12/31 大つごもり 蜜リンゴから蕎麦への一日



蜜いっぱいのリンゴをおしみなくザクザクと切って、白ワインへ。白サングリア。美味しいにきまってる。飲むのがたのしみ。

 ストーブの上のヤカンがたてる音をききながら、朝食代わりの林檎をぼりぼり食べ、時間が進みを惜しむ気持ちで、少々焦りながらこれを書いています。今日だっていつもと同じ一日で、いつものようにきっと明日がくるのだと知りながらも、多くの人と同じように今日の過ごし方を特別に思うわけです。やっぱり暦の上で生きているのだな。明日は特別に新しいのだ。
 ときどき自分の日記を読み返しているので(季節のこともさることながら、やっぱ自分のやってることだからか面白くてね・・・)、ああこんなことやってたと時々思い出すわけですが、今年は"生かされてる"としみじみ感じる年でしたよ。もうだめです、と言いたくなると、ちいさくちいさく助け舟がやってきたり、お尻をポンと持ち上げてくれるような次の手がやってきて、気づけば今日です。ああ、思い返せばほんと"人"でしたね。植物や自然ももちろん常に私に力をくれているけど、今年は印象としてはそれ以上に人とのご縁で過ごしてきた気が。いつだってそうだったのだろうけれど、改めてこう思うのは初めてのことだな。すこし自分も変わったのでしょうね。この歳になっても、気づくこと、新しいこと、変わること、いろいろ。感謝して、ねぎらって、また明日へ。

 今年も一年お付き合い下さりありがとうございました。ごくたまに「日記読んでますよ〜」と言ってくださる方がいて、ひそかに喜んでにやにやしておりますが、なにせごくたまーにのことなので、自分以外の方がどれだけ読んで下さっているのか、読んでいて面白いのかどうなのかわかりません。そして何年も書いていると、また同じことを書いてる!ってこともあると思いますが、気にせず引き続き綴っていきますのでよろしくお願いします。お正月が過ぎれば、七草ですからね。もうじきに次のシーズンですよ。ふふふー。
 新月スタートの2014年。みなさま、好いお正月をお過ごしくださいね。ありがとうございました。



12/29 冬のふところで



 真っ赤な林檎をごろごろとたくさん持って、友が長野からやってきました。完熟の林檎の甘さとみずみずしさったら。果物でも野菜でも魚でも、育つ傍らで食べられるのは贅沢ですね。林檎の木の横に住みたい!とおもう美味しさ。せまい我が家に泊まってくれて、年の瀬の中へまた旅立っていきました。次は春かな。また長野へ行きたい。気のいい人たちのもとへ。
 ひとりに戻って、放ったらかしだった鉢植えの手入れなど。枯れた葉を摘んで、まだ緑の葉も伸びたところは次の新芽の為にカット。カットしたハーブは適当に刻んでネットの袋に入れてお風呂へ。フレッシュな香りに目が覚める。こういうことまで出来てようやく、ほーっと暮らしがまわるような。
ほんと10分ほどのことだけど、やれない時はやれないわけで、ほんの10分もかからないのにね。たぶん本当に時間が無くて出来ないわけじゃないのだけど。と、背中にじんわり陽をうけながら、思う。 気持ちなのだよ。余裕って。あったかいふところに、ほんのすこしの間すべり込んで委ねるような気持ち。そういう時に時間てふくらんだりするんだな。



12/28 おわりのさきっぽとはじまりのさきっぽ



 街の音や光、熱から少しのがれるように、大きな木に囲まれる場所へ。手を合わせて想うのは、ただ自分がここにあることが、しあわせだなあということ。日々の感情は様々であっても、まず居ることそれがすべてで。
まあここちょっとメンタル、体力ともに落ち込み気味だったので、リセットというか、流れをちょっと変えに。立ち止まりたい時には立ち止まればいいけど、今はもういいか。木々の中をたくさん歩いて、冷たくて新しい空気をたくさん吸ってきましたよ。
 来年のビジョンは、全く見えないけど、ひとつだけ10月の初め頃に思い決めたことがあります。ひとまずそれはやっていってみようかなと。今年のテーマはfreeだったっけか。定めずにいたら、ほんとうにやること行くことあちこちいろいろな一年になって面白かった。まわりのいろいろな人に甘えて助けてもらって日々生きのびたって感じ。大げさでなく、本当に、ありがたいことに。
 来年は、今年よりすこし内側へ向かう気がする。インプットの年になるかな。もしくは広がったものを、必要な時に活かせるようすこしずつ整えていく、って感じだ。その為にちょっと篭る予感。それはそれで今から愉しみ。具体的にはなにも決めてないしわからないけど。
しかしまだ30日までレッスンが残っているので、年末の特別感はまだあまり。すぐに帰省するから、腰を入れて掃除しようという気にもなれず。一年ひろげてない場所ってあったかなー。




12/25 O, Christmas ! 清らに星すむ今宵



 昨日の続きのような長い長い夢をみました。しずかに息をする以外、体からなにも出てゆかないように、白くてやわらかくてあたたかい繭の中にこもりたい。
 てなわけにはいきませんがね。そうだそうだー!と、洗濯機がぐわんぐわんキュルキュル言っております。濃ゆい音楽の日々は、年明けまで少しお休み。昨夜のライブはあたたかい巣(home)の中で、素晴らしい方々と。きらきらな夜。今回はまたいろいろ想うこと思うことたくさんありました。ひとりでは出来ないことだ。ぐっと胸にきざんで、ちゃんと糧に。冬のうちにホールでちいさく1曲ソロを弾く予定。たぶん。そろそろ曲を決めて練習しなくちゃあ。




12/22  冬至



 陰が極まる日。柚子湯か。かぼちゃは無いけど、小豆はあったはずだから、あとで煮て、白玉のおしるこでもしよう。
 風もなく穏やかな日曜。陽のあたっている場所をみているだけでほっとする。というか、陽にあたってぷらぷら揺れてる干し柿をみてたら堪らず手が伸びて、目を閉じて瞼にも陽を当てながらちびちび食べ、じわっとした甘さにしあわせを感じておるわけであります。干し柿は、噛みしめるような固めのが好きです。雨に打たれないように気をつけなければ。
 昨日は帰ってきてから身体の節々が痛くて体中にへんな冷えがまとわりついていて、これはあかんかもと、早々にお風呂へ入って湯たんぽを抱いて20時には布団へ入った。それからじわりじわり汗をかきながら寝て、22時半くらいに一回着替えて、夜中の一時くらいにまだこんな時間か、と起きて水を飲んで、またぱったりと寝たのでした。7時にトイレに起きて鏡を見たら、寝汗で髪の毛がものすごいことになっていて、ついでに顔ももや〜っとぶさいくだったので、もうあかん...とレッスンをお休みにしてもらう連絡をして再び10時くらいまでお布団へ。寝る寝る寝る。まだ顔はぶさいくだし、髪ももやもやのまま結んだだけだけど、あのなんとも悪〜い感じの寒気はとれて、仕事を休んだのに急ぎの仕事が入って微妙な嬉しさ〜と言いながら、あわあわと作業。最近は咳でも鼻水でも熱でもなんでも、自分から出るモノは、身体が不要物を排出しているのだと思うようになったので、嫌!というよりむしろ よし!という思い。こういう自分の体への否定が少なくなるって、結構楽になれるかも。どうしたって自分の体とはお別れするわけにはいかないんだしねえ。ただこれから1週間は外へ出っぱなしなので、今日中に出るだけ出し切ってくれるといいなあと、勝手ながらも願うのです。
 嗚呼もしかして、これって願ってた体の大掃除か。ジーザス。明日用にちいさな編曲と、明後日用の譜起しがあるのですわ。明日の分は明日にしちゃおうかな。






12/18 先のことはわからないけど、これまでのこともこれまでのことだ



 ちいさな友がくれたイチョウ葉のブーケ。綺麗なフリル。
黄色い地面にふわっと日が射していた昨日と変わって、白く雲で閉じた今日。まぶたも閉じてしまいそう。雲の中を飛行機が飛んでいるのか、低い呻りが遠くから聴こえる。
嗚呼もう、毎日一日があっという間でどうしよう と言いながらも、ちょこちょこと愉しいこともあって、そんな時間を思い出しては、よし今日もやるか!と自分で背中を押す。愉しいことこそ疎かにしないように、やることはやらなくてはね。食べるのは少し控えてもいいかも。体の中も大掃除したい気分。


12/17 にっと笑う 両肩をすこし外へひろげる感じ



 早起きして鎌倉山へ。大船からバスにのったらあっさり着いてびっくりしました。いまいちあの辺りの地理感が掴めないのです。鎌倉山のバス停から山の上まですこし歩いて友人の家へ。個性的な家がたくさん建っていて、建物の外観や庭木、道草を眺めて歩くだけでも十分たのしい。高台になると海が見えて、坂の途中に『らい亭』が見えたとき、あ、ここ!と思い出しました。もうずっと前に永井さんに連れてきてもらったところ。どうしてここに来たのかは忘れちゃったけど、長い行列に並んで随分と待って、庭園を眺め、お腹を空かせてちょっとご機嫌斜めの永井さんをなだめ、ようやく入った広いお座敷みたいなところで、大勢の人と蕎麦をずずっとものの数分で食べて帰ったという。それが、ああ、ここだった、としばらく立ち止まって、思い出していました。いろんなとこへ連れて行ってもらってたのだな。
 


 日曜は山田稔明さんのディモンシュライブへ。最近はなぜか鎌倉づいているのです。1週間で3回も。行かない時は数ヶ月行かない時もあるのにね。 ライブは、山田さん、ヒックスヴィル中森さんと可愛らしいシンガー立花綾香さんの3人編成。Beach BoysやAmerica、NRBQも歌われて、存分に満喫。ライブはいいねえ。ディモンシュの堀内マスター、アアルトコーヒー庄野さんの珈琲レクチャーのトークも面白くて、やっぱり喋れるっていいなあと思いながら、まあちゃっかり打ち上げも参加させてもらい、皆さんのお話をふむふむ聞いたり食べたり最後までニヤニヤしておりました。気持ち悪い人ですな。
 今年も山田さんのクリスマスライブin巣巣(12/24)で、すこし弾かせてもらうことになりました。明日から譜面を採って練習します。気張りんしゃいよ、自分。当日が
楽しみ。(詳細はnewsでお知らせしています)



12/13 風の通る日



 時折、強い風が壁の隙間を通るのか、ガランガランとトタンが鳴るような音が響く。トタンなんて今時使ってないだろうに、と思うのだけど、トタンの鳴る音としか言い表せない。お隣さんがウィーンと掃除機をかけている音も、いつもより遠くに感じる。
 かわいい生徒ちゃんから「先生のこと、卒業文集に書いたよ。けっこういっぱい。」と衝撃発言いただきました。え?わたし?けっこういっぱい?なにを?そつぎょうぶんしゅうって、大事なやつじゃろが?登場しちゃっていいのか?うーむ・・・。(過去のレッスンのあれこれを大至急思い出している) 
「出来たら見せてね(確認せずにはいられない)」「やだ!(頑な)」「エー」 ガーン...。動揺。でも、締めくくりの大事な文集に、何を書こうかなという時に、自分を思い出してくれたなんて嬉しいことだね。
「じゃあ大きくなって大物になったら、テレビに呼んでよー!」と口走って、お迎えに来たお母さんの笑いを誘ってしまったオレ・・・。こういうとこばかりが書かれていない事を願います。ま、子供は正直だからね。察しがつくようなつかないような。子供たちと過ごす時間の責任を感じつつも、やっていくことはあまり変わらないだろうなと思います。全力で一緒にレッスンを楽しもう。




12/12 馬の人



 クリスマスのあれこれが終わったので、今日から急いで年賀状関係にシフト。馬か。馬が上手に描ける人は絵が上手い人っていいますね。たぶん四脚の足のあたりの描き方なんだろうけど。何年も前に一度馬を描くことがあって、そのときは動画で歩く様子を何度も見たのでした。もう忘れちゃったなあ。
今、仕事に行っている学園には、乾さんという画家の絵や銅版レリーフなどがたくさんあります。学園のホールの装飾も乾さん。飾ってあるのは、カラフルでくるくるとした流線モチーフのポップな作品が多いですが、主に墨やボールペン1本で馬の絵をたくさんたくさん描いていらしたかたです。初めてお会いしたのが、もう10年位前で、その時もう80歳過ぎだったと思います。学園のガラスドアに装飾の絵を描きに来てくれていましたが、最近はお見かけしなくなってしまいました。いつも赤い洋服を着ててサンタさんみたいだったなあ。よくしゃべる元気なおじいちゃんでした。ご健在だといいな。私にとって馬を描く人、といえば、乾さんです。≫こちらでちょっと
紹介されてました。




12/11 根っこを洗う



 比喩ではなく、牛蒡でも大根でもなく。種を採り終わって引っこ抜いたバジルの根っこが、あまりに細かく繊細にふっさりと茂っていたので捨てられず、しばらくベランダに干しておいたのですが、それをふと洗ってみようと思ったのです。またなにをしているんだと思われることでしょうが。こういう自然が作り出す仕業に弱いのですよ。洗いながら、人の根っこも洗えるものだろうか、と考えました。人の根っこ。根っこは洗えないな、と一度思って、いや洗えるかも、と思い直しました。根っこを無くすわけじゃないからね。根っこは根っこのままですし。なんのこっちゃですね。
 月曜から始まった誕生日ウィークは、こんな感じでいつもよりのんびりの時間。昨日はひさしぶりに鎌倉へゆっくりいって、昼も夜もあっちこっちと友のおいしいご飯をお腹いっぱいにご馳走になりながらお喋り。新しい企みもちいさくちいさく芽ばえ。
嫌なこととか嫌いなことを数えるんじゃなくて、好きなこととか嬉しいことをひとつでもふたつでも気づいたり持っていようと思う四十路道の今日この頃であります。
 写真は誕生日の日に仕込んだ樅のチンキ。樅には、心を温めて、足を地にしっかりつかせる作用があるらしいですよ。呼吸器系にもいいので、残りの枝や小さな屑でスチーム吸引して、お湯がぬるんだら手浴。血行促進、関節炎、もちろん抗菌、消炎などなど風邪の予防にも◎。バスルームにも樅を一枝つるしてみました。




12/6 冬のひなた はじめました



 てかてかと光る。ささやかなこの棲み家のちいさなベランダには、なんともゴージャスなイルミネーション。陽をたっぷり浴びて、どんどん美味しくなっとくれ。 さてしかし、洗濯物をどこに干そうね。




12/4 砂時計の砂をずっと眺めているような日



 大きくてやわらかくてあったかいものに抱きつきながら抱かれながら、とろんとろんと眠りそうになっている夢を見て起きた。なんとも心地好い感覚だった。それで少し寝坊して、急いでひとつ仕事をして、お昼に鍋焼きうどんを作って食べて、鍋をかたづけてふぅっと息をつきながら出た言葉は「もう寝たい...」だった。意外。眠いことはあっても寝たいと思うことはあまりない。
ここずっとイレギュラーなことが続いて、曜日感覚がマヒしてる。明日くらいまでに1つ2つ絵を描いて、頼まれたお針仕事をして、いいかげん自分の冬物も縫いたいんだけど、体が寝たいのじゃなくて、頭が寝たいみたい。それほど頭の中がとっちらかっているわけでもない。なにかをゼロに戻したがってる。すこし押されてるんだな。押してるのも自分だろう。
 


12/2 たかいところへこだまとおとだま



 穏やかな夕日が地球の裏側へおちていって、しずかに闇色がにじんでくるのを、頬杖をついてしばらく眺めていました。小さな男の子がお母さんに「ママ、一番星だよ」と教えている声がきこえて、嗚呼今日あたりは、細い細い月がのぼるのだろう とまだ見えない月のことをちょっと想う。さあて、12月を始めなくちゃね。
古民家ライブが終わって、ふうと肩の力をぬきながらも、これからしばらくは音楽メインの冬になりそうです。色々全部終わる頃には、春も立っているでしょう。

 職場の学園から近い住宅街の中に、ちいさな里山みたいなところがあって、そこに古民家が二棟がありました。庭には二羽、じゃなくて、紅白の南天の実、さるうめもどき、色づく楓、ふくらみはじめた椿のつぼみ、無造作に生えているたくさんの木、それらを見おろすように黄葉した大銀杏がどーん。あ、生きてらっしゃる と思わずあんぐりしたまま見あげる。木霊のようなものを感じましたよ。
 古民家は、普段は染めや織り、糸紡ぎなどの工房となっているそうで、予想以上に広いスペース。お客さんがたくさんいらして、なんだか手に汗が...と思ってたら私の真横にストーブが2台あったのでした。
みなさんが音楽をたのしんで下さっているのがよくわかって、フルートデュオとの演奏は私も初めてだったので、自分にとってもとても好い時間となりました。ありがたいことであります。





11/30 しみておちて響け



 早稲田LIFTへ、ううじんさんのライブに行って来ました。早稲田というところに初めて降りて、地下鉄の出口から出てすこし歩いてみて、さてここはどこだろう?と振り返った空に飛行船を見ました。一年に一回くらいの感じで飛行船をみるのですけど、あのなんだかぽよんと浮んで進む(ように見える)アレを見つけたときには、おお!ラッキー!と妙にうれしいものです。都心はわりと飛んでいるのかしら。



 とかなんとか足取り軽く道に迷いながらLIFTに到着。ううじんさんと夏ぶりの再会。ううじんさんには、土を感じます。なぜか。風を孕む大地。歌を聴いた時は、水琴窟のようだ と思ったんだけど。どっちも大好きだからいいんですけどね。勝手なイメージですし。



LIFTの空間がまた素敵だった。時々ギャラリーやスタジオとしてOPENしているようです。ライブのお手伝いをすこしさせてもらって、地下を覗くような位置からライブを愉しませてもらいましたよ。ううさんの声とギター、ゲストで共演されたバオバブのマイカさんのフィドルもLIFTの空間にやわらかく反響して、目を瞑って眠るような心地好さでした。ううじんさん、来春くらいに2ndアルバムを出す予定だそう。待ち遠しいな。
それにしても、上京して20ン年経ったけど、知らない場所がたくさんだ。トーキョー大都会。





11/26 宇宙イモあらわる



 なにこれ。宇宙イモ?宇宙? 宇宙です。隕石?とうとうイモと宇宙も繋がる時代になったのですねえ。そういうんじゃないか。
宇宙って言ったら、ラーラーラララララーラーの2001年宇宙の旅でしょ。(字面だけだと、"北の国から"に酷似ですけど、ドーソーファミレミドーソー的で。最後の素は低い方ね。)って10年以上前ですか!はー。
確かに、未来少年コナンでどきどきしながら見ていた動く歩道は、上京した時にはすでにありましたし、とうに近未来すら通り越したような現在・・・。そしてイモ。進む世の中だからこそ、時代は土に戻るですよ。
スペースポテト。ま、とにかく大そうな名前がつきましたが、ま、でっかいムカゴですよ。む・か・ご。おいしかったです。ちなみに母はツタンカーメンと呼んでました。ツタンカーメンは、豆ですね。とにかく何だか聞いた事もない珍しいものということだと思われます。




 季節柄、実家からの荷物はお芋が大集合。奥のごつごつは、自然薯かな。山芋。
ねこバスみたいなのは、菊芋。しゃきしゃき。あとはいつものヤーコンと里芋。地面の中にこういうものたちがたくさん群れているかと思うと、地下世界って一体...。想像だけでも悶絶です。いつか航空写真を見るように、土の中が透明化して見れるようになったりするのかしら。




11/25 月曜日の部屋の隅から




 ご近所からトンテンカンテン大工仕事の音。ひっきりなしに叩いてる。午後から雨がくるからね、今のうちに精出してやっとくれ。土も乾ききって雨を待ってる。やることがあろうがなかろうが、私は平日の始まりが一番ほっとする。月曜日はたいていひとりだ。それも悪くない。
 週末は実家で庭と畑の巡回。ひとしきりうろうろとしてから、縁側で背中をまるめて陽にあたったり。妹ともたくさん喋ってたくさん笑った。近しい友人には居ないタイプなのだけど、全くもって頼もしい妹だ、としか言いようがない。妹ってそういうものなのか。







11/22 めぐる



 息抜き。抜いたら入れる。繰り返し。むやみに何かをおわらせることはないし、おわらなくていいのだ。今またなにかがスタートしているかもしれないしね。
なんて思うのは、年の瀬に近づいているからかな。



11/18 10年目のつつましく静かに美しいかたちたちよ


 穏やかであたたかい一日。ときどき風が、ベランダの木の葉を部屋の中へこっそり吹き落とす。なんども拾っては出し、拾っては出し。落陽前の落葉と窓際の人。



 モノクロだけだったカレンダー、やっぱり色付きも作りました。プリントアウトして一枚一枚眺めては、美しいことよ とうっとりする。いや、自分の絵ではなくてね、描いた植物のかたちが。ほんとうは線で輪郭をつけて絵にしてしまうのも、色をつけてしまうのももったいない気がするのです。実物にかなう気がしなくて。それをまあ踏まえても、なかなか美しくできたのではないかと。散歩帰りのポケットの中身や道草の図録というところでしょうか。どれも特別に注目される(する)ような植物でもないですが、大半はそういうつつましい静かなかたちの傍らで、私たちは生きてるんだと思う。なあやさんに書いてもらった今年の言葉も、そんなふうに寄り添う ちいさな語りみたい。≫ 詳細はこちら

 2004年版から作ってるカレンダー、今年で10年目になりました。いろいろな理由で毎年、今年はもう辞めようか...と思わなくも無いですが、出来上がってみれば、自分で使う分だけになってもやっぱり作るかもしれないなあと思ったりもします。



 今週末、東名富士川SAのところに隣接する道の駅『富士川楽座』での催し物に、カレンダーすこし並べてもらいます。ひと足お先の現物のお披露目。富士山フィーバーで富士川SAもよくテレビで取上げられてますが、素晴らしい富士山スポット!富士宮やきそば!いでぼくのソフトクリームもあるよ!高速からも一般道からも入れます。
居るのは私じゃなくてお母ちゃんで、組紐なんかと一緒に並ぶと思いますけど、行楽のついでに通ったら寄ってみてください。

 





11/14 すべての音粒をキャッチせよ



 ごくり。喉がおかしい。あわててティーツリーを焚いたり、呼吸器系に効きそうなハーブと草をブレンドして飲んでいるけれど、こういうものは本来予防のために常日頃からやらねばいけないのだよな。喉にきてるなあと薄々きづいていたのだから。さて対処としてどれだけ効果があるものか。週明けまでレッスンが続くのでひどくなりませんように。
 今日はレッスンの前にクリスマス演奏のリハ。次が当日。昨日は昼間出かけていて、夜に練習を始めたけれど、すぐに眠くなってしまって、弾いてはいるけれど全然音符を見れていないし、頭に入ってこないような状態になって、これはもう寝て熟成させよう!と、もっともらしく決断して寝てしまったのであった。起きてみて、全く熟成された気はしないけど、もう弾かないままいくことにする。奇跡の熟成がされていれば別だが、たぶん数曲はぐだぐだなはず...。恥をかくならかいて明日からまたしっかりやれよ、自分!潔い、というか、時々変にあきらめが早いのがいいんだか悪いんだか。行ってきます。





11/12 木枯らし1号湯たんぽ抱いて結露生む



 ぐっと冷える。人は衣を重ねて、木は葉を落としていく季節。
 昨日は大山(おおやま)へ登ってきました。登るといっても山頂までいくわけでなく、ケーブルカーの終点 阿夫利神社の下社までケーブルで登って、そこから半分くだった大山寺まで歩いて、あとはまたケーブルカーで降りてくるのが、自分らのコースです。足でくだるのは時間にしたら30分くらいなのですが、急勾配の石階段いや、岩階段を、すべりそうだの落ちそうだのひゃーひゃー言いながら降りてくるので、あちこち力が入るし、腿はあっというまに笑い出して、まあこれだけで十分。肩とか首とかにも力が入るんでしょうね。今朝は背中から上が凝り凝り。いつか山頂までのコースに挑戦してみたいけど、さて行けるかな。
 しかし陽射しがぽかぽかで、紅葉がいい具合に色づいていて、なにはともあれ木々に囲まれていると、余計な思考が働かず、そこに居るだけで充分。やっぱり山は好いなあといつものごとく思うのでした。手近で手軽に登れる山があるっていいものです。
大山は雨降山ともいわれるみたい。雨降りで阿夫利?なのかな。ちょうど最後ケーブルで降りて来る頃に雨がザーっと降ってきて、バスと電車に乗っている間に雨があがって、夕暮れに木枯らしが吹き始めるころ家につきました。今年はいいときに行ってこれて満足。次の連休は、紅葉狩りに行く方も多いかもしれませんね。丹沢は見ごろですよ。



 ぽーい っと、大山寺のかわらけ投道場で恒例の厄払い。土を焼いたちいさな皿を、谷の途中に吊られた輪をめがけて、とやー!と投げます。掛け声は自由です。輪をくぐらせることは相当難しい・・・のですが、くぐらせなくても投げるだけで意味があるそうです。よかったよかった。ぶん投げたっ、というだけで気分すっきり。

11/10 朝練3日目

 課題は15曲。ひとまず次の練習日までに1曲ずつじっくり仕上げていくには時間が足りないので、1.イケるだろう、2.要部分練習、3.がっつり、4.棄て、と分けて、4はひとまずやらない。4を抜いた13曲を、1は前日やることにして、2のあやしい部分を確実にしながら、3の流れを頭にたたきこんでダメなところにあたりをつけるという練習。2時間くらいで集中力が下がるので、朝だけじゃあ足りないんだけど、夜は夜でやりたいことがある。でも夜もかなあ。




11/8 チャチャいのちゃい



  穏やかな陽射し。お茶の花が満開。花の存在が薄いお茶の木ですが、とってもいい匂いがするのです。見つけたら是非嗅いでみて下さい。そしてぽってりとした真ん中のシャラシャラつぶつぶのボリュームが好き。花が終わると実がなってはじけて種が出て、子供の頃はその種を集めて入れた、お手玉を縫ったりしました。で、そうこうしてるまに新芽が出て茶摘みの季節になるというわけ。
 そんなお茶の木の垣根を眺めながら仕事へ行ったら、クリスマス演奏用の曲集が新たに2冊ポンと追加されたので、これはもう朝練しかない、とはじめました。かといっていつもより早起きするわけではないので、気づくと午前中が終わっているというしだい。しかしね、同じ譜面に並んだフルートのパート、単音だけなんてずるいじゃないか、と思ってしまうのは、自分の技量不足のせいでしょうか。音符の数にギャラが比例していたらいいのにさ、とこっそり思うちいさい私よ。久しぶりにハゲるかも・・・と危機を感じた音符の密集具合です。いや、やりがいあるわ〜と言っておこう。ここのところ音楽じゃない他のことにばかり手をかけていたから、うまいこと弾かせるように神様が取りはからっているに違いないとつくづく思う。ちょちょいのちょいと明日もがんばるんば。ハゲたらパーマをかけよう。




11/4 そしてクリスマスがはじまった



 すこし前に機会を頂いてしつらえた野の草をつかった前菜たち。ほか、地野菜を合わせながら、天ぷらや焼き物、むかごのご飯、デザートまでのフルコースを試行錯誤で作らせてもらいましたよ。塩をきかせて茹でたむかごを混ぜた、新米雑穀ご飯がほくほくと美味しかったこと。顔がほころぶってのは、こういうことかというお味。いらしたみなさんと一緒に、ほころび合ったのでした。やっぱり季節柄、体は穀物を欲しているよう。久しぶりの味をありがたくいただいて、草はしばらくお休みです。今は根菜が美味しいですね。葉っぱは、霜がおりるころの白菜や春菊、ほうれん草が待ち遠しい。
とはいえ、七草頃になればまた草恋しくなるのかな。野に姿出てくるのは、きっと旧暦七草の頃。これから冬の ど真ん中にむかっていくんだなあ。
 昨夜、仕事帰りにスーパーに寄ったらクリスマスソングが流れていて、「おいおいちょっと早いでしょ、勘弁してよ」と思ったけれど、そういえば自分にもクリスマス演奏の話がもう先月からちらほら入っていたのでした。いちばん早い本番は月明けすぐ。曲集を一冊まるまる渡されていますが、まだちらっとペラっとしか・・・。練習は今週から、やばいすね。樹齢何百年とかの大銀杏がある古民家での演奏とのことで楽しみなのだけど。場所を愉しむ余裕をもってむかえたいところ。 っていうか、前倒し?っていうの?先取りっていうの?やっぱりちょっと早いよね。赤と緑とキラキラのイメージがまだ出来ません。ハロウィン終わったからって、秋土用も明けて無いのに、まだ何かあるでしょ。なにか。ないの!? あってもなくても、あと2週間クリスマスは待っとくれ。気持ちの調整します...。

 鋭意制作中のカレンダーのこと、パピルスノオト(左メニュー)にすこしお知らせしています。まだかーい、と待ってくださっている方、そうじゃなかった方も、よかったら覗いてみてくださいませ。ちょっと面白い素材が見つかったので、パッケージ兼のカバーに使えないか思案中。





11/1 霜月



 長閑な陽射し。昨日はレッスンが休みなのを見はからったように、寝起きでひどい貧血がきて、寝たり起きたりの一日。久しぶりに冷や汗かいて、トイレに篭ったり布団や床でまるまったり転がったり。家に居る時でよかった。散々な状態の時は、誰かが居てもらってもかえってしんどいわけだけど、万が一救急の世話になった時イケメン隊員が来たら...と考え部屋を見回して、立ち上がれるようになって真っ先に掃除を致しましたよ。そしてもうイケメン救急隊がいつやって来ても恥ずかしくない部屋に、常にしておこう...と誓いました。いや、できれば呼びたくないですがね。そしてイケメンじゃないと効力なし。ま、備えあれば憂いなしってやつです。だいたいどういうわけか、いつもより掃除をさぼっている時に限って体調って悪くなったりするんですよ、これまた。やーね。
 さて、パソコンがやっとネット復活したので、ちゃっちゃとやりますよ。部屋がとっちらかっているのは、頭の中がとっちらかってるからです。ひとつずつ片づけるしかない。




10/30 渋柿やーい


 薄曇り。晴れてくる予報だったので、めいっぱい洗濯を干しましたけど青空はまだですか?ベランダではまず杜仲の葉っぱが黄葉をはじめました。こうして茂っている葉っぱが落ちていく季節はさみしいけれど、あたたかく短い陽の光を土(根)に届ける為だと思えば、また次の芽吹きを心待ちに。部屋の中にも陽が入ってくるだろうな。
 嗚呼、そうだ、今年も渋柿をまたしてもゲットできなかった。そういえば、渋柿の木って最近見たことないけれど、今はあんまり植わってないんだろうか。このあたりだけかな。どちらにしてももうシーズンアウトだね。



10/28 カレンダーもうすぐできます



 少しずつ描きためておいた絵にいくつか足して描いて、選んで、来年のカレンダーを急ピッチで制作中。
のはずが、いろいろな拾い物を部屋のあちこちから集めて夢中で撮影していたという、なんとも愉しい時間になっておりました。好きな物をファインダー越しにあれこれ角度を変えて眺めるのは、なんとも至福。
我に返って、そそくさと宝物たちを所定の位置に片付けパソコンの前に座った次第。
 カレンダーは毎年ぼんやりテーマを決めてはいるものの、いざという時にはやはりイラストのモチーフには悩むわけです。一般受けを狙うべきかどうするかというね。大抵、自分の趣味を織り交ぜながらうまいこと考えてみるわけですが、今回は本当に日々の中のもの、ものというか植物になってます。今年触ったり拾ったり愛でたりしたものたち。マイコレクション。もしかしたら、私以外の方には特別にときめかないだろう...モノもあるけど。
スケッチしておいた絵を、なんどもトレースを繰り返してシンプルな線にデフォルメしていく。どの植物の容姿も様々にほんとうに美しい。さあて、あとはどういうふうに仕上げるか。 しかしどうしてこれをあと数ヶ月早くやれないのだろうか、、、。

 




10/27 する自由としない自由

 どちらも同じように同じだけあるのだなあと、最近ようやくわかった。
パソコンからネットが繋がらなくなったので、しばらくオフラインでの更新。書くことは止めないでみようと思う。日々を記録というより、忘れっぽいからね。時々読み返すのも楽しいし。想い出にしたいわけじゃあなくて、想いごととして持って居たい。




10/24 幕間
 
 遠くから霧吹きしたようなこまかい雨。週末から昨日まで、いろいろなことがあって、目をぱちくりしているまに過ぎてしまったよう。楽しい時間はぎゅっと詰まって持っていやすいようにちいさく縮むのかしら。



 2日ほど、箱根の山へ。山の景色、眼下の街と海、泊まらせてもらった別荘、薪ストーブの火。どこにいても、ほおーっと息をゆっくりつくような時間。行きたいところへ行く。今月はそんな月。
 周りには転機を迎えている友が何人か。私は半年くらいのあいだに、なにかひとつふたつ手放したような感じ。やることやれてなくて、あわあわするのは常だけど、ふとした折に、ずいぶん楽になったなあ〜と静かな気持ちに満たされていることに気づく。なんていったって人に恵まれているのです。自分次第で叶うことって結構多いのかもね。 目下の課題は収入の安定。これまたしかり。
さて、今日はこの辺で。あたたかいものに身を包んで霧雨の中へいってきます。




10/18 晴れた朝は



 あれ干したりこれ干したり大忙しだよ。きのこに 大根、タオルに草についでに枕と。全部陽にあてたら大慌てで仕事をこなさないと、自分がほされちゃうよー。それいそげ。やれいそげ。





10/17 泡立つ草とゆるやかなカーブでの妄想

 稲も蕎麦もネコジャラシも、実りの穂はどれも泡のよう。ススキも小さな花を弾けさせて、飛んでいく準備。思いたって背高泡立草を摘みに、散歩がてらいってきました。ブタクサと似て見えるのか、アレルギーの原因みたいに言われて、嫌われがちなこの草、そんなのとんだ濡れ衣で立派な薬草。泡のようで粟のようなこまかな蕾が、まだ開いてしまわないうちが刈り頃です。くしくもアレルギー体質の方によいらしいですよ。私はしばらくお薬のお世話になっているので、解毒用にお風呂へ入れようかと思ってます。

 さて旅の話のつづきをすこし。
初めて長野新幹線に乗って、一体どこをどう通っているのかと頭をひねっている間に、上田に着いて、まず向かったのは上田駅から歩いて5分ほどのところにある、まゆ蔵だったという笠原工場製糸場跡。チャットモンチーでドラムを叩いていた作家高橋久美子ちゃんと上田に在住の美術家白井ゆみ枝さんのプロジェクト『ヒトノユメ』展。


 明治時代に建てられたという木造のまゆ蔵の中や庭に、詩と絵、立体の作品があちらこちらと様々なかたちで展示してあります。古い建物の趣がまた興味深くて、迎えがてら一緒に観てくれた友と、展示、建物とどちらも堪能したのでした。久美子さんともゆっくりお喋りできたし、楽しかった。
 展示は11/4まで。パン好きには知られるルヴァンをはじめ、上田の街の商店街にも作品がいくつも展示されているそうです。しずかで城下町の面影をうっすら残す上田。いいところ。(写真はヒトノユメオフィシャルHPから >>ヒトノユメ http://hitonoyume.com/news )

 以前に三島の大岡信ことば館に行った時も思ったけれど、文字って(特にかな文字)ほんとに美しい造形だなあと、再確認。いつか言葉ばかりの文字の展示をやってみたい、とまた改めて思ったのでありました。かな文字のゆるやかなカーブで寝転がったり、つるりと滑り降りてみたい。ああ、おもしろいかもなあ。
 



10/16 煙、霧、靄 いつしか雲に 

 薄暗くしんと静か。音はどこへいった。たくさんの雨といっしょに、地面に吸い込まれてしまったのか、雲が吸い込んだか。
昨夜、旅から帰ってきて早々にパタリと寝て、今朝は目が覚めるまで眠っていたら、台風はもう通過いってしまったよう。ベランダもなにごとも無かったかのように、いつもどおり。
 おとついから上田に居て、昨日の朝は5時に起きて、6時には車で上田から安曇野の山へ向かったのだった。野焼きの煙がうっすらとした霧に変わって、山肌を透かしていた霧が白く形づいた靄になって、そしてその上から朝日が顔を出し、田や畑を徐々に照らしていくのを寒い寒いといいながら眺めていた。長野の時間は、場所も山も出会った人たちもすばらしくて、うまく言葉にならないな。そんな場所へ、度々導いてくれる友に感謝。

 山に抱かれているということは、それだけで体から余計なものが抜け落ちているのだと思う。やることも。
そういう人の逸らされないまっすぐな視線を、目を逸らさずに見続けることができなかった。わたしはまだまだ邪念でいっぱいだ。あー、また行きたい。すぐにでも。ちゃんとぬくぬくの冬支度をして。山につつまれながら、自分がどうなりたいのか、なにが変わるのか、わかるまで、わからなくても飽きるまで居てみたい。


 今回、写真は1枚のみ。全然撮らなかったのです。居ることがすべてで。山へ行く前に上田で立ち寄った展覧会のことなども、また追々。



10/13 菊節句



 旧暦9月9日。重陽の節句。今日もすこやかに。
紫色の"もってのほか"が手に入らないので、黄菊で。これはこれでおいしい。
 さて、今日はすこし身のまわりをこざっぱりさせて旅支度を。きゅっとした山の空気と友に会いに長野へ行ってきます。長野、ちゃんと行くのは初めてかもしれない。冬のものをもって行ったほうがいいかな。ティッシュを多めに入れておこう。何も決めず行き当たりばったりの感じ。まあわりといつもそうだっけ。長野は、ばあちゃんのご先祖さまの地と知ってから、俄然興味のある地。いつか青柳城も訪ねてみたいもの。




10/12 ちゃぷん 腕にキスをされた日



 栗をむく。集中力が持続しないので一旦休憩。栗ご飯と渋皮煮にしてみようと思ったけど、面倒くさくなっちゃったなあ。全部ご飯に入れてしまおう。どうせ栗だけつまんでしまうのだし。

 昨日は一日中寝たりぼうっとしたり。水っ洟とくしゃみと微な微熱以外は、たいしてどうというわけではないけれど、ぐぐっと熱が出るとかそういうのも無いので、だらだらとぼんやり。風邪でだるいのか寝過ぎでだるいのか、はて。
 今日も気温が高くて、引き続きぽんやり気味。レッスンに行って張りきって喋りはじめたら、汗がぽろんぽろん出てくる出てくる。お喋りで発散、てよく言うけれど、ほんとにエネルギーを発しているんだなあ。そして発汗してたいぶすっきりしたっぽい。
 額にびっしり汗をかいている私を見て、ちいさな可愛い子はどう思ったのかわからないけれど、上手にピアノを弾いたあと、横に座っている私をみあげてから目の前の
私の二の腕に、ちゅっとキスをしました。そしてそのあとパクっと。友好のしるしかな。お腹減ってた? いろいろなことをして、私がどう出るか、くりくりした瞳で探ったり観察したりしている。もちろんこちらもだ。時にちいさな瞳と同じ視線でモノを見たりモノゴトを考えたり。それは忘れてしまったことを思いだしたり、新しいことの発見だったりして、素直に驚いたりもする。大人には自分ですぐに戻れてしまうし、子供も成長していく。子供たちがその世界へ連れて行ってくれるうちに、なんどでも一瞬でも子供になってみたいと思う。土曜日が待ち遠しい。


 


10/10 今日は何の日?



 「10月10日はトマトの日ですよー。トマトによく合うバジルはいかがですかー?」スーパーでデモンストレーターのおばちゃんが元気に声をあげてました。ふーん、トマトの日ねえ。で、バジル?そっち?便乗? 鉢植えの苗だったので、ちょっと見たかったけれど、トマトの日の便乗バジルに食いついた人になるのが、ちょっと恥ずかしい気がして遠巻きに通り過ぎました。きっと明日はただのバジルになってるはずです。
 薄暗い雲がゆっくりひろがってきて雨粒が落ちてきそう。暑いのだか涼しいのだか、よくわからないなあ、なんて思いながらスカスカした格好をしていたら、盛大なくしゃみが一発出て、つつーと水っ鼻が垂れてきました。体もこまってるみたい。週明けに楽しみにしていることがあるので、ここで体調を崩したくないような、でもここらで風邪とともに溜まったものを出したいような。うまく逃せるような薬草ってなにかあったっけ。出してきたのは、ハーブを数種とジンジャーをハチミツに漬けておいたもの。そのままでは飲みにくいシロツメクサやアカツメクサの花もこうしてしまえばOK。


ハーックショイ!はあ。
ちなみにくしゃみは一発でおさまる派です。こりゃ真っ直ぐ帰ってきてゆっくりお風呂だな。ではいってきます。




10/8 桃栗三年柿八年 おら何年で?



 気温があがってきて、一度仕舞った半袖をまた引っぱり出した。
朝いちばんに実家から荷物が届く。新米、手前味噌、落っこちてきて困る庭の柿、畑のはじかみ、ご近所から栗、拾ったクルミなどなど。嬉しい悲鳴。今月に入ってからレッスンが続いていて、こないだ行った時に採ってきた山椒の実もむかごもまだ手付かず。ダメにしない前にいただきませんと。ちなみに届く前に見ていた夢では、カニ缶がたくさん届いていました。。。カニ缶が食べたかったのかなあ...んー。
 春は苦味、夏は酢、秋は辛味をとるといいらしいです。山椒は挽いて塩山椒に、はじかみは味噌漬けにしておこう。そしてむかごご飯を炊いて。明日ね、きっと。
 で、冬は脂(油)なんだそうですよ。どれも季節のモノを摂れば、おのずとそういうことになるのかもですね、きっと。いろいろな健康法があるけれど、子供のころから食べてきたものを急に極端に断つってことは、不自然なのかもしれないです。油断大敵って言うしね。最近ネットで読みました。笑 必要ないものは、だんだん手が向かなくなる気がするけどね。年と共に... そして食にも長年の癖があるんだろうな。
さて、今日もレッスン。時間がないから、お昼はどこかでうどんでもすすってこ。



10/5 おはようよろしくまたらいしゅう



 細く雨のこそぼ降る日。金木犀の香る歩道を黙々と歩いて、土曜日レッスンの初出勤。
お喋りしてくれるかな、どんな顔をするかな、お話をきいてくれるかな、こんな曲は好きかな、一緒にやってくれるだろうか。夏にこの引継ぎレッスンのお話をいただいてから、今日レッスン室のドアを開けてちいさな可愛い笑顔と会うまで、いろいろなことをあれこれ考えてみたり、心配したりしていました。でもそんな心配なんて、ドアが閉まる前にふっとんだ。会っちゃえばもう大丈夫。笑いっぱなし、お喋りしっぱなし、大きな声で歌って、たくさんの楽器を鳴らして、なんどもバイバイして、ちいさなふたりのそれぞれの初レッスンは、雨の中にはじけるみたいに、あっという間に終わっちゃった。手の中にふわっとまぶしくひかる宝物をもらった気持ち。ううん、もらった。 しかしなんだね、私の顔はちびっこウケするのかね。





10/3 十月のかたち 山笑って柿落とす 卵管をとがらせたコオロギ



 しばらく書かずに気づけば おならで締めくくったままになってて、若干恥ずかしく。
 数日静岡に帰って、庭と畑と山と空ばかりを眺めていたら、頭の中を風が吹きぬけたみたいな、そんな感じでクリア。ちいさいことを忘れてしまっているだけなんだろうか。忘れるようなちいさなことなら、別に構わないけれど。大事なことと楽しみなことは忘れないよ。
 それとわかったこともあった。気づいてちょっと情けない、というか 自分て みみっちい奴だなあと思う。いつまでも親の前では子供ってことなんだけど。




9/29 土と空気と水と音 おまけにおなら



 今日も秋晴れ。自分が過ごしやすいからついうっかりしちゃうんだけど、土は乾き気味。ひと鉢ひと鉢たっぷりと水をやりながら、土がプチプチパチパチミチミチと水を吸い込んでいく音を聴く。どうしてこんな音がするのかね、と じっと覗き込みながら。のん気な時間。水が染みていく音は、水から顔をだす空気がはじける音だね。わたしも一旦もぐればプハっと音をたててはじけるかな。でも身体も心も乾いちゃうのは困る。
田んぼは乾いて稲刈りの時期。田んぼの真ん中に立って鼻の穴を思いっきりひろげて空気をいっぱい吸い込みたい。ついでにおならもかましたら気持ちいいかもなあ。循環循環。





9/27 ただ今 珈琲応援中



 祖師谷のLOWKEYTONE COFFEEさんへ行ってきました。私がローキートーンさんのことを書く時は、大抵美味しいものとか頂きものをした時で、今回もお仕事のお話いただき、不義理をしているにもかかわらず笑顔で向ったわけです。で、また仕事のみならず美味しいものをたくさん頂いて帰ってきたわけで。自分からはなにをどれだけお返しすることが出来るのだろう...と思わずにはいられません。なのにちょっと経つと忘れちゃう自分が嫌い。
 ローキートーンさんをはじめ、周りに珈琲を生業にしている友人、知人が何人も居ます。どの人もどのお店も応援したい気持ちでいっぱい。でも珈琲が飲めません、ほぼ。ごめんね、と思うほかなく。
 帰りの電車、私に出来ることってなんだろうと考えてみて、すぐにストンと行きついたのは、今日を健やかに過ごして明日を心待ちに眠ることだな、と。それ以上はたぶん今考えてどうこうじゃない。わかんないもん。ダメですかね、こんなんでは。
いつか自分からにじみ出た何かが、違う人を経て、廻り廻って珈琲野郎のみんなのところへ、ちょっとしたギフトをもたらしてくれたらいいなあ。って 自分が動けよ!って話か。 お店に行ってもきっと珈琲飲まないけど、数年に一度とかだったりするるけど、またいきます!気持ちはね、途中下車してますよ。



 ローキートーンさんの好きなところは、モノが多い! 文字が多い! 洒落てない、スタッフの人たちの挨拶が短い! 珈琲以外のドリンクメニューがいくつもある、お菓子が美味しい! 私を見つけてくれたこと! 笑) 家の最寄に2号店が欲しいです。喫茶店というものが皆無...
 LOWKEYTONE COFFEEは、祖師ヶ谷大蔵駅から1分くらい。店の外までいろいろはみ出しちゃっているから、通ればすぐに分かります。自家焙煎している量り売りのお豆もずらっとたくさん。違いの分かる方も分からない方も、珈琲飲めない方も是非立ち寄ってみてください。http://lowkeytone.com/





9/26 学びのチャンス



 レッスンはお休み。休みは嬉しいけれど、子供たちに会えないのはさみしいし、楽しいことのお休みは複雑。10月から小さな生徒さんをふたり受け入れることになった。可愛い男の子たち。まだ恥ずかしくてお母さんの足に抱きつきながら、くねくね時々チラリ。私が見ていないときは、大きな瞳でじいっと私を見ている。まあとにかく可愛くて、デレデレといちころ。居るだけでこんなに幸せな気分にさせてくれる子どもに、豊かな音楽性を養うことが出来るだろうかと、最初はいつも自分の技量に問う。でも私がそれほどどうこうしなくても、みんなそれぞれにすばらしく成長していくもんだから、やめられない。驕らず最初から降参。そこから一緒にスタートさせてもらう。デレデレしてないで、お勉強です。




 紫蘇の実が食べ頃。プチプチがしっかりしているところは塩漬けにして、柔らかそうなところはさっと天ぷらにして頂きます。今年もお父ちゃんに塩漬けを頼んでおかねば。ムカゴも取りにいかねば。秋は秋でまたたのし。




9/25 もう隙間に落ちているのは夏のほう 



 道端に彼岸花。(写真は萩っぽいマメ科の花です) そろそろ長袖をださないと。さて、少し長くなりそうですが、旅のこと。


 初日、京都に泊まって、それなら1箇所くらいどこかに行ってみようかと考えて、店やらギャラリーやら映画でもいいかとあれこれ考えたけど、やっぱり神社なのでした。夕方前に着いて、ホテルからさっと行ける場所で行きたいところ。八坂神社か日向大神宮か、迷って行ったことのない日向大神宮へ。京都のお伊勢さんと呼ばれているところらしい。
 三条から地下鉄で5分ほどの蹴上駅へ。祇園や東山あたりのような街を想像していたら、駅の目の前が4車線くらいの大きな道路で、いっきに遠くへ来たよう。山の入り口という感じ。近くに南禅寺があるみたい。駅に沿うように、昨日書いたインクラインがあります。草の中に伸びるレールは、横浜みなとみらいの赤レンガ倉庫がフェンスや柵で囲われていて、ひなびた貨車のレールが倉庫の周り一帯に生えた草の中に続いていた光景を彷彿させました。
 蹴上駅から南禅寺とは逆の方向へのぼっていくと、赤レンガで建てられた浄水場や発電所など美しい建物が見えて、水の音に誘われながら古い民家のならぶ小道を入っていけば、そこが日向大神宮の参道の入り口。観光客らしい人は誰も居ません。進んでいくと貯水池があって、その先に森に入っていく二つ目の鳥居が。どうやら神社は森の奥にあるようだ...とここで知り、さらにその後ちょっとした山登り気分まで味わうとは...知るヨシもないのでしたよ。たちどまって一瞬考えたけど、ほかへ行く気もあても無いので進みます。


 木々に囲まれた小道に一歩入ると、空気がすうっとひんやり。神様の森か、と秋の花を愛でたり、太さ1センチくらいのロングで真っ黒なムカデの死骸にビビったり、じわじわ出てくる汗をぬぐいながら、人気のない道を奥へ黙々と進みます。民家がぽつぽつとあるので、尺が分かれば怖くはないけど、暗くなってからひとりで歩くのは危険ぽい。最後に、むむ・・・と思わずひるむ上り坂をあがれば日向大神宮に到着。まあ先が分からないので長く感じましたが10分〜15分てところ。
 自然のままうっそうと茂る木々のもと、伊勢神宮と同じ様式で建てられている下宮と内宮、猿田彦神社、多賀宮などたくさんの社とお宮が山の中に隠れるようにありました。社務所にはどなたかいらっしゃったようですが、ゆっくり居た小1時間ほどのあいだは、参拝の人など誰も来ることも無く誰にも会わず。 私にはそれ幸いで、立ちどまり深呼吸を繰り返すような、そんな時間でした。華やかさは無いけれど、山と神社と人気(ひとけ)のないところが好きな人にはすごくいいですよ。山頂へ向かう道は続いていて、一帯がトレッキングのコースになっているみたい。



 空気も、光も、音も、呼吸もとてもクリア。どうも自分はいつも人が居ない方へ居ない方へ来てしまうようだ。と、めったに来ない京都に居ながら、このような光景を眺めているのをちょっと不思議に思う。

 ちょうど去年の今頃関西に行った帰り、時間つぶしにふらっと行った高槻の山寺は、ふらっと行くような場所では全然なくて、はるか山の中であまりに山奥でやばいかと思ったけれど、やっぱり素晴らしく気にいった。それに比べたら、日向大神宮の山具合なぞ朝飯前です。ほんと。
人と一緒も好きだけど、ひとりも好き。起きるいろいろなことに対しての自分の反応や気持ちを、まるごと素直に感じたいから。



 去年の神峯山寺。高槻駅からバスで20〜30分、山道をひたすら小走りで15分とか。なのにこっちは何人か人に会ったのでした。バスは1時間に数本しか走ってなくて乗り遅れて、新幹線のチケットを無駄にするところだったけど、なんとか執念で牛肉弁当も買って飛び乗ったという、スリリングな旅。このことは去年たぶん何かしら書いたと思います。こういう本来の目的ではないところで、ちょっとしたバランスをとっているのかもしれないなあ。




9/24 また会いましょう



 愉しかったjamjamjamと関西の日々が過ぎ、涼しい関東に戻って仕事の演奏会が終わって、ふうーっと背中をまるめて細く長い息を吐くような今朝。目が覚めるといつも、昨日は遠くなっていて、実感を伴っているのは残っている体の重さだけみたい。夢なら夢でもいいやと思うよ。とてもしあわせな夢だったからね。
ギャラリーでの永井さんの展示もセレクトも数もすごくて、わーわー言ってたけど、やっぱり気持ちにぐいっとくるものがあって、あんまりぐっとくるとじっと居られないから、ちょっと跳ね返しながら観てました。どんなに愉しくても、さみしいは別っこでさみしいもんだ。星ヶ丘の展示は特別。  永井さんお誕生日おめでとう。わたしはちいさくて毛がふわふわとあたたかい生き物を飼いたくなっているこの頃です。


 jamjamjamの前日に、ふらりと歩いてみた京都、山科のインクライン。鉄道跡ではなくて、琵琶湖疏水、水路の跡なのだそう。琵琶湖からの水を傾斜を利用して水を流し、船で荷物を運んだんだそう。今は美しい草の道。ひとり歩きには最適なのんびりとした場所でした。ここの前に寄り道した山の中にある神社も、人っ子ひとり居らずよかったのです。また改めて。





9/20 丘の草原で


 お彼岸入り。巷ではリニアのニュースで盛り上がっていますが、こだまでのんびりと夏の名残をつれて京都経由で大阪へいってきます。好い陽気になりそう。愉快な日々になりますように。旅の途中経過はFaceBookなどで。いってきまーす。



9/19 夜の岸辺 風に寝ころびて月を観ぬ

 満月ですね。遠くへ音がよく抜けるような澄んだ青空。お団子用のよもぎを摘みに行きたいところですが、今日はレッスン。レッスンの前には、先日頼まれた伴奏合わせがあります。初顔合わせで、最終リハ。なのに、何度か弾いてもどうもしっくりこない...。と、ハっと気づいたら、チェロじゃなくてビオラの曲なのでした。勘違い!そういうことでしたか、とビオラで脳内PLAY。
明日からは関西入り、本番前までもう練習が出来ないので、今日はみっちり弾いてきます。ついでに、空き時間にjamjamjamの練習もしてきますよ。ついでじゃないですね。こっちも本番前、いやこっちが先に本番ですんで、みっちり?イメトレです。面白い相方が、?、頼もしい相方がいるので、なーんにも心配してません。早く帰ってきて旅支度をして気分を高めよう!


美味しいまんまる。ちょっと久しぶりdans la natureのなつえさんの芥子の実入りクッキー。薬になる芥子とは種類が違うのかしら。




9/17 台風一過



 青空。すっきりと澄んだ空気。暑くなるぞ〜と注がれる陽射しの中にもひんやりの要素が含まれていて、匂いが冬に近くなりました。今年も鼻で金木犀を待つ季節。
 3連休は、あちこちの整理や掃除ばかりしてました。台所の食器、食材、仕事机まわりのあれこれ、ベランダ、生地やお裁縫関係のこまごま。今使っているもの、好きなもの、大事に使えるもの、を念頭にシェイプ。見た目にはあまり変わりないけれど、気持ちはだいぶすっきり!台風が去って気圧が戻ってようやく頭と体もすっきり〜。あとは衣替えしながら、クローゼット。
 ぽーっと、開け放してあるベランダを見てたら、白い壁をトトトトとヤモさんが歩いてった!日中に散歩なんて珍しい。昨日の晩はちいさい羽虫がたくさん飛んでたから狩りに励んだことでしょう。ちいさくも平温があることに感謝。





9/13  欲望と願望のちがいって



 赤紫蘇にはほんのりピンクの花。青紫蘇には真っ白い花。なにごともちょっとばかりの理由がある。でも何でも理由づけしてしまうのは、つまらない。なんて思いながら、この花が実になってプチプチしてきたら天ぷらにしようと考えている。ふっふっふ。これから毎朝そういう欲望がプチにじみ出た目で見ることになるわけです。食欲でも、物欲でも、貪欲でも、欲望は無いよりあったほうがいいと思う。欲っていうひとつのエネルギーだと思うから。もしそれがあさましい...と映るのなら、それは欲自体が問題なわけじゃない気がする。

 またチェロの生徒さんの伴奏をさせていただくことになった。今度のチェリストさんは、まだ会ったことがないけれど、ほがらかで品のよさそうな年配の女性。電話ごしのすこしの会話声だけで、この人のこときっと好きだなと思う。お互いに んふふふと笑い合う。会うのが楽しみ。どんな音を出すのだろう。好い演奏にしたい。願望もひとつの欲望?



9/12 季節を告げる窓

 

 嗚呼、もうあんなに高いところに光があたるようになったんだなあ。ときどき何気なさを装って、ふいに大事なことを告げられるようで、ハっとする。それだけ教えてくれたら充分です。じっとみてると窓があるみたいに見えるね。
 これからレッスン。子どもたちは再来週の試演会に向けての追い込み。今日はやる気スイッチ押しまくりの盛りたて役のがんばらせ役ってところなので、シトラスレモン色のフレンチスリーブシャツを着てみましたよ。いいところがたくさん引き出せますように。
このシャツ、夏前に縫ったけど合う色のボトムが無く、なかなか出番がありませんでした。思い出して秋物の中から濃いカーキのパンツを引っ張り出して合わせたらよい感じ。ようやく活躍しそうです。ついでに夏のあいだお休みしてたスエードの鞄も出して、ほどよく秋色。足元はまだ裸足ですけど。ではいってきます。




9/9 スカルラッティ Cminor K116


山葡萄?

 ツクツクボウシが勢いよく鳴きだした、と思ったら、1コーラスでおしまいになって、静かな午後。眠くなりそうなので、ネットラジオのクラッシックチャンネルをつけたら、ホロヴィッツの弾くスカルラッティのソナタが流れました。ホロヴィッツの計算された控え目な音量と巧みな演奏につい目を瞑って時間を費やしてしまうのであります。スカルラッティのソナタは555曲あるといわれています。55曲くらいは弾いてみたい、とやっぱりつい思ってしまうわけですね。思うだけのことが多過ぎて嫌い。
 JAMJAMJAMのステージのセットリストが決まって、あとは流れを頭に入れながら、すこしだけ曲をいじって自己練するのみ。だんだんイメージが出来てきて愉しみになってきた。あとは、さらっとした心地好い風が草原に吹いてくれればうれしい。
一昨年はステージ中に蚊にさされて、弾きながら無意識にポリポリしてたのを指摘されたのであった・・・。丘のヤブ蚊はかゆいのなんのって。免疫のない方は虫よけ必須ですよ。

 さて、また仕切りなおされたような感じがする。なにも終わったわけじゃない。がんばろう。忘れたようになっている口約束も、きちんと覚えているのだから果たさないとね。自分との約束もだ。新しいことばかりで上塗しないこと。




9/7 ときどきとまって時のすすむ速度をたしかめずにはいられない




 鶏頭。不思議な容姿。じっと見ていたら、以前飼っていた犬の顔のしわしわに見えてきて、指の腹でそうっとなでた。あの愛くるしかったしわしわよりは硬いか・・・

 秋の花といえば、道端で勢いを増して木をつたって電線にも上ろうかという位置まで蔓を伸ばしていた葛に花が咲き始めました。もう随分前に一度食べたことがあるけど香りが強いのであまり得意じゃありません。蔓の先っぽはわりと美味しいので、ときどき立派なヒゲが伸びているとプツンと摘んでポケットに入れて歩いたりするんだけど、忘れて数日あとから出てきたときに、うぎゃっ とびびるのはあれをおいて他にあらずです。薄黒くて毛が生えててくったりにょろりですから・・・。何度も肝を縮めては、食べ損ねているわけ。
 草の友から、花はお茶にはどうか?と訊かれて、ああ お茶なら作り方によってはいいかもしれない と思う。手に届く場所に咲いていたらすこし分けてもらってやってみようかな。見あげる葛の下は何度か通っているけれど、こないだの嵐のあとは全く匂いを出していませんでしたよ。なにかの防衛反応でしょうかね。



9/6 刈りこみ



たくさん種をつけてくれてありがとう。



種取り用とお風呂用と虫除けになりました。土もすこし休ませてあげないとね。いろいろ植え替えもしてあげないと。
今日は涼しいです。途端に眠い。

 



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