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『ひ なたのねこ』展に参加してます
7/26〜8/23  at 巣巣
8/1  草図鑑



  現在発売中のライフスタイルマガジン『nowa』(ネコパブリッシング)に、今号から草の連載をさせていただいています。自分もそうですが、なにげによく 見かけるのに案外名前は知らない草たちはたくさん。改めてもなにも案の定とても楽しくて、まだ生えない草たちに想いを馳せながら、むふむふとお仕事させて もらいました。そんな喜びゆえ、どの草も書きたいことがありすぎて全然まとまらず、原稿の文字数3倍くらいオーバーして送って、忙しい編集さんに余計な仕 事を増やしたに違いありません。すいません。読みやすくコンパクトにしてくださいました。
まずは名前を知ってみようという"初歩編”という感じでしょうか。スベリヒユなんかは、いま モリモリ育ってきていて、見かけるたびに(おいしそう…)と思うわけですけれど、まだ食べれちゃうよー的なことは胸のうちに秘めて?おります。
絵もあまりデフォルメせずに描いたので、見つけたらわかるんじゃないかな。次号は秋〜冬の 草。シーズン毎の連載になります。
それぞれにすてきな暮らしをされている方が、たくさん紹介されています。本屋さんで見かけたら是非見てみてくださいね。



7/31 ひなたのねこ



 昨日は、等々力の巣巣さんの『ひなたのねこ』展へ絵を一枚追加しに行き、猫空間となった店内で愛らしいね こ作品に癒されてきました。展示のメインとなっている山田稔明さんの愛猫ポチちゃんの写真がまたなんとも可愛いくて目を離せなくなる。今ちょうどポール ギャリコの『猫語の教科書』を読んでいるところで、この本は、猫が猫のために書いたという設定なわけなんだけど、野良猫がどうすれば人の家にあがれるか (飼い猫にしてもらえるか)いかにして飼い主をめろめろにするか、と冷静な人間分析を交えて自分たちのふるまい方をレクチャーしてて面白い。
で、なるほど。と、猫の賢さ、したたかさをふまえてから展示も観ているわけですけど、この本読んで学びましたね?と問いかけたくなる、なんとも思わせぶり で悩ましい愛らしさをふりまくポチちゃん。しっかりめろめろ。思うつぼです。人は、ふわふわとやわらかくてあたたかい時々すり寄ってくるものに弱いのです な。
4月に山田さんのお宅へお邪魔してポチちゃんと初対面したときには、これから少しずつ仲良くなろうとデロデロしたいのを抑え、控えめになでなでしていたわ けだけど、
まさか数ヶ月で亡くなってしまうとは思わず。とても残念。写真は、ヒックスヴィル中森さんと ポッちゃんを愛でている図。


こっちは実家で飼っていたねこ。ずいぶん長生きして大往生しました。ねこかいたーい。日向の匂いがするあのおでこに鼻をくっつけてすりすりしたい。で もやはり安易な気持ちでは飼えない、ということも、今回いろいろお話を聞いてぎゅっと胸にきざまれた。



7/30 水や滲みゆく



 ブーンと静かに首を振る扇風機の音で目を 覚ます。今日も快晴。朝一番は、冬も夏も変わらず お湯を沸かすことから。麦茶も温かいものを飲み ます。あとは最近ネトルとペパーミントをブレンドしたハーブティを。食が細ったのか、食欲が無いのかよくわからないけれど、食べ物はすこしでいい感じ。バ テているというより、体力が無いんですね、たぶん。台風が発生していい波がきてそうだけど、今行くと溺れるかもな。ボードを持って海まで出て行く のも、今年はどうもちょっと億劫。フィンだけ持って浸かりに行くか。その前に溜まった仕事を。その前に納品。その前に顔を洗う。あ、水やりしないと! はりきっていきましょう。



7/29  丘の上から



 海からの急な坂をへっぴり腰でハーハー息しながらあがっていったら、丘の上の庭には大好きな仲間たちが集 まってのんびりしていて、いっきに疲れがふっとんだ。なんとも風がさわやかで、ちいさく緑に囲まれたの空間で、関西の友の美しい作品を眺め、夕方まで外で 過ごす。ぼーっと空を眺めたり珈琲を淹れてもらったり遊んだり。たくさん喋ったような、なにも覚えていないような。とにかくぽかーんと。
うまくいえないけれど、場に大きな抜け穴があるのだな。そういう抜け感がちょうどいいのです。めいめいに好きなように。そのまんま。あー、この人たちには 甘えているんだな。こういうのを支えられてるって言うんだね、きっと。


はまちゃんの美しい切り絵。ガラスに映り込んだ木々のシルエットも作品の一部になってるみたい。



7/28 生命の盛り



 曇り空。やっと気温がさがってきたよう。助かる。外の空気が気持ちいいので、久しぶりにのんびり鉢植えた ちの前にしゃがみこんで葉っぱの様子を眺めてから、伸びきったミントたちをバサバサとカット。覆うようにヤマイモが蔓をぐんぐんと伸ばしていて、ばさっと 持ち上げたらムカゴがぽろぽろと落ちた。もうそんな時期だっけ?キミたちの用意周到さといったら頭が下がるね。月頭くらいにポイッと放っておいた枝豆から は芽がでていて、葉っぱを広げている。土がやけにふかふかしてるなと思ったら、カナブンがひそんでいるし、全く油断禁物だ。
昨晩は、大きいカナブンが部屋にも入ってきて、寝ている間ずっと暗がりをブンブンブブブブンとか飛び回っておりました。勝手に入ってきたなら、勝手で出て 行って欲しいのだけど、朝起きたらどこにいるのかわかりません。きっと暗がりにひそんでいて、また夜に出てくるのでしょう。カナブンは土の中に卵を生ん で、幼虫が根っこを食べまくって育つので、見つけたらなるべく遠くへポーイです。羽根があるものへのささいな抵抗。わざわざうちの小さな鉢めがけて飛んで くるなー。
 今日は関西から友が来ているようなので、海辺へお出かけをしたいのだけど、体がもやっとし ていてなかなか動けません。行けるかなあ。



7/27 今日もまたどこかで雷がおちてる



 先月から本格的に行きはじめた教場の発表会がひとつ終わって、すこしほっとした。人や場所や環境が変わっ ても、子供たち の演奏会はいつも楽しくてすばらしくて、そこに立ち会えることが嬉しい。発表会は小さいのも含めあと秋にひとつ、冬にひとつ、年明けてふたつってところか な。がんばれあたし。
 写真は、5月にオーダーしたスクランプシャスさんのブラウス。数日前に届いて、見るたびにうっとり。デザ インももちろんですが、細やかな手しごとと、なんといっても丁寧な始末。洋服を作られる方の中ではダントツの憧れです。はやく涼しくならないかな。




7/24 夏蝉の目覚め



 朝から蒸し暑い兆し。今年初のミンミンゼミが鳴きはじめました。「あ、鳴いた!」と時計をみると8時。ミィーンミンミンミンミンミィーン と勢いよく3回ほど鳴いてピタリと止まり、あれ止まったなと思っていたら、8時半ちょうどにまた鳴きはじめ今度は5回ほど鳴いてまたピタリと静かになりま した。今日のところはリハーサルというところかな。大暑となって、夏休み気分の子供たちがあふれて、さあ本番本番。こちらはいささかお疲れ気味。休み休み うまく乗り切っていきましょい。




7/21 夕焼け夕闇カラスウリ  



 海の日。世の中の三連休もわたしは毎日レッスン。夕闇がしっぽりとまぶたをとじるようにおりてくる中、涼しい風に吹かれながら駅からぽくぽく歩いて帰っ てきました。道すがら、飲食店の植え込みに蔓延ったカラスウリに、たくさんの白い花が群れるように咲いていて思わずハッとしましたよ。カラスウリの花を見 たことがある方は分かると思いますが、星形の白い花のまわりに細い糸をもじゃもじゃ絡めたといいましょうか、繊細なレースを広げたようといいましょうか、 綿飴をうっすら巻きつけたと言いましょうか、百聞は一見にしかずですが、これまた目を惹く花であります。あちらこちらで葉が茂っていたのは知ってましたけ ど、これまであまり花をまじまじと見る機会がなかったってことは、夜行性なのかな。なるほどまたしても夜の花の妖艶さにまんまと誘われてしまった人間の自 分です。



7/20 休日出勤


  みごとなくびれ。その細い部分はなにがとおっているのですか。虫に休日っていう概念はあるのかな。ないか?そろそろ巣は出来ましたかね。じきに新しい簾に 取り替えますよ。さて、わたしも出勤です。いつもの出勤だから、休日出勤ではないね。



7/18 小休止




 朝方まで細い雨が降っていた。そのせいか、だいぶしのぎやすい気温。周期的なこともあって体も動かないし食欲もわかないので、生姜と大蒜とネギでとった スープに冷やご飯を入れた即席おかゆをお茶碗にはんぶんくらい。
戸棚においていたパンにはカビが生えた。最近はいつまでたってもカビが生えないパンが多いから、
ちょっと 安心した。なにかしたいけれど、なにもしたくない。そんな日。いいよ、いそがなくていいんだよ。頑張れるときには頑張るから。



7/15 古書ウサギノフクシュウ



 すこんと青空。網戸越しに仕事に来たアシナガバチをじっと見ていたら、あちらも動きをとめてじっとこちら を見る。敵意がないことをじっと見つめることで伝えようと思ったのだけど、ハチと向き合うことに30秒保たず、邪魔してごめん な気持ちで引き下がる。でも その簾はわたしが買ったやつだから、とちょっと恩も着せておく。
 そんな一時を過ごしたあと、久しぶりの鎌倉へ行ってきました。今日のめざすは先月にopenした古書ウサギノフクシュウ。店主は永井さんのワークショッ プ仲間である小栗さん。西口線路沿いsahanと同ビル、sahanの奥のスペースに出来たので、みーやんのごはんも食べれるし、おぐちゃんの本も見れる しうれしいことこの上なし。
こじんまりとした店内には、スペースの半分を囲む大きな棚にセレクトされた本がきれいに整列していて、センスを感じる植物たちや雑貨がぽつぽつと飾られ、 終始あやしくにやにやしてしまう初訪問でありました。よく本棚を人に見られるのが恥ずかしい、みたいなこというじゃないですか。だったら自分が選んだ本ば かりを売るおぐちゃんみたいな古書店の人は、どういう気持ちなのだろうなってちょっと思いました。わたしはあまり本をたくさんは持っていないので、見られ ても恥ずかしくはないですね。うちで目につくところにあるのは、料理とデザイン関係の本がほんの少しずつと、あとほぼ植物関係の本なのでした。ウサギノフ クシュウには、関西の仲間が作っているBOOKLOREの本も置いてあります。ネットで手軽に注文出来る今だけど、やっぱり手に取って見て買えるのはうれ しい。今日は、古書の中から 猫語の教科書とハーブの本を購入させてもらいました。ああそうか、こちらの趣味もばれるね。まあ別にいいけど。
  小栗書店 もとい『古書 ウサギノフクシュウ』は、月・水曜が定休。(21日/祝 は営業とのこと)、お隣のsahanは、水と隔週で木曜がお休み。
www.usaginofukushu.com




7/13 ムクゲよ木槿


 
  涼しい風がふく。昼過ぎで仕事が終わったので、のんびりと帰ってきて、ほの暗くなってきた部屋の片隅で目をつむりたくなるような音楽を聴いています。日曜 の夕暮れを家で過ごすのは久しぶりで、ああ日曜ってこんな感じだったっけ となにかを思い出すひとつふたつ手前。ビールでも買ってくればよかったな。ベランダに赤く色づいたトマトが今朝は2つ3つあったような気がしていたのだけ ど、帰ってきたら消えていました。でももしかしたらそれは何日も前に見た記憶で、ひょいと自分がつまんで食べたんちゃうの?いや、いやいや。
そんなことを、拾ってきた手の中の木槿に問うたりして。木槿の花は一日でしぼんで落ちるから、これは間違いなく今日の話。 通りかかるたびに、ぽとりぽとりと落ちている木槿の花の数をみていると、その日に落ちた新しい分しか無いから、木のあるお家の方は、毎日きれいに履き掃除 をしているのだなあ。朝起きて、自分の庭を掃除をするのにあこがれる。
  空が焼けてきた。じきに日曜日の夕闇がやってくる。



7/11 イチニサンスーヨー
 


 夜のうちに嵐は去って、目が眩みそうな太陽と抜ける青空。今日もきゅうりから。夜のうちにレモン塩で揉んでおきました。さっぱり。梅酢に漬け たらっきょもいっしょに食べれば、シャキッと食欲も出てきます。きゅうりは、四葉きゅうりという、ぶつぶつとげとげがはげしいやつ。ぎゅっと詰まった感じ でコリっとしていて歯ごたえが好きなので、たまに見かけると買っています。葉っぱが四枚でよつば?と思っていたら、四葉はスーヨーと読むみたいですね。そ ういえば胡瓜は中国のお野菜でした。そうか中華か。今度はさっと炒めて醤油と酢で漬けてみようかな。本葉が4枚つくころから実がなり始めるのが、名前の由 来だそう。4枚か、早いね。なんだかお得感がある、と安易に思ってしまうわたしであります。夏の終わりに畑で爆発しそうに大きくなってる下ぶくれのきゅう りも、あれはあれで好きですよ。あれは薄切り塩揉みで酢味噌がいいな。と、こんな具合ですからいまのところまだ食欲旺盛ってとこ。かわりに甘いものはそれ ほど入らなくなってきました。
  なにせ湿気がたまらないので、首まわりと関節内側に自家製ベビーパウダーをぽふぽふしています。ラベンダーをパウダーにしたのを混ぜてあるのだけど、ミン トもすこし混ぜたらスっとするかな。


7/9 おやすみなさい



 細かい雨がまとわりついて、確実に体を重たくする。
ちいさな子の大きな黒い瞳を覗き込んだら、美しい夜がそこにいるようだった。今日はとっても疲れてしまったから、もう時計に蓋をしてまぶたの中に帰ってし まおう。静かに夜があけますように。 



7/8 苦瓜の花が咲く  アシナガバチが簾をかじりに来た日



 朝から日射しが出る。今日は気温があがりそう。洗濯物を干す傍らに、アシナガバチがやってきてすぐさまカ リカリと小さな音をたて簾をかじりだした。今の簾はだいぶくだびれてきているから、なるほどアシナガバチ好みだろう。そういうところまでよく見てやってく るわけだ。こちらはそろそろ買い替えようと思っていたから、存分に持っていっておくれ。
 苦瓜には雄花が咲いて、甘い香りをただよわせている。忙しさにかまけてポットから植え替えもできないまま蔓をあちらこちらに巻き付けてしまったので、結 実は期待してないけど、苦瓜はそんなこと露知らずこうして花を咲かせて、申し訳ない気持ち。と、きゅうりをボリボリしながら思う朝。
今日から小暑だ。いよいよ暑さがきますね。



7/6  半夏生


三十候 半夏生 はんげしょうず(烏柄杓が生える)

  ほんとだ。初めて烏柄杓(カラスビシャク)を見つけた。意外に身近で。これまでも見ていただろうに、気づくことができなかったんだろうなあ。
食べない草は、見事にスルーしていたんだわ。こういうことって、草に限らないのだろう。世の中には見えてない(見ていない)だけで、私が考えも思いもしな いことを考えて過ごしている人の方がきっと多いのだ。
 調べたところ烏柄杓はサトイモ科。食べれるぽいね。ちゃんと薬効もあるようです。ほおー。これが芋の仲間かー。おもしろいなあ。雨だからって籠ってる場 合じゃないですよ。もう夏草始まってます。いつか自分版の二十四節気 七十二侯を作りたい。



7/3
wish upon a star



  今年もちいさいのたちが生まれたみたい。放ったどんぐりからまた芽が出た。ぐんぐん大きくなる。前に芽を出して育っているのとは葉っぱの感じが違うから、 違うどんぐりなんだろう。
 今日はレッスン室のエアコンから時々ガガとか変な音がする…と思いながらレッスンしていたら、再びガガガと言ったその瞬間、中からずりっとヤモさんの しっぽがびろ〜んと出てきておったまげた。幸いヤモさんは無傷(たぶん)で、1年生のTくんにしっぽを引っ張って出してもらって無事外に救出。ダクトから 入ってきたんだろうな。出てきた瞬間、うちのヤモちゃんのが可愛い…とひそかに思ったのでした。こういうのは、なに馬鹿っていうんだろう。

 友達夫婦から嬉しい便りが届いて、便りの内容を思い出すたびにニヤニヤと笑みがでる。君たちがそこに居るというだけで、どれだけ頼もしく居れ ることか。ありがとねえ。体を大事に楽しくね。
 人にもそれぞれに薬効あると思うな。静とか動とか、活とか休とか、知とか笑とか。人生の多くは、そういうので、元気に生きてると思うよね。





7/2 まーだだよ



  晴れ。暑くなりそう。気づけばまた水曜日。そして7月。7月だよ。日々は前にはやくてうしろに遠い。
 昨日は、もう半日なにもしない!と時間を空けていくつか家の中のことを。スーパーで赤紫蘇をみかけたので、すこし早いかなと思ったけれど紫蘇ジュースを 作った。隣に並んで売っている香りのいい梅をなんども手にしてはくんくんとして迷ったけれど、去年の梅シロップはまだ2瓶ある。今年は梅しごとはお休み だ。紫蘇ジュースは砂糖控えめに。どうもお砂糖の入った飲み物はあまり体にはいっていかないよう。ときどき飲んでは、やっぱり夏は麦茶だな、と思う。
今日もこれを書き終えたら、よし!っと出かける仕度をして、そしてわーっと終わってしまうのだろう。明日に見つからないようにしなくちゃあ、まだまだま だ。




6/26 水ようびのこと



 ぺちゃくちゃ色鉛筆 こぼれてうたって とじてあふれて 青く塗られたソの音は 窓のすきまから 庭の木 にひっかかった風船を見つけて 高いところへ帰っていった ソのことは7月になんとかすることにする
それから 大舞台へのさくせんを練ったり 雷のゆくえを追ったり チアガールたちのスカートの裾に鈴をつけて踊らせたらどうかと考えたり もちろん鍵盤を そうっとなでて手なづけたり 音がくせっ毛みたいにひろがっちゃうのは雨のせい?と頭をひねったり まあ大半はそんなことをして過ごしたわけ 
とにかくお喋りをたくさんしたからつかれて 首はかっくんと折れて眠ってしまって 木ようびになってしまえば もうまったくの夢じゃないかとおもうよね  きのうのことにはもう触れなくて

とまあ、水曜日の新しい生活、久々にエネルギーを全部使い切った!吸い取られたー!って思いました。フル充電するのに時間がかかるんですわ。歳とってくる と。まだ35%ってところ。さていつもの木曜日。



6/24 宵待ちと待宵と月見と



 「待てど暮らせど来ぬひとを〜宵待ち草の〜や〜るせ〜えなさ〜」とね。この節しか知りませんが、歌詞はあってるのかな。昨日は日がな一日、秋の草のこと で頭をいっぱいにしておりまして、マツヨイグサを描きながらふらり唄う。哀愁のある女性の声で歌われたメロディーを記憶していますが、詩を詠んだのは夢二 なのです ね。昭和ロマン。この歌のおかげ?で、待宵草(マツヨイグサ)は宵待草(ヨイマチグサ)とも呼ばれるようになったみたいです。どちらでもいいですけど。
 長らくごっちゃになっていた待宵草と月見草。同じなんじゃ?と思ってたりもしましたが、月見草はカテゴリとして待宵草の中の一種で別名メマツヨイ グサ。ざっくり言えば、黄色い花を咲かせるものが待宵草、白い花を咲かせるのが月見草なのだそうです。月見というからどうも黄みを連想 するけど、そうじゃなくて白みのほう。英名のイブニングプリムローズは、たぶん月見草のことを指すんだと思う。ネットの文献だと待宵草全般を言う ようなことも書いてあって、いまいちはっきりしないけど、持っているハーブ事典にはそう書いてある。
黄 花の待宵草のほうは、この辺りでも歩道の植え込みなんかに茂ってぐんぐんと背を伸ばし、花を咲かせているのを見かけます。あとは河川敷とかに咲いているイ メージが。すぐにしぼむ儚い花、というのは表向き、咲いたそばから種壷を次々と産出して種をばらまいていく強いやつなんだわ。
 とまあ、草の名前もいろいろあるけど、月見も待宵も、秋にぴったりのいい名前つけてもらったね と、鉛筆を走らせ 唄を口ずさみながら、ちょっと先の季節に思いを馳せていたわけですね。



6/21 陽の長きのいたりなる



  夏至。二十四節気の10番目。夏至の次は小暑、次が大暑、その次は立秋。そう思うと暑くなるだろう夏をなんとか乗り切れそうな気が。同時に、海にいかなく ちゃ、西瓜も食べなくちゃ、夏の間にやっておきたいことをやらなくちゃ!と焦ってみたりする。そんなことも毎度のことで、たいていは、出来ることは焦らず とも出来るし、出来ないことは出来ないで、次の季節を迎えればまたその季節のことで頭も楽しみもいっぱいになって忘れていく。




6/19  人参の白い花がはじける頃



 晴れ。けだるさが残ってまぶたが重い。外の眩しさにも目をつむってじっと座ったまま。しばらく木曜の朝は こんな感じかな。昨日、顔合わせと引き継ぎを終え、来週から週一日ちいさな子たちがたくさんの新しい教場へレッスンに行くことになりました。仕事ですが、 ふたたび勉強の時がきたのだなという気持ち。
 自動販売機しか無い駅を出て、畑いちめんに人参の花が咲き乱れている脇をほんのすこし歩いて住宅街の中へ通います。どこの田舎?って思われそうですが、 横浜市内。横浜も広いからね。草もあるし、街場じゃないところが私にぴったりじゃん。
 ちいさな子らとのレッスンは、若いころみたいにきちんと声を張ってたくさん歌を歌うことになります。もう高音は出ないだろうな。すぐむせちゃって咳き込 んじゃうかもしれないけど、お腹はへっこみそう。好奇心あふれるちいさな瞳に、ちらちらじっと観察されているのを、なんともむふふな面持ちで感じ取ってお りました。わたしが教えてあげられること持ってることはもう全部あげるよ。そう思っていても、いつもこちらが学んでばかり。ありがたいことです。
(写真の吊り橋は、先日行ったクレマチスの丘)



6/17 しなやかな手を持つひとへ



 大事にしまっていた草からヒントをもらって、またひとつかたちが出来上がった。





6/13 光のもと 土のつぶやきあふれて



 晴れた!ラベンダーの花穂や伸び放題のミントを剪定。今年はやけにヤマイモの蔓も方々から伸び ていて、いろいろなものに巻きついている。そんなにムカゴを放ったっけ?と去年の自分の数々の仕業を思い返し首をひねりながら、若い葉は天ぷらにでもして 食べてしまおうと、こちらもチョンチョンと切り落とす。ああそうだ、増えまくっているユキノシタとカキドオシも摘んで食べてしまおう。夜は、天ぷらに蕎麦 をきゅっと冷たくしめたので決まり。昆布出汁をしこむ。毎年威勢のいいレモンバームが、なんとなくその力を発揮できていないところみると、土の中でヤマイ モが成長してきたのかもしれないなあ。それはそれで面白いけれど。
 日中にヤモちゃんが休息している場所がわかってしまって、暇があると覗いている。薄暗いわずかな隙間にまさに頭隠して尻隠さず。どうやらしっぽをぶっつ り切り離したようです。なにがあったのー。
さて、今日は絵を描きます。ラベンダーでも芳香蒸留水がつくれるのかな。試してみようか。とすぐに脱線。いけません。



6/12  ながむればながむる
 

「ながむれば ながむる 花の あるものを 空しき枝に うぐいすのなく」



  少し前にひいたおみくじの冒頭のうた。ぱっと読むとさみしげな印象に映るけれど、これに続く訳の言葉が気に入って目にとまるところに貼っています。情や らしがらみ、はたまたご縁を大事にとも思うがゆえの 人間にとって、なかなかむずかしいところを、ポンと前向きに背中を押してくれるのです。

〜古きをすてて新しきにつくがよい あまり一つの物にとらわれて役にも立たぬことを思ってはだめです 元気を出して捨てるべきはすて進むところへ進め〜 

中吉。結果もさることながら、うたを楽しみに引いてます。元気を出して ってところがいいでしょ。笑顔でいきましょう。



6/11 音色読み 



  無花果に小指の先ほどのちいさい実が顔をだしました。たくさんの水分を吸って、このあと晴れ間がきたらまたぷくっと育っていくはずです。わたしはというと 毎日眠くて隙があれば寝ています。春は早く起きれる日が多くて、これはとうとう俗に言 う 歳をとると早起きになる ってやつが私にも来たのじゃないか!と、ほんのすこし嬉しかったのですが(ロングスリーパーゆえ)ここのところの眠れ具合を考えると、まだそういうわけ でもないよう。気合いでしか起きれません。残念。日が長いのもひとつかもしれないですね。時間で、というよりも暗くなってからが夜。すこし夜更かし気 味。絶えまなく鳴る雨の音も眠気を誘います。
 ピアノのレッスンに来てくれている生徒さんたちが、ほんとうに皆それぞれの音を出すので面白いなあと、改めて思います。出来上がっている"曲”を意識し て弾くので、声色とはすこし違うかもしれないけれど、音色もまたその人の一部。 
レッスンでは、大抵最初にとりあえず弾いてもらいます。もちろん曲をどう弾けているかも聴いてますが、そこを重視してというより「あ、なんかいいこと あった?」とか、「あれ、体調悪いのかな…」とか、今日はどんな気持ちでいるのかなと、まずはそんなことを思いながら聴いています。何度も弾いているうち に、弾く方もこちらも気持ちが変わっていく ので、ほんとにその日のファーストアクトのファーストインプレッションだけですけれど。もちろん勘なんで、当てずっぽうって言えば当てずっぽう。ただなる べく真っ白な状態で聴くようにして、新しい音を楽しませてもらっています。ああ、聴診みたい。聴かせてもらってばかりなので、一番いい役ですね。
自分の音は本番以外あんまり録音もしないので、なかなか客観的に聴けてないですねえ。たぶん 弾きながら聴いている音とは違うはずです。毎回記録して聴いてみたら自己診断できるようになるかも。でも自分のは聴くのいやだなー。



6/9 台所の日



 空は白く、時折ぽちぽちと降ったりやんだり。近くの病院に喉と口のなかが荒れているのを診ても らいに行く。原因がよくわからないのも、なんとなくまあわかっていたような気がしたけど、あっ という間に終わって拍子抜けというか、総合病院で会計まで正味15分は早すぎだろ!と診察すらにわかに疑わしく思う。長ければ長いでぐったりするのだか ら、患者は勝手だね。また数分で帰ってきた。毎年6月7月はどこかしら不安になって病院に行ってる気がします。季節柄そういう時期なのかな。喉が痛いしお 薬はあまり飲む気がしないので、お灸を買ってきましたよ。ま、あちこちメンテナンスが必要なようです。
 仕事を広げてみても、ピンともすんとも進まないので、ごろり寝転んで目をつむって「あ」 と思い立って台所に立つ。下処理しておいた青山椒を炊く。ついでに昆布煮も。そうだ新しょうがを梅酢漬けにね。味噌漬けもしておこう。ごはんのお供が着々 と小瓶に詰められて並ぶ。合間、ちくわにきゅうりと出来立てのしょうが味噌をはさんでもぐもぐ。あー、文句無くうまい。こういうものはすんなり入ってい く。そうだ、鰯も煮ておこうと梅を放り込んで煮ました。外はまだずいぶんと明るいけれど、晩ご飯の時間ですよ。今日はほとんどちいさな流しとコンロの前に 居ました。考えることはたくさんあるけど、ぼんやり気味。って、のんきなことです。新しいミッションがいくつかあります。なんとかしませんと。でもこのく らいが、この季節には合っているのかも。みなさまもごゆるり。



6/8 手しごと
 


 曇り。部屋の中のすべてが 目をつむって口をつぐんでいるみたい。ほの暗く静かな日曜。わたしも黙ってテーブルに座って、外から聞こえてくる音だけをききながら、先日実家から採って きた山椒の実をほぐす。青い実をプツプツと細い枝から外すと指の先からすぐに爽やかな香りが立って、それだけで身体の中にすうっと空気が通るよう。まずは やっぱりちりめん山椒かな、昆布の佃煮もいいな。しばらく行方不明になっていた食欲もすこし帰ってきたみたい。自然の恵みは、「なるほど。だからこの季節 なのか」と思うことばかり。植物たちは、そんなことお構いなしってところでしょうけれど。人の体は暮らしている風土でも出来上がってますもんね。
 昨夜は、重たい胃をのせたまま仕事から帰ってきたあと、ごろりとカーペットに寝転んで、大事なものを守るようにてのひらをお腹にのせて、じわ り伝わる温かさを感じていたら、いつのまにか眠ってしまいました。自分の手で解決できることも、案外多いみたい。



6/6 入梅



 風はなく、真っ直ぐに午前も午後もざあざあと降る。ざあざあざあ。あちらこちらが水分を含む。 テーブルの板の隙間がなくなった。自分の中にも水脈が流れていくイメージをもつ。必要以上に留めないこ と。


ぁぃぅぇぉ macでの小さい文字の出し方がようやく分かった!HPも作成ソフトが変わったら、ページごと文字化けしてたりして、更新出来ないページがい くつか… 日記が大丈夫でよかった。ゆるりとやってきます。




6/1 水無月



 暑い一日。ベランダの際で長い夕方を過ごす。気配を感じで横を見たらヤモちゃん。夜を待ちきれ ず出てきちゃったかな。なにかをじっと見ていました。
透けたピンクのお腹。こんなにやわらかそうな生きもの、他にいただろうか。温度を感じる爬虫類。うちの守り神さまはどうやら代替りしたようです。



5/30 またまた真面目みちくさ



 新しいスケッチブックを買いました。どこかの定点観察をしようかな。



5/29  すずめの涙



 公衆電話ボックスの中から出れなくなって、ばたばたと暴れていたすずめを発見。ええ?と一歩後 ずさりしてからボックスにイン。同じ場所をばたばたと行ったり来たり隙間に入ったりで、ドアを開けたくらいではもうだめなので、捕獲救済。ほっとしまし た。その後に会った人に話したら、「にほん昔ばなしか!」と笑われましたけれど、何年かにいっぺん、鳥を救済する役目かもしれません。疲れていたのか、お となしく手の中におさまったすずめは思ったより華奢なちいさな生きものでした。すずめの恩返しの話ってありましたかね。舌切り雀は、どんなお話だったかな あ。昔ばなしは、どれもぼんやりあらかたは忘れてしまっています。
窓の外では今日もいろんな鳥たちが鳴いてます。トマトは無事。日差しが眩しくなって、ぐんと気温があがりそうです。




5/27  空豆のたわごと



 雨の降りそうな薄暗い夕方に、一番大きな鍋で湯を沸騰させ、空豆を殻ごとごろごろざあと放り込んだら、途端にずいぶん賑やかにぷつぷつぴゅう ぴゅう喋りだしたので、あれまとしばらく眺めておりました。こんなかんじの内緒話版を知ってるなと思い出したのが、アサリの砂出し。こちらはそっと暗がり から。こちらが目や体を離したときばかりに、ひとことふたこと。くちゅりと。お日さまに腕をひろげるように育った空豆と、砂にもぐって育ったアサリの性格 の違いですか。今日のわたしは静かに呼吸。アサリ寄り。



5/26  やかましヒヨドリの食卓



  ベランダのミニトマトが赤くなりはじめた。おとついあたりに、そろそろ収穫ねと思っていたら、昨日の朝に大声を出しながらヒヨドリがやってきて、その後 もなんやかんや騒ぎながら真っ赤に熟れたトマトをひとつお食べになって行きました。食べながらおしゃべりするんじゃないよ、ってお母さんに言われなかった のー?




5/20 木枯らしの森



 ひさしぶりの妹に会いに。静岡も市内となると駅周辺は私の住むところよりかなりの大都会です。それでもな んだかゆるんでみえるのが静岡という感じで。自分も向こうにいれば即その気質のみを吸収して、たらんと過ごしているわけです。

  静岡育ちといっても東部の人間なので、安倍川より西はぼんやりしか知りません。妹が市内に住みはじめて初めて安倍川の向こう側の存在を意識したといっても いいくらい。自転車ですぐというので、妹の自転車を借りて安倍川を渡り、その先の藁科川まで散歩に。山の緑がもりもりで、ひろびろ。人居ない〜。やっぱり 静岡がすきだー。誰の目も気にせず(居ないからね)野放しになってる犬のごとく、気の済むまで川原の草むらで草ウオッチング。陽にやけました。
 川の中州、こんもりと茂る森の中に神社があるそう。浅瀬を渡っていくしか道はないのだそうです。次はビーチサンダルを持っていこう。


  富士宮の本宮にはなかなか行けてないので、静岡のお浅間さんにもお参り。ここも家族を守ってくれる大切な氏神さまです。なんだろう山からいい香りが降って くるー、と空を仰いだら、境内中のクスノキに花が咲いているのでした。クスノキもまた育ったところとリンクする特別な木であります。自然と呼吸が深くなる 数日でした。



5/14 風をはらむものへ 

 幾重にもなったこのたくさんの隙間に、なにをふくんで隠してこんなにうっとりさせるのでしょ う。今日のわたしは自分の隙間さえうまく見つけられないというのに。




5/8 夏立ちてひかりこぼるる

















 イベント続きの4月が慌ただしく過ぎ去って、連休はモリモリ働いて、気づけばあちこち緑溢れて、夜が少し遅れてやってくる5月。
マシンのチェンジとデータやソフトの入れ替えで、オンラインの作業が追いついていませんが、わたしは元気にやっておりますよ。みなさまはいかがお過ごしで すか?2ヶ月くらい詰めこんでやってきたので、ふらりどこか旅に出たい気分。
 もうしばらくは、のんびりの更新になりそうですが、ときどきFBかinstagramで近況を。






4/13 かたちになってないところにこそ 豊かさがひそんでいるんじゃないかってね



  無花果、杜仲と枯れ枝のようだった木も芽吹き。野からやってきたのだろうタチツボスミレが咲いて、ミントもレモンバームもまたフレッシュで飲める季節。冬 の終わりに蒔いた菜っ葉やら、じっと季節を越えたユキノシタ、ドングリ、タンポポ、カキドオシ、三つ葉にセリ、覚えの無いものたちもどんどん空に向かって 伸びる。箱庭がちいさい野原になって、ビオラがどの鉢からもこぼれるように咲いているのを毎日毎日飽きもせずに眺めています。


  今年のテーマがふいっと浮びました。「かたちにしない」です。これだけだと"やらない"みたいだけど、それとは違って"整えようとしない"の方が近いか な。作るもののことですけれども、これって苦手分野だなあと。 ま、どこに落ち着くかはわかりませんが、そんなことも頭の隅っこにおきつつ、ますます気の 趣くままに。





4/12 folksongs around me



 17 日のライブ用に送ってもらったデモ音源を何度も何度も繰り返して聴いている。永井さんの声だと思うとずっと聴けなかった曲たち。山田さんが美しくかっこよ く歌っていて、今ようやく「ああこんな歌詞だったのか」と素直に永井さんの言葉としても聴けてうれしい。リストの中から選んでもらったどの曲を聴いても、 じーんとしたりわくわくしたりパクパクしたり。ほんとはお客さんとしてうっとり聴きたい気もするけど、山田さんや中森さんと一緒にほんのすこし私もお届け する側に。
なんどもなんども聴いていると、弾かれていない音やメロディーが聴こえてきます。それがわたしの弾く音なのかなと思う。それを実際の音に置き換えるのがむ ずかしいのだけど。今日から目は閉じて耳の中へとっぷり浸かるつもり。眠らないようにしないとね。



□「人をつなぐことと永井宏」トーク&ミニライブ 
4/17(木)19:30〜  ≫at 巣巣

/トーク 堀内隆志(cafe vivement dimanche)、小山千夏(fabric camp)、南里惠子
/ライヴ 山田稔明(GOMES THE HITMAN)、中森泰弘(HICKSVILLE)、イシカワアユミ







4/2 卯 - ぼう



 4月。 なんで "卯"?とふと思って調べたら、卯=ぼう(茂)なのですね。なるほど。まさに茂る季節だ。たまらずお針子仕事の合間に、草の様子を見に行ってきましてご覧 のとおりです。萓草がいいころでにんまり。さっと湯がいて酢味噌でシャクシャクといただきます。
ツクシのハカマ取りで、指がアクだらけですが、今日からひとつ新しいことを始めます。やってみる。加えて4月はイベントが目白押し。これまたたのしくなり そうです。


ベランダにも緑が増えてきました。タネツケバナはあちこちに咲いて種の用意、山椒は2年目の芽吹き。

3/31 みちくさ展ありがとうございました



 2週間の鎌倉、いらっしゃるいろいろな方とお話したり、のんびり窓の外を眺めたりしながら、やっぱり人を迎える場所というのはいいものだなあと改めて思 いました。そこは自分も通える場所であって、居場所でもあるということが、安心するんだろうか。
窓の外に少しずつ春が来ているのをぼんやり眺めてばかりのお店番でしたが、好きなようにやらせていただいて、居させていただいて、千夏さんにはほんとうに 感謝です。ありがとうございました。
 さて、おすましみちくさは終わりましたが、本番はこれからでしょ。みちくさしがいのある季節です。みなさまもよいみちくさを。



3/25 西日売り



 今の時期、fabric campには15時くらいになると西日が差し込んで、午後の穏やかな時間をさらにゆるやかに演出していきます。でもそれに気をとられてぼんやりしている と、みるみる間に時間を吸い取るようにして山影に去っていくのだから、油断なりませんよ。
しかしこの季節のガラス越しの陽の光と暖かさったら、なんてやさしくしあわせな。もし切り取れるものならば四角いちいさな鏡にいくつも閉じ込めて、やさし い西日売りになろうと思うのです。

  今週はあと土曜日にお店に居ります。今日はフレッシュハーブ入りのバスソルトと、少々くせの強いヤーコン茶葉をおいてきました。ヤーコン茶、飲みにくい場 合は例えばコーン茶とか炒り番茶とか、香ばし系のお茶にすこしブレンドして飲むと飲みやすいかと思います。栄養価は高いみたいですね。実家で採れた無農薬 の葉っぱです。軽くローストしてあります。




3/19 シーズンイン



  今年の草は、いつもより半月ほどのんびりのようです。雪の中じっと眠っていたせいでしょうか。わたし自身も、ここ数日でようやく口が草を求めてきました。 それまで半月くらいはこちらも旬の海草ブームで、若布、昆布、メカブ、ひじきをもりもり食べておりました。春の海草ブームは初めてで面白かったです。いつ も草に押されてるんですな。きっと。
今いっぱい落ちてるよーと聞いて、海草拾い熱も微熱中。鎌倉に通うあいだに一度行ってみようかな。




  そんなこんなで、昨日は久しぶりに台所にちゃんと立って、やっておきたいことを全部やりましたよ。のびる味噌、ふき味噌、タンポポのナムル、アシタバの ペースト、塩漬けしておいたアンチョビいわしをオイル漬に、ついでに塩麹と柚子胡椒入り醤油麹もつくっておきました。とりあえずこれでご飯か麺があればし ばらくやっていけるはず。そして次のお休みには草摘みです。
さて、いざ鎌倉へ。fabric campにいってきます。



3/18 BLOW



  春一番が吹いて、きぶしの花が咲きました。外で見ると地味な印象の花ですけど、こうして一枝かざって眺めてみるとほんとにかわいい。七五三の時につけた髪 飾りみたい。枝が弱いのか、雨風が強かった日のあとにいくと、よく枝や房のままポロリと落ちています。これもたぶん雪で折れてしまったのだろう枝を拾って きました。今日もこの風で落ちてしまっているかもね。
 今日はすこし落ち着いて身のまわりのことを。ゼロに戻しつつ態勢をととのえて、また制作に戻るために、今日はしたいことだけを自分のために。雨の前に種 蒔きも。




3/17 道草中



 fabric campの道草まつり始まりました。うちにいたあれやこれやをお店の白い壁に並べて飾ったら、あらなんだかいつもと様子が違う。ちょっとお洒落になったん ちゃうの?そんじゃそこらの草たちが、外国っぽいねとか言われて、わたしはちょっともじもじ嬉しいような気恥ずかしいような。初日の今日はこっそりとお店 の奥でハーブを調合しておりました。外国にも草は生えてるだろうね。見に行きたい。
 道草まつりは、29日まで。木曜、日曜は定休。わたしは、今週は19,21,22に行く予定です。来週は草を摘んで持って行こうかな。仕事あとに行く日 もあるので、居る時間はまちまちですが、居てもいなくても遊びに来てください。
 



3/12 それぞれの季節から



 美しきものたちよ。出番です。並べてみては、ほぉぉぉぉ。これ以上なにがいるっていうんだろう、と思わずにはいられません。とはいえ、自己満足にばかり 浸っているわけにもいかないのですが、ひねりだすものはボツボツボーツばかりで、ここにきて呆然。
ど うもわたしが作りたいのは、品よりも空気間に近いようです。こっちはなにを心配せずともバッチリ出来上がるはずです。なにしろ私の一部が移動するようなも のですから。そしてなによりその空気をわたしは少しばかり皆さんに観ていただきたいのだ、と 今気づきました。いや、もちろん布のものたちも生み出したい わけです。(たぶん8割方ここが大事なので)
しかし何年やってもいつまで経っても全く量産体制ができません... やり手になりたいんだけどー。なにが足りないのだろう。




3/11 桃花始めて笑く(さく)



 笑うと咲くは、もともとは同じ文字だったようですね。咲いてる様は笑っているようですものね。今日も日がな制作です。3年前も制作をしていました。
とじた蕾がほころんで、にっこりが一輪でも多く咲く世界でありますように。




3/6 ちちんぷいぷい



 啓蟄。つぎつぎと花がひらいていく。雄しべの数に卒倒しそう。逆ハーレムだ。花の中がひとつの国のようだね。
  作品の制作を悶々?と。なにか生地を使って作らねばと思いつつも、なにかにつけてこれまで描いてきた草のスケッチを眺めたり、また描き足したり。なんの後 ろめたさもなく草のことばかり見たり考えたりしていいなんて、なんて幸せな時よ、とここぞとばかりに大して作品は生みださずに喜びにだけ浸っております。 すこしなにか間違えているような気もするし、あとで焦ることになりそうではありますが。
好きだ好きだといっても、たくさんの知識があるわけでもな く、一度調べてもあまり覚えてもいないので、なんども同じことを調べたり見たりするわけですが、その度に新しい発見や興味が派生して、一粒で何度も美味し いので、とにかく楽しさが尽きません。ふとね、知らないでいることも、いつまで経っても飽きない理由かもなあと思ったりしました。とか言ってにやにやして ても、魔法で作品が出来上がるわけでもないんだから、夜はお針仕事にシフトしよう。
 風がつよくてガランガランと音が鳴ってる。風と気づいたときにはその風はもう路地を抜けて、つぎの風がまた通り過ぎて。 時間をみているのだな。




3/3 道草まつりと春のいろいろ



 しっとりと雨が降って、大雪にすっぽり埋まっていた自転車がようやく全貌をあらわしましたよ。道端のナガミヒナゲシも葉をひろげ、種ミサイルを放出の日 にむかっての準備が始まりまって、ちいさな虫もちらほら。芽吹きのように春の予定もあれこれと。

  数日前にとんとんと話がまとまって、ちいさな展示が決まりました。大好きな鎌倉、fabric campでのまつりです。fabric campは、いろいろな国の布やパーツのお店。すっきりシンプルな空間にカディやリネン、コットンが色とりどりに並んでいます。それだけで充分かわいいの ですが、まあ、まつりということで、しかも草!草!言うてたら、道草まつりになりましたんで、ひょいとたのしく道草していってもらえるような、そんなモノ を作りたいなあと思っています。そう、思ってるんですよ...まだ。作ってるんじゃなくて...。やり始めると早いけど、なにをつくるか決まるまでが長い んでした、自分。
fabric campのブログで千夏さんに素敵に紹介して下さってます。が、なにやるの?のあたりは靄に包まれております。本人がこれですから。布×草?
でもなんだかわからないけど愉しそうー!だから愉しいと思います!作りながら、余裕があったらパピルスノートでお知らせしていきます。
fabric camp の face book


 それから4月には世田谷の巣巣にて、今年も永井宏さんの展示が催されます。その関連イベントにいくつか参加させていただくことになりました。
ライブが2つ、4/17 トークショー&ミニライブ、4/26 象の音楽ライブ と、期間中のワークショップです。象の音楽 は、嬉しい生ピアノ!今回は新しい試みを盛り込んだライブ形式になりそうですので、ぜひぜひ。よろしくお願いします。こちらもまた近くなりましたら、再度 ご案内いたします。 ≫詳細は 巣巣のHPにて



2/28 つごもり



 樅のバーム。表面張力失敗の巻。
頭の中が創作に傾こうとしているけれど、まだついていけてない感じ。目の前の分かりやすい仕事をこなすのみ。




2/25 冬を脱ぐ日



  靴下を履こうとして、あっと思う。クローゼットから何気なく出して手にしたのはもこもこのウールじゃなくて、柔らかい麻の靴下だった。こうやっていつのま にか厚い上着も着なくなる日が来るんだな。その日は近いのかも。やっと暦だけじゃなくて自分の上に春がきたと思う朝。いや、靴下はまだしっかり重ね履きし てますけどね。





2/21 まぶたのふりつむ



 独り言をひとりで聞く
 ゆっくりと雪の雫が音を刻んで
 ふくらみかけた蕾の中は
 明け方のまぶたのふりつむ時間にいるみたいだよ




2/17 キーワード




  コートを脱いで、靴下を脱いで、寝て起きて思ったのは、まだはっきりと輪郭はみえないけど、なにかを孕んだようだ。山の際にオレンジの夕日が暮れていくの を見ているみたいな、ぼーっとしたあたたかさと光。うまくふくらんでくるかな。ぽとりと落ちてくるだろうか。届きそうでまだ届かないところに言葉が佇んで いる。



2/15 静かなブルー

 腰の高さほどに吹き溜まった雪を、ちりとりでサクッサクッとレンガくらいの大きさに切り分けるようにして、脇に積み上げる。午前と午後と1時間ずつくら いかいて、幅30センチくらいの小路を階下に続く階段まで。
表面の白さばかりしか知らなかったけど、雪の色はブルーだ。マンモスはこのブルーの中で眠ったんだな。




2/14 風雪

 ふたたび雪。積もりはじめの感触は、先週よりすこし水分 が多い感じ。一日降りつづくとの予報。ときどき、だれかがふーっと屋根から散らした雪がパサリと 落ちてくる。窓越しなのに、まつげにかかったような錯覚。雪を落とさないように目をつむって静かな呼吸をききながら作業をするような日。



2/13 流水



 水の流れる音がきこえたので、ベランダへ首から顔だけ出して外を眺める。姿は見えないけれど、高い方から低い方へ水が走っているのがわかる。寒空は白く 押し黙ったまま。静かな午後。そういえば、前にメジロを拾った日もこんな感じの日でした。鳥たちはどこにいるのだろう。
朝風呂に長く浸かって、ようやく体も自分も雪どけ。一日でとけることもあれば、一年かけてようやくとけていくこともある。なんて昨日からひとりでだんま り。
 考え込んでいるわけでも、思い悩んでいるわけでもなく、これからなにをするんだっけ?本当にやりたいことってなんだっけ?と思いながら、ただ落ち着いて いる。やりたいことに本当も嘘もなくて、思った時そのままなんだけど、どうしてそう訊かれるんだろうか。"本当に""なにを"やりたいか? それって大事なことなのかな。多くの人が、"今"とは別のそういうことを思っているってことかな。私は春を待ちながら、つぎの気配を待っているよ。先のこ とは、どれだけ先かはあまり重要でなくて、近くても遠くても"先"の気配が感じられたら、自分からちゃんと飛び出していけると思う。呑気だし全然パーフェ クトじゃないけど、毎日は流れる水のようにいつも新しくて本当だ。


2/11 おわりとはじまり 


  秋から準備していた演奏会が終わりました。どの奏者も演奏後には一時の緊張から解放されて、徐々に空気がほよよ〜んと緩んでいくのがわかりました。おかげ でたくさんの笑顔に包まれながら睡魔に襲われました...。ホールのピアノは弾きやすくて、私自身も、嗚呼こんなに気持ちよく演奏したのはいつぶりだろう かと、珍しくほっとしました。緊張しいなのでね。とにかく、どんな情況でも弾けるよう、寝起きで弾く、ごはん後、雪で遊んだ後、帰宅直後、お風呂あがり、 コートを着たまま、と、いろいろで練習しましたよ。ほんとに緊張しいなのです。特にクラッシックは間違えると、曲を知らなくてもバレますからねえ。
と、終わったー、な安堵に油断する間もなく、新しいことが始まります。なんとこんどは英語を喋らなくてはいけなくなりました・・・。どうしたもんかね。こ れこそ未知です。学んでいく時のようです。

※写真はとくに意味ないです。寒いからね、毛むくむくで。

 

2/9 雪の日とあくる日


よく積もりました。とけはじめてようやく遊ぶ気に。


音をすいこんでいく夜の雪、粉雪を舞い上げながら回転する風の姿、チェーンを巻いて走る車の音、雪が雪の中へとおちる音、うっすらと蒼い雪の色、早朝の雪 かきの音。
凍結止めなのかな、うんと寒い日にちらちらと線路に火を焚くでしょう?今は火自体は焚いてないのかもしれないけれど、駅のホームに漂ってくるあの石油の匂 いがなんとも好き



ちりとりが大活躍。


お隣さんのドアの前まで切通しが開通。あとはたのむよー。それまではお篭りか。滑り台化した階段がこわいので下界には降りられません。ソリでも怖い... すべらず飛んでしまう。。。と、ソチオリンピック、ジャンプのニュースを見ながら思う。
西日が射して玄関の方がとけないと、明日とか明後日とか、これからのほうがやっかいかな。

実家のほうもよく積もったらしいです。静岡市内の妹のところは相変わらず全く降らなかったようで、しきりに羨ましがっておりました。分けられるものなら分 けてあげたい。かわりに暖かい日を分けて欲しいお年頃。




2/7 ヤングなピアノとイメトレ中



  旧暦七草も過ぎたので、そろそろ初摘みに行きたいと思いつつも、寒い寒いと腰があがらない。四十肩らしい右腕も真横からだと真っ直ぐ上にあがらない・・・ 鍵盤を弾くには肩や上腕はあまり影響がないのでよかった、といえばよかった。とにかく本番前で、流行り風邪にのらないように、うがいは「あー、おー、 うー」。ティツリーやユーカリオイルを焚いたりお風呂に入れたり、エルダーフラワーのお茶を飲んだり。がしかし、一番気をつけるべきはホットカーペットに まるまって寝てしまわないこと。ひとり暮らしは、こういうとこが堕落しがちでいけない。コタツは絶対導入してはいけないだろうな。自分。
  短いオープニングアクトをやることになって、3曲ほどの候補でまだ迷っている。当日リハで触った感じで決めようかどうしようか。勝手を知ったいつものホー ルのピアノは、物腰の柔らかくなった初老のスタンウェイだったけど、今回初めて行くホールのピアノは、若いスタンウェイだそうだ。そうか、若いのか。若い のね。ちょっとした緊張とワクワクと不安は、まさに若いボーイフレンドに会いに行くような気持ちだ。
このあいだ聴いたへニングさんの曲を弾いてみようかな。世田谷美術館のスタンウェイも、まだ若いんじゃないかなという感じの音だった。だからどきどきした んだろうか。





2/5 ローリング鰯



  近所のスーパーに江の島のシコイワシが並ぶようになった。安いし、刺身も美味しいし、オイルサーディンにもいいよねー、でもちょっとの手間が面倒くさ い...と見過ごしてきました。が、みんなそう思うのか、いつもさらに安くなっても売れ残っている。あー捨てられてしまうのかーと、じーっとシコイワシの 前で佇む。見つめる。考える。見つめる。一歩動く。佇む...。 ま、少しの手間なんぞやってやれ!と手を伸ばしましたよ。今日は面倒くさい ! に勝ちました。迷わず勝てる日もあるんだけどね。
そして帰って来てすぐにやるに限ります。まずは保存用にアンチョビ。最初に要るのは塩の み。フィレにして塩をして、ロールしてイン。容器の関係でロールしたけど、しなければもっと楽。やってみれば少しの手間は、ほんとちょっとのことでした。 こりゃ簡単だから、もっと作って、山の友へのお土産にしよう。発酵中にあがってきたドリップも、その後熟成しておけばナンプラーに。いやあ、塩ってすごい ね。
春キャベツが出回る頃には出来るはずです。(春キャベツとアンチョビパスタの妄想中) ああ楽しみ。でも早く食べたいから、また買ってきてオイルサーディンもするつもり。へへへ。こういうのを味をしめたっていうのかしら。
(生のまま保存するアンチョビの場合は、なるべく新鮮なうちに買ってきて作るのが良いかと思います。)





2/4 春立ちて



  「はる〜は な〜のみ〜の かぜ〜のさむさや〜」と、ふいに口をつく。なんという歌だったっけ。数ヶ月前はずっと「し〜ずか〜な〜し〜ずかな さーとのあ〜き〜」だった。窓辺で暮れてゆく秋が毎日美しくて。どちらの歌も続きを忘れてしまったため、ついついそこばかり。日本のうたのシンプルなメロ ディや言葉がうつくしいなあと、最近よく思う。おばさまたちがコーラス隊みたいなのに入る気持ちがなんだかわかってきた気がする。
 こまかく降りだした雨が、気配を伺いながら雪になろうとしている。今日こそは雪に変わるかもしれない。
昨日は暖かい一日だった。電車にじっと乗っているだけでじんわり汗をかいたりしたので、もしかして熱でも出たのか?と心配になったりしながら逗子へ。久し ぶりの葉山。秋谷の丘の上へ。永井さんの作品を見せてもらう。
気 持ちの好い庭には、海からの風と山からの風がふぉーっと吹いていた。こういう高いところで風をうけていると、夢の中みたいに飛べるんじゃないかと時々思 う。あわせて体をひらいて大きく呼吸。節分の海苔巻きやきれいな色のお麩の浮いたお吸い物、煮物などお昼からご馳走をいただいて、お喋りをきいたりした り。水仙が咲き乱れて、椿がぽろぽろと落ちて、夏枯草のなごりのカサカサの脇には寒さを絶えているハナニラの葉、日向の菜の花、梅のつぼみ、光る水平線。
  ワークショップに通っていた頃のわたしは、お喋りがうまくできなかったし、人に会うことももっと少なくて、独りの時間が多かった。だからなにかで表そうと して作品をつくっていたんだった。最近は下手くそさは相変わらずだけどなんだかお喋りになったし、気をゆるした友人に囲まれて ぽかんとこころを開いちゃっている時も多くなった。困ったな。作家で居るには無口と孤独が必要だ。




1/30 きらきらと降って芽を出して


 
 半日ほど、ぽしゃぽしゃと弱く雨が降りつづいて、夕方の空気がほぅーっとゆるんだ中をレッスンへ。嗚呼、やっと地面にしみる雨が降って、草たちがよろこ んでいるだろうな、と、先日様子を見に行った草場のことを思い出す。
霜 で何度も立ちあがりながらやわらかくなったのか、枯葉の下の地面はとても柔らかで、ぽすんぽすんと少し沈みながら歩いた。ところどころでタンポポが、半分 隠れながらもロゼットを地面にぺったりとひろげていたり、積もった枯葉の下にユキノシタがちゃんと群生していたり、まだ摘むには忍びないセリが、木から落 ちてくる水滴を待っていたり、とてもゆっくりとだけど始まっている。ひと雨きて、そのあと気温がすこしあがったら緑はぐぐんと増えるだろう。そんなことを 思ったのを思い出しながら、湿った空気にホクホクとほくそえんで、傘をくるくる回していたわけです。ふふふ。
 レッスンは、年に一度の演奏会前で 大詰め。子どもたちみんなが1週間毎に、どんどんときらっきらした音に変わって、生き生きと楽しげに弾いているものだから、ほんとうにすばらしい。おまえ たちサイコー!と、抱きしめてチュウをしたい気持ちを、鼻の穴をふくらませるくらいに抑え込んで、もっと引き出せるものはないかと貪欲になる。が、自分の ほうがずっと引き出してもらっている。大人も子供も、ここまで、なんて終わりはないのだ。ずっと続いていて、変わっていってもいい。





1/29 クルミパンのときはじっと見ていることにする



 メダカに話しかけていたら、パンを真っ黒に焦がした。うちは直火で焼いているので、油断すると焦げるわけだけど、最近よく焦がす。大好きなクルミパン だったから今日はちょっとへこんだ。
  数日前にめだかの甕にしているガラスのフラワーベースの上に物を落として、上半分がバリンと割れてしまった。鋭利に割れて、危険な感じなので、おそるおそ るエサを落としつつも、かろうじて下半分が水を保っているので、新しい容器が見つかるまでとそのままにしている。それで、エサを落としやすい位置にメダカ を呼んでいたわけだ。来なかったけど。
永井さんのアトリエからもらってきたフラワーベース。あの日、片付けに出向いた友たちがめいめいに少しずつ何かを持ち返りながら横須賀線に乗った光景を思 いだした。
す ごくショックを覚えるかとおもった。いや、ショックを受けたかったのかな。ひと目でもう使えないと分かる状態に割れたフラワーベースを見た瞬間思ったの は、"そういうことか"だった。そういうことか、ってどういうことなんだかわからないけど、わからないことはあんまり大事じゃないように思う。わからない ことはわからない。起こったことにいちいち理由をつけたり、考えをこねくりつけないことにしよう。フラワーベースは割れた。内側を覆った緑の苔を、やだ なーと思いながら洗わなくてもよくなった。あの日の思い出が、モノから記憶の中にしまわれた。
パンが炭みたいに焦げるときは、たいてい炭みたいに焦げたところでわかる。途中はない。




1/27 道のもっと先ばかり見ていたら大事なところを見落とした



 とても久しぶりに自転車に乗る。ツイツイツーイと鳴きながら跳ねるように低空飛行する鳥のあとを追いかけて、すいすいすーいと走ったらあっというまに図 書館について、本を返却してから、ちょっと草場の様子を見に行って、またびゅーんと帰ってきた。そうか、こんなに快適にすいすいと進むならば、また普段も 乗ろうか、と思ったけど、鳥のしっぽを眺めて走った以外、道中なにかに気づけたんだっけ。便利っていうのは、なにかの時間を省くことなのかもしれないな あ。




1/26 Schnee



 重なった雲のむこうから陽がさして、ぼんやりと明るい。寒いのだか、あったかいのだか、家の中に居るとよくわからない。
と、遅く起きた朝に洗濯をしながら書き始めて、ふとメールをチェックしたら、スパムフォルダーの中に、キャンセル待ちを申し込んだ ヘニング・シュミートさんの演奏会のお返事が届いていることに気づいて、あわてて確認。ラッキーなことに入れるって!って、今日だよ!何時から?と慌てて 世田谷美術館まで聴きにいってきました。
 CD は、あちらこちら友たちの店で流しているのを耳にしていましたが、やはり生というのは特別ですね。こじんまりとした講堂とはいえ、スタンウエイを間近に覗 き込むような位置で、こちらもnowの状態で聴くわけです。そういう自分のどきどきや場の息遣い、時間を含めすべて生きている中での音。生演奏の生は、生 きているってことなんだな。そのとき産まれて消えていく音。
時間ギリギリに駆けつけたので、手の動きこそ見えない席でしたが、足元もピアノの中も よく見えたので、しばらくはペダリング(とくに左足)の妙技に釘づけ。そして抜けるように響く音はもちろんだけど、弱音の美しさにためいき。隠されてこ もっているようで、ふところから次々とこぼれ出てくる確かなあの音。そうかあれが雪国の音なのかもしれないなあ。
思いもよらず、ご褒美をもらったような日曜になりました。パソコンを立ち上げてよかった。

東京公演は終了しましたが、まだ全国をまわるようですよ。
Hennning Schmiedt /Japan Tour 2014 『Schnee』



1/22 ひなたへ肩をさしだす日



 たくさん夢を見て起きた。現実的なものであったり、時代物であったり。
  昨日は学園の50周年パーティへ。ときどきお手伝いしたり、木管の演奏や講演を聴いたり。昼間の開催ということや、創立者の先生方が年配ということもあ り、自分より年上のお客さまばかり。こちらは知らない方ばかりなので、もりもりとご馳走を食べて、うろうろと立っているばかりだったけれど、にこにこと歳 を重ねたお顔がどなたもやわらかく素敵で、和やかな場にいるだけで、なんていうか娘や孫になったような安心感すら感じました。不思議なものです。みなさん のたのしそうにされている様子をみていたら、父や母もこうした楽しさに満ちた時間をすこしでも多く過ごしているだろうか、とふと思ったりしました。
母 ほどの年齢の茶道家の先生がいらしていて、ゲストにお抹茶(おうす)をたてて下さっていたのですが、その所作が美しくて、吸い込まれるように近づいてじっ と眺めておりました。お茶のことは全く知らないので、ずずずと飲んで、気持ちくるくると器を回してみたりしてみましたがね、「美味しく召し上がって頂けれ ばいいのですよ」、と仰ってましたので、美味しかった!という気持ちのみでいただきました。 器のこと、お道具のこと、使い方、お干菓子のことも丁寧に教 えてくださり、ふむふむ、へーとなかなか興味深い世界です。親だったら未だ素直にこんなふうに聞けないのかもしれないなあ。親もひとりの人。でも親だ。
慣 れているからよかったり、慣れ合いが嫌になったり、子供は勝手だね。でも教えてもらえるうちに、組紐を習っておこうかと、ちょっと思ったりして。と、まだ 親から得る気でいる。してもらいたいこと、してもらったことは、いくつも思いつくのに、してあげたことは、思い出せない。きっと、ただ気の済むまで話の相 手になってあげればいいだけ、そんなことなのだろうけどね。




1/20 ささやき 聞き耳 


 大寒。内臓がふるえるような寒さ。そうだそうだった、こんなふうに寒いんだった、とふるえてやっと思い出す。不思議と毎年忘れるんですよね。夏のうだる 暑さのことも。
 早起きして出かける日が続いています。家を出る時間は、そう早くもないのですが、なにしろもう何年も、というか十年以上 単発的な用事以外、朝から出かける日が少なかったものだから、ああ明日から早起きだ、と思うと、前日から起きれるのか間に合うのかと緊張です。なのにプツ とつけたテレビを見入ってしまったりするのですよ。
  普段、寝る前につけて少し見て寝るという習慣があるんですね。なので何か番組を見る、というより癖みたいにつけちゃうんだけど、こないだ よし早寝するぞ!と早くにお風呂に入ったにもかかわらず、やっぱりプチとつけちゃったらゲド戦記をやっていて、前にも観たなあと思いつつも最後まで見入っ てしまいました。で、どうして最後まで見ちゃったんだろう...と、考えたわけですよ。特別に面白い!とか、好きとか、そういう映画でもないのになあと。 でもたぶん、つけた瞬間に映っていたのが、クモ女?魔女?でね、あの声にやられたんだとおもう。じっと耳をそばだてないと聞こえないような、意図的に小さ いあの声。聞きにいってしまったわけですな。自ら。あの声を聞く為に、最後まで観てしまったような気さえするもの。
 そういえば、そうだ、物静かに穏やかに話す人、というか、そういう話し方に憧れている。思い浮かべる幾人かのそんな人たちは、自分より先輩で、でも驕ら ずに、私のような年下にも丁寧な言葉をつかう。洩らさず聞き取りたい、聞いていたいと思う喋り方だ。
大きい声より小さい声の方が、近くに居る人の耳をかたむけさせるには効果的だから、映画の場合、その意図にまんまとのっちゃったってのもあるし、ストー リーももちろんあるだろうけれどね。
結 論。乱暴な物言いにならないように、なるべくきれいな言葉遣いでお喋りしよう!という何度目かの決意。ものごとの伝え方(伝わり方)として、大きなアク ションで与えるんじゃなくて、相手が耳を澄ますようにして自発的に受け取ってくれるほうが、その人の中に残るのかもしれないね。





1/15 すこしだけ時間をもてあましたふりをする   



 ぬくぬくとした布団の中で目を 瞑ったまま、少しのあいだ鳥のさえずりをきいた以降、しーんとなにも音がしなくなってしまったので、ああやっぱり雪雲が音を吸い取ってしまったのだな とか何とか考えて、また毛布の中にもぐりこんで眠ってしまった。雪が降る前はいつもこんなふうに静かで、きっと吸い取れる音をぜんぶ吸い取って、それをあ の塵のような雪の姿に変えてまた地上に戻しているのだろうと思う。音じゃない音をきいてみなさいというように。なんてね。雪はまだふっていない。降るのか な。着込むと肩がこるので、ホッカイロを背中とお腹に貼ってから、もう1つ腰に貼りました。ひみつです。今日はラジオの入りがいい。

  朗報。めだかがおりました。ほんとうに居ないのかね?と、床にくっつくような格好になってじっと甕(ガラスの容器)の下の方を眺めてみたのですよ。そした らちゃんと水草の下、深くにおりました。ちっとも動かないので、めだかも寒いんでしょう。しばらく家の中に入れておこうかな。真っ暗なお風呂場と、寒い外 とどっちがいいだろう。
 夜の用事まで時間があるので、すこし仕事をしてから縫い物をしてみたけれど、なんとなく気にいらないのできっとまたほど いてしまうだろう。あとちょっとの時間、本を読んでいようか、支度をしようか。洗濯はしなくていいよな。雪が降るって聞いただけで、そわそわしたりしてお かしいな。嗚呼そうだった、用事の前に映画を観ようと思っていたのだった。もう間に合わないか。思考も若干吸われ気味。



1/14 白く息のとどく距離をはかる



  しずかな平日のはじまり。ベランダに顔を出して、ぽーっと外の様子を観察していたら、パンを真っ黒に焦がしました。削って絵を描きたくなるくらい見事に 真っ黒。びっくりしたな。日常にすこしずつ、ちょっとした油断が増えているような気が。でもそういうことを許せる大らかさ?みたいなも確実に増えている気 がするので、エブリシングオーライ。たぶん。パンはもう1枚あったからよかったんですけどね。
 薄々気づいていましたが、メダカがいつの間にか こっそりとさよならしたようです。年末にはまだ居たんですけれど。影も形も見えないので、隠れているのかもと、まだ期待しつつ諦めてもいます。甕のフチを ツンツン鳴らしても餌を食べに浮んで来ないし。メダカなんていつまでも生きているのだと思っていたら、寿命は2〜3年くらいなのですね。そう知って、また 飼おうか否か悩むところ。その前に、メダカが居ても億劫だった甕のお掃除、居なくなってしまったらますます億劫になってしまいました。水草と藻を食べてい るちいさい貝のためにいつやるべきかって。あとでしょ。ねえ。
 パソコンから聞いたことのない音が出続けている。こわい。これこそ早急に大事なデータだけなんとかしなくては。




1/12 日向を曲がっていく でっぷりした猫のしっぽの散歩


  澄んで穏やかな光。路地の端のアスファルトの隙間にスノーポールの葉が茂り始めました。わたしはここだよーと太陽にアピールして、光を集めているみたい。 わたしも両手を広げて、ここだよーと叫んだら、誰かが気づいてくれるかしら。ただでさえ寒いんだから冷たい視線を送られたらこまるけど。夜の月や星の光も ひときわ際立つ季節。



  昨日は朝レッスンをこなしてから、巣巣での"みかんの会"のイベントにお邪魔しました。昨年に引き続きの第2回目、ご両親が愛媛でみかん農家をされている 作家の高橋久美子さんと、深大寺dans la natureの奈津絵さんの、みかんにまつわるトークショー。今年はOZマガジン編集部が司会進行で、編集長のFさんにもお久しぶりのご挨拶ができたし、 みかんのこと、お菓子のこと、農家さんたちのこと、スライド、朗読ともりだくさん。遊びに行くつもりが、私もちょっぴり朗読にピアノを入れさせてもらい、 愉しい時間。
 減濃薬のみかんなども増えているようですが、完全無農薬の柑橘って、街場にいるとほんとうに手に入れにくく、判別も難しい。茶材や料理に皮を使いたくて も、スーパーなどで売っている物にはなかなか手を出せないですよね。
久 美子さんちのみかんたちは、ちょっとぶさいくだったり大きかったり、小さかったりするけど、その点は安心。自然に伸び伸びと育った証。だから是非今年も欲 しいなと思っていました。この辺では売ってない酢橙は、ポン酢やマリネやラペに、大好きな八朔も最近は甘夏に変わって とんと売っていないので欲張って2つ! 金柑は買いながらつまみぐい。去年は食べながらベランダへプっとやっといた種から芽が出て、かわいく育っているので、捨てずにちゃんと大事に持って帰って きましたよ。そして更にまた、プっとやりたい所存。柚子は実がなるまでに18年かかると聞いて、ガーンなんとかして早急に蒔かねばと思ったけど、金柑はど うだろう。1年で10cmだからなあ。やっぱり10年くらいはかかるのかな。うまく木になるといいなあ。
  種はプっとやる以外、どれもチンキにしておくと、エキスが出てトロトロのゲル状になります。薄めて手荒れや浴剤に。昨日のお話をきいて、そうかリンス代わ りにも使えるのかも、と思いましたよ。とにもかくも、こうして全部を使いたい、使える、と思えるものを育ててくれる方がいるのは、今とても貴重だなあと改 めて思います。
 そうそう、スーパーで売っているレモンなど、薬が心配というものは、粗塩でこすり洗いするといいよ、と奈津絵さんが教えてくれました。レモンはピール煮 にしたり、なんだかんだ皮付きで食卓に出ますよね。方法を知ってると安心して使えます。いいこと聞きました。





1/10 すずめの鳴る木



  晴れて冷たい。住宅街の中の銀行へ用事を足しに行きながら、散歩。私と同じくらいの背の高さにスパンと切られた木の枝に、すずめがたくさんとまって、みん なでちゅくちゅく言っておりました。地面に近いところの方が暖かいのかな。どのすずめも体に陽をほくほくとたくわえて、ふくふくころころと膨らんだ様子は 可愛い。路地で立ち止まって遠巻きに目をほそめて愛でているあたしも着膨れ中。三椏(みつまた)が、ちいさい大仏さんの頭みたいな蕾をたくさんきらきらさ せて、こぶしの蕾も毛をふっくらさせて、その先から少しだけ花の白を見せています。人間たちはちらちらと雪の舞う夜に、体をぎゅっと縮こめているけれど、 風にさらされた外ではあちこちでもう緩んできている。せせり立つ肩の力を、ほぉーっとぬいて花の準備を。

 写真は、野生のクコ。ふっくらと瑞々しい果実。ちょっとかじってみたらほんのり甘くてとてもジューシー。糖分のせいなのか汁が出ると、手にぺたぺたと くっつきます。小さな粒の中にたくさんの種を持っている。ナス科?夏に海の近くで見つけたクコも実をつけているに違いない...と考えると、見にいきたく てモヤモヤしますが我慢。水分が多いので、天日では売っているのみたいにうまく干せるかわからないけど、すこし採取してみました。ひと粒は蒔いてみよう。




1/8 幕開け



  よく寝ていたら静かに時間がすすんでいて、だいぶ遅いスタートとなりました。軍機がひっきりなしに空をゴウゴウと呻らせながら雲の中を飛んでいる。シーツ や布団カバーをこんもりと洗濯したあとに、今日は午後から雨だったことを思い出したけど、もう干してしまったよ。今はふんわりと明るい光が部屋の角のデス クまで射しこんでいる。知らずに濡れていた、なんてことにならないよう気をつけねば。ここでは「イシカワさーん、雨ですよー」と知らせてくれる人はいな い。美味しくなった干し柿も、大事に干している途中の葉っぱやなんかも、自分の察知能力次第。といいながら、2回目の洗濯をしちゃっているわけで。
  大掃除までいかずとも、やっぱりあちこち整理しようなんて思って、帰ってきてからこちょこちょモノをひろげたものだから、片付かないモノがなんとなく部屋 の中にあって落ち着かない。物が増えると自分がどこに居ればいいのかわからなくなるね。かといって一思いには捨てられない物がまだあって。
10年前くらいにたくさんたくさん撮っていた写真は、半分以上捨てた。当時切り撮った瞬間は、今でも大好きなものばかりだったけど、たぶんあそこへはもう 戻らないだろう。年明けはいつもうんと身軽になりたくなる。
 お正月に実家の近くで拾った真っ赤な実。部屋の枝につるしてみた。大きな木からこの房状で落ちていた。南天とは違うしなんだろうな。部屋には、こういう ものだけあればいいと思うのに、なかなかそうはいかないもんだ。
  巣巣の初レッスンで、バリのお土産にともらった塩(浜辺に海水をまいてつくっているお塩で、ちゃんと結晶のかたちをしてる)が美味しいので、ストーブが点 いているうちにと里芋を皮付きのまま茹で始めた。そろそろ柔らかくなったかな。いいにおいがしてきた。霜でガチガチの畑から父ちゃんが掘り出して洗ってき れいにして送ってくれた里芋。バリのおじちゃんが、天秤棒に桶をぶらさげて海水を汲んでつくる塩。旨いに決まってる! と わくわくする。アンド滋味深くしみるね。なんやかやしみじみしてしまうのは、歳のせいかね。しみじみが多めのお年頃ですが、ハツラツといきたいっす。



2014年 あけましておめでとうございます



 傍らから黙ってひっそりと視線をおくってくる美しいもの たち。
いろいろなことやものに気づける自分で居たいなと思います。今年もどうぞよろしくお願いいたします。 









 

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