9/1 二百十日



 にひゃくとおか。立春から数えて210日目を二百十日というそうです。そのまんまですね。夏休みのラストデイで、太陽がギラギラしてますけど、今日もひとつの節目。
 ここ1週間ほど胃がダメな子になりまして桃を食べてばかりおります。山梨のポリポリ噛んで食べる硬い桃。きれいに歯形がつきますよ。
ある時に遠い記憶がよみがえって、この硬い桃が食べたくて仕方なくなって、いてもたっても「硬い桃が食べたい〜硬い桃が〜」と言っていたら、妹が取り寄せて箱で送ってくれました。妹のキップの好さというか大盤振舞いには、ときどきびっくりします。黙って甘えますけれど。まったくブラボーな妹です。よく働いているのに、ちょっぴりギャンブラー・・・
 そんな桃を仕事の合間に黙々ボリボリ食べているわけですが、この硬さ、弱った胃にはどうなのだろうか...と思いはじめています。お腹は膨れるみたい。なにも食べなくても胸いっぱいって感じだけど。食欲無いとほんとにパワーがでませんねえ。足三里にお灸を据えてみよう。




8/30 いいわけと風の音 

 忘れちゃうのです。なにをって、ここを書いておいてアップするのを。自分のページはすべて、未だローカル環境で書いて(つくって)FTPでファイルをアップする形式です。もうこういうの古いんでしょうけど。ブログを使ってみたこともあるのですが、どうもだめです。管理画面とか。それにIDやらパスワードやら、今って何にでもありますでしょ。そういうの極力増やしたくなくて。でも増えていくわけで。
まあそれは別として、そんなわけでちょくちょくまとめてアップしてますね、最近。書くとそれで満足しちゃうんだな。別に大したことを書いているわけでもないので、あとからアップしても読む側は何ら構わないし、気づかないかー
 今日はまた暑い。時折、強い風で簾がばたんばたん。クーラーがサーと吐き出して、扇風機がザーザー言うてます。風の共演。私は沈黙の午後。




8/28 やじろべえになって風にゆれる


 さらりと青空。好い風が入ってくる。ゆらーりゆらり洗濯物たちが気持ちよさそう。隣でぐいんと伸びをしてから肩の力をぬいてぷらんぷらん。
こないだの雨で土が充分に湿ったおかげで、あちこちからちいさな芽が出ている。たぶん大半は春にこぼれたタネツケバナかな。これからくる秋の育ちの季節のために、すこし植物や土の整理や準備をしたいところ。
 昨日は営業を再開した巣巣でのレッスン。お休み中もレッスンをさせてもらっていたけれど、やっぱり岩崎さんの居るお店は嬉しい。人が居るから空間が生きて、良い気が循環するんだなあとしみじみ。きっと家も同じね。一緒に活きるんだな。澱んでいる場所があると、自分の体に出る気がするもの。よし、食品関係と冷蔵庫の整理だな。(←昨日からどうも
胃が按配が...。涙)




 SO SEAの衣が手元にやってきました。ヒマラヤという名前がついた素朴で力が入っていない、だけどちょっとかっこいいやつ。むふふふ。一緒に送ってくれたハギレたちからも創作意欲がむくむく。ありがとう。





8/26 おはよう



 終わってないけどはじまってくね。いつも。そんなふうに思う朝。




8/25 処暑



 こっそりと雨の降る日曜。涼しいせいかちょっと寝すぎてまた眠い。久しぶりにカーテンもベランダも全開にして植物たちを眺める。知らないうちにメダカが一匹減っている。無花果が今年は実らない。蕾ができそうになるとパツンパツンと摘んでオイル付けにしているバジルは、それに気づいているのか気づいていないのか脇芽をまたぐんぐん伸ばしている。去年種を放ったらしい山椒は15センチほどに伸び、ようやくの雨に気を良くしたのか5ミリほどのちいさい渦巻きかたつむりが2匹、ユーカリの根元をぐいぐい這っていた。
さっきまで外から聞こえてた若者達の賑やかな声がいつのまにかしなくなって、今は蝉と虫とパソコンのうなる音だけ。背中が息をつくような時間。



8/24 知ることで見えること見えなくなること

 ぽつぽつっと雨が通ったところ。たくさん洗濯をしてしまったから、夕方まではほかを旅しておくれ雨雲たちよ。昨日は鎌倉山へ越した友だちの家に遊びに行って、しっとりした空気をたくさん吸って帰ってきた。こんもりぐるりと緑に覆われた想像をこえた面白いお家。見えるのは緑ときこえるのは自然の音だけ。なにをするわけでもなく、のんびりのんびり外を眺めているだけ。本当に必要なものってなんだろう、と考えずにいられない。もちろん時と場合によるけれどね。単にシンプルって言うのとは違う気がするな。
 窓から山肌の葉っぱたちを鼻息荒く見定める私と「ハート型がいっぱいでしょ」と嬉しそうにふんわり言う彼女。うん、たしかにハート型の葉っぱがたくさん。でも嗚呼、ハートの正体を名前でインプットして知ってしまっている私には、言われればたしかにそうだし、そう見ているのに、カタチではなくて名前として目に映っているのだ。なんてことか。知ることは面白くて、どんどん知りたくて、快感のようなものだなあと思ってる。でも知ったことで見えなくなることもあるのだね。たくさんたくさんあるのだろうね。知ったつもりっていうやつなのかな。知ってもいつも面白い発見ができる目と、やわらか頭をもっていたい。モノもことも人にたいしても。



 こないだ実家に帰ったときに、畑の茂みのなかから見つけたブルーベリー。あれ、そんなのあった?と誰も気づかないようなもっさもっさのボウボウ具合。そういうところがいい。世界でいちばん好きな畑。




8/22 つぎの季節のすこし先に


 
 あれやってこれやって、そうだあれやらなくちゃ、これもやりたいなー。画材に生地に紙に本に、ぐるりと部屋を見れば今の自分が一目瞭然。ようするに、散らかっておるわけです・・・。ほんとにわかりやすい。
 昨日は面白いお話をいただいて打ち合わせ。妄想が尽きない。手をつけると他のことをやらなくなってしまう危険があるので、まだ妄想だけでちょっと我慢。秋が待ち遠しい。きちんとまとまってきたら、ここでもお知らせできるかな。
 9月にはjamjamjam音楽祭が今年は大阪であるし、年内に1つ2つやっておきたいこともある。ひと月に1つ的を置いてこなしていきたいところ。まったく、予定でも何でも思っているだけでスルーしてしまうことって多いのだ。思うことは大切だしスルーも時には必要だけど、私なんか日々のちょっとした思いつきやきっかけで、ささやかに幸せに生きているんだもの。だからやっぱり小さかろうか思ったことは大事なんだわ。よーし、今日は書き出そう。

■2013 jamjamjam音楽祭
9/21 大阪・星ヶ丘洋裁学校 草原にて
http://tamazkue.sakura.ne.jp/jam3/
象の音楽も出演します。わっしょい。

 

8/21 ラズベリードリーム



 実家の畑で採れたラズベリーのジャム。鮮やかな赤に毎朝テンションがあがる。天然の美しい色。ジャムはほとんど食べないけれど、これも自分で作ればいいのだなあ。そのまえにラズベリーを作らなきゃ。そのまえに畑か。庭でもいい。庭でも。かみさま、庭か畑を下さい!




8/19 きっかけ


 深夜、なんだか寝苦しくて起きてみたら!ヤモさん!今年は春先のまだ肌寒いときに一度見かけたきり、いつもやってくる蒸し暑い季節にはこなかったので、もしかして居なくなったのかなと思ってました。だからうれしい。もしかして呼んだ?呼ばれた?
さあ、家のことを整えよう。そしてすーすーと新しい空気をいれて、ハーっと吐き出そう。

 


8/18 松桐坊主

 小学校への通学路に、幼なじみの家の桐の木畑がありました。桐タンスの桐だと教えられて知って、子供心に こんなにたくさんの桐の木を持っているなんて、お金持ちなんだなと思ってました。
どの木とも様子の違う質感、匂い、ぬうっと伸びた幹の模様、高いところから落ちてくる湿り気のある大きな葉、どこをとってもその雰囲気は独特で、それらが立ち並ぶ様は、いまでも特別な光景として覚えています。
桐を他の場所で見かけることはほとんどなくて、上京してずいぶん経って、今のところに越してきて、近くの団地の駐車場の脇に1本、鎌倉の八幡さまのお池のほとりに1本見つけたのは、ほんとうに最近のこと。
 幼なじみの桐畑の桐は、見上げるような高く伸びた木だったせいか、花を見たことはありません。建材用に上へ上へ伸ばしていたのかな。だから桐の花といえば、花札の中のあの花です。
 八幡さまのお池の桐は低めの木で、橋の下から生えているのでちょうど目線に葉が茂っています。通るたびに、花のときに来よう と思うのですが、花の時期がいまいちわからず、かつ忘れて、今日気づいたらちいさな実がついていました。花が咲くのは、お池の蓮の葉が茂りだすころかしら。写真を撮ったりスエードのような、しっとり感のある葉をなでたり匂っていたら、何人かつられて立ち止まっておりましたよ。変な人と思われた?ちなみに、白い蓮が咲くほうの池です。
 松・桐・坊主と帰り道そんなことばかり考えていたのは、友だちのお家でボードゲームやカードゲームでたくさん遊んできたせい。おもしろかったー。こういう勝負ごとって、ちょっとした自分の性格が自分でわかって、おもしろい。もちろん人のこともわかるのかもしれないけど、ついていくのに必死なわけです。 美味しいてづくり餃子や野菜をたらふくご馳走になって、正しい夏休みの一日ってかんじだ。
 八幡さまのお池では、蓮の花がふっくらひらこうと、すくりすくりと首を伸ばしておりました。普段あまり見かけないような若者達が「ウケる〜」とわいわいしながら境内を歩いていても、この花を見るとすこししんとして背中がしゃんとする。蓮はひらくところを見てみたいね。ポンって一緒に咲いてみたい。




8/16 迎え火、提灯、キリギリス



 まぶしい夏の収穫。もちろんこっそり草とかも。

 今日も真っ青な空が、シャワーみたいに燦々とそそいでくるから、麦わらを後ろにずらして夏のてっぺんを仰ぐ。毎日暑いね がお決まりの挨拶。でも風がちがうね。もう。
 今年のお盆はちょうど予定が空いたので実家へ。こんもり茂る庭や畑の緑の勢いを、ひとつも見落とさないよう目をこらしてじっと佇んでいたら、大きな麦わらをかぶっていたけれど日に焼けたみたい。茂み中にブルーベリーをみつけて口に入れたり、高く高く蔓を伸ばす緑の葉を摘んだり、ごろごろ転がっている西瓜をコンコンしてみたり、花を摘んでスケッチしたり。昼の暑さはここも田舎も変わらないけど、土の上、緑の中で流す汗は全然いやな感じじゃない。送り火はせず早めに帰ってきて仕事。次のシーズンのはじまりだ。鈴虫の声も、クツワムシの声ももうきいたよ。



8/12 青く香る午後



 マスクとビニール手袋とゴーグル、ゴーグルは窮屈だからサングラスでいいや。マスクもやめて手拭いを巻こう。と物々しく準備して大げさか?ってそうでもないのです。相手は青唐辛子30本ですもん。今年も柚子胡椒を作りました。去年よりすこし早い気がするけれど、キズ付き柚子が安く手に入って、うまい具合に青唐もたくさん安く買えて、ならば。キズがあったって問題なし。柚子の木はトゲをつけて自らを守っているのだから、キズもあって当たりまえ。湯豆腐って気分にはならないけど、そうめんにちょっと、お肉にちょっと、ごはんにちょっとのせて。なんて嗚呼、今からもう食べるのが待ち遠しい。
柚子胡椒ならぬ、柚子抜きの"胡椒"ってのもあるみたいなので、今年は仕込んでみようと思います。だからやっぱり柚子は抜いても装備は抜かりなく。なんてね。




8/10 夜蝉


 朝から強い陽射し。光りそのものが熱のようで、簾を下げてうすいカーテンをひいて、昼間はしずかに器の繕いをしていました。黙々と。無心。数ヶ月前にお直しを始めた器がやっと仕上げられる段階に。割れとひびが多くてどうなるかと思ったけれど、また使えそうです。仕上げもう少し繊細に筆を入れられるようになりたい。自分の器はひと段落で、次は頼まれた器たちに取り掛かります。またしずかなこころの日に。

 昨日はまたかわいいベイビィと遊んで、夕涼みに長閑さあふれる市民プールに連れて行ってもらい、海や空や椰子の木を眺めながら、半身だけ浸かってぱちゃぱちゃ。うちの近くの市民プールも好きだけど、なんていうか来ている人々にぐいぐいした雰囲気が全く無くて、わしわし泳いでいる人は皆無。大人はお風呂につかっているような気楽さで、子供は波打ち際で遊んでいるようなそんな光景でした。場所柄プールというより海っていう感じみたい。おもしろかった。
 夜は別の友のお家にお邪魔して、美味しい夏野菜やパスタをお腹いっぱいご馳走に。お喋りもとりとめなくして、ふわーとしあわせなことよ。帰り道、深夜の八幡さまの暗い境内の両側からは、蝉がほんとに雨を降らすように鳴いていて、そのせいか昼間よりずっと木々の気配が迫って感じました。いらっしゃるな。見られているんだな。と砂利を踏んで歩きながら、やれることをやろう、やる、と改めて思う一日。




8/8 立秋

残暑お見舞い申しあげます。



 暑さを包みながらも、さらりとした風が吹いています。空の上の方では秋の涼風が吹いているのかも。一時に比べればもうだいぶ陽が短くなってきたし、陽が翳るころにはもう心地好い風が吹いて、続いてくる夕闇が、浮き立っていた気持ちや身体を、ちゃんと落ち着いて一日を終えるようにと、家へ戻してくれます。まあそんな心配をしなくても、夜遊びはだんだん億劫になってきたけれどね。
 とぎれない扇風機の風音が、ほーらほーらと眠気を誘っているよう。今日は夕方からのレッスンなので、のんびりな午前中。来月の試奏会用の曲を決めてあげなくては。
子ども達が夏でひとまわりぐんと成長するのは何故だろう。日焼した顔だけじゃない。やっぱり遊びかな。たくさんのインプットなんだろうな。満ちあふれたものを今度は振りまきながらどんどんのぼって行く感じ。インもアウトも惜しまないでいこう。自分も。



8/6 かわいいとかわいい



 むうんと蒸し暑い。雨の予報。さっき少しぱらぱらと粒が落ちてきただけでまだ平気。水通しした生地が乾くまで降らないといいな。
 週末は、手紙舎さんのイベント『かわいい布博』にfabric campのお手伝いで出店してきました。オリジナルテキスタイルを扱っているお店やモノ作りの作家さんがたくさん参加されていて連日大賑わいでした。ほかのブースを見る余裕はあまりなかったけれど、来場されるお客さんたちの中にはお洋服がオリジナルだろうと思われる方や、アレンジがお洒落な方が多く、露店商ちっくにゆるく営業しながらも低い位置からいろいろするどくチェックしたイシカワでした。2日間は私も自作の洋服で参加しましたよ。暑さが落ち着いたら、生地の仕入れに周りたいものです。fabric campは、来週から新宿伊勢丹に出店です。布博とはまたがらりと趣きが変わるのではないかと思われます。
 そんな週末と人混みを抜けて、昨日は一日中水平線を眺めながらお友だちの家で赤ちゃんと遊んでいました。全身全力で泣いたり寝たり笑ったり探ったり、エネルギーの使い方に感心するばかり。そして、かわいいとしかいいようがない。嬉しいときには笑う、関心の無いときには向かない、呼びたいときに呼ぶ、怒りたいときには泣いて表す。みんな最初はそうだったんだよねえ。


お疲れさまでした。




7/29 眠い午後の向こうとこちらと



 シャクシャクシャクシャクと鳴くのはなに蝉でしたっけ。東京→静岡→東京と、家の前を二度素通りして移動した週末が終わって、雨の月曜。昨晩は久しぶりに気絶したように床で寝ておりました。板の間がひんやりと気持ち好い季節です。っておい!体が痛いよ。

 カリカリとちいさな音がすると思ったら、アシナガバチが簾を噛みにやってきていました。簾を新品にした去年は来なかったので、一年経っていい程合いになったのか。古ければ古いほど蜂には人気のような気がします。一本くらい抜いて持って行ってもいいよ、と思うけど、口にくわえられるほどの少量を取りに、なんども往復するのでしょう。カリカリ齧った簾、ずっと巣作りに使うんだと思っているけど、アシナガバチの巣は、白っぽいあれですよね。どこにどう使うのか。もしかして、巣じゃなくて、猫が草を噛む的な行為だったりして? 鼻息をころして
内側からかなり近寄ってじーっと眺めていたら、気づいたのかプイと飛んでいきました。気づくか。 そんなこんなで、アシナガバチとは簾ごしの付き合いが長いせいか、なんとなく親近感があって、作品のモチーフにもしたことがありましたっけ。"根っこの記憶"の時。あの時のは、カナブンが一番お気に入りですけどね。小さい碧の玉虫色のが庭のサルスベリの花によく居たのを思い出しました。夏の虫。プランターの土の中にわんさかと幼虫が育ってるのはノーサンキューですけれどね。
ま、ちいさくも楽しいことがわりとあるもんで、ありがたいことです。



7/25 いつかのことなんて見えないわけで


 薄曇り。とつぜんミンミン蝉が鳴きだした。傘マークの予報だけれど晴れてくるのかも。ゆらゆらぼんやりしていた影が、ふいに輪郭を現したと思ったらまた消えたり。足早に日々が過ぎてうつつのよう。
 自分てなにが出来るのだろう、なにをしたいんだろう、と静かに低迷するのもいつもの夏のことだっけ。誰についていこうとも思わないのに、おいてけぼりの気分にだけなったりするんだわ。勝手なことだ。そんな気分は草むらに隠してしまって夢見がちになってやる。どこに向かうかなんてわかってないけど、陽のあたるほうへむいているのはきっと確か。あちこちにぶつかりながら進むしかないんだな、まだ。
 蝉が静かになったら、遠くの音がよくきこえる。やっぱり降るのかもね。傘を持って出かけよう。



7/19 落とし主はもう素知らぬ顔



 蝉の声をききました。長いようで短い夏が、ひとつひとつ証を残して過ぎていく。
 以前に拾ったモノ(写真の)が、ようやくなんだか判明。乾燥して綺麗な黒になったこれ。うすうすそうかな、と思ってはいましたが、木蓮の花芯(実)みたい。私が拾ったときのように青いまま落ちてしまわず、木についたままでいると、うろこみたいな部分が開いて真っ赤な種がでてくるみたいです。ネットで見た限りは、けっこうグロテスク。要するに、落ちてしまったもの(落としたもの)は、不要物ということ。なるほど。ひとつギモンが解決されて、ひとつ知りました。 昨日はレッスンで、街路樹の木蓮を見てみたけど、よくわからなかった。見あげたのはこぶしの木なのかも。白木蓮とこぶしの区別が、ちょっと曖昧なのです。
 レッスンは、来る子ども達みんな夏休み前で表情がキラキラ。日に焼けてきて、よく笑う子供たちをみてると、可愛くて嬉しくて話が弾みます。音も弾む。家族旅行や、修学旅行、楽しみにしていることがたくさんあるみたい。私もたくさん笑って歌ってよく喋ってきました。ま、いつもだけど。ぬるい空気に包まれて、ほどよく疲れてちょっとばかしワインを飲んで、いい気分〜ぽわ〜と思ってたら、ぶつぶつもわーいとばかりに顔を出しましたよ。オーマイガ!かゆい!お酒はまだだめみたいですな。ち。

7/17 風になる衣と



 過ごしやすい朝です。タンバリンギャラリーのSO SEA展へえみさんと衣たちに会いに行ってきました。OPEN直後の混雑がひいたころにお邪魔したので、静かでクリアな空気のなか、丘の風をはらむ衣たちをじっくり堪能できました。他どこにもないけど、すっと寄り添うようなSO SEAの世界。大きな大きな深呼吸をひとつ都会の空に放ったような時間でしたよ。展示は日曜日まで。土曜の午後にはううじんさんのミニライブもあります。大好きな人たちにたくさん会えそうだし、また行っちゃうな。



7/15 白粉花香る道でさみしさについて考えた
 


 晴れて気温上昇中。玄関の掃き掃除をしていたら、ふわり大きな綿毛が入ってきてゆっくり着地。こまかく枝分かれした綺麗な羽根になってる。なんの種かな。直径3〜4センチあるので、元は10センチくらいの綿ボールになっているはず。外へ出たらご近所を探してみよう。
 連休だろうが関係の無い生活なので、むしろ連休は不便です。なんだか暑くて賑やかなところへわざわざ出て行く気にもなれず、ピアノを弾いて、洋服を縫ったり、半期分のレシートを整理したり、ハーブのチンキを作ったり、スプレーや化粧水を作ったり、高いところの埃を掃ったり、かぼちゃを煮たりと、やりたかったことを淡々とこなすそんな数日。そろそろ口をつぐんでいるのも飽きちゃったかな。でもまだあるの。やりたいことは。
 昨日、夕方さっと雨が通って涼しくなってからスーパーへ行って、またひとりぽつぽつと歩いて帰ってきながら、ふいに 私ってさみしい人なのかな、今さみしい?って考えてみた。連休でお出かけしたり、わいわい遊んでいる人がうらやましい?って感じで。よくわからなかった。たしかに誰かと出掛けたら楽しいかもしれないけど、10メートルくらい歩いたら、そんなこと考えてたこともすっかり忘れちゃって、線路端の草を観察しながら晩ごはんのこととか考えてたから、たぶんそんなにさみしくなかったみたい。よかったよかった。


7/14 コントロール



 眠れて眠れて起きれない原因が、皮膚科のお薬なんじゃないか?と1ヶ月経ってようやく気づいて、夜は飲まないようにしたら、ちゃんと起きれるようになりました。やっぱりそうか。たしかに眠くなりませんか?と訊かれたけれど、そういうのは飲んでから2〜3時間とか数時間のことだと思っていたから、全然気づかずにずっと眠い季節なのかと思っていた。むしろ飲んで数時間は全然平気。早く起きれるように早寝してたから、余計寝れて毎日ほんとよく寝てました。そんなこんなで、なんだかあっという間。ぶつぶつもだいぶ落ち着いてきたので、うまいことやっていこう。




7/11 温風至る



 梅雨があけて、ライブが終わって、2日ほど実家に帰って生い茂る庭や畑を眺めて帰って来ました。この時期の植物のいきおいほど頼もしいものはないですね。畑も、蒔いたり植えたりした野菜、こぼれ種から育っているもの、どこかからやってきたものたち、木のように茂る花や草、敷物や塀のように育つ蔓野菜。なんでもかんでも大好きなぼうぼう具合で、宝探しの気分。
 さて、あいかわらずの熱波。エアコンのリモコンが効かなくなって、このままでは死ぬ・・・と半日困っていたら直ったみたい。くたばらなくてよかったです。ほんとうに息苦しい暑さですが、みなさまやられないようお気をつけください。夏も愉しくやっていきましょ。


 刈り取ってきた赤紫蘇でジュースを作ってみました。ネットで調べたレシピで作ってみたけれど、私はお砂糖はもっとうんとすこしでいいみたい。まだ葉っぱがあるので、今度は入れないで作って割ってしまおうと思います。






7/3 水面下



 梅雨明けちゃったんじゃない?と話していたのが聞こえたのか、今日は空がしとっと薄暗くて時折ぼつぼつ降ってくる。ときどき水気をもたらしてくれた方が、植物の水やりに水道とベランダ、玄関外を何往復もしなくてすんでいいんだけど。できれば、朝方と夕方に。なんてね。
 久しぶりの葉山は、移転したsunshine+cloudへ。広く開放的な空間でcafeも併設されてこれまた素敵な空間になっていた。綺麗な色の洋服が並んで空気も人も瑞々しくみえましたよ。ここまで来たからと、永井さんのお墓参りにも行って、お寺のかよちゃん一家にお茶をよばれて、子供たちがゲラゲラ笑いながら遊びまわるのをみて、のんびりとした日没にあわせるように私達ものんびりして、また海岸線を眺めながら帰ってきた。
 ここのところポストにワクワクする友たちの展覧会のお知らせが次々送られてきて、そろそろわたしもなんかやろっかな、とやりたいことを全部ノートに書き出すも、終わらないうちにパタリと就寝。やりたいこと、やれてないことがいくつもあるけど、それでも今は別に焦ることもなく、わりと静かに様子をみている感じ。外も内も。

 さて、今週末のライブの曲をつめていかねば。同じ詩でも、曲順や気分や使う楽器で曲をマイナーチェンジしてたり、ガラっと変えてたりすることが多いです。だから同じ回はもう無いのです。お時間ありましたらいらしてくださいませね。

 

7/2 半夏生

 毒気降るゆえに田畑に入るを禁ず日、なんだそう。どういう謂れがあるのかしら。さらっと晴れて風もかるい。プランターのミニトマトをチェックしたら今日は鎌倉葉山をまわってきます。あちらこちら海開きもされたし、そろそろ海も気になるところ。





6/23 ただいま雑念中


レタスの花。しだれ花火みたい。


 曇り。太陽も雨も風もなく静かな夕方。昨日は、仕事先の学園のちいさな演奏会。生徒さんが先生たちの前で演奏して、全部の先生から講評をもらうのです。弾く方も緊張するでしょうが、書く方も毎回けっこう真剣。他の科の生徒さんの演奏は、3ヶ月〜半年とか一年に一回くらいしか聴くチャンスが無いので、次のときの為にもいろいろなことに気づけるよう、なるべくならいいところにたくさん気づけるよう、耳を傾けます。
 音にはテクニック以外のことも表れて、この子はどんな生活をしているのかな、と音楽より外側から考えてレッスン方法も判断していかないといけないこともあります。そんな話を、ベテラン先生たちとシェアして話せるのも、よい機会。レッスンしているのは自分でも、先生たちみんながどの生徒さんのことも熱心に見てくださって、こんな環境で働けている自分自身もありがたいなあと、つくづく思うのです。
 生徒達もいい演奏だったし、歌も思いっきりうたったし、伴奏もうまいこといったし、よかったよかったと、足早に移動して、夜は友たちとの食事。さらっと駆けつけてあつまって、なんやかんやと話して、またさらっと別れる。こんな隙間のような時間が、クッションの層のように、ふとした時にちゃんと助けてくれるんだろうね。みんないろいろでいろいろ考えてる。
私の今日は、仕事5割ぶつぶつ3割雑念2割ってとこだな。ぶつぶつは、出たりひいたり広がったりで、規模がでかくなってるんだけど、なぜかメンタルがやられないから、なんか平気だ。今のところ。かゆくて目が覚めてばかりで眠れないのが困るんだけどね。






6/21 日の長きのいたりなるを以って

 雨降る夏至の日。明け方に起きて二度寝したら、なかなか目が覚めず長く布団の中にいた。結局大きな雨は来ず、しとしとと梅雨模様。昨日伴奏合わせをした深いチェロの音のことを思い出した。
 今日は design、sign(サイン)をde(消す)ってどういうことだろうと考えながら同じ絵をいくつも描いている。家紋みたいなのに行きついて、そうか!?とハッとしたりしたけど、べつにそうかでもないか。勉強したいことがたくさんあるよ。ときどき窓の外を眺めながら、無口のままたくさんのことを思ってる。




6/19 台風がくるんですって?

 風が音をたてて遠くを走りまわってる。嵐のしっぽをつかまえて、連れてこようとしてるのかな。チュンチュンと鳴く鳥のほかは、何かを待ちわびてるようなざわざわした気配でいっぱい。

 newsに、象の音楽のライブ情報をUPしました。7/6(土)茅ヶ崎nokkaです。2年ぶりのnokkaライブ。前回は夏至の日のキャンドルライブでした。今年はフライング七夕な感じですかね。nokkaのビオワインが美味なのですよ。写真家で帽子作家でもある黒田真琴さんの写真スライドともコラボります。真琴ちゃんの写真がまたカッコいいんだわ。私は嵐が去ったら
しばらく曲作りラッシュ。

 



6/15 うっぷん?



 梅雨の晴れ間。梅は下の記事の日に仕込みましたけど、写真だけでもいいにおいがしそうでしょう。今年は南高梅にしたせいか香りもひときわ杏、な感じでした。鼻をつけて口をつけてカプっと噛みたい衝動をこらえました。杏との掛け合わせならちょっとくらい食べてみても平気なんでしょうか。瓶に入らなかった分、梅味噌もほんのすこし作ったので、早速キュウリを常備。早いか。
 ここ2週間ほど、私の体はなにかを訴えているのか、デトックスを始めたのかで、あちこちにぷつぷつかゆかゆがたくさん出てきました。皮膚科でもこれだ!という原因はわからなくて、紫外線なのかな〜、じゃあとりあえず とステロイドを3本も出してくれましたよ。幼稚園でクロンボ大賞をもらった私が紫外線アレルギー?あの頃に浴びすぎたか?ふーむ。
 子供の頃はアトピー持ちでしたし、家族はアレルギー体質だし、なにか持っていても不思議じゃないか。加えて生まれて40といくつか歳を重ね、不摂生なんてたくさんしてきましたからねえ。体がぶつぶつ言い出しても、まあそうかもね、出しておしまいよ、としか。しかし時に爆発的にかゆい...。
 ステロイドは昔は塗ってたけど、今はなんだか気が進まない。病院のお薬はいざというときに即効 力を発揮してくれることはわかっているので、ありがたく持っておいて、ひとまずメンタルにも健やかな植物のお世話になることに。皮膚疾患にはスギナ、枇杷の葉、カモミール? あ、あるね。スギナなんか採ったはいいがお茶だと美味しくないしどうすんべ?と思ってたけど、きたよ。使う時が。捨てなくてよかったー。枇杷の葉も春に友達の畑から失敬してきといてよかったー。笑
両方煮出して湿布したりお風呂へ。スギナは綺麗な黄色に、枇杷の葉はやわらかいサーモンピンクにガーゼが染まりましたよ。いい染料もになりそうです。
今日は皮膚の万能薬といわれてる、カレンデユラの浸出オイルと軟膏をつくってみました。うまいことぶつぶつが発散してくれるといいけれど。昼間より、全身が緩む就寝時がかゆいのねん。アトピーは中学生の頃にはもう治っていて、今ではもうその時どんなだったか忘れちゃってたけど(ひじの内側がすごかったのは覚えてる)長く患っている人は、ほんと大変ね。。。 というわけでただいま人体実験中。海の季節がきてるよー。(ぶつぶつたちに呼びかけ)







6/12 香りのする部屋


 追熟させておいた梅の甘い香りが部屋いっぱいに広がっている。テーブルの上に置かれておへそのごまをとる用意。今日中には仕込んでしまわないとね。
急ぎで入ってきた案件に、すこしだけ余裕ができて、気持ちにもすこし余裕ができた。自分を追い詰めているのは、たいがいいつも自分だと思う。ちょっと上増ししがちだね。
 気配を消しつづけたまま降っている雨の中に出て、やりたいと思いつつ出来ていなかったハーブの手入れをする。腕や首や背中にかすかに降ってくる水滴をまといながら、しゃがんだまま葉っぱの様子をじっと眺めたり、パツンパツンと切ったり。そしてまた眺めたり、時々ちょっとひとりごちたりするのは、深呼吸しているみたいな時間だ。花が咲いているなあと横目に見ていたトマトには実が出来ていた。嗚呼、毎日は、日毎だ。青い実をつけたトマトは、ふふふんと笑ってるみたい。
 昨日も楽しい一日で、行った先で会った友たちはみんな笑顔だった。お土産やおすそ分けをいろいろもらったりして、モノやことがあつまる日だったみたい。面白かったな。ひとつ新しいことも始めてみる。さて続くかしら。




6/8 ほおづえとあくびと午後の鐘




 今日も昨日もおとついも、なんだか眠くて眠くて眠くてねむーい。よく寝ているのに。枕の位置を変えたせい?気分転換に樅のチンキでスプレーをつくって拭き掃除。森の香りで落ち着いたらまた眠い...。いくつか仕上げてしまいたいものがあるんだけれど、どうしたものか。お灸でも据えてみようかな。いやだめか。シャキッとするのはなんだ。ふわりふわりと入り込んでくる風がこれまた心地好い肌さわりの毛布みたい。


 

6/5 カモミールが咲いた日



 ふいにふと、そうかこれは死ぬ準備をしているのか?と思う。いや、全然兆候とか悲観とか絶望とかないですよ。そして私だけのことでなく。そうわかったらむしろ腑に落ちた。徐々に身のまわりをシンプルにしたいと思ったり、体の中をクリアにしたいと思ったり、邪念や雑念をなるべく減らしたいと思うこととかね。たぶん今はじまった事じゃなくて、ほんとうはもっとずっと前から準備ははじまっているのだろうな。よく、生まれたらあとは死に向かっていくだけ みたいなことを言うけれど、悲しいことじゃなくてサイクルなのね。花が種を残すために咲くように。
 今まで思っていた 死 とは、違うところからそれが見えて、ああそっかと変な話だけど受け入れ態勢がちょっと出来た気がする。ふーん。意識してないでも潜在的になにかあるのだな。はー。しかし整理しなくちゃいけないモノが、目の前にどさっとある。これは確実に目に見えている・・・ いや、見えない見えない・・・ じー。


6/4 Blue



 晴れて暑い。1週間雲と傘マークだった天気予報は、1週間お日さまに変わった。朝から山田稔明さんの新譜を流しながら掃除や仕事。自分が主人公のロードムービーを観ているような、そんな錯覚。リアルタイムでもあり、いつもの淡々とした日々のようでもあり、記憶のようでもある。こんな楽曲たちってあったかなあ。気にしてなかっただけなのかな。不思議だ。
挿入歌が入ってムービーになった自分の時間は、特別なことはなにもなくて(だいたい家で仕事している日なんてのはありふれている毎日だからね)、車窓の景色みたいに流れていて、ほんのささいなことに一喜一憂したり、ただただまた同じように繰り返すだろうけれど、とてもいとおしいものに感じた。きっと山田さんがそんな時間をたくさん過ごしてぎゅっと詰めたアルバムなのだろうな。この感覚がもし今日だけのことだとしても、自分の生活の見え方がちょっと変わる気がする。
青いジャケットの絵は福田利之さん。絵はもちろんリーフレット(歌詞カード)も日本語フォントも美しい。やっぱりプロは生半可じゃない。




6/1 いそぐはらぺこあおむしとのんびりの休日 



 よし晴れてる!と、張りきって洗濯したらもくもくと曇り空に。乾いてくださいよ。鉢植えはあっちもこっちもカラカラ。いもむしも忙しそうに葉っぱに穴をあけています。コリアンダーには種が出来はじめて、フリフリレタスも花の準備。私はようやく休日モード。ベランダを眺めながらお茶をすすっていたら、ピンポーンと印刷に出していたデザインが届いた。いい感じ。印刷まで請けるときには、この封を開ける瞬間が一番緊張する。思ったような色が出てるかなとか、紙との相性はどうかなとか。ひとまず安心。週明けにあがってくるもう1つをまたドキドキと待って納品。
 昨日は縫い物の納品を兼ねて鎌倉へ。藤沢から先のJRがトラブルで乱れていたので、ならば久しぶりに江ノ電に乗ってみようかと、あの緑色のちいさな電車に乗り込んでみれば、長閑な走りに一気に旅気分。キーキーゴトゴト。うとうと。覆いかかるような緑、青くて眩しい海。修学旅行生。
 Fabric Campでスクランプシャスさんの美しい手仕事を拝見して、涙が出そうにぶるぶる感動したあとには、なあやさんのHAND&SOUL BOOKSラストディに。どちらもちいさなお店ですが、気持ちの好い朗らかな人が集ります。
閉店のお手伝いをしていたときに、白いプロペラのドクダミの花に蛍をみつけましたよ。ドクダミたけ欲しかったのでサヨナラしましたけど、暗くして光らせてみればよかったかも。 昼間は光らないから気づきにくいけれど、ちゃんと居るんですね。日々の中で自分側から気づけることって、ほんと少ないなと思う。
しょうもない話を真面目にたくさんして、駅まで送ってもらって、みーやんのsahanで美味しいごはんを食べて、わかりやすいご褒美みたいな一日だった。今日は身辺を整えつつゆっくり呼吸をする日。



5/29 おとしもののひろいもの



 部屋の中が蒸し暑い。強い風が吹いたり曇ったり薄陽が射したりぱらぱらっと雨が降ってみたり。
 お隣とそのお隣がこぞって改修工事をし始めて、朝早くからいろいろと音が大きいので図書館に向かってみたら、今日は臨時休館日でした。借りていた本をダストシュートみたいな返却ポストへ次々すべらせて、着地の音を聞いて、隣の公園でちょっとだけブランコに揺れてみてから、ぐるりと遠回りして帰ることに。民家が並ぶ路地を、生ぬるい風がびゅんと吹いたら、目の先にポイっとかたまりが落ちてきました。庭からはみ出た木が落としたようです。タイサンボクみたいな大きな花の芯の部分だとは思うんだけど、拾うよね。とりあえずは拾うさ。持っていても安全と判断したらひとまずポケットに入れるさ。で、歩き出してその場を離れたらまた出して、よくよく眺めてみる。なんだコレ。まあなんの木か、とかってのはわからなくてもよくって、問題は、この青い未熟っぽいモノが よし今だ!と機を得て落ちてきたのか、ちょっと早かったよ〜と不本意ながら落ちてきてしまったのか、はたまた落ちることに意味がある部分(種とかね)なのか、要らない部分だから木が落としたのか、落としたことによってなにか効果があるモノ(疑似餌みたいな)なのか。で、ひとしきり疑問を投げかけたところで、南国ぽいとか、爬虫類ぽいとか、鱗は開くのか?とか、やっぱり埋めてみるべきか否かと、しつこくコレで考えながら歩いて戻ってまいりました。もうひとつ手にしたら、半分に割ってみたいところ。
 午後はパソコンの前に座って、じっくりとデザイン作業の仕上げ。ヒルガオが咲き出して、イネ科の草がサワサワ背を伸ばして、チガヤがふっくらして、それで関東も梅雨入りしたのかな。



5/25 何度目の正直?


 
 3年ぶりくらいに弦を張り替えました。わりとうまく巻けました。余り弦のぐるぐるが。笑
たいして弾きもしないのに、常に張りっ放しにしているので伸びちゃうんですよね。新しい弦は、金銀ミックスでなんだかおめでたい感じ!これまでもウルトラライトな弦を張ってましたけど、それでも指が痛いよ〜とひ弱な自分なので、よく行く楽器屋さんにスチールとナイロンのMIX弦を探し求めに行きましたら、うちにはありません...と。とたんに哀しい目をしていたんでしょうか、お兄さんがウルトラライトより柔らかタッチのなんちゃら弦をすすめてくれました。弦の前にずら〜と並ぶカポをじっと見つめながら、「カポはどれですかね?」と訊く 初心者感満載の、私の意思が伝わったんでしょうね。柔らかいと言ってくれているのに訝しい顔をしている私に、「ナイロンのタッチとは異なりますが、なんちゃら弦なので指当たりはソフトです。なんちゃら弦なのでs。
」と、なんちゃらの部分を強調して優しく教えてくださいましたよ。なんちゃらが覚えられなかったんですけど...。たしかに張ってみたところ、これはすぐに伸びてしまうかもしれない...と、素人感覚でもちょっとした不安をも抱かせる柔らかさです。シルク混ですって。さてどんな音がでるんでしょう。
 ギターは、10代の頃から、買っては売り、貰っては売り、借りては返し、貰っては譲り、5台目。どんだけ挫折しているんだ... クラプトンのtears in heavenをタブ譜をみてたどたどと弾けるのが唯一です。あとストーンズのアンジーとか、ツェッペリンの天国への階段のイントロね。嗚呼、わかりやすい奴...。なんだか恥ずかしい。
練習も辛抱も足りないわけだけど、思った音を探すのに鍵盤が手っ取り早い、と思ってしまうのがいけないのだなあ。生半可ピアノが弾けたりするから。まあ、今は弾き語りしたいとかあの曲が弾きたいとかではなくて、持ち歩けないピアノの代わりに、曲をつくれるだけの技術が欲しいわけなのです。もちろんジャンラジャンラ弾けて歌えたら楽しいだろうけどね。




5/23  根っこの記憶 



 朝から陽射しが強く、洗濯も水通しした生地もどんどん乾いてくれてありがたい。クローゼットの中も入れ替え。夏の準備。常に移り変わっている季節だけど、迎える仕度はいつもうきうきする。昨日の夜は今年初めて、暗がりからジィィィーとする虫の声をきいた。
 先週くらいに豆ご飯をするのに買ったグリンピースを3粒ほど土に埋めておいてみたら、芽がでてきてて、やっぱり出たか...と少々複雑な気持ち。出たならば、大好きな豆ごはんがまた出来るくらいになってくれ。
なるほど自分、常に意識的にこういうことしているんだな、と今日もドングリを引っこ抜いたのでした。懲りないもんで困るのね。
ゴミ箱に捨てるのが後ろめたい..というか、伸びた根っこがきれいなので瓶に飾っておくことに。たまに公表してますが、根っこフェチです。ときどき好みの根っこ、例えばクラクラするように繊細で且つ綿菓子のように密に茂った根っこ に出会うことがあって、(あ、茂ったとは言わないのかな)捨てられずそっと乾かしたり、そのまま土の上にのせて取っておくわけですが、1年くらい経つとたいていのモノは消えています。いや、そのくらいで消えるのがいいのです。どうでもいいですね。へへ。
散々こんな勝手なことをされて、それでも生きようとして、植物ってどんなことを記憶しているのだろう。なにを知っているんだろう。なにを宿しているんだろう。



 そうそう、らっきょう漬けてみました。塩漬けが出来たので、今は塩抜きして梅酢漬けと甘酢漬けにしているところ。今日は出かけるので帰ってくるまで食べられないけれど、パリパリと好い食感。らっきょう漬は、市販のがあまり得意でないので(たぶん甘味の塩梅)これまで食べずにきましたが、自分で漬けたら平気かな。初めて選んだ永井さんの作品と並べて撮ってみましたよ。永井さんはらっきょう好きだったかな。




5/22 甘くてねむい初夏の窓辺



 ノルマに追われる日々。決めているのは自分なのでやるしかありません。なかなか終わらないってことは、決め方が甘いのかしら。うーん。とにかく毎日眠いのです。寝てるのに。
 甘いといえば、今日もワイルドストロベリーが豊作。苺は玄関の外に鉢があるので、気がついてしゃがんでもくもく食べてから出掛けることしばしです。気温があがってきて、美味しさもあがってきました。苺の鉢の奥ではずっと調子のよかったレモンバームが虫に見つかって、あっという間に穴だらけの葉っぱに。ちいさな青虫がこちらももくもくと食べております。毎年のこと。去年は地味に青虫を探してはポーイしていたけれど、茂りすぎて葉の色も悪くなってきたので、思いきってバサバサとカット。気を利かせて日向をつくろうとしてたのかしら。なんてことはないだろうけれど、レモンバームにしてみれば風通し光通しがよくなっていいのかもね。私はあんまり嬉しくないので、青虫くんが他の植物に移動しないようある程度残してチョキチョキ。穂先はお茶用に。今シーズン、フレッシュで飲めるのはそろそろ終わりかな。また根元から育ってくるだろし、たくさん食べて早く巣立ってください。あおむしよ。


入れ替わるようにパセリやレタスが朝のお皿に。フリフリ。





5/18 風薫る日



 オリーブの花が咲いた。何年越しだろう。待ちもせず、待たれもせず、突然咲かせた。




5/17 背中をひらく



 青空。エゴノキの白い花が満開。スーパーには小梅が並びはじめて、のんびり歩く猫とはしばし顔を見合わせる。部屋の日蔭が落ち着く季節になったなあと、眩しい日向を眺めてたら、洗濯物をすり抜けて入ってきた風が、壁にかけた麦わらをゆるやかに揺らした。どちらさんか、ピルルルルとさっきから電話が鳴ってますよ。今年はらっきょうでも漬けてみるかな。







5/16 粒たちの目覚め



 土鳩が鳴いてる。レッスン日の木曜の朝は、他の仕事はやらないことにしているので、今朝は二度寝。満足。ようし、今日もがんばるぞ。注文していた布やお針子さんの生地がいっぺんに届いて、部屋が一気に仕立て屋さん状態です。作業部屋が欲しいなあ。もりもり縫いたい。

 どうやら冬の土作りの際、あちこちにどんぐりが混ざっていたようで(拾ったのを混ぜたのだろうと思います;)、あちこちからどんぐりが芽を出しました。波うった葉の容姿からして、はい、キミもキミも、もうどんぐりに間違いなし!あちゃー、という。
ちいさいプランターの寄せ植えの中で、あまりに育つ気満々なので、いくつか引っこ抜こうと思ったら、深いところから ぐぐっと芽を伸ばしており、根の張り方もそこらのモノとちょっと違う。引き?が強い!ひと苦労。
まさか、こんなに芽が出るものと思っていなかったのだよ。ごめんなさい。でも考えてみれば、山を作る木だもの、ひとつの種の大きさがどんぐりだもの、生命力が強いのは当たり前か。ハーブの種と比べれば、砂粒と小石の比。もうむやみに土に漉きこまないと心に誓いました。
 抜いたどんぐりの横には、今までみた種の中でダントツに小さかったホーリーバジルが、1つだけ芽を出して育っている。こちらはバラバラとたくさん蒔いたのに、1つだけ。料理やお茶にできるくらい茂るといいなあ。ミントやレモンバームはいつものようにわさわさと、紫蘇やカモミール、ミニトマト、ノーマルバジル、コリアンダーなど、初夏の植物たちもぐんと育ってきましたよ。雨が2日にいっぺんくらい、さっと降ってくれるとまことに都合が良いのだけど。さて、水遣りをして、新しい楽譜をいくつか持って、早めに行ってたくさん弾こう。いってきます。



5/14 ASK GOD

 駅を出た途端に、湿り気を含んだ夏の夜の匂いを感じて、ああ とうとう と思う。
夜に日記を書くのはひさしぶり。日没がだいぶ遅くなって、いつまでものんびり油断していたら、あっという間にいい時間。細い三日月を眺めながら帰ってきました。今日くらいからうっすら糸のようになっていく月が一番好きかな。暗闇からは ムンと緑のニオイや濃い花の香りがして、またハッとする。やっぱり見えないぶん昼間より嗅覚が働くのかな。夜の散歩も楽しいかもね。
 戻ってきてから一仕事、と思っていたけれど、始めるには少し遅いか、ならばと日記を書き始めたわけです。
理由はもうひとつあって、明日起きた時に晴れていたら、きっとあそこへ行きたくてたまらないだろうから。たぶん今頃真っ赤な野イチゴの実で埋めつくされているはずで、ほんとは今日も思い出すとそわそわ。野イチゴが群生したのは通い始めてから初めて。ちょっとしたブッシュとなっております。連休のころ行った時に2つ3つ味見したのだけどね。ああもう2週間近くになるのか、一体どうなっているのやらー。悶悶。
 今年はうちのワイルドストロベリーたちも豊作。鈴生り。そういえば、実家の畑の苺もなかなかの生りっぷりだった。イチゴの年なのかな。とにかく、行くのだったら早起きしてさっと行って帰ってきて仕事をしないと、と思っているわけ。そう、そんなわけ。まあそんなサクっと行ってこれる気はしないよね...だから自粛すべきなんだろうがー。NOイチゴやーん。2時間早起きすればよかばい。そのためには、もう寝るばい。(いや、昂ぶって眠れない)
きっと読んでいる方は、しょうもない一人問答をしているとお思いでしょう。そのとおりです。でもわりと真面目。好きなことに貪欲です。行って見れば気が済むんだから。ね、ね。よし、ひと仕事しよう!夜書くと、こういうとりとめも無い内容になるのか...
 
 ASK GODは、今日見せてもらった黒田真琴ちゃんの写真に写り込んでいた言葉。映像、感じる質感や温度、湿度、それらと共にこの言葉も、これから作り上げようとしていることのイメージヒントにしようと記憶した。近くお知らせも出来るはず。楽しみがまたできた。



5/11 雨の日の訪問者


 昨夜からずっと土の奥まで染み入る雨。あちこち乾いていたから、ちょうどいい。晴れ上がる前にちいさな苗を植え替えてしまおう。
引っ越してきた時から長らく外していたクローゼットのドアをまた付けようと思ったら、どうもうまくいかず。汗を流す。ネジは締めるより外す方が得意です。いろんな意味で。
 やまない雨の中、友が遊びに来てくれた。ちいさくも野望ともいえる企みを話す。実現していったら愉しいだろうな。うれしい話もいただいた。ときどき思い出してくれたり、気にかけてくれる人が居るんだな、とじんわりありがたく思う。 



5/10 立夏



 ぐんと気温が上昇中。今はこんなに晴れているけれど、湿った風が雨をつれてこようとしているよ。海の近くへ、かわいいふたりに会いに行ってきます。




5/9 猫が日蔭のほうへのんびりと歩いている



 窓辺の陽射しが長閑。影の入り方がだいぶ変わってきて、季節はちゃくちゃくと進んでることがわかる。階下ではたくさんのナガミヒナゲシが一日限りの花を咲かせていて、ベランダの端っこでユキノシタの花が咲いた。ほんとうはこの小さなベランダにももっといろいろな変化がおこっているのだろう。毎日同じように見てるはずでも気づくのはひとつふたつ。んー、見て気づいているんだけど流しているのかもしれないな。受け入れられるときに新しいできごととして取り込まれるみたい。
 情報や言葉は時折たたみかけるようにやってきて、受取る準備が出来ていないと、とたんにやられてしまう。やりとりというより、投げるところを必要とするときがあることは、わかってるけどね。自分もきっとあるし。
 ハーブのプランターの真ん中にドングリが生えてきた。明らかに場違いだけど、そこは違うね、と言うのは、こちらの主張か。しばらく好きにしたまえ。


リフレッシュを兼ねて、今日はすっきりブレンドにしてみたよ。たんぽぽがまた咲いた。



5/4 ことのはの夜 跳んだシードとピール



 夜のうちに、干しておいた小さきモノたちがどこかへ飛んでゆきました。少しずつ溜めてたやつだったから、ちょっとがっかりね。
 絵に描くようなきれいな双葉がふたつほど芽を出して、これはなんだ?と思っていたところ、本葉が伸びてきてわかりました。たぶん山椒です。山椒なら思い当たる節があります。木になるかな。しばらく様子見。
すこし前に、農業を学び始めた友人から、土には土の意志があって、山の土は山をつくろうとして、街場の土は街をつくろうとする、みたいなことを聞きました。ちょっと私解釈になっているかもしれないけれど。うちのベランダの土たちは、なにを作りたがっているのだろう。お洒落なベランダガーデン、とかでは無いみたい。めざせ林!くらいの雰囲気には思えるけれどね。林の腐葉土や田舎の土がすこし交じっているからかな。山椒のほかにも、よくわからない芽が伸びていて、それはどうも山のもののような気がする。まだ2センチほどのひょろい芽だけど、木になりたがる気配がするのだ。こちらも要観察。お天気が好くて、植物たちはモリモリ育とうとしていて、毎朝の水遣りがかかせない。

 昨夜のライブは、山田稔明さんと高橋久美子さん(exチャットモンチー)のcottonohaライブでした。ことのは、というタイトルどおり、朗読を盛り込んだライブ。久美子さんの朗読のバックで2曲ほど音を入れさせてもらう。文章からコミカルでちょっぴりシニカルなイメージを受けたので、弦をmuteして打鍵してみました。もう1つはやさしい詩。山田さんのギターに音を添える感じでご一緒させてもらいましたよ。徳島出身の久美子さんの、やわらかい言葉の抑揚、ギターの音色とがとても心地好くて、もうすこしだけやっていたいような気持ちでした。愉しかった。
お客さまを巻き込んだリーディングや、巣巣の岩崎さん、ダンラナチュールのなつえさんを交えた4人朗読は、永井さんのもとで、読み方を試行錯誤していたCOYAライブの頃を思い出して、懐かしく、そして今ではまた新鮮に。すこし緊張感のある朗読も、ほぐれる歌も、バランスよく、とてもいい時間でした。そして声にはかなわないな、といつもなんだか思うのです。先日の象のライブに来てくださったお客さまが居らしていて、「帰ってから自分でも声を出して読んでみたんですよ」とうれしいお話も聞けました。象では役が決まっているので演奏に徹しているけれど、わたしもまたちょっと読みたくなったな。ちょっとだけね。



5/3 ヒトリシズカ



 花の房が1本なのがヒトリシズカ。2本のもあって、それはフタリシズカ。フタリになると少しうつむき加減に、ヒトリの方がすくっと立っているようです。なんだかわかるような気がする。面白いなあ。
 今日もよく晴れてひんやり。夜にある巣巣のライブで、朗読にすこし音をつけさせてもらえることになったので、これから都会へ行ってまいります。巣巣は10周年のアニバーサリーウィーク中。イベントやライブが続いていますよ。おめでたいのはいいね。場がハッピーだもの。
 10年かー。10年前は2003年。あそこは飯田橋だったかなあ、展示というものを初めてやった年です。そのころは重たい一眼レフと換えレンズを2本とか持ち歩いて写真を撮っていました。カラーとモノクロフィルムとカメラ2台持ちとかね。今はもう持てないな、というか持ちたくない...。マクロレンズを持っていなくて、虫眼鏡をレンズにあてて撮ったりしてたのでした。マクロフィルターを買ってからマクロばっかり撮ってましたよ。覗きこみ大好きだった・・・
 その次の年から永井さんのワークショップに通うようになって、やることなすことガラリと変わったようで、でもどんどん素に戻ってくるような10年間でした。それで、たぶんまたここからだなって感じが、去年くらいからしてる。でもこんなに思いもつかないことが色々あった10年だったから、何をどう考えたってね、私がこれから一体どうなっていくのかなんて、もうほんと、風に訊いておくれって感じだよ。




5/1 ブラームスの避暑地



 じっと眺めていると入り口が見えてくる。ような気が。避暑地でもなく、うちの近くの公園ですけれども。入り口が見えたからには入っていかなくては。んん?もしかして出口かな。どっちに見えますか?
 巣巣ライブも愉しく盛況に終わって、ふたたび縁の下にもぐるような日。ライブ前はひざを抱えて呼吸を確認するような気持ちだったけれど、今は別に暗いわけじゃなくて、地味に石ころを取除いたり均したりしているような感じ。次のことをやるのにはどうも、そのくらい遠いところから整えようとするみたい。
連休のせいか、仕事のレスポンスもこないので、部屋の中のことにとりかかったら、まあ収拾がつかないこと。でも、部屋の中を整えていくことは、体の中を整えていくのと似てるな、と、ごっそり積まれた紙モノの横で目覚めて思ったのだった。
 今日のタイトルも紙モノの山の中から。メモを書き留めたノートの一番はじめに書かれていた。別のノートのはじまりには「秋の分布図」とか「ゆめのはこをつかむ」とかで始まっているものもある。そのときなにを考えて書いていたんだかは、見当がつかないけれど、今は思いつかないような言葉も多いので、やっぱり捨てられないと一時保管。の繰り返し。言葉だけ(といっても落書きとかもあるけれど)のノートが10冊近く、絵なんかは別にスケッチブックに描いているのでそれら10冊くらい溜まっている。どちらも見返すことが無いわけでもないけれど、もういらないような、そうでもないような。積んだり崩したりそんなこんなしているGWであります。今のところ。

 巣巣ライブはお客さんがたくさん来てくれて、ほんとうにうれしくて愉しかった。生ピアノで気持ちよく弾かせてもらいましたよ。小さな鳴り物楽器や、思いついて中の弦を使ってみたりで音を出しました。効果的だったかどうかはわからないけれど、お客さんに面白がってもらえてなにより。相方にも初披露だったから、どうだったんでしょう・・・。ちょい唄ったしオレ。もっと唄うつもりだったんだけどね。なにか客観的に聞き返すすべを持った方がいいのかもしれないです。記録としても。
チャンキーさんの影絵も大阪とはまた違うイメージを持ちました。というか、リハを何回やっても、目から拾う絵と、耳から拾う言葉、そのつど自分に飛び込んでくるポイントが違うのです。だから音も変わる。いつも即興。終わった時の安堵は、手がひきつるほど弾く曲より大きいわけで。なんとか無事終わってほんとなにより。大阪、東京とありがとうございました。岩崎さんどうもありがとう。


 これが巣巣のアップライトの中。アップライトもその楽器によって高さが違うから、中の印象もそれぞれ。巣巣のピアノはコンパクトだけど、とても作りが丁寧で良い材で出来ている。もうすこし下のところがこれまた複雑なパーツで面白いんだけど、なかなか普段は見れないね。ほんとは爪弾こうと思ってたのに、二枚爪がひどくなってマレットで。爪を強化しなくては。


 こちらは仕事場のグランドピアノの中。グランドはハンマーが下に付いていて、下から打鍵します。いや、打弦だね。中は完全に弦楽器+打楽器。音の出る仕組みを知っていると、弾き方も考えるようになるから、ちいさな子には必ず中をみせてひとしきり遊ばせます。わたしも遊びます。たのしいもんね。弦楽器にはずっと憧れてる。これが持ち運び出来れば、言うことなし!だよ。




>過去ログ