8/30 バッタの棲みか

 短くたくさんの夢を見た。身近な人や知らない人(もしくはいつか画像としてのみインプットされた人)が入り乱れてじゃんじゃん登場。内容が散漫なら睡眠も散漫だ。いまいち落ち着かない気分で起床。
土曜の朝から今朝まで植物の水やりを放っていたら、乾き気味だったレモンバームがぱらんぱらんに乾いて散り舞っていた。残っているところももうすべてカット。それでも葉も茎も、手の中でもむとスっとしたレモンの爽やかな香りがする。蚊よけ代わりに焚いてみたらどうだろうか。元気を盛り返してきた大葉にはこの夏ちいさな緑のバッタが2匹棲みついて、葉が美味しそうにひろがってくると、遠慮なく食べまくってくれている。うちの大葉はどれもこれもぎざぎざ型。しかし毎日大葉だけで飽きないのかね、とこちらが遠慮がちに摘みながら水やりしたら、ぴょーんと今日も飛び出した。今日も晴れ。
アタシの思考は相変わらず飛び出さず、まだ事務的に目の前に見えていることしかできない。秋らしく肌寒くなるころには、なにかふわふわやモクモクが見つかるといい。出来ればいっそバッタの棲みかでシンプルに暮らしてみたらいいのだろう。



8/29 夕焼けサーカス さあまた明日

 晴れ。起きてすぐ身支度して友達の家へ。開放感のあるお家と友達夫婦の大らかさと朗らかさが気持ち好い。そして何より一緒に行ったYさんと共に、友達の子に釘づけ。うっとりよだれが垂れそうなくらい眺めてたと思う。何をしてもどんなしぐさも可愛すぎて目が離せない。一緒に遊ぶというより、わたしたちと遊んでくれえ遊ぼうよう とあの手この手。友達が作ってくれた美味しいごはんをご馳走になったあと、4さいのお誕生日を迎えたばかりということで、ケーキと歌でささやかなお祝い。ゆれるろうそくをうっとり見つめる坊やにノックアウトである。次に会うまでみどりさん(←なぜか即席につけられた私の名前)を忘れないでね。
 帰りの夕焼け空には力強く長い長い飛行機雲。それに沿って綱渡りのように遠く鳥が飛んでいく。自転車をギコギコ言わせながらときどきぽかんと余所見。ふいによくわからないけど「ジェット!」と声に出て可笑しくなる。
 昨日のパパイヤも海と月の心波に包まれて、のぼせたみたいにじんわり心地好さに酔った。かみしめたご飯から甘さを感じるような、小さいけどあったかいしあわせ。そんな土日だった。
窓からきこえてくる蝉の声がいつの間にか虫の声に変わっているなあ。


 こちらも昨日、パパイヤ
の前に 横須賀美術館。海の真ん前の美しいところにあった。海ってやっぱり青なんだーと思うようなくっきりな色。
ムナーリ展は、たぶん観る人によって色々な見方が出来る展示。あとの時間の予定がつまっていたので、ふんふん、なるほどね、ほおお、へー となるべく足早に周る。さっくりと観るつもりが、気にかけてなかった所蔵品展がツボでひとり興奮。原田和男さんという作家さんの『庭・響(キポス・イホス)』。簡単に言うと、鉄で作られた楽器の数々なのだけど、その音色ったら。水琴窟のようであってガムランのようでもあって。やっぱり仕事柄なのか鳴り物ってのに弱いのである。とにかく全部に触りたいし鳴らして確かめたくなる。鉄の玉の中から聴こえてくる星屑みたいな音が、いったい全体どうなって何が鳴ってんだ?と気になって仕方がなかったり。展示室に自分ひとり、というような時間もあって、たくさん置いてある楽器をすべて揺らしたり叩いたりしながら、重なり生まれる音を楽しんだ。 屋内の展示に加え、外の芝生の庭などにもいくつか並べられていて、庭一帯に風や子供たちが鳴らすふしぎな音がくわんくわんと響いてた。
この日は、すぐあとに庭でこの楽器のコンサートがあったり、日没後にはキノ・イグルーの映画鑑賞があったりで、同じ日にこんなに魅力的なイベントが重なっちゃってああーもったいないーと思いながら戻ってきたのでした。今度は観音崎散策をかねて行こうっと。



8/
28 燦々 サタデイ

 晴れ。今日も太陽がまぶしく窓際が暑い。それでもちゃんと日毎に、風が夕方らしい夕方をつれてきて、日が落ちればやっぱり夏もずいぶん落ち着いてきちゃったんだなあと思う。
朝から日が照るベランダに顔を出してめだかのえさやり。じっと甕を覗いていると、心なしかめだかたちが水面に寄ってきているようにも見える。ほほう懐いたか?と思ったりするけれど、顔や手の影が動くとシャっと逃げるので、そういうわけではないようだ。所詮えさを待っているのだな。毎日じっと見ているつもりだったけれど、目の色がブルーグレイっぽいのと赤茶っぽいのが居るのに今朝気づいた。小さいうちは赤っぽくて、大きくなると青っぽくなるみたい。観察ポイントがひとつ増えました。
 今日は夕方から鎌倉へ。起き抜けに思いたって、その前にいっちょ三浦半島を縦断してこようかどうしようかと考えている。考えている間に仕度した方が早いけど。ともかく顔を洗おう。



8/26 落花生とプール

 珍しく近くのスーパーに生落花生が売っていたので買ってきて塩茹で。とまらない。静岡に居た時はエダマメよりもずっとポピュラーな食べ物だったと記憶している。ピーナツより塩茹で。かっぱえびせんよりやめられないとまらない。神奈川も西の方とか三浦の方では塩茹でするみたいなことを耳にしたことはあるけれど、なかなか流通にはのらないのかな。駅までの道のりにある小さな畑には、今ちょうど落花生の葉が青々茂っている。地面の中にわさわさと落花生ができているかと思うと、たまりませんね。もちろんよその畑を掘り返したりしませんがね。さつまイモ掘りも楽しいけれど、落花生掘りも相当楽しいと思うのです。ジャラジャラと豆が吊りあがるあの感じ。掘った落花生を木の樽や大きなポリバケツに入れ、水と2枚の木材をXの形にした板を突っ込んで半回転半回転 右、左、右、左とかき回すようにしながら土を落とす。その時の、ごり、ごり、という音をふいに思い出しました。自分の家でやっていたのか、よその家でやっていたのか、そんなことも覚えていないほど昔のことだけど。
とにかく黄色い花も可愛いし、あんまり虫もつかなそうだし、畑を持てたら落花生を忘れてはいかんなと、指先をしょっぱくしながら思うひとときでありました。
 昨夜は思いたってプール。のんびり泳ぎながら途切れ途切れに色々なことを考える。でも水をかけばかくほど思考も流れていくようで、あがってしまえばけだるい体ひとつ。それがいいのです。満月を眺めながらゆっくり自転車をこいで帰宅。心なしか今朝は起き立ての顔がいつもと違う。子供っぽい。


昼のカンカン照りはこたえるけど、まいにち月がきれい。



8/24 蕎麦のひとりがち

 黒柳徹子さんが、あのたまねぎ頭の中に飴をいくつも入れてたことを思い出して、薄いハンカチにくるんだ保冷剤を、結んだ髪のすきまから頭との間に入れてみた。これが結構気持ちいい。朝からこう暑いともうほんとに、最近よく聞く冷やしシャンプーとか氷シャンプーとかですっきりして、帰りに旨い蕎麦でもすすりたい(蕎麦屋って涼しいイメージ) という妄想で頭の中がもちきり。そして、そうそうそうだ蕎麦がいいよ、蕎麦が。と単に蕎麦が食べたいという食欲にすり替わっている今。
 相変わらずデスクワークの方は一進一退で捗らないので、愚痴が出る前に針仕事に切り替えた。何かを始めると途端に部屋が片付かなくなるけど、手を動かしていれば次が見えるはず。


そろそろ来年のカレンダーの構想もぼちぼち。
今年の8月はニガウリ。ひと月が終わる頃には書き込みで汚くなって、でも汚いほど嬉しくもある。たかが紙一枚だけど使い切ったーっていう満足感と、日々の密度の表れのような、そんなものの象徴。そのかわりスケジュール帳の方が白いままだったりするけど。



8/22 祈る

 26時、丸くくっきりと光る月を見上げながら様々なことを祈る。いくつものちいさな胸の痛みがこみあげてこないように、組んだ指にぎゅっと力を入れて。どうか大切な人たちがみんな、穏やかに眠れますように。疲れきったあの子が涙でおぼれませんように。


8/21 夏時雨

 続きますね。夏の日が。終わっても嫌なのだけど、今日も燦々とベランダに陽があたっている模様。が、メダカももう放置です。外の方が空気の篭った部屋より凌ぎやすいと思うしね。毎朝、エサをあげてパクパク食べる姿を眺めるのが日課になってきました。自分以外に動くものが居るってのは楽しい。たまに出没するノーサンキューな奴は除いてです。最近見かけませんがね。黒いのとか、足いっぱいとか。小さいクモがよく居るので、小さいうちに処理してくれてるのかなあと思ってます。ヤモさんとか。ベランダに土がいっぱいなので、虫は仕方ないけど。
 今日はこれから夕方までレッスン。そのあとは楽しみにしていた足田メロウさんのライブペインティングを観に行ってきます。東京でメロウさんの絵が観れるようになって嬉しい。詩の朗読、音楽、ダンスとのライブコラボだそう。

外苑前のギャラリー≫neutron tokyo3F にて19時頃〜チャージfree。

逗子COYAではいつものライブをやってます。こちらもどうぞ。19時半〜fee\1500 ≫la voixde vent



8/20 やる気

 仕事が順々に動き出して、ようやく調子が盛り返してきました。昨日はレッスンで子供たちとたくさんお喋りをしたり笑ったりしたら俄然元気に。夏休みでエネルギー満タンの子供たちは喋るのにも弾くのにも夢中。だから私も夢中。楽しくて仕方ありません。60分もあっという間。次の子にチェンジしてもそんな時間の繰り返し。木曜はレギュラーで3人×約1時間のレッスン。これくらいが体力的にも気力でも1人1人と100%で向き合えるので、ちょうどいい感じです。子供たちがモリモリやる気を見せてくれることが、わたしのやる気をも刺激。与えてもらうことばかりのよう。
 で、今朝は5時半起き。起きたというか目覚めたのです。なぜなら床に寝てしまったから。ここで寝てはならん、とストップが効かないのは何故でしょうか。なんだか眠い...と思うような間もなく、0か100かでバタっと寝てしまっているようです。涼しかったので、もぞもぞ起きることも無く5時半まで爆睡。当然パソコンも電気も付けっぱなしでね。夏祭りには一度も行けてないのに、"あとの祭り"は何回目だ?あとの祭りは行かなくてもおのずと来てくれますからね・・・いらないし。 せめてソファでもあって、ソファ寝ならば、普通に許せるのではないかと思うのだけど、薄っぺらい茣蓙だけの床という現状だからね。あああ。相当疲れてるのか?アタシ・・・としか言いようがありません。たしかに木曜はレッスンで疲労しているのにテンションだけは高いという傾向があるので、わからんでもないけど。こたつは絶対禁止だわ。
 作業途中のままになっていたデータを保存して、シャワーを浴びたら目が冴えたので、メダカを覗いてからごそごそとベランダの整理。いつの間にか枝が伸び伸びになっていたオリーブと鉢底から根っこをシャーシャー伸ばしていた杜仲の木を植え替え。少しだけ綺麗になったし、今日の床寝は良かったことにしよう。



8/19 青のドレープ


 青い衣が届いた。これまでたくさんの洋服を買って、着てきて、お気に入りはどれも特別だと思ってきたけれど、こんなにじーんと響いてくるような衣はあっただろうか。しばらく中を覗き込んでから水の中にもぐるみたいに、頭からすうっと袖をとおすと、それは単なる布や体を包むものではなくて、一瞬音を消し去るようにしてから、いつかの風や記憶も一緒に纏うようにふわっと肩に舞い降りた。そして、ああこの衣は呼吸をしてるんだ、と本気で思った。
 風が出てきたから、あの草原の風がここにもスプーン1杯分は運ばれてきたんだと思うよ。たとえそこに居なくてもいつも想うことはできるはず。そんなふうに今日はいろんな人のことを想ってた。


うちにやってきてくれてありがとう。ほんとに嬉しいぞ。
丘の上に立って両手を広げて
見せたいくらい。ここらに丘は無いけれど。



8/17 今と今と今と今 と


 いっぱい増えたから、と母がすすめるのでもらってきたメダカ。焼酎の甕に移してベランダへ置いてみたけど、出かけて帰ってきて水に指を突っ込んだら水が生ぬるくなってしまっている。慌てて部屋の中へ。過保護?部屋の中は空気が滞るので置きたくないのだけど、この暑さでは仕方が無し。しかし朝起きて覗くものが増えるってことは楽しきことなり。大きくなあれ。
今日は頭を空っぽにしに海に浮びに行ってきた。水が思ったより冷やっこくて気持ち好い。全身から吹き出ていた汗があっという間にひく。ただぷかぷかくるくる。私には作れるものがあるのだから、とりあえずは作れるものを作ろうと思った。ビジョンなんか無い。今を繋いでいくしかない。いつもいつだって今だからね。




8/16  自問はつづくよどこまでも

 盆が明けてもまだ迷子。たぶん立て続けに人の作品を目にすることが多くなって、自分も"コレ"やってますって示せるような何かが益々欲しくなったんだ。たしかに"コレ"っていう1つがある(スポンと言葉に表せることが出来る)人 に憧れる。だから考えてみる。何か妥当な肩書きのようなモノ。もしくはやることをもう少し絞って人にも自分にも説明と納得がつくように出来ないか?考えてみる。ぐるぐると。同時に、そんなこと考えなくたっていいじゃん、というもう1人の自分。わからないってことは、そもそもやっぱり答えが無いんだし。
まあね。人と比べなくてもいいし、比べることなんか出来ないとはわかっていても、自分のこれからが不透明すぎてニッチモサッチモ、いや、これからというよりむしろ今の今が、弱っちゃったなあって感じ。そういう押し問答を自分がしたい時なのか?なーんにも考えずに時間があるなら遊んじゃっていいんだろうか。
たしかにね、今年に入ってからずっと「夏は遊ぶから」と事あるごとに言ってきたんだよね。それがこういうことなのか?

お盆は短く帰省。


庭をひとまわりしてちょいと収穫。紫陽花はドライに、あとはお腹の中へ。
畑は父さんが忙しくて手が入らずボウボウ。夏はいつもボウボウだけどね。野菜も草も花も空を目指して勢いよく伸びていく。茂みみたいな夏の畑が私は好きだなあ。


サルビアが満開。花がカサカサしてきたら房ごと種を摘んで記憶箱へ。
乾くとやさしい薄桃色になってまたきれいなの。



8/14 take it easy


 曇り。キュウリがまた大きくなってきた。よしがんばれ。追肥。
返事を待つのはやめて期待するのもやめて、もやもやを忘れよう。世間は盆休み夏休み。ならばこちらもそうするしかないのだね。思うことはいろいろあれど、今は流れのままに。


 楽しみにしていたイチジク。うちのはホワイト種で、よく売ってる紫っぽいのとは違うらしいので、いまいち成熟具合がわからず。大きさは小ぶりのままだけど、なんだか柔らくなったよなあと、モミモミいじっていたらポロリ取れてしまった。取れたってことは収穫期?


わくわく


・・・


・・・。


土に還りました。

天ぷらにしてみればよかったか?と土に埋めてから気づいた。でも実が生ることはわかったし、また来年。
今年は2つ生って、もう1つは先月くらいに我慢できず取ってしまったのでした。実も自分も青かったっす。



8/11 声



 階下のどこかの部屋で、最近犬を飼い始めたところがあるらしく、時々犬の声がきこえる。鳴き声でなくてそれはもうほんとに人が泣くような大泣き声で、聴こえるたびに胸が痛くなる声。きっと主の不在に淋しく泣いているのであろう。ここはペット可なので、私もチャンスあれば隙あらば飼いたい!と望んではいるけれど、部屋の狭さと夏のこの暑さだけが心配でぐっと堪えている。まあ家に居ることが多いって言ってもね、1日2日家を空けたい時もあるわけだし。
そして聞いてしまったこの切ない泣き声...。飼い主だけは知ることがない声なわけだ。もし自分の居ないところで、こんなんに泣いているのを知ったら、出かけられなくなるだろうなあ。淋しがりやのペットは飼えないね。全く懐かないペットもさみしいが。階下のわんこが早く主の不在に慣れて、ゴーイングマイウェイで過ごせるといいけれど。ときどき出る野太い声から推測して小型犬では無いっぽい。

 時間があるうちにオルセーとその周辺の展を観に行きたいのだけど、どうしても都会へ向かう気が起きず、下り電車に乗ってちょこっとローカルを散策。思いたって平塚美術館。小田急線側からもバスが出てて、家から40分くらいで到着。人混みが無くて気持ちが楽。 
やってたのは『世界絵本原画展』、絵本の原画とパペット人形&人形劇セットの展示。


そんなに期待していなかったけど、結構ボリュームもあって、原画もパペットもじっくりじっくり楽しめた。夏休みだから多少人も居たけれど、たぶん普段はもっと静かでのんびりしているんだろうなあ。外の散策にも好い時期にまた行きたい。平塚の街ってのに降りたことが無いので、帰りはそっち周りでと思っていたけど、貧血っぽいのでやめる。バスの中から、山と空をバックに田んぼが広がる風景を眺めながら、海は行くところでもいいけど、やっぱり山や森は近くにあって欲しい、と思う。稲の青い穂がさわさわと風に波打ってる様子が涼しげだったよ。畑もいいけど田んぼもいいよなー。田んぼがあるところには必ず水の流れがあるから。(水際にはイイモノ(!)が生える予感がある。 てのもあるね)

8/10 雨あがり

 日が射してきて緑がキラキラして気温が上がり始めた。昨日はレッスンのあと用事のついでに街をぷらぷら。意欲が無いと物欲もあまり無く、結局足を向けたのはいつも行く生地屋さんで、毎度のことながら布を隅から隅までチェックして、値下げ生地コーナーから気になった格安生地を試しに少し買ってみた。さっき洗濯のついでに水通ししてみたら、思ったとおりふわんと柔らかくなって好い感じ。乾いて肌さわりが好ければ、たくさん買ってきてベッドリネンを一式縫おうと思う。使える生地ならお買い得。
 今日は、というと、仕事が先方の都合により相変わらずストップしたままで、私のやる気も未だ行方不明。こういうことは仕方ないけど、これまでどれだけ時間をかけていても、最後まで終わらなければ得るものも無し。約ひと月分の埋め合わせが、こんな暮らしのどこにあるのか。やっていけるのだろうか。とまあ、今朝はなにげにボヤッキーでありますよ。しかもどういうわけか鍋がくさいんすー。話の流れが唐突ですがー。
洗って片付けてあったのに、火にかけたらクサイ臭いがぷ〜ん。朝から狭いキッチンがよくわからない臭さに包まれちゃって、嗚呼なにー!?なんだなんなんだ!この臭い...
ということで、しばし考えてみたのですが、見た目普通だし、たぶん適当に洗ってしまって調理汚れがしみこんだとか?それが何かくさいもんに変化した?としか思いつきません。油臭さとかとも違うんですねえ。2日くらい前に使ったと記憶しているんですけど。料理名は書きませんけどね(すごい美味く出来ていつか人に振舞おうと思っているから)、魚介系に使ったことは確かで、で、やっぱりそのあとがいけなかったのかなあ。しかしねえ、鍋が臭いって人に相当のダメージを与えますね。仮にも女子だし。鍋がクサイっておまえ何やってんの?みたいな。ガーン。ガーンガーン。涙。
洗っても洗っても熱でニオイが出てしまうので、最後の手段、鍋で茶殻を炒って消臭できないかとやってみたんですけど、さてどうでしょうか。今は茶香炉をした時のような、お茶のいい香り。今日はこれを機に台所周りを徹底掃除しまする。その前にハーブちゃんなどを植えるです。女子らしく。クサイ鍋のことは闇に葬ってやる〜



8/8 裏庭にいます

 曇り。静かな日曜。まだすこし眠くて、白っぽい空を窓越しに眺めながら今日もぼんやり。 昨晩はタンバリンギャラリーでbiweekly special。ちいさな箱に関西から関東からたくさんの笑顔が集って、なんていうか、みんなでわいのわいの船に乗り込んで旅に出ているみたいな、そんな時間みたいだった。緩やかに滑るように、たゆたい、船底ゆらして歌うような。バックヤードでは仲間が気持ちよく働いていて、いつもは何となく気持ちばかりはそんな一員のように思って参加しているのだけど、昨日はすっかりとお客さんを楽しませてもらいました。
 楽しかった想いを抱いてひと晩明けて、それでも私はまだ相変わらず、自分が何を望んでいるのかよくわからなくて手を止めたまま。これまでは実際に作らなくても、次々と作りたいモノが浮んで、なんでもかんでも思うまま焦燥感に駆られるように作ってきたけれど、それが不思議なくらいぱったり。これまでみたいにランダムに色々作ってみるというより、今は、自分じゃないと作れないモノ、自分だから作れるモノを作りたいなあってちょっと思ってる。もしかしたら結果は、いつもとあまり変わらないものが出来るかもしれないけれど、そうだとしても、それってなんだろうって考えているところ。なんだろう。直感とか衝動でばかりやってきたから、頭がちょっと意味を欲しがってるのかな。
 園芸用語だと、バックヤードには"裏庭"って意味がある。裏の庭っていうスペース的な意味もあるのかもしれないけど、どちらかというと、バックグラウンド的な見えない時間や作業のこと。私は今、バックヤードに入ってるんだなと思う。焦らずじっと、小さなことから見つめて見つめなおして、また自分の庭をつくっていくしかない。sowing a garden。種まき種探し。
ハっ、もしかして草が足りてないのか自分。夏野菜ばかりに目がいって、夏草は食してないからなあ。 んなわけないか。

今のシーズン草はスベリヒユ。もちろん勝手なマイセレクト。



 今年は乾燥気味の天候のせいか、乾いた畑、駐車場の隅なんかでも元気に伸びてる。茹でるとトロミが出て、つるっといけます。シュウ酸を含んでいるので少量を。東北の方ではゼンマイみたいに干して保存食にするのがポピュラーらしいですね。やってみようかな。カラフルな花をつけているのは、観賞用ハナスベリヒユ(ポーラチュカ)なので間違えないようね。ってたぶんこれを読んでスベリヒユを摘む人も居ないんだろうけど...。9割方自分への忠告ってことで。



8/7 立秋

 昨晩、仕上げたラフを送る直前に依頼書をなにげに確認したら、微妙に依頼内容とずれていることに気づく。嗚呼。 ってわけで、朝からやり直しです。しっかりせねば。
今日も風が強め。呆然としてベランダを眺めていたら、熟して落ちたトマトから、芽が出ていました。コリアンダーも種がたくさん取れたので、秋蒔きに向けてそろそろ土を準備しようかな。

忘れかけてた 旅の記3

静岡市美術館。

 出来たばかりでまだプレオープンという感じの雰囲気。新しく建ったビルの中にあります。たしか今週末から、ヤノアキコさんの出前ライブや、以前にタンバリンで教えてもらった スタッフベンダビリリの映像イベントなどがあって、出来ればここに日にちを合わせたかった...。
ここは駅に近くて行きやすいし、大げさな規模でもないから ふらっと寄りやすい。静岡のついでが出来てこれから楽しみ。


あちこちの表示がモザイクで可愛いの。


では旅の記の最後に。
妹オススメ、静岡で大人気(らしい)ソングをば。
http://www.youtube.com/watch?v=0iO32QaVWZU&feature=related




8/6 うちら青柳城の姫さまの子孫なんだって

 と、妹からメールの最後におまけのような一文。なんだそりゃ?初耳。寝耳に水。よく訊いてみれば、これまであまり知らなかった父方の家系に繋がりがあるらしい。「ばあちゃんがその姫さまの子だか孫なんだってー」って、なんでそんな素敵なこと、今まで知らされてなかったのだよっ。ばあちゃんももう亡くなってしまっているし。
 私と妹が子孫てことは、当然父さんも子孫なわけで、いとこも父さんの兄弟もと、たんまりと子孫は居るわけだ。まあ父さんをとおしてうちらにきてる時点で、すっごい薄まっちゃってる気がしてならないのだが。というか、父さんが濃すぎるっていうか。うう。当たり前だけどさ。すでに姫さま濃度が残っているかは疑問。
むしろ代々継いで私まできた姫さま濃度よりも、ばあちゃんの実家の神社(らしい)の方が興味がある。結構父さんの方の家系は、しっかりした地位のお家柄に繋がっていて、人が受け継ぐ遺伝子とかってどこでどうなるか全くわからないもんだ...とつくづく思う。父さんも頭がいい人だとは思うけれどね。
 逆に、以前にも書いたと思うけれど、母方のじいちゃんばあちゃんの出処ってのは、ごく最近まで非常に謎に包まれていて(訊ねもしなかったけど)、私の中では大まかには、じいちゃんが放浪の末に身延の温泉場で働くばあちゃん(×芸者→○仲居:母より訂正有) に会ったことになっている。およそは合っていると思う。ただ、じいちゃんやばあちゃんが何処に育ったのか、何処の人だったのかは知らされず、何となくその謎の過去を背負った感じが嫌じゃなくて、今まで突き詰めて訊いたことも無かった。で、現在も曖昧中。 会ったことも知らされてもいない親戚とかが、北陸の方とかにぽつぽつと居るらしい、ということは何かのついでに知っていたが、なんと母に異母兄弟が...!と衝撃事実が、姫さま情報のついでにやってきて、はー。 つつけば出てくるねー、イシカワさんち。
ひとりの人生にだって色々なことがあるんだから、数が増えればあれやこれや色々出てくるさ とはいえ、知らないだけで本当に色々あるもんだなあ。母にとっては、その事実が有っても無くても、今の暮らしに変わりはないのだろうし、それを知ったところで、私や妹の人生だって、今の暮らしだって、何も変わることは無いけれどね。
最近になって急に、長野に行ってみたい!と友達に話していたところだったから、もしかして姫さま遺伝子が目覚めたか?ちょっぴりは残ってるかもー。ふふーん。 青柳城(址)、行ってみようか。ばあちゃんちの神社のことも今度訊いてみようと思う。



8/5 不透明 もしくはそこにはもともと何も無かったのか

 ここへきてきゅうりの雌花がどんどん咲く。でも残念なことに雄花が全く咲かず、ベビーきゅうりたちがいくつも萎んでいく。がんばれ雄花。
 なんだか最近になって急に、自分が何をしたいのかわからなくなっちゃった。やらないといけないことはわかるけど。決まったことの他は、なにも手が動かず。今さら燃え尽き症候群?考えても考えてもわからないなあ。まあいっか なるようになるさと、いつものように考えるのをやめていいのかもわからない。小さなビジョンも妄想も不確か過ぎて見えない。
今日のところは、昼に蕎麦でもすすってから仕事に行こう、と決めただけ。


8/4 風波

 スカっと暑いけど、多少は暑さもおさまり方を知ったみたいな気がする。日が落ちれば徐々に気温も下がるし、風があって楽。でもそうとなると夏の終わりが見えてしまったようで、何か惜しくなってくる。
 昨日は、毎年この時期の恒例、永井宏さんの個展『August songs』at SpaceYUI と、大阪の星ヶ丘SEWINGTABLEの玉井さんご夫妻、濱田さんの3人展『LOR』at タンバリンギャラリーをはしご。どちらも心地好い風を感じる空間。海の上を静かに抜けていく風、さわさわと草の先を鳴らす風。青山通りをはさんであっちとこっちの2つの空間に、葉山と星ヶ丘がやってきたみたい。この1週間だけは、いつもよりぐんと近い2つの場所。風のひとにぎりをおすそわけしてもらった。
 今朝、すでに珍しくもなくなったけれど、床(ござ)で目が覚める。昨日の晩、座椅子に座ったのは覚えているんですけれどね、そのあとがあまり・・・。仕事は今日もレスポンス待ちで、どうやら少し波があがっているみたいだったので、午前中の内に急いで海。さすがの湘南、平日も海水浴の人とサーファーでいっぱい。でもこれが夏の姿だからね。それもよし。そしてやっぱり水の中は気持ち好い。人混みを抜けて少し沖へ出て、跳ねる魚や、水平線と地平線に沿ってぐるんと囲む入道雲を眺めぷかぷか。浜辺(陸)の方を眺めるのも好きなので、ぷかぷかくるんくるん。時々やってくる形の好い波でピョーっと遊んで、疲れる前にサクッとあがって帰ってきたところ。汗も流して洗濯もし終わったし、遊んだし、さあこれからちゃんと6時間は仕事すっぺ。


サーフハットを忘れて行っちゃったから、すっかり日に焼けちゃった。



8/3 座椅子でくじらの夢

 カーテン越しガラス越しでも、くっきりと青い空の色。風が影を揺らして、動く光りが眩しすぎるほど。今日は午後から都内へ。1時間もかからない距離なのに都心の気温はここよりも2度ほども高いらしい。嗚呼。都会にも風が吹いていますように。暑さのせいなのか、動悸っぽくなんだか息が吸いにくい。


 暑さで油断していたら、知らない間になにかが育ってる。キミはだれ?と、ちょっと失礼して土の中を調査。つやのある大きめの種。はは〜ん。これは前に小鳥さんちでご馳走になったライチでした。こっそり種をポケットにしのばせて持ってきてみたんだったっけ。大きくなるかな。熱帯の植物らしいからパパイヤと同じく冬越しは難しいかもしれないね。
学名レイシ-レイシ属ムクロジ科。ライチは広東語読みみたい。アボカドたちくらいに大きくなったら楽しいだろうなあ。


旅の記2

静岡浅間神社。

ここも富士宮の浅間大社も、もっぱら"おせんげんさん"と呼んでいる。正式な名前はパンフレットによると『駿河国総社・富士新宮 静岡浅間神社』だそう。広い敷地内に7つの神社があります。敷地の周りに、富士宮に比べると狭めだけどちゃんと堀(水路)があって、綺麗な水が流れているところがすき。水があると、何かいるかなー何が生えてるかなーって、それだけでちょっとどきどき期待度があがる。なにかイイモノが生えてたら即ボルテージあがるしね。採らないけどさ。


今回は登らなかったけど石段の上は森っぽく、賤機山(しづはたやま)という低めの山とつながっていて、小さい社や古墳とかもある。前に行った時は、木の実とかを拾うのに夢中で他のことをよく覚えてないのだけど、本殿に祀られているコノハナサクヤヒメの父さん(慣れ慣れしいが)も山の入り口の方に祀られているみたい。
フィールド的な魅力もあるし、かといってやたら大げさな広さでもないし、近くにこんな神社があったらいいなあと思う。綺麗にされている敷地に足を入れるだけで、なんか変わるもの。大きい木もあるしねえ。でも「近いからなかなか行かなかったりするんだけどね」という妹の言っていることもよくわかる。そこにあるという安心みたいなので充分だったりもする。でも行きたい、と思ったら行けるからさあ。自分の家の近くには、神社も寺も全く無い。沿線が出来てから新しく開かれた土地なんだろうな。

神社から静岡駅まで長く長く商店街を歩いて帰ってきたのだけど、金物屋さんなんかが何件かあってその辺りも、城下町のせいなのか何だかちょっと楽しいものがある。かまど屋さん?とかあって、店先にかまどがたくさん並んでた。地べたにドーンて置くかまどだよ!置くところがあるならば欲しい!



8/2 凪

 帽子だけで外を歩いていたら少し日に焼けた。それでもまだ海に出ていないのでいつもより薄いほう。毎年ほぼ自転車焼けってやつです。昨日会った友は、日傘があると違う...とようやくその威力に気づいたよう。自転車に乗る場合はさせないけれど(時々さしながら乗っている人がいるけれど危ないので嫌なのだ)、日傘の簡易日陰は侮れない。ほんとうに日射しが強い時は、肌を出した格好より、長袖の方がずっと楽だものね。私も白いピラピラしたパラソルを持っているわ、と充分に日傘のお年頃の会話。冬生まれだから暑さに弱いのかわからないけれど、数日違いの12月生まれ同士、とにかく共に汗だくで友の家に辿り着き、エアコンて最高ーと言いながら涼む。コンパクトだけどきちんと片付けられて、センスよくモノが飾られた可愛い部屋を見て、帰ったら片づけをしよう・・・と即座に思ったのでありました。
とにかく今は、部屋もそうだけど自分自身、潔く余白をつくって新しい空気に入れ替えたい時のよう。スペースができれば、なにかきっと新しいモノ(こと)がやってくる気がするから。整えて待つ。凪のとき。
海にはすこし波がきてくれるのいいのだけどー。そろそろほんとに行きたいぞ。でもこれもタイミング。


旅の記1

家康が祀ってある久能山東照宮。


海側から1000段以上の石段を登って行くルートと、街側から山(日本平)に登ってロープウエイで渡るルートがある。10年前くらいは海側から昇った記憶があるけれど、今回はロープウェイで。


雨の翌日で、霧が山を覆ったり晴れたり。
これまで乗った中で断トツ高くて、高いところ好きの自分もちょっとびびった。


海岸線。白っぽく並んでいるのは、全部苺のハウス。苺狩りで有名な一帯。妹は毎年大きい粒ばかりを選んで100こ以上食べるつわもの。だから大きくなっちゃうのよアナタ。


東照宮はちょうど50年に一度?の塗り替えをしたばかりで、どこも鮮やかで綺麗。色使い、紋様に見とれる。


パーツもなんだか可愛いのだ。ハート?なの?

引いたおみくじは大吉。でも、なにごとも「堪え、忍ぶこと」と書いてあった。調子にのって驕るなよってことですね。はい。


人も少ないので、こういう観光らしいこともやっちゃってね。満足です。
もし海岸線をこの辺に来ることがある方は、久能山、苺狩り、由比あたりの桜海老とね、その辺り外せませんよ。苺は春までですが、日本平の動物園もなかなか良くなったようですし、日本一長い?ローラースライダーには自分もそそられます。母情報によると三保の水族館も良いらしいです。まあ色々周るのは車移動じゃないと無理ですけど。
富士宮やきそばは、まあ富士宮まで行ければ浅間大社本宮あたりがメッカですけど、さらっと寄れる富士川SAが便利です。一般道からでも入れますしね。どーんとそびえる富士山と富士川を見ながら食べれば、地元育ちでも満喫ってやつです。ええ。 プチ静岡情報でした。




8/1 戻ってます



 薄曇り。7月がやたら暑かったせいで夏を焦っていたけれど、落ち着いてみると、ここで8月。いつもよりすこし長い夏。
昨日は日没くらいに静岡から戻ってきて、とり急ぎ仕事絡みのメールの返信だけしたらバタンキュー。静岡滞在中は、行った日に雨が降ってその後もわりと涼しかったので、妹と久能山東照宮や、静岡のお浅間さんへ参拝に出かけたり、私にしては充実の時間でした。 そうそう、「ダンダンダンダンガンダム〜」と勝手な間違った唄を歌う妹が不憫で(冗談)、「まあ近くを通るしせっかくだから」とガンダムも観ちゃった。ガンダム、全くノータッチで興味も無いですけど、街の遠目から見る姿は、街の方がミニチュアの映画のセットみたいに見えて面白かった。どうやら周辺、追突事故が多いみたいですけど、運転しながらつい眺めてしまう気持ちもわかります。静岡におもちゃとか模型の会社が多いということも初めて知りました。静岡育ちといえども、静岡は行ったことのないところ知らないことの方が多いです。とにかく安倍川より西にはとんと疎いのです。そう考えると、神奈川の方が山側から海側まで西から東まで、ある程度把握できているだろうな。あちこち自由にデートやらドライブしたからですね。もうこっちに住んでいる時間の方が長くなってしまいましたし。
でもどっちが好いとは言えないなあ。自分の作った空間(この部屋)が落ち着くのはもちろんだけど、どちらに居ても、帰る(戻る)場所があるから楽に居れるのだと思う。要するにまだまだ甘えがあるということ。妹んちへは、実家とはまた違った気楽さがあるし、大してお金も持たずに遠慮なく行けるありがたさ。そうはいっても、年に1〜2回のこと。タイミングを逃せば次のことなんてわからない。誰に限らず、会いたい時行きたいところには、空財布になっても借りても行ったほうがいいのだろうな。ぽーいと。体が動くならさ。 というわけで、今日は友達に会いに行く。


ダンダンダンダンガンダム〜♪ by妹
等身大なのですって。どうやって頭のところまで昇って乗るんだろう。乗ってから体が合体なのか?んんー。まいっか。

旅の手記はまた少しずつ。



7/29 つかのま休暇

 目覚める前からの雨は久しぶり。涼しくて寝過ごした。これから身支度を整えて、水周りの掃除をして鈍行で静岡へ。ガンダム観に行くわけじゃありませんよ。この夏はまとまった休みが取れそうも無いので、妹のところと実家と分けて行くことに。で、まずは街場の妹のとこへ遊びに行ってきます。車があれば実家へもまわれる距離ではありますが、まあ似たもの姉妹ですから、そんなもの持ってるわけないのです。
まずは今晩何を食べるかの話と明日はどこへ呑みに行くか、を話して、あとはベランダを覗いたり、めいめいが好き勝手に部屋でゴロゴロが定番です。自分の家に居ると、休もうと決めたってどうしてもやることが目について結局休めないので、"休日"にするには外へ出るしかありません。まあ家仕事を持つっていうのは皆そんなものでしょう。といっても丸2日もだらだらしていれば、逆に何かやりたくなって居てもたってもおれず、帰ってきてモリモリ仕事をするわけです。仕事っていっても、やってることは好きなことばかりだしね。ただ篭りが多いですから、時々遠くとか外へ出て、リフレッシュしてみたくなるんですな。
 さて、そろそろ顔を洗って、いってくるっさ。静岡駅の前に新しく出来た美術館のミュージアムショップだけ覗いてみたいと思います。わりとすぐ帰ってきます。



7/28 楽しい夕べに ぼくの友達は

 食べて笑ってびっくりして緩んで、月を眺めてぐっすり眠る。
自分の肩をさすって感覚を確めるように、自分の存在や誰かの存在を確めたくなって、いそいそと出かけていくのかもしれない。触るか触らないかくらいの距離に、ちゃんと居る。居てくれる。わたしも居る。そう思えるんだから、わたしは今いい感じにほどけてるんだなあ。いつだって先のことはわからないけれど。


 八幡さまのお池はいちめんの睡蓮。こんなにたくさん睡っているなんて、見えない時には想像できない。
蓮=レンコンだと思っていたので、ひょっとしてもしかしてこの下にレンコンがあるんだよね?ね?? と疑いつつも、こっそりまだそうかも?思っていたんだけど、やっぱりどうやら違う気がする。違うのか?違うでしょう。レンコンはあるけどこっちは観賞用だから〜みたいな?うーんー。謎。



7/25 どこか遠くの空で雷が鳴っているみたい

 朝からレッスン。夏休みでレッスン日も時間もイレギュラー。曜日感覚がそろそろおかしくなってきた。確かに今日なんだけど、今日の気がしない...みたいな感じ。そんなせいか余裕をもって少し早めに出たのに何故か遅刻。加え、汗だくでなんとなく具合が悪くなる。いつもの調子で自転車を飛ばしたのがいけなかった?日々お勤めする人には、通勤だけで充分エライ・・・と思う。もし自分がお金持ちの経営者だったら、通勤にもお給料を出したいくらいだ。ほんとにね。まあ、お金持ちでもないし、人も雇えませんけど。気持ち。
 電車とバスでクールダウンして、なんとか持ち直してレッスン。レッスンはいつだって楽しいから(悩む時は悩むけれど)多少の調子悪さとかは却って元気になってしまったりするのさ。
午後は雲に陽が翳って、風が吹いてきて、それだけでも随分と凌ぎやすい。帰って着て素っ裸になってシャワーを浴びて「あ゛ー」、冷凍庫から小さい保冷剤を2つ3つ出しててぬぐいに巻き、首と後頭部にあてて「あ゛−」。ようやく生き返りました。家では、適当に縫ったピラピラでぷかぷかの半パンツに、これまたゆるゆるのノースリーブやキャミソールを着ての毎日です。そんな姿を鏡で眺めてみれば、基本は白いでろ〜んとしたランニングにぷかぷかのトランクスを履く、愛すべき日本のおっさんとの共通スタイルでありました。でもこれが楽なのねえ。さあ、落ち着いてきたところで、夜はデスクワーク。雷はおさまって、今度はお腹からゴロゴロ。



7/23 それなのに昨日のことがもう遠いのはなぜだ

  連日のコウカガクスモッグ注意報。目にも悪い照り返し。似合ったためしがないけれど、サングラスを買うべきかと悩んでしまうほど。外に出れば、ずっと汗で膜一枚まとっている感じですから疲れるわけです。そんなわけで今朝も床で目覚めましたよ。でも一応イ草の敷物しいてありますからそれだけで充分許された行為、と自らを正当化。もちろんその都度後悔はしますけれど。
 昨日はタンバリンギャラリーでbiweekly poet。沼津の宝 岩崎有加さんの朗読イベント。始まって以来のぎゅうぎゅうっぷりにもびっくりですが、それだけの人を集める有加さんの人望とか魅力ってすごいんだなあと、自分もその一人として交じりながら妙に興奮しっぱなしのひとときでした。歌の上手さもハンパないすね。サプライズでデュエットした大西進さんもです。これまで文字ばかりで頭に残っていた大西さん。この人なのかーって、ふわっとしてる声、姿なのに、なんなんだあの醸し出し具合。食いつきです。間違えた、かぶりつきです。まさに魅せられてって感じです。そんなわけで、こっちもこっそり調子ついちゃって、岩崎さんや沼津から来られた多くの岩崎ファンに、フレンドリーにバイバイをしまくって、暑さの静まらない外苑前を歩いて帰るのでありました。誰?っていう話ですけど、なんていうか静岡出身者というだけで、こっちはこっちで勝手に沼津に異常な親近感を持っておるわけで、そういう様々な要素を持ち合わせた嬉しさの表現です。年々そういうどさくさにまぎれたアッピールみたいなのが、出来るようになってしまって、それって確実に"おばちゃん"化しているわけか。ここは、という場面ではすっと歯止めが利くおばちゃんになりたいですが。突発的に調子づいてしまうというか、よしここでいったれ、やっちまえ!という勇気とも踏ん切りとも言えるような事は、若い頃からの恋愛の場でもしばしばあったなあと、思い返す午後でありました。


まだ?


7/22 何がどうというわけじゃなくて 手を動かすことが好きなのだ

 相変わらずの暑さ。寝るときに扇風機を1時間タイマーにして寝ているのだけど、切れて2時間くらいで「うあっつ」とむくっと起きては、またセットして寝るという繰り返し。去年だかおととしは、こんな時期に背中に扇風機をあてながら寝てぎっくり背中になったのでした。なにげにこんな時期の方が体は冷えて、腰とかふくらはぎとかいつも冷たいのだ。よろしくありません。お茶は時々熱いのにしよう。午前中に陽があたる部屋なので、窓を開けると熱波。締め切りの方がまだしのげる。葉っぱたちがどれも干上がっているみたいだけど、今はどうしても開ける気になれません。ごめんよ。
 秋のあれこれについて、色々考えていたら、ちょっといいこと思いついちゃったかも。でもなあ。 展示をやって思ったのは、私って何? ということ。なんでもできるんですねえ、と言われても、雑多なんだなあと思ったり。なんでもは出来ないんだけどね。というか、自分がやらなくてもいいことはやらないというか。多少器用で勘の好い人なら出来るようなことしかやってないんじゃないか、と思うと、じゃあ自分はなんなんだ?といつも思ってしまう。答えを出す必要はないかもしれないし、出ないんだと思うけど。たぶん溢れる衝動に駆られながら何かを作る人ではなくて、どちらかというと単発的に、生活の中から出来上がってくだけなので、その時次第なわけだ、やっぱり。んー。なんだかシャキっとしないっつーか格好好くないけど。ストイックさが無いみたいだし。でもやっぱり(でもが多いな)私は何かになろうとか何かを作ろうというわけじゃなくて、暮らし自体が大きな作品みたいになればいいなあと思うわけだ。大げさだけど。だから、今つくってるようなモノはその中のちいさなパーツのようなもの。 いや、まあ、そんな面倒なこともどうでもいいのかー。いちいち頭でストップかけてないで、思ってることに飛び込んじゃいなよと内なる声が言っている。やるか。



7/21 today is gift.



 どーんな日も、与えられた一日。今日も。無償で。そう思ったら毎日が棚からボタモチ。ちっとも欠けることなくちゃんと一日が始まって、終わっていくんだなあ。
そんな一日を昨日はちょいちょい寝て過ごした。久しぶりに泳いだせいもあるし、陽にあたったせいもあるだろうけど、ちょいちょい寝たわりには、長い一日だった。そんな時間もギフトならば、ふんばれる時にはふんばるさ。Your 'Today' is a gift, too.



7/20 水の中にもぐりたい

 というわけで、久しぶりに「蓮の花」を聴いてみている。蓮の花の季節だしね。皆さんもよければhappy together。(ここでどうしてもルー大柴を思い出してしまう自分が哀しいかな、残念である)≫ http://www.myspace.com/zounoongaku
この曲だけは毎回ほぼアドリブだったので(たぶん永井さんも8割方そうであったと思うのだけど)、いつ聴いてもなんだか新鮮。ライブとかだとラプソディ イン ブルーのメロを超スローにして入れてみたり、キースジャレットのケルンコンサートの一部を適当にアレンジして入れたり、結構ほんとに好きなことやってました。へへ。

 朝、ゴミ出しに出たら、玄関前の乾上がった鉢植えに水がくれてあった。え、ええ?誰?いつ?なに?ほんとに水?水らしい。不思議。すごく不思議。でもありがとう誰か。
昨日綺麗な夕焼けに「いいことありますように」ってお願いしたからかなあ。



7/19 無口



 晴れ。風がやんでしまってますます暑い。連休どこへ出かけるわけでもなく、ひたすらこれまでやれなかったことを1つ1つ片付けている。冷蔵庫の掃除とかエアコンの掃除、書類、クローゼット内、生地やお裁縫道具の整理。常備菜を作って、洗濯機を何度も回して、3食食べる。そんなこと。昨日はちょっと用事を済ませに外へ出たら、暑いけれどそれより風がさらっとしていて気持ちよくて、プッチ号を走らせ図書館、産直所、スーパーへ寄り道。帰ってきてひと休みしながら本をめくって、ちょっと昼寝して、夏野菜をたくさん使って夕飯。そんなありきたりなことが、誰に言うほどのことでもないけれどほっとする。


 新生姜の時期だけの自家製紅ショウガ。ひと晩あけて、少し紅色さくら色。黒っぽくのっかってるのは、実家製梅干しの副産物、赤紫蘇。
これで色を付けます。色を付けなくても美味しいけれど、綺麗な色のほうが嬉しいし、ほんのり梅風味。
そうめんにのせたり浅漬けに混ぜたり、ちくわにキュウリとはさんだり、そのままご飯にのせたり。


なんでそこまで曲がるのか


7/18





ふう。



7/16 この秋のことすら見えませんし

 ピーカンで眩しい。早朝に腹痛で目が覚めて、牛乳一杯で薬を飲んで二度寝。ツケとは言えどこんな日が続くのはもう嫌だ、とつくづく思う。後悔先に立たず、まさに今のアタシ。しばし辛抱せねば。
 昨日はレッスン。夏休み前で学校もあって無いような感じだからか、子供のテンションが妙に高い。かわいいAくんが「なつやすみといえばぁ〜うみだよね〜」とウキウキで言うので「だよね〜」と同調したら、「オレ今日『うみ』をやる。わからないから(譜を)書いて。」とすべての課題を無視して『うみ』の歌のレッスンになった。まあいいけれど。反対に女の子たちはクール。最近ときどきハァとため息をついておすまししてみせるハナちゃん。どこでそんなしぐさを覚えたのだ。ちょっとやって見せては大人の反応を見ている、という感じ。女の子の方が手ごわいのだ。とはいってもまだまだ可愛い盛り伸び盛りの6歳組。上手く伸ばしてあげたい。将来に希望が持てない、歳とりたくないという思春期中学生のMちゃんには、「年取っても結構楽しくやっちゃってるよ、悪くないよ」という参考にならない私論と、プチアグリカルチャーを勧めながら駅まで一緒に歩く。美味しい野菜がたくさん採れたらご馳走してあげるからね!と結果やる気になったのは私の方でありますけどね。そんな話が出来るのもいいじゃない。
 中学生の頃には歳をとった自分の姿なんて、わたしだって想像つかなかった。イメージできたピークはたぶん20代くらいで、それ以降のことなんてね。そもそもそんなことも滅多に考えることもなく、嫌なことは多少はあっただろうけど(今となればそんなことは忘れちゃったし)、毎日目の前のことで満たされてた。大人だって見えないことをたくさん抱えながら生きているよ。不安にも葛藤にも正直に付き合ってやってくしかない、って思えるようになったのも最近のことで。歳をとったから見えたこともある。尤も将来の不安なんて、アタシの方がまさに現実的問題だわさ。凹。みんなみんな楽しい夏休みを。

〔帰ってきた親方劇場〕

ふう今日も暑くなりそうだぜ
なあ ヤス(←いつの間にかヤスになった弟)

ん?あいつどこへいきやがった


ごろ

ごろごろ

ごろごろごろごろごろ〜

ピタ
おおー この速さ 大八なみ




7/14 たとえばというかやっぱりスイカ 

 晴れて強風。すだれがバッタバッタと暴れまくってうるさい。洗濯機を2回まわして、床拭きをして、ラグをイ草の敷物に変えて、そうめん。展の余韻を残す物の山の片付けも、ぼちぼちと済んで、ヨッシャーといきたいところですが、どうも体の方が奮いません。地味な腹痛も続いていて、昨日は結局プールに行かず、鎮痛剤を飲んでじーっと横たわってそのまま昼寝・・・。ええ寝ましたとも。 しかしどうやらそういう周期のようです。先月は金欠で病院も検査もさぼりましたしね。ちゃーんとツケがやってきたってやつです。今日も少し前に薬を飲んだせいか、何となく頭はとろん、体もボーっとしています。スーパーに買い物に行って、何かシャキっとする果物が食べたいけれど、この椅子から動く気になるのには少し時間がかかりそう。

今日はこれだけ。


 赤くて目立つから、カラスとか鳥に見つかったら(持ってかれたら)どうしよう...と収穫が始まってから数日は心配していたのだけど、別に平気みたい。トマトはあんまり好きじゃないのかな。でもヨトウムシは青い実にもしっかり丸い穴をあけて食べていた。苺にも穴をあけたし。もちろん即刻ヤツらは遠くへポーイ。「二度と来るなー」と何度言っても毎年何匹も出てくる。ヨトウガめ。



7/13 疎遠

 また ぽつぽつと雨が降り出してきた。午前中のうちにプールに行って来ようか。  ぱちんと目が覚めた瞬間に、今日はなにをしようかな〜と思う、そんな日がようやく戻ってきた。もちろんやることはあるけれど、同じことを同じ分量やるにしても、「あれとあれをやらなくちゃ」と「あれとあれもやっておこう」では、随分と気持ちの重みが違うものだ。
 卒業ぶりに中学の同窓会の通知が届いて、へえ〜珍しいことするもんだと、幹事の同級生の顔を思い出してみる。トーキョー(都会)に強い憧れをもって上京して、新しいことを見つけることが楽しく、そこから10数年ほとんど田舎やそれまでの友人を振り返らずに突っ走ってきた。地元の友達とは偶然会うことすらなく、今ではすっかり疎遠になってしまっている。想像しようにも髪の毛のついた顔からして想像がつかないわけで(当時男子は坊主狩りだった)。逆にじゃが芋みたいな 1人1人違う頭の形だけは、なんとなく覚えていたりするから面白い。同窓会には、帰省の都合と合わないので行けないだろうけど、できれば隙間から覗いて「あああ、アイツがあんな大人に・・・」という20数年ぶりの衝撃をちょっぴり受けてみたい。もちろんこんなピーヒャラな生活をしている自分のことはとりあえず棚にあげておいてだ。
あだ名で呼び合っていた相手ばかり、今あったらなんて声をかけたらいいんだろうだなんてくだらないことを、考えてみたりする。この一枚のハガキに手を伸ばしたら、ぐいっとあの頃に繋がれる気もするけど、それを自分がとても望んでいるのかどうか、よくわからない。わいわいと友達に囲まれて清流に飛び込んでた夏はもう遠い。遠いなあ。



7/10 配達中

 焦げるほどの日射し。ベランダに手を伸ばしてミニトマトの赤い実をさぐる。今日は3つ。ジャっと水ですすいで口に入れる。温トマト。
光と対象に黒が黒い。木の影も、隣の家のよしずの向こうの部屋の中も真っ黒。黒のもとで人が少しほっとしてる。きっとおばあさんが涼しい格好でお茶でものんでるのだろう。ふわんと白いものが動いたように見えたから。夏の黒。
これから作品を辻堂へ配達。自分も真っ黒になっちゃいそうだなあ。どこかで帽子を調達してこよう。そうだ、帰ってきたらラグをイ草に換えよう。そうしよう。


おかえり



7/9 もう昨日には居ないよ

 これまで人に任せる、ということをあまりせずに物づくりをしてきました。もちろん私みたいなペーペーが自分の名前と共に世の中に出す作品などを作るには、それが基本だと思っています。そして1から10まで自分で考えて手を入れて、結果うまくいかなければ自分が責任を取ればいい。自分だけが何でも負えばいい、そう処理できることが気楽 とまではいかないけれど、そう、ふん切りがつくから、という心理も無いとは言えません。人生の端々での重要な決定も、そんなふうに誰に頼ることなく自分でポイポイ決めてきました。
ここ数年になって、「ここは人に任せよう」という思うが増えてきました。それは、自分も人と関わっていけるんだなあ、という発見でもあります。私の場合、物づくりにおいてその一端を誰かに任せることは、結構怖いというか、同時に見えない不安を持たされたような感じです。だからその不安をうわまる期待や信頼が持てない無い限り、安易に「任せる」ということもしません。「任せる」にはまず自分の方に大きな許容範囲というか、大きな心がないと駄目みたいです。言ったかぎりは、結果をすべて大きな心で受け止める。もちろん、納得しかねる結果の時もあるから、そんな時は、うまく消化できずに苦しいし、やっぱりひとりでやれば良かったかと思う。いつだってどんなことでも誰かとなにかをするのは、わくわくして面白くて怖くて不安。小さな煩わしさも嫌で、若い頃はずっとそういうところから逃れてきました。ワンマンな性格もあるでしょうし、甘えるとか頼るとかをあまりしない長女気質もあるかも。
それが、「任せる!」とそんなことを言える相手が出来たことは(もちろんその逆の立場も)、人生の成果で、その思ったら、モノの結果なんてきっと取るに足りないほど小さなことなのだと思ったりします。心が狭い枠内に居てそう思えない事の方が多いですけれどね。今もいつも通過点に居る。だから今から何をするかを考えようって、ここ何日かで思えるようになりました。30代後半もほんとに笑っちゃうくらい激動の真っ只中!って感じ。人生ってわからなーい。

 2010年の上半期の一番の激流はやっぱり『あお』でした。絵本の話から始まって、展示まで。いろんな意味で溺れました。醜く溺れましたとも。時間、生活、犠牲にできることはすべて犠牲にして、手放せるものはすべて手放した数ヶ月。(まわりは見る見る痩せ、でも私だけ痩せはしなかったのは何故...)
空気みたいな妄想案からのスタート、ゼロからの素材集め、モノだけが結果じゃないことを、痛いほど知りました。それは別に本だけじゃありませんね。なんでもそうです。人の手がかかっているものは。それに改めて気づかされたことも成果です。
少し息抜きしてから、またマーガレットプレスさんと楽しいタッグを組みたいです。というかすでに企みは続いてるみたいですよ。


 そんな『あお』の絵本をすこしだけ預からせていただき、私の方からもお届けできるようになりました。制作中に得た糧までは見ていただくことは出来ませんが、それは今後も作品を作り続けていくことでお見せしていければと思います。
どうぞ絵本『あお』をご覧頂き、率直なご感想をください。

ご希望の方は、メールフォームよりご連絡下さい。折り返し、その後のお取引についてご連絡差し上げます。
絵本『あお』 60ページ /一冊\2000 送料\160(メール便)。
(表紙)ハードカバー手製本/(本文)インクジェットプリント

『あお』の詳細は、タンバリンギャラリーのブログでも紹介してくださっています。
http://tambourin-gb.blogspot.com/2010/07/blog-post.html
タンバリンギャラリーにもすこし置いていただいていますよ。

 現在、7月に出来上がった第1版の残りが少ないので、今回のネットでの販売は おひとりさま一冊 でお届けいたします。
複数お求めをご希望される方には、2冊目からはご予約として承り、2版目が出来上がった際(9月頃)にお送りするようになります。
またお知らせしますね。


『あお』は両開き。両A面てとこです。右から読み物。ひっくり返して左側から絵と短い文の絵本です。

この絵だけ、原画展に原画がなかったという。なぜかってそれは・・・まあ大した理由ではありません。松虫草は茎の具合が好き。



7/7 七夕に

 曇りのち雨。時々風が強く荒れ模様。蒸す部屋よりも、外にいたほうが空気が気持ちがいいみたい。小雨が舞い始めた中をスーパーへ。随分と長い間、家でのんびりごはんを作るということを忘れていた。久しぶりに自分のためのごはんを考える。作ったのは、友達の家で食べて感動してからレパートリーになった鶏の茹で汁で炊くしょうがごはん。このしょうがごはん、自分で作ってもわりかし美味しく出来て、嬉しかったので自分も誰かに作ってあげたい!と 友達んちへ突撃ごはんを企んでいたのだけど、タイミング合わなくてまだ実現されず。きっと行くからね!
 菜は薬味たっぷりのカツオのたたきと収穫したきゅうりをなあやさんに頂いた梅味噌で。夏の食卓。梅味噌、頂いた時よりも徐々に酸味が濃くなってきて熟成されたみたい。考えただけでも耳の下あたりが きゅうっとして食欲がわく。最近は寝起きにきゅうり1本が定番。体熱をクールダウン。それにしてもどうしたことが眠くて眠くて仕方が無い。


収穫!どんなかっこうでも自分ちで育ったものは嬉しい。


 昨日はお友達の家で庭バーベキューランチ。来ればー?と呼ばれて、えー!行くー!とふたつ返事。仲良しふたりが楽しそうにジュージューしてますねえ。みんなで食べるから美味しいのと外で食べるから美味しいのと両方だ。
夕方は波乗り後のお友達に作品のお届け。海とかプールからあがった後のすこし気だるい体とモヤってみえるような景色、案外好きだったりする。来週は行けるかな。遊んで帰ってきたらちゃーんと仕事の連絡があちこちから。てへ。仕事あっての遊び、遊びあっての仕事。今日はがんばってますよー 逃げるなよ夏。



7/6 ぽつぽつ雨降り

 5月の途中から溜まりに溜まっていたデスクまわりの紙物類を整理。レシート入れにしている箱もあふれんばかり。こういう紙類がすっきりするとそれだけで結構モヤモヤしていた部分も精算される。よし、って感じね。まあでもまだ体と頭はぼーっとしているよう。さっきも雨が降りはじめたベランダを、眠ってるかのように長い間見ていた。
 ベランダではミニトマトが毎日1粒ずつくらい赤くなるようになった。冬から春とトマトが高くてもう何ヶ月も買っていなかったので、嬉しくてその場ですぐ食べちゃう。冷えたトマトも美味しいけれど、常温が一番トマトの匂いがして好き。トマトは葉っぱの匂いも好き。青いトマトの匂い。小さい頃の実家の畑を思い出す。親方も巡回。


あっしは鳶ですから、足場が細いほど燃えるんでやす


あ、おりーぶの旦那 ご苦労さんでやす
ぶひ


ぶーらぶーら
きゅうりもいい頃合だにゃあ