自分も太陽を浴びて光合成しようか。マフラーぐるぐる巻いて自転車でスーパーに行ってこよう。

11/17 バターライス
ここのところイレギュラーなレッスンが続いていたせいで、普段からあいまいな曜日感覚がさらに曖昧。レッスンから帰宅後に縫い仕事をして、ミシンがうるさくなる時間から深夜には絵を描く。あれもこれもやれる時はやればいいのだ。まだやりたいことがたくさん。
今日は雨だし寒いし と買い物に出るのも億劫だし、仕事の合間に作るのも面倒だし、と堕落した食生活。夜はとりあえず新米を炊いたので、そうだそうだ
と さも思いついたフリをしながら(誰も見てないのに)、"深夜食堂" で観たバターライス。チョロリとかけるのは醤油でなく、蒲焼のタレにしてみた。ほお。深夜食にはいいけど、普通の晩飯には少しさびしいか。食べたそばから卵かけごはんが食べたくなる。深夜食堂、小林薫やキャスト、そしてあのこじんまり素っ気無い店が好きでたまに観ているけれど、深夜にうまそうなモノってのは、ある意味我慢が必要だよね。

整列するハヤトウリと洋梨。これも秋の色。
11/15 青空
晴れて暖かい。先日実家からもらってきたおさがりを洗濯。ジャケットとスカートを数枚ずつ、カーディガン、ベストなどよりどりみどり。屋根裏には10年あまりで刻々とサイズが変化してきた妹の着れなくなった洋服がどっさり。そして定期便のようにやってくる母さんの友人からのお古が山積み。仕事用の服なんて買いに行かなくても屋根裏から探せばよかったのだ。この先、もうすこし体緩めて、好みさえ言わなければ着る物に困る事はあるまい。 おさがりで少々気になるのは、襟の形でその時代が分かること。物は好いので、うまく着れればいいけれど。乾いたら肩パットを外してボタンを変えてみよう。

お昼は 摘んだ葉っぱとアンチョビでパスタ。最近どうも食欲旺盛。食べれる事は良いことだけど。
11/14 時間の芸術
朝から演奏会の練習。小学生までのキッズのアンサンブル。午後はそのままミニコンサートに便乗出演で2曲ほど参加。今年は自分が伴奏やサポート演奏だけなので、気分的に非常に楽である。
アンサンブルには幼稚園の子供たちも何人も参加している。直前まで走り回ってじゃれあっていた子が、楽器を持った途端に姿勢を正し、緊張の面持ちで指揮者の指と呼吸を合わせ目を瞑るように弓をひき一音を出す。そんな姿がとてもいじらしくすばらしい。かと思えば、初めて聴いた曲に合わせて踊るように楽器を鳴らし、2拍子、3拍子、4拍子とくるくる変わるリズムを瞬時にとらえる。勝手気ままのようでも、1拍目を捉える子、裏打ちする子とそれぞれの中にちゃんと曲が流れているんだなあ。子供の方が楽しみ方をちゃんと知ってる。
自分も一緒になってわいのわいの鍵盤やタンブリンを叩いて素直にアンサンブルを楽しむ。意味がわからない、言われないからやらない と帰ってしまった同僚が居たけれど、そんなふうに思ってしまったら、この仕事の大半はつまらないことになってしまうんじゃないかなあ。まあ先生にも色々なタイプが居るし、私だっていきなりソロをやれと言われたら尻込みしてしまう。でもどうせやるなら楽しまなきゃ損。レッツエンジョイ。「一緒にタンブリン叩こうよっ」と言ってみたけれど、誘い方が悪かったか。
私の場合、こんなアンサンブルなら子供に化けてちょくちょくやりたいくらいだ。しっぽりと自分の中に篭るようにピアノを弾くのも好き。でも音の重なるアンサンブルは人との重なりでもあって同じ時間は2回と無く。そして音楽(音)は消えてなくなっちゃうからまた次をそそるんだねえ。本番も楽しみだ。
11/13 掘ってみる
薄暗い天気。さぶい。雨は無いのでベランダから顔を出して植物の様子を見る。この季節になってくると成長に大きな変化は無い。日照時間が短いこのベランダでは、静かにのんびりと菜っ葉たちが育っていくくらいだ。枯れてきた紫蘇の実を種用に摘んで、今年は紫蘇はおしまい。エアコンの管にぐるぐると巻きついた自然薯の蔓も、ムカゴが終わったので取除いて、適当な鉢の土の上にかぶせておく。すっきりとしてすこし寒々しい。冬になるのだなあ。
しかーし、まだあのおたのしみの行事が。と、ちょっぴりワクワクしながら、蔓を切った土の中を物色。思ったより大きいアレが出てきました。
じゃーん。自然薯。
今年は想像以上な出来っぷり。でもなんか形が妙です。
自然薯も小別れするとは知らなんだ。大きさは少年のグローブくらいでしょうか。まあこれが小さいプランターで勝手に育って、さらにオマケとして芋まで出来るのですから充分満足です。これは一年モノですが、別のプランターには去年からの2年モノが入ってるはず。そっちはどうなっているだろう。葉っぱの勢いと芋の大きさが比例するならば、あまり期待しないほうが良さそうです。忘れて放っておくことにしよう。さてさて、この芋をどうやって食べようか、晩御飯までの楽しい悩み。
11/10 庭の主の無口な手
慌ただしい週末の足でそのまま実家へ3日ほど。今回も庭の外へ出ることは無かったけれど、連日天気好く 空は青くすがすがしかった。実家に帰るたびに思うことなのだけど、なんだかその間だけ肌の調子が良くなる。もしかしてこれって水かなあ、と思ったりするが気のせいかもしれない。水道から出る水が正確にはどこからの水なのかよくわからないけど、なんとなく富士山の水だと思っている。まあ大雑把にはそんなところだろう。町の中心には深い用水路が通っていて、それが小さな
町の水力発電所に続いていた。町自体に田んぼが多く、集落脇にはわりとどこも山や沢から流れる水がせぎを走り、町の下の方を流れる富士川へと続いていく。実家の辺りでは、せぎにコンクリの蓋がされて、水が走っているのを見ることが出来なくなったのが残念。まあ大人になってしまったので、道端に出て行ってせぎをじーっと眺めていたりすれば、あっというまに「イシカワさんちの子が昼間っから・・・」と変人扱いされかねない。せぎだけでなく、草叢をふらふらとか、いまいち気兼ねなくそういうことが出来ないのが、中途半端な田舎の残念なところである。その点、誰も構いはしない草場は気楽。
そんなわけで、暗くフタをされたせぎが今はどんな状態になっているのかわからないけれど、小学生や中学生の頃は、せぎを覗けば、両側には草や苔が茂り、水の中には
おたまじゃくしだのハヤの子だの、コイだのめだかだのヤゴだのタニシだの糸ミミズだの、それは色々いて楽しかった。雨のあとには、沢から流されてきたのかカニなんかが時々庭まで歩いてきた。
思えばたぶんその頃の習性で、今でも水辺であれば水たまりでも覗かずにはいられないのだと思う。頭では何も居ないとわかっていてもだ。
母が毎日あっちへこっちへと仕事や何やかやに飛び歩いているのはいつものことだけど、定年を過ぎても現役で働く父も、最近はさすがに日々お疲れ気味のよう。それでも、緑が茂る庭をゆっくり眺めてみれば、一見
生え放題に放ってある庭のようでも、実際は隅々までちゃんと把握されていて、こぼれ種から出た小さな芽にも目がかけられていることがわかる。ひょろり伸びた花への細い添え木、様々な種が採取されて置かれた棚、株分けされたいくつもの苗、空気の入れ替えにわずかに開かれた温室のドアの隙間。特別なことでなくもう習慣のようにそんなことが繰り返されているだろう。そういえば、自然のままに思えたターシャの庭も、細やかに手が入っていた。私も明日早起きしてベランダに手を入れよう。
離れの脇の南天。実が色鮮やか。色が変わっていく葉も綺麗。太い幹は梅の木。今年の梅干はまだ熟成中とのこと。
今は物置になっている離れには、昔じいちゃんとばあちゃんが住んでいて、そのあと母さんの妹が住んでいた。いっとき父さんが店をやる、とかいって、商品が並んでいたこともあったっけ。コピー機やシルクスクリーン印刷の大きい機械とか購入してオリジナルプリントTシャツなんかも作っていたのだけど、時代を先取りしすぎていたのか田舎じゃ全く流行らず、大して続かないまま今では機械も膨大な荷物の奥の奥の方へ。そんなことも、もうずっとずっと前のこと。
でも最近、プリントゴッコでせこく小さくピカっとやるたびに、その機械のことを思い出しては、もったいないなあと思うのだ。

庭の岸辺に立って庭の向こうを眺める。
春はこんなでした。

酒を断っている父の手前、1日目はビールを我慢。2日目はたまらず、食後しばらくしてから別の部屋に篭ってひとりひっそり飲む。田舎の夜は早く、22時には物音がやみ寝息といびきだけ。次は先に妹のとこへ行って、存分に呑んでから実家入りしよう。
週末は仕事のあと、友人宅へ駆けつけて味噌造り。
仕込みの前に都会の夕日に乾杯。屋外の一杯はサイコー。黄昏る。
でも仕事したのは、腕っ節のある男子であります。アグレッシブ。
味噌も出来て、呑んで食べて愉快で幸せで淋しくなる帰り道。忙しや。最近どうもさみしくなるのだ。楽しい時が楽しすぎるもんで。一年後には味噌もそれぞれの場所で好い味に発酵してるはず。
私もいい味になるべく明日からまた地道に頑張ろう。
11/6 ハサミとスルメ 冬の音
日がな縫い物。布に触るのは数ヶ月ぶりで、しばらくミリ単位での細かい紙物制作が続いていたので、フリーハンド(ノーパターン)でじゃきじゃき切れる布物作業になって、俄然勢いづく。出来上がりを想像しながら、一枚の布をいくつものパーツにして組み合わせをつくる。縫って形になっていく過程も楽しいけれど、大きな布におしみなくハサミを入れるこの"切る"作業が一番好きな作業かも知れない。
自分は覚えていないけれど、小さい頃はハサミを持ってはあちこちを切っていたそうだ。カーテンの裾、スカートの裾、ピアノの鍵盤の上にかぶせる布。ひらひらしたものが目について仕方なかったんだろうなあ。切り刻むのではなくて、チョンチョンチョンチョンと1センチ間隔くらいの切り込みをいっぱい。クリスマスに妹とお揃いでもらったお人形の前髪も、私の人形だけ短いまま実家に残ってるし、自分の髪の毛は中学になっても高校になってもブツンと切っていた。大学の頃には美容師さんの真似して切って、うまいと褒められ、今でも前髪はふとちょきちょき。切るのが好きって、何かの欲求不満とかでは無いよね。きっとモウレツに千切りするのが好きな人とかも居るよね。ハサミといえば、正月に向けて父さんが松前漬けを作るのに、台所の床に新聞をひいて、その上でスルメや昆布を丁寧に黙ってパチンパチンとハサミで切っていた。なんだろう、あの音というか父さん含め、あの暮れの時期の台所のもつ空気感が好きだなあ。あたりまえのことのようで
、時の経過を気づかせてくれる音。

11/5 レッスン
晴れ。すこし冷え込みが緩んだ。のんびりお昼を食べていたらちょうど良い電車に乗り損ねて、教室までダッシュ。カマキリ連れのハナちゃんが待っていた。キッズたちは相変わらずテンションが高く、私もつられてハイ。演奏会前のAくんの成長は目覚しく、子供に対して、出来るのはこのくらいだろう..と勝手な見解でセーブしてしまってるのは私か、と痛感。100人以上の前例があったとしても、当たり前だけど同じ子は居ないのである。演奏会が終わったらカリキュラムを見直そう。
今日はそこそこ弾けるようになってきた曲の、テンポを定めるための拍子取りをさせる為に、弾く前にカウントをしよう!と「ワン、ツー、ワンツスリフォ!」を練習。(本当は普通に1,2,3,4、で良かったのだが、話の流れでロック調) 2人でノリノリで熱唱すれば可笑しくて可愛くて爆笑。ちょっと主旨がずれた熱唱ではあったけれど、でもそんなことで本当にそれに続く演奏が、生き生きとしたテンポと音になるのだから、なんでも無駄にはならないもの。素直な生徒でよかった。愉快なカウントつけて曲をもっと好きになって自分のものにしちゃってほしい。私の方は、結果よりもレッスンが楽しいのが何よりも喜び。
11/3 しゃらうるさくて月見できず
澄んで冷えこむ。空が綺麗。なんとなく首から背中、身体の後ろ側が痛いような凝ったようないやな感じ。もしや風邪か?とあわててスーパーへ食料を買いに行き、隣のドラックストアでカイロと栄養ドリンクもチャージ。帰ってきていそいそとカイロを貼ろうと袋を開けたら、ん?シールが付いてないじゃん・・・。なんでさ。貼るカイロを買ったのに、と確かめたら袋にはちゃんと"貼らないカイロ"と書いてあった。どういうわけかシーズン中1回は必ず貼らないカイロを買ってしまう。いやいや、貼らないとか言わずに貼ろうよ・・・としぶしぶ腹巻き出してしてカイロを挟むアラフォーである。
暗くなってからの自転車はそろそろ手袋が欲しいくらい。冷たい風を切りながら走れば、のぼりたての月が、でっかくてまんまるでピカピカで すんごく綺麗。月に向かって走るので、ETみたいとか思ったけど、自転車の調子が悪くて、後ろの方ではガリガリガタガタ、前ではライトがビュイビュイうるさくて、住宅街を走る移動騒音状態。ロマンチックに月を堪能している場合ではない。こんなとき実家のほうでは、「しゃらうるさい」という。もっと乱暴に言うと、「しゃらうるしゃー」。こっちを使うのは年配の男衆くらいだろうと思うけど、しゃらとかしゃーとか可笑しい。うちは両親が山梨出身で、実家も山梨寄りなので、言葉はたぶん静岡と山梨ミックス。
11/2 戦いの疲労
曇り。昼間はあまり電気をつけたくないのだけど、部屋の中がいつにもまして暗く、デスク上のスポットだけ付ける。ようやくライトの光の内だけ時間が動き出す。届かない場所の置物は、影のようにたたずんで時間がとまって見える。今日はきっと一日こんな感じなんだろう。
昨日は、出かけて帰ってきて、ふと何かを感じて天井を見上げると、ロフトの壁のてっぺんになにか黒っぽい細長いものがついている。細長いって、なんだ?なんの虫だ?と思ったらムカデだった。オーマイガー。5センチほどの小ぶりな奴ではあるけれど、よりにもよってムカデである。ゴキなら最悪逃げられて姿を見失っても、居なくなるなら(うちにはどうもブラックホールがある気がする)それならそれでいいけれど、ムカデだけに見つけたが最期始末せねば。このサイズならなんとか殺れる・・・と、覚悟を決める。
実家での経験上、下手に何かをかけてもコロっと逝くようなやからではありません。かえって驚いて暴れながら落ちてきたりしたら、それこそ腰抜かしか、家出しかないので、とにかくすばやくひっぱたけて、確実にヒットさせられるだろうモノを探す。ありました。履きこんだ皮のスリッパです。適度なしなりとパシっと壁にあたるだろうフラット感。愛用品ではありますが、他に見当たらないし、もう思考が働きません。とにかく一発目できめるしか道は無し。沈黙のにらみ合い数分。とその前に、下に落ちた時に物の隙間に入り込まないよう、壁の下に紙を敷いて、いざ。じっと動かないので、大丈夫そう、今だ!と思ってもなかなか手が出るもんじゃない。さらに数分。 ええい、やってしまえオレ!近寄って手を伸ばして、パシン! と
うまいことやったよ!でもポトっと落ちて、ぐねぐねしてるよ うぎゃああ ってな勢いでパシンパシン激打。叩くこと10数回。動きがとまったと思っても、ムカデってほんとしぶとい。夢中でパシパシして、ぬぉぉっと紙ごとまるめて包んでビニルに入れてぎゅうと結んでさらにゴミ袋へポイ。アア、どっと疲れが。悪かったね、とスリッパを丹念に洗い、その後しばし放心。ぼーっとテレビを眺めて一日を終えました。さすがにヤモさんもムカデは追い払ってくれないか。またベランダを少し整頓しておかないとね。

お口直しに赤カブ。好い色に漬かりました。
見てるだけでツバが。
10/31 乾いた足音
秋晴れ。今日は出張レッスンの生徒がインフルエンザになってしまってレッスンは急遽お休み。レッスンで子供たちと会えないと、平気で1週間とか人と会ったりお喋りすることが無くなるので途端にさみしい。レッスンは口でも音でも会話できるから楽しいのに。
せっかく天気もいいので(明日あたりから崩れるらしいし)これから都内へ画材の調達。メインは紙選び。何度同じものをつくっても、描くものが変わるとその度にどうしても悩むところ。何度あの画材屋の紙の棚をすみずみまで1枚1枚見て触ってきたことか。でも悩むのも選ぶのも作品づくりの一工程。ファイ。あとひと息。
10/30 潜在意識
好い天気。草場を見に行こうか、どうしようか。 曲を一度も練習しないまま演奏会本番を迎えてしまった、という夢を見る。全く嫌な夢を見た、と思って目を瞑ったら続けてまた同じような夢を見た。してお疲れ気味である。たしかにそっち方面に全く手がかけられていないのが事実で、これじゃいけないと常に思ってもいるのだが。
夏頃から1つ2つ縮小方向では考えているけれど、タイミングや何かでなかなかきっぱりも出来ずずるずる。そろそろ見直しつつ立て直そう。手を出さないわけじゃなくて、手を出すことを選ぶ。数年前より自分のやりたいことがぼんやり見えてきてすこし我儘になったみたい。でも話のそばからイマジネーション広がることには積極的に。愉快は健康。
10/29 赤のちから
薄曇り。日射しが無いので肌寒い。こないだスーパーで買ったりんごの香りがぽわんと部屋まで漂ってくる。8個1袋300円だったので(1個売りよりも若干小ぶり)、これはお買い得と買って自転車のかごにババーンと摘んで帰ってきたのだ。りんごを食べて医者要らず。朝に牛乳一杯とりんご1玉丸かじり。たくさんあるから少し煮ておこうかな。
少し日射しが出てきた。壁越しに隣のカップルがキャイキャイ騒いでいる。まあケンカされるより良し。今日はレッスンはお休み。家で手を動かす。

りんごだと思った?これは赤カブ。酢をきかせて赤カブ漬にするのだ。想像だけでご飯がすすむ。
10/28 いざ箱根
秋晴れ。電車を乗り継ぎ友人らと箱根。寄り道したり立ち止まったりののんびり気ままな旅。じーんと楽しい。
今日の目的地は箱根神社。木に包まれながら、わたしは山寄りだ、やっぱり、と思う。山の懐の深さ。 もちろん海も大好きだけど、海が好き と言っている自分にはすこしカッコつけてる部分があって、たぶんそういうの取っ払って考えた時に浮ぶのは、サーフィンする海じゃなくて、子供の頃遊んだ潮くさい磯の海で。
バスで走る山道の景色を、どこか別の場所にリンクしてるなあと思いながら眺めてた。行って来たばかりなのにまた行きたい。

湖のたっぷたっぷいう波音が、海とも川とも違ってまた落ち着く。

離れたり並んだり。
それにしても日暮れが早くなったね。
10/27 りんご
晴れ。雨があがって気温もあがって外の風景の色もくっきり。気分が好いぞと張り切って洗濯をしたのに、うっかり黒いパンツを他の物と一緒に洗ってしまったら、タオル数枚に色が移ってしまった。あっという間に、まるで数ヶ月も洗濯をしていない独り暮らしの男の人の部屋の隅から固まって出てきたタオルような嫌な色である。(あくまでもイメージです)さらに干してあるタオルの色が汚いって、全然嬉しくない。あーあ。乾いたら縫って雑巾か何かにしよう。2日雨で閉ざされていたせいで炭水化物と漬物のようなしょっぱいもので過ごしていたから、歯ごたえのあるさっぱりしたものを口が望んでいる。スーパーに行ってりんごを買ってこよう。りんごか。そろそろ冬支度だなあ。

10/25 寒い
昨晩もライブを終え帰ってくれば午前様。なんだか土曜日が2日続いたような感じで、でもまだ日曜なんだと思ったらちょっと得した気分。自然と目がパチンと覚めるまでたっぷり寝ました。でも寒いので篭っています。スーパーにも行きたくないし、夜の野菜はプランターの菜っ葉でいいや。
今週はレッスンが休みで、土曜まで外仕事も無いので、早急の仕事だけ今日中に終わらせたら、自分発のアイテム作りに取り掛かる。もう世間からは相当遅れを取ってるし、季節モノだけに相当頭では焦っている。でも手が動かなきゃどうにも。。嗚呼、カレンダー、今年も作りますんで、どうか楽しみにお待ち頂ければ嬉しいのです。
さて1週間をどうすれば有効に使えるのか、わくわくぐるぐる。でも、こんなふうにまとまって時間がつくれそうなのは今月いっぱいで、来月は日が進めば進むほど演奏会前のイベンツ目白押し。よくわからないけど、市民のミニコンサートとかに何故か参加することになっていたり...まあ、それはそれで充実ですが、帰る帰ると言っているうちに1ヶ月2ヶ月と経ってしまった実家へも、その合間をぬって行って来たいし、天気が良くなったら近場へハイキングへも行ってこよう。どうしてここ最近の自分が山や森に行きたいのか、行って何かあるのか(無くても)なんだかとりあえず行って確認したいのだ。これ以上寒くなると、きっと出て行かなくなりそうだし、たぶんもう今を逃すと、あ〜そんなこと思ってたなあ〜と流してしまう気配がすでに。いえ、今日が寒いからです。でもそうやって、"絶対に必要"じゃないからと流してきたことって、たぶんたくさんあって、なんかもったいないなあと。
そんなわけだからYちゃん、そろそろ行っちゃおうよ、高尾山。そうしないとたぶん行き先が温泉とかに変更されると思う。しかし高尾山レベルだと、スニーカーを買ったほうがいいのでしょうか。草場とはわけが違うわよね。
ライブは、前日に呼吸を合わせていただけに、確かにそつなくこなした。積み重ねの賜物だね、とも言えるけれど、出来ることをやるんじゃ成長はないというわけで。出来て当たり前。
周りの仲間の日々の練習や苦労を耳にし、その上でステージでの成長が目覚しいので余計そう思うのかも。ステージに立つこと(たぶんそういう行為)は、自分で言うのが恥ずかしいけれどちょっと好きだ。でもその必要性については、相変わらず自問自答の繰り返し。
終わったあとCOYAのジュンさんが「これすごいね」って、ライブのチラシを手に声をかけてくれる。指をさしたのは vol.22のところ。 22ってね、そうだよね。ほかのイベントのチラシで、vol.22って数字、あんまり見たこと無いよね。一人じゃけして出せない数字。数が増えれば、様々な重みも増えるけど、数以上の共有財産もある。
10/24 日付ラインの隙間で
大盛況だったらラマライブから、先程帰ってきました。素敵な時間でした。もし酔っ払っていたら、知っている人初めてお会いした人居る人居る人の肩をパシパシしながら、ありがとうありがとう と言いたいくらい、なんだか嬉しかったのですが、幸いシラフだったのでそんなこともなく、ただただニヤニヤしていたように思います。そんなことで私をハッピーにしてくださった皆さんに、またさらに少しでもハッピー分けが出来ていたら嬉しいのです。
まあ、あれこれ書きたい気持ちはありますが、私なんかが言葉にしてしまえばそれこそチンプというもので。つくづく時間て生きているものなんだなあ、と感じます。ライブはALIVE。その瞬間はその瞬間でしかありえない。まだアドレナリンが出てるので饒舌です。文章だし。
とにかく何だかすごく色々喋りたい気持ちがあって、いつにもまして喋った気がしますが、もともと考えをまとめて喋るのが苦手で、きっとよくわからないこと言ってたんだろうと思います。喋りたい、伝えたい、1回でわかるように喋らないと、と思うと益々こんがらがって、誤魔化しのようなことばかり口走ってしまいます。なので、詩にして読むってのは、私にはあっているのかもしれません。詩に限らず、台本でもそうですが、時間をかけて考えをまとめられるというのは、私のような者にとっては助かる手段です。だから芸能人とかテレビで喋っている人って、どんな人でもすごいなあと思わずにはいられません。私もイメトレとかですと、うまいこと喋ってるんですけどね。現実では、相手が話を(言葉を)待っている、という状況に弱いのかも。
そんなことをうつらうつら考えながら帰ってきた帰りの電車の中、ふとカレーの強烈な香りで眠気が覚める。「誰だ!?カレーを持っているのは!?」と腹ペコな眼差しでするどく周りを観察するも、誰もカレーを持っている様子もありません。しかし、鼻腔と空きっ腹をくすぐるこの本格的でスパイシーな匂い・・・と思ったら、自分のすぐ傍らにインドの人らしきおじさん。
おおー。おじさん!インド?カレー? まさしくそうです。全身からあふれるイイ香り・・・。きっとカレー屋さんで働いてきた帰りに違いありません。というか、もう常に人もお家もカレー臭なのでしょう。カレー臭で加齢臭無し
と。こんなくだらなさも、アドレナリン+腹ペコゆえ。電車を降りて、カレーのおじさんと別れた頭の中では「カレーの香り」→「ナン」→「竹中直人演じる伝説のナンおじさん」へと移行が完了し、その後家まで竹中直人がナンをブンブン振り回したまま止まりませんでした。クラクラです。しかし番組名忘れてしまったけれど、嗚呼、あのナンおじさんもう一度見たい。
さてさて、のんびり寝て起きたらスイッチ切り替えてCOYAのライブです。次のことは起きてから考えよう。今日はありがとう。おやすみなさい。
10/23 青虫逃走
秋晴れ。コンソメのキューブを親指と人差し指で挟んで、畑道を森の方へ全速で走っている夢を見た。誰かが「それなーに?」と叫んで、「洋風だしー」と答えていたのを除いて、前後のつながりは覚えていない。急いでスープでも作らなきゃと思っていたんだろうか。 そんなわけで、さらっとした野菜のスープがむしょうに飲みたい口で起き上がる。昼に作ろう。
細く小さな青虫が2匹、流しの上の壁を移動している。昨日、プランターから摘んだ菜っ葉を、洗ってから水を張ったボウルにしばらく浸して置いたので、たぶん出どころはそこ。一緒に噛んでなくてよかった...。外では、元気に育ってきた菜っ葉をバッタもモリモリ食べていた。虫に見つかっちゃったら、これはもう競争だ。ある日突然丸坊主、ってのは少々堪えるから、イモムシチェックをしておかないと。人と虫が食べても食べても減らないくらいに、菜っ葉たちも成長してくれるといいけれど。
今日はこれからあれこれと準備して、夜からLamaコーヒーさんでリーディングライブ。地味にノドが痛いので、すこし不安があるけど初めての場所でのステージは楽しみ。日が暮れると冷えてくるので暖かくして出かけよう。
うちのマーガレットプレスの種は、何かのお花のよう。どうも食べれる葉っぱの気がしないから。なんだろうなあ。
10/20 おでんこわい
日射しが強くなってきた。気温高めなせいで早くに目が覚める。なにか好い匂いと思えば台所で今日もニガウリの花がぽつんと咲いている。けなげ。昨日は、金曜にリーディングライブを行う辻堂のLamacoffeeさんにお邪魔してきた。こじんまりと区切られた空間が心地好い。ここのところせわしく生活していてライブの実感がなかなか沸かなかったのだけど、場所を見てにわかにイメージが沸きだしてきた。楽しみです。しかも帰りにスーパーに寄ったら"あきしまささげ"が売っていて、飛び上がるほどに反応。努めて無表情ですが、内心は(おっほー、ちょっとちょっとアンタ、あきしまささげだって。あきしまさーさーげっ。) ってな具合です。どうしてか、は、ステレオシスターズの『豆のうた』を良く知っている人しかわからないかもしれませんが、ともかく、もうこれはいっちょやるしかない
と俄然ライブスイッチが入ったのでありました。もちろん購入。
初めて見たあきしまささげをニヤニヤと抱えつつ、商店街にながれる矢野アキコと小田和正の『中央線』と共に夕暮れの刹那さに浸り、ごちゃごちゃな気分で足早に帰宅。たまらずささげの写メをステレオの相方に送って、買ってきたにぎり寿司をささっと食べて、深夜まで仕事。色んな要素が盛りだくさんの日。 土鍋いっぱいに作り置きしたおでんを、表に出しっぱなしのまま一日過ごしてしまった・・・。フタをあけるのがこわい。
Lama coffeeさんでの朗読ライブは、23日19:30〜。stereo sistersとしてゲスト参加させていただきます。>>詳細はこちらで。
翌日24日は、>>COYAでの定期ライブ。
秋の夜ですからお酒でも飲みながらね、ゆるりと言葉に耳を傾けてみてください。
10/18 キャビアの次はナポリタン いわゆる空腹時の発想
晴れ。昨日とはうってかわって静かな休日。牛乳を温めて飲みながら、そのまま仕事に突入。同時進行で2つの絵を描く。モチーフはどちらも動物の絵だけど、ほのかなテーマがスカンジナビアと南イタリア。脳内で北欧とイタリアを行ったりきたり。スカンジナビア、と考えてまず思いついたのがキャビア・・・。こんな仕事をしているのなら、せめてもう少しデザイン的なことを思いつきたいものです。こんなやつですよ、すみません。キャビアなんて大して食べた記憶もないですが、そこのところはスカンジナビアではししゃもの卵もキャビアですしね。
数時間黙々と描き、あともうひと踏ん張りというところで日没。なんでしょう、外が暗くなってくると途端に集中力がおちてきて、そこからずっと世界地図を眺めておりました。これがまた夜から深夜帯になってくると、もう半日始まるような感じになるんですね。うまく表せませんが、一日が20時間+6時間
というような感じです。まあそのプラス2時間の差は、寝過ぎた分だって言う人もいますけれど、単にロングスリーパーなだけで寝過ぎとは違うのです。出来るならショートスリープで快調な生活とかしたいですよ。いやいやほんとに。
しかしスカンジナビアか南イタリアかっていったら、ナポリとか行きたいです。なんか暖かくて美味しそうな匂いがするから。って、スカンジナビアの食生活イメージに乏しいだけなのですが。 明るい日差しの中、鮮やかなトマトソースのピッツァを口の周りを汚しながら、ワインをゴクゴク...
っていう発想もまあ貧相っていえば貧相ですが、南イタリアってなんだか愉快に笑ってるイメージありますもんね。以前ローマに行った時もエンゲル係数がかなり上がりましたが、やはり南に行って美味しい物を食べたいです。ヴァカンスです。しかし、イタリア語は学校でも少しばかり勉強したのに、もうすっかり忘れちゃっいました。忘れかけた頃、メキシコ料理屋のバイトで半端にスペイン語の挨拶とかを喋っていたから、さらにごちゃごちゃ。語学はもう少し勉強したい分野でありますが、今日のところは
Buona notte!
10/17 携帯ありました
パソコンデスク傍の隙間に黙って落ちてました。普段覗かない場所ではあるけれど鳴ればすぐわかったはず。やはり充電切れ。腕時計を持たないので、外に出た時に咄嗟に時間がわからないと少し不便ですが、家に居る分には連絡手段は他にもあるし、無くてもそれほど気になることはありません。でも家にあってよかったです。
いつのまにか階下の住人が退去したようで、今日は朝からザザーっと壁紙らしきものを剥がす音や、ゴシゴシ、トントン、ドスン、ビューン と、とにかく賑やかしい。
落ち着いて仕事の段取りを考えて、暗くなったら原稿でも書こうかと思っていたけれど、気になって仕方がないので、外へ用事に出たついでにコーヒーショップで書きものをすることにしました。
勝手に定位置と決めていて、実際いくつも原稿や台本を書いてきた 壁のくぼみに並ぶ端の席が空いておらず、大きくひらけた壁に沿って小さいテーブルが5つほど並ぶ真ん中あたりの席に座る。誰もこちらのことなど気にしてはいないとわかっていても、どうも囲まれていると少しそわそわします。ノートを開き眺めつつ、ここでも捗らないか
と思っているうちに、隣の人が去って、またしばらく経った頃に反対側の人が立つ。 気分的に楽になってきた頃、今度は新しい人が右のテーブルに、少し経って反対側のテーブルにも座り、もとの人数に。でも何故だろう、自分が人と人の間にあとから座った時に感じる空間の圧迫感と、自分が先に座っていて、あとから人が座ってきた時のそれは、同じ距離でもだいぶ違う。早いが勝ち、じゃないけど、どんなシチュエーションでも迎える側の方が気持ちを大きくもてるものなのかもしれない。ウエルカムなだけに。いや、電車の座席で、狭く中途半端な空間が自分の横に空いてしまっている場合は、すこし違うか。そんな時は、華奢な若い子が座ってくれるとホッとします。 まあそんなわけで、時間が経つにつれて、小さいテーブル1つの空間に慣じみ、本の続きなどを読んでいるうちに空は薄暗くなり、さーっと雨が走って止んだところで席を立って、立派な大根1本と里芋とツナを買って帰ってきたところ。大根おろし大盛りのさっぱりパスタが食べたくて。
うまい具合に雨に濡れなくてヨカッタっと、ひょいっとベランダへ顔をだしたら、昼間イイ具合に干しあがっていたシイタケが、ザルの中で若干戻っておりました。嗚呼。それなら自分が少し濡れた方がよかったじゃん。あんたここにダシだしてどうするよっ、って
毎年言ってる気がするんですけどね。明日里芋と一緒に煮ちゃおうか。
10/16 台所でニガウリの花が咲く

伐採後、蔓の先だけここに活けてからも毎日1つずつ花が咲く。とってもいい匂い。しかーしひょいと覗いたポストにインクが入っているわけはなく、人に頼っちゃいかん、と自転車で電気屋さんへ。それでも近くに売っているところがあって助かります。
タンクフルチェンジして仕切りなおし。昨日に続きガシガシ印刷。昼間だと本当にガシガシと音が大きいのです。というか夜がサイレントモードなのですね。
両面印刷の裏側の今日は、キャッチ&リリースに加え、一枚ずつの手差し(紙がプリンターに入っていく際に、紙同士がこすれてインク移りするのをふせぐ為)があるので、眠くなる暇もなくお付き合いであります。が、慣れとは素晴らしいもので、50枚くらいやってみると1枚あたりの所要時間
約30秒の感覚が掴めてきて、お湯を沸かしに立つ、とか 片手でおにぎり、とか1枚ずつの洗濯干しとかがこなせるようになる。タオル2枚干してきて、ギリギリのタイミングでキャッチ!出来ると「良しよーし!」と変な達成感まで味わえてしまうのだから、何でもやってみないとわからないものですよ。さて、もうしばらくプリンターに頑張ってもらったら一晩乾かして、明日には私の手を離れ、本の形へと仕上げられていきます。お披露目は23日。

お尻が小さいからきっとあの隙間にだって座れるわよ。きっと。
こんな部屋になっているせいか、今日は携帯電話が行方不明です。鳴らしてもブーブー聞えないし、バッテリー切れで電源切れてるなのかなあ。昨日の夜は家で使った気がするのだけど、はてどこへ?洗濯機とか開けもしない箱の中とか、こういう時って絶対違うだろうと思うところも探しちゃう。
10/15 秋の夜長
2週間ほど前から取り掛かっていた冊子デザインが出来たので、午前中はプリントチェック。作家さんたちから好い素材を預かったので、取り掛かる前から作業中も、ずっとわくわくしながら作っていた。形にまとまってくればさらに「どうやねん!」と自分のモノのように嬉しい。
午後はレッスン。演奏会前なのにお休みふたり。体調不良なら仕方ないけど、木曜なの忘れてたとかそんなんで。って緊張感がないんじゃー、と言いたいところだけど、自分も家仕事が大詰めゆえ少し早く帰れて、えへへってなわけです。複雑。今日も元気な5歳児と楽しく歌って弾いて喋って帰宅。そーれ、印刷印刷。
完全に乾かないとインク移りが出て重ねられないので、プリンターから吐き出される一枚一枚をキャッチして床にリリース。30秒ほどじっと待ってはキャッチ、リリース。地味に待っていれば眠くなって、ふと気づくと2枚たまって重なっていたりするので、しまった!と目が覚め、また辛抱強くキャッチ、リリース。本を読みながらも試してみたが、時間設定や場所設定があちこち変わるストーリー展開が頭に入らないし、入り込めばプリンターから紙がジャーっと出てくるしで断念。じっと待つ方式に戻す。
その後、23時を過ぎたら突如目が冴えてきて夜型モード全盛。今晩中に全部いけるな、とやる気満々でいたら、半分に満たない200枚くらいのところで全色インク切れランプ。バカー。 1本ずつじゃ甘かったか。少々しらんぷりして続けていたけど、〔このまま続けてプリンタ壊れても知りませんよ〕的なメッセージが何度も出るし、数枚で終わるわけでもないのでやむ終えず中断。あー。夜は長いのにね。

! オーマイガッ と思わず言っちゃった瞬間ですよ。可能性ってなんだよ...って思って記録。このすぐ後に全部×に。!から×の間が早すぎるんじゃない?
嗚呼、誰かポストにインク投函してくれないかしら。
10/14 規則的な不規則生活
薄曇り。先日の台風でところどころ蔓が切れたニガウリを撤収。収穫は去年と同様いまいちだったけれど、今年は葉っぱも堪能したし、日よけ目隠しとして立派に茂ったのでヨシ。土を入れ替えて冬の菜っ葉でも蒔こう。周期的なものなのか、どうも昨日あたりから体調が芳しくない。いいかげん不規則を正さないとね。不規則が規則的なんだけど。

最後のニガウリはチャンプルーに。種は真っ赤でした。

どこから種がやってきたのか、毎年夏の終わりから茂りだすマルバルコウソウ。オレンジ色の小さい朝顔みたいな花。他の植物が残暑で元気がなくなるころに育つので頼もしい。放っておけば秋の終わりごろまで地味に咲いて種もたくさん取れる。最初はどこかから種をもらってきたんだっけかな。
10/12 体育の日?
祝日ムードで賑わう電車に乗り、出張レッスン。途中、大学生がたくさん降りたので学祭でもやっているのかと思っていたら、月曜は授業数が足りなくて普通に授業なのだそうだ。週休二日制もハッピーマンデーも、自分はあまり関係のない生活をしているけれど、私なんかは完全に祝日は○月○日で覚えていたから、最近みたいに連休中の一日になっちゃってから、その日自体はなんだか影薄い日になってしまった感じ。今日だって頭では知っていても『体育の日』って感じはしないなあ。10月10日の体育の日って、字面だけでも元気モリモリな日に見えるのに。
10/11 河川敷とOEL (違ったOERか。ラインじゃなくてレール。)
好い天気。友人と買い食い散歩。多摩川べりをぶらぶら。相手にも場所にも気張らずのんびり。お互い長いこと同じ沿線に住んでいるせいか2人でOELびいきです。OEL、乗ってる人ならわかりますかね。小田急電鉄です。別に略さなくてもいいんですけどね。
たまたま友人と私は大学が同じで、その関係で小田急線でしたが、きっと誰もが住んでいる(いた)場所によって馴染みのラインてのがあると思います。これまで上京してきてからも何度か転々と引越ししましたが、初のひとり暮らし、大学、職場など、上京して新しくなにかをする場所がすべてこの沿線だったこともあり、"母線"とでもいうんでしょうかね、テリトリーというか、生活の風景の一部なんですね。もう上京前と上京後と、もう同じくらいの年数になってしまったし(あ、いや越えてるか)電車に乗っている年数としては、もう圧倒的にマイラインです。OELは、賑やか過ぎない沿線というか、ちゃんと都会と田舎が端と端でつながっている一本なのもなんかよくて、その両端がめっちゃ遠いわけでもない、ってのも、どちらにも行ける気がして好きです。上りは上りらしく。下りは下りらしく。都会にも山にも海にも行けるだもの。 ってだからただの身内びいきなんですがね。
しかしロマンスカーが地下鉄に乗り入れてることを知らず、友人から聞いてびっくり。地下鉄をあのボディがぐいぐい走っているなんて。どこまで走っているのかわかりませんが、東京を抜けてもうすこし遠くまで走っているのなら、ちょっと乗って旅してみたい気がします。ごちゃごちゃした乗換えをせずに行きも帰りも一本なら楽だしなあ。
まあそんな話とか、人生色々な話をあれこれしながら、はじめて多摩川を歩いて渡って帰ってきたのでした。なんかどうってことないけど、橋をわたるって楽しい。

いつも居るところを離れたところから見ると、いかにその世界がちっぽけなものかしみじみと実感する。でも、そんなちっぽけな空間を、大事に大事に守っていたり作っていたりするんだから人間てけなげだよ。都会はとくにそんな場所が密集しているから、夜なんかは寄せ合うように光る夜景を見ると、温かさと共に弱さのようにもみえて、なにかどこか物哀しさを背負ってるよ大都会ってやつは。若い頃はそういうのにも惹かれたけど。

10/10 まだ休日気分
どうも晴れきらない、というお天気。ジーンズやトレーナーなど厚手のもの洗濯したので、もうちょっと日が出てくれるといいのだけど。
昨日一日、野菜を煮込んだり本を読んだり、少し自転車に乗って散歩したり のほほんと過ごしていたら、夜にはまたやる気が悶々。夏前から作りたいなあと思っているものがあって、漠然とした計画やイメージはしていたのだけどなかなか具体的に手が進まず、最近の忙しさにもかまけて沈下しつつあった。それが俄然盛り返し。ちゃんと自分の中にスペースをつくることで、また入ってくるのだなあ。そのせいか、夜中にネットでビジュアル本を大人買い。靴下一足しぶっても、本だと歯止めが効かなくなるのは何故でしょう。本当はシリーズを買い占めたいくらいだったけど、2冊に押さえました。それでも出費は大きい。でも欲しいのです。加えて夏の終わりから、自分的に『山』がきていて(大げさに登山とかではないですが)、そっち関係でも読みたい本が2冊あります。これがまた廃盤だったりするのでいいお値段。本の価値ってほんとに求めている人によって変わりますね。欲しい欲しいと自分自身で洗脳されていくので、少々高くても、気と財布の口が緩めばきっと買っちゃいます。そんな本を自分も作れればいいです。
洗濯のあとは、ベランダに追加の種まき。合間にぷらぷらと揺れる蔓からムカゴをポツっと摘んでパクっとゴリゴリ。ルッコラの若い葉を一枚摘んでムシャムシャ味見。傍から見れば犬か猿か動物かってところです。しかし、子供の頃はムカゴなんて青臭くてマズーと食べ物として見ていなかったのだから、慣れも面白いものです。まあタンポポにしろセリにしろヨモギにしろ、苦味渋みえぐみと美味しい許容範囲が広がったからこそ、草だって楽しいのでしょう。味覚も広がって、多少なりとも受け入れられる物事も増えて、やっぱ歳をとるって人を大きくするんだね。若さもいいけど、大人もなかなかで。 伸び続けてお隣に侵入していた豆の蔓を伐採。そうかこれもいうなれば豆苗だ。食への追求は果てしないのさ。
10/9 台風一過の甘い香り
風にのって金木犀の香りが部屋の中までやってくる。洗濯機でもちょうど柔軟剤が投入されたところらしく、そちらかもふわりとした匂いが。昨晩は、絶対に今日で片付けてやる
と思っていた仕事をとにかく延々黙々としていたら、朝を迎えた。そこから寝て起きて今はもう昼過ぎなんだけど、今日はもう仕事はしないと決めた。明日からの新しいことのためにデスク周りだけ片付けて、あとは好きなことをしよう。洗濯を干したらベランダを眺めて、図書館へ読んだ本の続きを借りに行く。図書館の隅の机で書きかけの詩でも書き上げてこようか、なんて
そんな想像だけでも、ああ平穏な幸せよ。この1週間よく働いたわ。イ草の敷物も干して仕舞って、キルトのラグに変えよう。

ささげ菜。ささげだから、いわゆる豆苗ってことですね。最近はこういう様々なスプラウト(間引き菜)がスーパーにも並んでいて、見ていても楽しい。値段も通常の菜っ葉の半分以下なら買ってみようと手が出ます。
ささげ菜はシンプルにごま油で炒め塩コショウで味付けしてみました。茎がちょうどもやしくらいの太さで、味も似てクセが無く、シャキシャキとした食感です。もやしじゃあ、ちょっと色味が寂しいなあという時に代用すると良いかもと思いました。
そうだ!ベランダのプランターから、夏に ぷっ とやった(毎年のことです)スイカの種からの芽が2〜3本、ちょうどひょろ〜っとスプラウトになってます。どうせ萎れてしまうのだから、摘んで味見してみようっと。
10/7 16:00
雨は静かに。イアホンをつけて、OasisのI Am the Walrus。ビートルズが唄ってるのより、今日はこっちのが好きだな。大きなライブ会場で爆音で聴きたい感じ。耳じゃなくて身体で。音で身体が宙に浮いちゃうようなあの感じさ。
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