12/30 朝

はーっと手の中にちいさな雲ひとつ
頭のうえの青空では今日も
星が何百キロも走ってる



今年も一年ありがとうございました。
様々な想いと共に過ごした日々でした。声に出した想いもたくさんあった反面、想いを静かに仕舞うということも覚えたように思います。
きっと来年も喜んだり悲しんだり、日々流れ動きながらやっていくんでしょう。
季節がめぐるのを楽しみに、今を愉しく。今はそんなふうに思います。来年は今年よりももっと自分がどう生きていきたいのか見えてくるような気がします。現実的に、気を引き締めて考え直さないといけないこともあります。それでもまあ、お気楽さを振りまきながら、小さい範囲でも周りの人たちに愉しみを蒔いていけるよう一歩一歩やっていけたらいいな。
みなさまもどうぞ好いお年をお迎えくださいませ。
いつまでも自然が味方であれ。ブイ。





12/29


こんなことをしているから仕事が終わらないんでしょうか。

 昨日は、音楽の方の仕事がひとまず終わって、夕方に駆け込みで免許の更新にも行って、撮られた写真を見て軽いショックを受けつつ帰宅。免許証の写真て、どうして明るさや愉しさみたいなのが微塵も映らないんでしょうかね。完全に過去を背負った人ですよ。あたし。まあこれまで生きてきたんだからその分の年数は当たり前に背負ってますけどね。撮る人に「愛がないんだよ!愛が!」と免許証をもらいつつ徒歩で戻ってきながら思ったわけです。まああっても困るか。
 夜はしばし他のことを忘れたふりして、テレビをつけて洋服のボタンの繕いなど。端切れでくるみボタンを作ったり。ちょっとしたことほど、出来ないと気持ちがすさむものです。ようやくの日々の余白にほっとしあわせ。そんなこんなでちょっと気が抜けちゃったかなあ。今日は目の前のことよりも、すこし先のことばかり考えて、ときおりぼんやり。




12/27 まーだだよ 

 帰省が近いので買い物はなるべく自粛。冷蔵庫のモノを綺麗に使いきれるように考えたり、引き出しの中の粉をまぜてパンケーキを作ったり、乾物を戻したりしての食事。何より↓のハムが思いのほか重宝しています。今日のお昼は朝余分に焼いておいたパンケーキに粒マスタードを塗って鶏ハム(プレーン)、作り置きの人参サラダ、プランターのパクチーをどれもわさっとぎゅうっと挟んで。パンと中身がちょっとしっとりするまでおあずけ。もういいかな。食べたら、数字のことを片付けてしまおう。



12/26 スタート

 朝日が窓辺でキラキラ反射しているのを横目に、右手で頬杖をついて、左手をキーボードにのせて、しばらくカレンダーをじっと眺めておりました。去年作った今年の12月のカレンダーの隣には、今年作った新しい1月のカレンダーが並んでいます。去年はどんなことを考えながらこのカレンダーを作っていたんだろう。
私のカレンダーは日曜始まりなので、今年は数字がぴっちり紙の端で終わって、来年がまた紙の端から数字が並びます。そのせいか、その二日の時間は、昨日と今日の間と変わらないんだなあと、そんなことを改めてというか、当たり前だけどそうだよな と思ったりしていました。今日と明日、今年と来年の間に壁やドアを置くのはいつも自分です。いつもちょっと新しい自分になりたいから区切りが好きなのかも。来年へのドアはシースルードアくらいにして、今週もいつもどおりにやれることをやっていきますか。今日も明日も元旦も、いつもが始まり。リミットを作るのはやめておこう。
 さて今日は午後からアンサンブルのリハーサル2本と弦との伴奏合わせ。さらに本番がもう1ステージ増えそうな予感・・・。生徒たちはこの時期日々確実に上達していて、ほんとにすごい。ガンバレよ自分。ちょっとだけ背すじを伸ばすように気を引き締めていきまっしょい。顔洗って練習。





12/25 ハッピー?クリスマスハム

 静かな陽射し。起きてすぐにメダカが凍ってないかベランダを覗く。表面が凍るくらいじゃ全く大丈夫とはきいているけれどね。
ようやく休みらしい休みだったイブの一日は、日のあたるところへ移動しながら、いつもより少しだけ丁寧に掃除など家のこと。白菜を半干しして漬けたり、クリスマスだし鶏でも仕込もう!と鶏ハムをつくったり。夜は家族に頼まれた年賀状作り。自分の分はお正月になっちゃうのかな。
 今日も用事を済ませてからタンバリンへいきます。最終日、クローズの前にはライブがあるそうで賑やかになるでしょうね。夕方頃からはワインもふるまわれるようですよ(自分それ目当て)。ゆっくり作品を観たい方は、早めの時間の方がいいかもしれません。一年ぶりに、表参道のイルミネーションでも横目に、古着屋でも覗きながら行こうかと思います。とうとう年末感が私にもすこしやってきました。


鶏ハム。シンプルな塩(今回は塩麹でやってみた)のと、ハーブミックスのと2本。胸肉は安いのにうまく使えるレパートリーがあまりなかったので、これはいいかも。色々アレンジして試してみようっと。しばらく得意げにハムの人になるかもです。
作り方はいろいろあるようだけど、お肉をひらいて塩してしばし寝かせて、巻いたら3分茹でて火を止めて、鍋ごとひと晩そのまま放っておくだけ。超簡単。塩抜きとか面倒なので、最初から塩ひかえめに。


ハーブの方は皮付きのままやってみた。私は皮付きの方が好き。加工品てなんだかよくわからない添加物がいろいろ入っていて、?と思うことしばしばあるので、これはいい。食感は、蒸し鶏とハムとソーセージの真ん中くらいな感じ。あとはどれくらい持つのかが気になるけど、美味しいからパクパク食べちゃうな。



12/23  FANTASTIC DAYS 2011

 リハでみっちり演奏をしてから、友と合流して、タンバリンギャラリーへ行ってきました。今年はずら〜っと奥までタンバリンタンバリン。見たつもりでも見てないような胸いっぱいになる空間です。マイタンバリンも旅立ちが決まっていて嬉しい限り。今回はタンバリン一個の制作ですが、GARDENシリーズの一作品として、感謝とちいさなメッセージを込めて作りました。作品には書いてないけどね。


 色のラインナップはこんな感じ。師から伝承された手法で。タンバリンに穴をあけるなんてね、ずっと楽器として使ってきた自分では考えられんわけだったですが、あけたよ。無数に。穴あけの数ではトップだと思う。笑


 タンバリンにくっついてるちいさいひと。誰も気づかないと思いますが〜、今回 植毛方法を変えたんですよ〜。どうでもいいですかね。靴は手持ちの革がどうしてもしっくりしなくて、パスケースを切っちゃったー。まあ、こんなことも、時々あるよ。お気に入りのカーディガンのボタンをとっちゃったりね。私とともに色んなとこに旅した靴です。
これまでずっと作品を観てきてくれた友から「"可愛い(人形)"じゃ なくなったね」と言われ、とても嬉しい。展示は25日の19時まで。




12/22冬至

 きゅっと冷える。今日はレッスンの合間に、先週急遽話を受けたヴァイオリン科の生徒さん二人と顔合わせ伴奏合わせ。この1週間びっちりいろいろあってまだ楽譜と眺めただけ...。やぶぁい、と言いながらもバナナを食べながらこれを書いております。そんなわけで、どういうわけか本番は6ステージも出ることになってしまいました。ソロが無いとはいえ、今年は袖で悠長に観ている予定だったのに、なんでだろ?当日はお腹をこわすに違いないです。多少は小奇麗な格好をせなばな。


 今年もローキートーン珈琲店のYさんからクリスマスセットをいただきました!お仕事させてもらったのは、もう何年も前なのに、毎年すみません。でも嬉しい。Yさんありがとう。ローキートーン珈琲は、祖師ヶ谷大蔵駅のすぐそば、地元の人に愛されているお店です。きっと今日も常連さんで忙しいことでしょう。誰にも、空間にも、気兼ねすることなく居れる店。ごちゃごちゃしててすごい落ち着く(←褒めてます!)。焼き菓子も美味しいのだ。
 Yさんをはじめ、美味しい珈琲を淹れてくれる友達が何人もいるのに、コーヒーがたくさん飲める自分じゃなくてほんと残念な奴だなあと思います。でもどのお店さんのことも応援してます。


12/21 山の氣


 箱根にいってきました。宿のお風呂と日帰り温泉にものんびり浸かって、ロープウエイとかケーブルカーとかあちこちのって山の上から山々や遠くを眺めてきましたよ。雪の舞う大涌谷で念願の黒たまごも食べた!


 空気が冷たくて余計なモノも無くてクリア。こういうシンプルな場所に居ると、まだまだ自分削ぎ落とせるな、と思う。


雲が流れて富士山が顔をだしました。雪をたたえて綺麗。こうでなくちゃね。それにしても、存在は知っていたけれど、富士の裾にひろがる東富士演習所の荒地のひろさに驚いた。
ニュースになるような大きな物事や新しい出来事には多くの人が関心をもって発言したりしていますが、そうでない広く知られない事に、暮らしをかけて戦っている人がたくさん居るのだろうなと思います。大事の順番は、ほんとうにその人その人なんだよね。それぞれが戦うべきことはそれぞれが決めればいい。みんながそれに元気に立ち向かえますように。


ブイ。ワイ?


12/19 距離



 ひなたには、洗濯物ときのこ。いつものベランダの光景。寒くなってまたワイルドストロベリーがいくつも赤い実をつけだしました。どの季節が旬なのか、いまいちわからないワイルドなやつ。FANTASTIC DAYSの作品搬入が終わって、ここぞとばかり週末はあちこち移動してたくさんの友たちと会い、美味しい料理を食べて、リフレッシュ。今年はとくに人に力をもらい続けた一年だったとおもう。もしかしたら、若い頃だって同じようにされていたのかもしれないけれど、歳とともに自分の垣根が低くなったことで、人から与えてもらっている物事を、ちゃんと受けとることが出来るようになったみたい。苦手なことだってもちろんたくさんあって、つい白黒ハッキリ壁をパンと立ててしまう性質だけれど、頭ごなしに嫌い嫌いと頑なに反発しないで、そんなことや人とも、その時々にいい距離を保つ くらいのほうがきっと自分はもちろん、見ている周囲も楽なんだろうな とふと思ったりしました。
 さーて、土いじりをしたいところだけど、山はひと山で終わらず。ここからは年末進行のお仕事と年明けの演奏会に向けて怒涛のリハーサルラッシュ。ここにきて今年一の密度ではないだろうか。そして芽吹きの頃にひとつ作品展の予定が入りました。はなれたところに目標のフラッグがぽつと立つと、そこまでの時間がぐっと具体化されるようです。先のことをすこし視野にいれつつ、今日は細かなことをどんどんとやってしまおう。
明日は妹ちゃんが温泉に連れて行ってくれるらしい。誕生日祝に、とは言っているが、自分がモウレツ温泉気分なのだろうよ。まあいいけれど、水着持参なのですって。泳ぐのか?妙にはりきっている妹よ、誕生日祝はお布団セットを楽しみに待っていたんだけどー?


そして、タンバリンギャラリー『FANTASTIC DAYS 2011』は、明日12/20から12/25まで。久しぶりにビビッドでカラフルなもりもり?作品を作りましたよ。たくさんのタンバリンの中から見つけてねー。
私も合間合間ちょこと在廊予定。



12/12 まだすべては頭のなか 

 日向で色をピックアップ。ようやく作品の制作に手をつける。今週はこれと締め切りの原稿に集中ー!シューチュー。シチュー!白いシチューが食べたいです。




12/11 I wish




 今年も我が家にツリーがやってきた。生徒のママが毎年作ってくれるこのクッキーのツリーが、とても身の丈にあってる気がして好き。夜なんかに無性に食べたくなっちゃうのが困るけど。街にはクリスマスソングが流れているのに、あまり実感がわかない。どこだったかな、意外な店でNRBQのChristmas wishがかかっていて、立ち止まらずにはいられなかったよ。冬だね。永井さん。



12/10 満月



 気温が下がって空気も一段と冬の匂い。やっぱり、らしいと気持ちがいい。
思いたって招いたり、腰のおかげで?友たちが訊ねてきてくれることが続いて、うれしい誕生日week。悪いことばかりじゃないです。うん、悪くない。feels good、郵便で届いたプレゼントの靴下にもそんな言葉が刺繍してありました。そう思える今は、良好なんでしょう。こんなふうに自分を内側を豊かにしてくれることへの努力を、これからの一年も少しずつ積んでいければいいな。なんだかんだあるだろうけど愉しく頑張っていこ。

気持ちの豊かな人が周りにたくさん居て、小さい自分にあったかい空気を吹き込んでくれる。欠けたり満ちたり。



サプライズの美味しいケーキたち!やっほー。



ろうそくを立てるってやっぱ嬉しいんだわ。
サプライズというか、衝撃だったのは鍼灸のおじいちゃん先生に、人生初のお姫さま抱っこをされたこと。移動のための一瞬だけどね。まだまだなにあるかわかんないね。


12/9 歩み

 今日は誕生日。ありがとう。
そして両親の結婚記念日。離れていても、またここから一緒に一歩。







12/7 腰の据えすぎに注意

 12/3↓の日に、腰据えすぎて頑張ちゃったせいか、ぎっくりになっちゃって、ここ数日椅子に座ることが出来なくなっておりました。なにごとも過剰はいかんということです。デスクワークは全部終わらせて早く制作に取り掛からねば、という焦りだったわけなのに、結局はゆるゆるやっていても同じだったわけ。ふーむ。昨日はだいぶ歩けるようになったので、おじいちゃん先生の所へ鍼灸。寒くなったら急に忙しくなっちゃってねえと、連日早朝から深夜まで休みなく患者さんが来るようです。24時間営業をうたっているのに、「ここしか空いてないよ」という時間に入れてもらっちゃったので、なんだか申し訳ないようなラッキーだったような。でも相変わらずツヤよく黒光りしたお顔でした。毎日終日もくもくの中にいるからやっぱ沁みついているんでしょう。風邪ひかなそうです。
 昨日も熱心に燻されて、背中だけかと思ったらお腹にも4本ばかりうたれて灸をのせられて、自分のお腹の上からモクモクと煙がのぼる様をされるがままに見ておりました。背中だと一体なにをされているのか、と思うばかりだったけれど、お腹だからやられていることがうっすら見えます。よくわからないけど鍼のうえに灸がのっかるようになってるみたい。もわもわ〜っと煙がでるのは20秒ってとこでしょうか、消えてしばらくしてまた新しいのをのせて、と3回ばかり取り替えてました。江戸モノの小説で、食あたりかなにかの治療に、同じ場所へなんどか灸を据えて、熱さを感じるようになったらもう大丈夫、みたいなことが書いてあったのだけど、なるほど3回やるとあちこち熱さを感じます。ただやっぱ自分、子宮の辺りが冷えてるんでしょうかね。下っ腹だけは3回目も何も温度を感じませんでした。熱い棒で眉間やこめかみ、眉のうえもトントンとされましたよ。少し前から痛みが出たりしていた場所だったので、なるほどやっぱりここにも凝りや老廃物がたまるわけだねと納得。気持ちよかったです。
くの字に曲がってた腰も、だいぶ戻って、今朝は寝返りもごろりごろりと。この数日中に友たちが入れ替わり来てくれたりして、いろいろ書きたいこともいっぱいですが、やっぱり長く座ってるのはしんどいので、また。



12/3 しっとりとどっしりと

 石油ストーブの匂いがどこかからしたような気が。12月なのだね。うちもそろそろアラジンを稼動させたいところなのに、近くのスタンド3件がここ1〜2年で次々と閉めてしまったので、今年はどこから灯油を調達したらいいんだろう。
 雨があがって、空がわずかに明るくなったみたい。しっとりと水分をふくんだ空気を大きく吸い込むと、二の腕あたりをぶるぶるっと震わせたあと、お腹の中深におりて落ち着く重みに。さあ、腰を据えて湯たんぽ抱いてデスクワーク。



 塩麹を仕込んでみました。出来上がるのが楽しみ。




12/2 黄葉 紅葉 高揚

 ぶるっと身震い。とうとう自転車用に手袋を出しました。近所のイチョウ並木も黄葉しはじめて、黒いアスファルトのところどころを黄色で隠そうとしています。一面に敷かれた葉が乾いた風に舞うのは、もう少し先かな。木の下を通りながら「そうか、銀杏が落ちるのって、葉が青いうちだったんだなあ」と、毎年のように同じことを思うわけです。分かっていても。先に実。1ヶ月くらいは早いのかな。なにせ今年はうかつにも熟れた銀杏踏んじゃいましたから、忘れはしませんよ。時期もあの感触もニオイも。笑 ぎんなんは好きですけど。踏むのはノーサンキュー。 
ベランダのブルーベリーの葉も鮮やかに紅葉。その赤が、浅緋、杏、朱、紅、緋色と、淡いのから深いのまでとてもきれい。陽があたっても、雨に濡れても。虫食いの黒い斑点も穴も、この時ばかりはいい味。こちらも毎年この色をどうにかして取って置けないだろうかと考えるも、散っていくからこそ尊いのだなあ。



11/30 走り出すまえに

 穏やかな陽射しがそそぐ。想いが力になりますように。

 自分の作ったものを送り出す時が好きだ。作ることが好きなんだと思うし、出来たものを見せるのも好きだと思う。そして、送り出してゼロにして次を始めたいのだ。 なかなかそうはいかなくて、たまっていくのだけどね。いろいろ抱えながらも、今はもう次のことを広げたくてしかたない。
 おとつい、親があまりに不憫に言うので、テレビをようやく買ってみて、設置をしながら再放送していた怪物くんをみて泣いていたわけだけど(前にも一度見た気がするが、親子のなんたらとかには弱い歳)、だいぶ見ない生活が続いていたので、まだ付けるのも見るのも億劫。ここのところ鼻から頭にかけてぎゅうっと痛くて、目の周りなんかもずーんとしているせいもある。無いのに慣れてしまって困っていたわけでもないからね。
おとついは、
怪物くんから寝るまでつけっぱなして、どれだけ自分が世間から遅れているのだろうかと、ニュースや情報番組をちらちら見ていたわけだけど、約半年ぶりのテレビの内容にさしてギャップなく、特に変わってないって感じ。そのうち「この人誰?」というようなことがあるのかな。



 しかし鼻が痛いってのは、どうにも集中力にも意欲にも欠ける。真ん中の突起だしね。耳、目と きて、鼻とは、もしかして鼻がすべての原因なんじゃないか?時間はおしいけど、病院に行ってこようかねえ。



11/25 金曜日は土曜日 土の中の住人

 なにをまた わけわからんことを って思っていますね?
以前のように木曜のレッスン時間が少しばかり増えたせいか、金曜の午前中はまた、体も頭もぼうっとしていて使いものにならなくなりました。寝ていても首や頭のコリが気になってリラックス出来ていないのかもしれません。それで、白湯のカップを持ったままベランダからのわずかな陽だまりに身をおいて、しばしぼんやりしたあと、無意識に土いじり。そう、土(つち)曜日ってことです。金曜日の午前中はそういう時間にしよう、と思ったわけ
 それで、ぼうっとしたまま、寒くなってちょっと元気がなくなったコンポストを開けて、もう分解されないような野菜屑をふるって、先日分けてもらったぼかしを投入。ぼかしって、言葉では知っていて、なんだか相当自分的に魅力的な存在なわけだったんですが、実際見てみてもどういうモノなのかいまいち掴めません。発酵ブツなんですかね、クサイのかと思ったら好ましいいいにおいがしました。頑張ってくれる微生物や菌がいっぱいいるらしいです。ふふー。


 以前にも書いたと思うけど、うちのコンポストはベランダに置き場所がないので(植物で手一杯)、部屋へ置く事を念頭に、最初はキットになっている小奇麗なのを買いました。ちょっと邪道なのかもしれないけど、まずは続けられて習慣にできるところから。住環境が変わったら、もう少し自然に近いワイルドなのもいいかも。まあ実家は、畑に穴掘ってポイです。
 時々堆肥に使って減らすので、このキットの場合、その分おがくずみたいなの(ピートモスの細かいのかな)を投入。これらがすぐに生ものの水分を吸うので、腐敗したりニオイも出ないのだと思う。心配してた夏もどうってことなく越したし、もうこれは完全にやってける。肥料は買わなくていいし、なにしろ生ゴミが少なくなってゴミ出しに無理に起きなくていいからね。ピロピロピ〜と回収車が窓の外を通ったってね、ふふんと目をつぶるその余裕ったら夢のよう。(その夢でしばしばうなされているわけだけど...) まあ残念ながら、冬場は野菜の持ちはいいし、干し野菜も出来るし、ふつうに生ゴミはあんまりでないよね。


卵の殻とか鶏とか魚の骨とかカサカサになって残った皮たち。

 今年もベランダは温室にしてしまおうと思っているので、1/3くらいを分けて種まき用の土作り。プランターの古い土を掘り返しながらコンポスト堆肥をまぜていれば、小さいプランターの中にみみずくんが結構いる。一番最初のみみずってどこから来たんだろう。といつも不思議。さらに掘ってみれば、カブトムシの幼虫を小さくしたようなカナブンの幼虫が。1匹、どころじゃなく、出てくるわ出てくるわ・・・。20匹以上ころころと...
とくに騒ぐほどではないけど(ヨトウムシとか青虫の方が反発する奴がいてよっぽど嫌だ)、居るからって嬉しくもないわけで。結局その1つのプランターにしかおらず、ホッとした。虫の居ない土のほうがよっぽど怖いけど、幼虫のうちにみつけてよかったよ。根っこバリバリ食べちゃうらしいからね(妹談)。生きてるままポイしたら、「は?成虫になってまた戻ってくるよ!」と妹からメールが来た。ひー。来年も11月末に掘り返し。



11/22 枯野見

 二十四節気の小雪。このころから虹が見えなくなるのだそうです。冬には虹が見えなくなるなんて知らなかったな。青い銀杏並木を歩いたばかりだけど、ベランダの木たちは紅葉しはじめて、パラパラと葉を落としはじめました。葉が少なくなって陽が土に落ちて温まって、土の中は暖かいのだろうなあ。居なくなったような植物たちもまた来年まで体力温存てとこですね。街路樹や道端の草たちも徐々に色枯れ。乾いた色には乾いた色の哀愁ってもんがあって、やっぱりそれはそれでいいものです。そろそろ草場を見に行きたいわ。
 自分はといえば、洗濯干してきのこを干して、大根を煮ながら皮を干して、靴下ぬらして足干して、コンポストの土を半分干して。
つかのまの陽射しをあれこれに頂きながら、来週から制作に入る企画展の作品のこと考える。体力温存、というより充電。電じゃないか。
 最近体が固まってるのか夢見が悪い。大きな地震とか蜂に囲まれるとか嫌な夢も多いけど、知らない男の人に"イケてる自分を全身で表現する"という演技指導をされた時がここ最近で一番疲ーれた...;早めに鍼灸に行っとこうかな。あとでお風呂にでもいってこようかしら。どくだみ茶も切れてるし、ぜったい何かが溜まってる。やることが溜まってるのは承知ー。


ひなたぼっこ。絶妙バランス。


11/20 ごちそうさま

 うまくいかないことや失敗がつづいて、ちょっとへこんでみたりしたけれど、話会でいただいた美味しいお菓子をぽりぽりと食べて、お茶を飲んで、ふうと息をはく。外の音の無い深夜の作業は、あったこともなかったことも見ているようにふわんふわんと浮んでくる。 久しぶりの笑顔、どうでもいい話、真面目な話、美味しいもてなし、皆で囲むご飯、和やかな空気、ぜんぶぜんぶお腹におさめて 体にめぐらせて、ごちそうさま。がっかりもしょんぼりもちゃんとお腹におさめたら、ごちそうさまでおしまいにしよう。

 

 つづる、さんの催しもので、夜の清澄庭園に行って来ました。ちょうどライトアップ中で普段は入れない夜の庭園を散歩。たくさんの人がライトに照らされて池に反映する真っ赤なもみじにシャッターを切ってましたよ。とても幻想的で美しい眺めでした。家屋のしつらえも素敵。なかなか経験できない好い時間。庭園の外周の草の茂みに咲き乱れていたツワブキの花も綺麗だったな。清澄白河は、なぜかどこかはじめましての町ではないような、気持ちの落ち着くところでした。あの辺も下町になるのかな。



11/19 雨上等

 

 とうとうバジルは刻むのが面倒になって、(というか、包丁で刻むかすり鉢で摺るしかすべが無いので、やっぱり面倒なんですよね)葉のままガーリックとオリーブオイルに漬けてます。この方が持ちがいいような気がするし、パスタでもひき肉とバジル炒めでもなんにでも。すぼらな方におすすめです。朝方、外がうっすら明るくなるのを眺めながら寝たので、遅い朝食。
 お団子状にやってきた仕事(どういうわけかたいていそういうものなんです)と制作やなんかで、しばらく変則的な生活をしているせいか、夏の耳鳴りさんがまた再来。まさか耳鳴りからはじまったあの一連がまた来るの?と、寝て起きて耳の状態を知るのが不安なこの頃。しかし正月明けまで休むのはお預けなので、とにかくはひどくならないように、でも気にし過ぎないようにうまく付き合っていかなくては。今日もてんこもり。外には出たくないくらいの天気で丁度いいのかも。
 買い物にも行けてないので、干し野菜たちが大活躍。切り干し大根やら、干しゴーヤで惣菜をつくって、鎌倉の友達のお庭からおすそわけしてもらったむかごを入れて炊き込みご飯。昨日は杏仁豆腐もつくったから、おやつもあるし。わたしは忙しくても食べるものは食べる。ご飯のたびに新しいクリアなエネルギーが循環するみたい。作る時間も食べてる時間もおしいけれど、判断力が鈍ってはそれ以上のロス。ただ食べ過ぎちゃあだめなのよ。寝ちゃうもの。笑


 友達からもらったタマネギスープはスープパスタに。プランターからベビィリーフを摘んでのせて。緑の半分は草。タネツケバナ。完全に意図的に生やしてる。
 ふっと右を向いたら、視線の先になんだかよくわからない虫が。こめつきバッタのひとまわり大きいみたいなの。どこから入ったの。ってベランダでしょうね。じっとしていて動きがよめないので、いちいち気になって見てしまうけど放っておこう。



11/14 swing

 里芋とイカを煮ながらひと仕事。芋はそんなに時間要らなかったみたいで、今夜は脱ぐほどでもないです。美味しそうな匂いなので、立つたびに鍋の前に立ってひとつ芋をつまみぐい。いいかげんにしないと、晩ご飯は無しっす。降ってきた雨で、またしても干し大根を濡らしました。こんなことばっかりーだけど、めげずにデスクライトの下で乾燥中。
 ふたつ返事で演奏会の曲目をいくつか引き受けてしまったので、今月中にいろいろ片付けて、来月からは時間をとって鍵盤にも向き合わなくてはいけません。パーカッション入ってのセッションもあるみたい。脳みそやわらかくして楽しくいこう。
 雨が降るなら、昼間のうちに種を蒔いておけばよかったなあ。寒いのが好きなやつたちを。時雨ふって、そろそろ炬燵をいれるおうちも多いんでしょう。炬燵は、寝るよね。うちは駄目だ。堕落の日々が目に見えます...。そうだ、湯たんぽを買わなくちゃ。
 

11/13 渋柿求む

 干し柿がつくりたくて、スーパーで探してみるのだけど、渋いのは売ってないですね。去年までは毎年、永井さんが奈良の方(たしか)からいただいたのを、ひと縄おすそ分けしてもらっていたのでした。それまで干し柿というモノはそんなに気にする存在ではなかったのだけど、どうも最初に頂いた時にすごく喜んだらしく、それから晩秋になるとほらっと貰うことがかれこれ6、7年続いたので、今では冬の窓辺に無くてはさみしいものになってしまいました。ひと月くらいは吊るしたまま頃合いを見てね、それからもったいなさげにひとつずつ取って、お茶うけにしみじみ小さくかじるのがまたいいのですよ。
 頂いていた干し柿は、ヘタの上の枝まで綺麗に残して、その枝を縄のよった隙間に挿して吊るしてある、とても丁寧な作りの干し柿でした。あんなのを作りたいなあと思うのだけど。もう柿の時期は終わりかな。どこかでまだ固い渋柿余ってたら譲ってくださーい。
 そんなわけで、お目当ての柿は無かったけれど、ブリのあらがどーんと百円だったのでブリあら大根を煮ました。土鍋なのでぐつぐつしたら火からおろして新聞とタオルでくるんで部屋のテーブルの上へ。そのあいだに他の保存食をいくつか。熱が落ち着いた頃にまた火にかける。そんなことを繰り返していたら、深夜まで部屋があったかくてノースリーブでるんるんやってましたよ。皮はもちろん切干に。味の染みた大根の煮物が美味しい季節。この季節の食べ物は時間が美味しくしてくれるものが多いね。きっとそんな手仕事をして過ごす季節なんでしょう。




11/12 沁みこんで流れる



 ベランダに少しだけつま先をだして座って、昨日の雨でしめった植物たちをぼんやり眺める。柚子湯をいれたマグカップを両手にふうふうしながら、ガジュマルさんの根元に生えた苔とか、ひょろひょろに伸びたルッコラとか、色が変わり始めたブルーベリーの葉を視界に捉えながら、同時に澄んだ青空を見上げてたら、肩の力がひっぱられるように抜けていくのがわかる。ガジュマルに宿ったキムジナーがすっかりと見た目を変えた姿で「もうそんなにいからなくていいよ」って言ってる。そうだね。ひと段落。今日は短い第2楽章ってとこかな。3楽章はいつも長くて情熱的。ふーっと吐き出して整えていこう。


 こないだ静岡で見てきた『考える人』。どこみてんのってね。全部見たけどね。ここが一番いいって妹ちゃんが言うからね。(同感) ロダンの作品はどれも隆々とした筋肉美に打ち抜かれた。そして作品はどれも思っていたよりもずっと大きい。


 友がやってきてせっせと包んだ餃子。ぷにぷに。ロダンもいいが、こういうのもわりと許容範囲です(謎)。水餃子にしたのを取り出した時に しわしわっと密着する感じが、ロダンの質感に近い気がする。どうでもいいが。

さて、カレンダーの絵が全部出来上がって、ご予約受付中です。今年は印刷に出してみるので、出来上がりが楽しみ。トップページ下方のメニューからshopのページをご覧下さい。



11/8 立冬

 衿元をすこし正したくなるような そんな朝。雨あがりだからか、くぐもった場所で鳩がなく。10時の空気はもうだいぶぬるい。聴こえてくるのも明るい鳥の声に変わった。



11/7 "会"

  弓をひく夢を見た。狩りではなくて白黒の丸い的にむけて。弓道の射("離れ")は、そこが結果ではなくて、一連となった型の中の1つに過ぎない。真っ直ぐに立ち、真っ直ぐに伸ばし、呼吸を静かに整えながらの所作。射る時も息を止めるわけではなく、一番乱れが出ない(たぶん)吐き切るその時。止まるのは的にむかって飛んだ矢だけ。弦が弾かれて戻った瞬間に不要になった腕の過分な力もうまく抜けると、弓が手の内でくるんと返って(弦が手の甲の方へまわる)綺麗な形となる。その状態でしばし息を整えるのが"残心"。心残してるから顔はまだ的を向いているわけだ。はあ、今になってみればそんなことも色々と理解できる。
引く時もぎゅっと握って固定してしまうわけではなく、引く力を利用して手の内に添えて回転させていくだけ。たしかに引く力(右)やそれを留めて置く力(左)は要るけれど、過剰な力は要らないのね。両方へ同じように分けてひらく"会"。"会"ってなんでそんな名前なのか意味わからなかったのだけど、今は何かわかる気がする。バランスなんだなあ。
常に流れながら整えて、整えながら流れていく。そんなことを思い出しながら、日々も体もそんな感じだなあと、ふと思う朝。


 弓道をやっていたのは高校の2年間。今思うと、運動としても武道としても自分の性分にあっていた気がします。あの布にくるまれた長いモノを持って通学したら、ちょっと目立つし、なんだか格好良さそうだ...という、まさに下心満載な感じで入部したわけですがね。薙刀部があれば、それでもよかったのかも。ははは。親には高い買い物をさせました。
それでも、段もあっというまにとっちゃったし、試合ではうまいこと良く当たって新聞にものったし。笑  留まっている的を狙うわけだから、自分に見合った道具(弓材の固さと弦の張りの強さ)を使って、型が整えば、きっと当たるようになっているんでしょうね。
今やるには、弓道はちょっと大げさになってしまいそうで無理だけど、体や精神的なことが少しずつわかってきた今だから、またすこし武道的なことをやってみたいな。




11/4 小春日和 苺が赤くなった

  珍しく後ろ髪をひかれながら静岡から戻ってきました。実家ではせわしなく過ごしたので、庭も畑もチェック出来ず不完全燃焼気味。それでも予定より一日延ばして妹のところでのんびりしたのでよしとしよう。
実家のあたりは9月の台風であちこちで大規模な山崩れがあって、未だ身延線が不通。近くの現場を見たけれど、年内はとても無理だろうという印象。折り返し運転している隣街までは代行バスが出てるようだけど、高校生以上はみな電車通学なので大変だろうなあ。ひと山ふた山を越えて自転車で高校に通う学生さんの姿もちらほら。自分なんかはサボリと山間をのんびり帰ってきたいがだけに年に数回自転車で戻ってきたことはあるけれど、行きも帰りも毎日となるとね。実家より山梨側の山崩れはニュース画像で見ただけでも相当な被災なので、復旧の見込みも立ってない感じ。車窓から手を伸ばせば山肌に茂る緑に触れそうなあの景色が好きだったけど、こうなるとやっぱり切り開いてコンクリで固めなくてはいけないのだね。



 そんなわけで富士山本宮の浅間さんへは行けず、妹の家に行ったついでに静岡の浅間さんにお参りして、その上に広がる小山、賤機(しずはた)山に登ってきました。静岡に居る時は、足が少ないせいもあるけれど、無理にあっちもこっちもと移動することがないので、その日に必要なところや行きたいところへ最小限に移動します。欲張らずにそういうんでいいんだなあ、それが自然だなあとふと帰りの電車で思いました。人に会うことも。その時に居たいところになるべく居よう、と思うのです。会いたいなあと思うのになかなか会えない人も居るけれど、もしかしたらお互い今は会わなくてもいい時期なのかもしれません。会いたいけどね。滅多に会わないけれど穏やかに大事に想える人ってのも居ます。結局わりと自分に都合よくやってるんですね。自分もそうだし、人もわりとそうなんだろうと思います。自分が思うより、人はさらっと思ってることが多い気がする。心配もしすぎると自意識過剰か。





10/29 楽しい夕べのとなりに

 楽しい時間からふと我に返ると、裏返したようにぺったりとさみしさに包まれるわけで。普段はむしろ得意なひとりの時間も、時々ごそっと胸のうちを置いてきちゃったみたいに虚しくなったりするのだよ。でもそれほど楽しい時間に浸れていたわけだね。明日になったらまたやっぱりひとりも悪くない、と思うのだろう。

 今日のお昼は、11/1に友達がオープンさせる鎌倉のsahanへ、ごはんを食べにいきました。友のご飯は何度か頂いたことがあるけれど、ほんとね、お野菜たちが、しみじみありがたく美味しいのです。そしてなんだろう。新しい店なんだけど随分前から当たり前に知ってたように 居心地が好くて、ほっと安心する場所。鎌倉に行ったらあそこがある って思える場所ができてうれしい。ありがとう。おめでとう。
 そんなうれしいお店、もう1件。sahanから歩いて少しのところに、昨日 生地や手芸雑貨のお店をオープンさせた小山千夏さんのfabric camp。(ロミユニさんの斜め前です) 鮮やかな色のカンガが可愛いくて、何かつくろうと一枚選びました。千夏さんにも以前よりご縁があるうえに、なにせ布〜だし、鎌倉へ行く時はちょろっと覗いちゃうんだろうなあ。うれしい悩み。


ごはんの後はお茶もいただきました。しつらえがまた美しい。

 そんな鎌倉をすこし歩いて汗ばんで、嗚呼 喉をきゅっと潤したい、、、そうだ..と、半ば確信犯的に思いたって茅ヶ崎経由で帰ることに。 nokkaさんへ寄り道。ほどよく冷えた白ワインを一杯とニョッキをいただきました。これまた笑いがでるくらい美味しくて、ワンダホーと 刻々と色を変えてゆく空に向かって叫びましたよ。おひとりさまなんで、もちろん心の中で。


ゴルゴンゾーラのソースが・・・おいしい・・・ 

 はー、そんなしあわせな一日でしたから、寂しくなるのも仕方ないっしょ。今日会った人たちの笑顔と気持ちまで満たしてくれた美味しいモノたちを牛のようになんども脳裏に反芻して...;(余計なひと言すみません) もりもりとひと仕事片付けます。
 明日はお仕事のあと静岡へ。しばし親の手伝いなど。よりによって今!?って感じだけど、親は今も何も無く面倒みてくれたわけで、まだまだ我儘に言っちゃいそうな文句もぐっとのんでね。 ついでに妹ちゃんのとこにもひさしぶりに寄るつもり。夏前に行った時は、静岡駅に着いて ふるわない食欲に首をかしげながらホルモンを食べにいって、妹んちについたあとからぐったりして、次の日ぐったりしたまま実家に運ばれ、グロッキーで不機嫌なまま数日過ごし、もわ〜っと帰ってきてそのあとずっと9月までダメ人間。食べれることはすばらしいよ!とりあえずホルモンリベンジ!か!




10/28 時は金なり 時は知なり

 長い昨日がようやく終わったなあと思ったら、もうそろそろ明日に手が届きそうです。でもひと安心。穏やかに体が温かいような気分なので、きっとすぐに眠気がやってくるのでしょう。虫の鳴く時期はもう終わったんですね?それとも住宅地の虫たちはどこか木や土のたくさんあるところへ行ってしまったんでしょうか。静かな夜です。昼間に網戸を開け放していても、蚊も入ってこなくなりました。これはさいわいですけど。10月がまたぶっちぎりで過ぎてきます。
 で、昨日のきのこは、歌う間もなく、もちろんヘタレブナピーを披露することもなく、打楽器とピアノで大盛り上がりのうちにレッスン時間は終わってしまいました。3さいくんが実際に声を出したのは、「こんにちは」と「ばいばい」だけだったけど、表情や体、手にした楽器からいっぱい声を発していて、だから私も同じようにしていた気がします。あんなに言葉少ないのに、なにも滞ることなく、しかも楽しさムンムンで、幼児の初回のレッスンしたのは初めてです。これまでどれだけの子供に会ってきても、ほんといつでも新しい。 だからといって準備が無駄とは思わないけど、その子とのやり方は、時間を過ごすことで、子ども自身からもちゃんと導かれて決まっていくのだなあ。目をしばしばしながらヘタレブナピーを作っていた自分に「そんなものいらないよ まずはぶつかってみろ」と教えてやりたいわ。財布の中に金の小槌と一緒に入っているブナピーを忘れないうちに出しておこう。隠し玉はもういらないさー。


10/27 きのこでGO

 ひたすらに眠いのでありますが、なかなか寝てもいられません。
今日はどういうタイミングなのか新しい生徒さんがふたりもレッスンに来ることになって、あれこれあわてて準備。ひとりは先週にお顔合わせをした10歳の可愛い女の子。もうひとりは3歳の男の子くんです。最初は色々な可能性を考えて、どう転んでもうまく対応できるように段取りも頭の中もいっぱい。ふたり分と、来週のお休みをふまえて、すでに在籍の子たちへの課題もね、とカバンの中は小物楽器や楽譜で大荷物です。たくさん喋って歌って、今晩はきっと心地好い疲れでぐっすりでしょう。といきたいとこですが、帰ってくれば締め切り間近のお仕事ありー。でもねえ、なんにも手につかなかった抜け殻みたいな時のことを思うと、やることや、やれることがあるということは、ほんとにしあわせです。モリモリ食べて頑張ろう。
 しかし早3ヶ月、テレビというものが無いので、世間のお子さまになにが流行っているのか疎くなっています。話題も歌も。とりわけ小さい子の初めてのレッスンというのは、わりとこちらばかりがグイグイしがちでお子の反応が薄いことが多いので(まあ薄いというより、伺っているわけですがね。)、出来ればなにか取っ掛かりが欲しいのは、大人の身勝手だけど、ちょこっとでもハートをつかんでしまいたいのです。魅力的な楽器は教室で借りるとして、しょうがなし古いネタを小分けに用意して、あとはー時間があったらちょこっと造形もやりたい。秋だし、秋といえば きのこか?きのこで歌って踊って作っちゃうか?ってことで、結構強引ですが、試しにきのこも作ってみましたよ。


うーん。きのこというより、ブナピー?リアルね。


帽子と顔つけた。ちがう気が・・・


却下。
こういうのはやめて、色鉛筆でかこう。3歳だしね。
おなべにきのこをいれちゃおう〜 なんつってね。


これはほんもの。半干し中。アタシはもらえるならこれがいい。お昼に食べていこうっと。



10/25 岸辺の目覚め

 目をあけたら窓際で朝がたぷたぷ満ちていて、足を伸ばして光に浸しながら今日の温度をはかる。朝日はハンガーにかけてカーテンレールに干しておいたのシャツの背中にもあたっていて、「こういうのってあとからじんわり効いてくるんだよね」と 着込んだシャツはオッサンぽくじっと目をつぶって前屈みになってるみたいだった。
そんなわけで今朝も目覚めれば、昨日干して取りこんだままの毛布と横倒しの座椅子のくぼみにうまく身体を添わせて、床にごろんと寝ていたわけ。最近どうも布団の何かが身体に合わなくなったような気がしているので、ついごろり床に委ねてしまう。といういいわけも。床に寝てるといつもちょっと違うことに気がつく。
 光をいっぱい吸ってふくらんでからシューと吐き出す。なにかが出ていって、新しい挨拶みたいな気分にまたすぐに満たされる。


これはおとついの夕日。



10/24 フンバレガンバレ

 ロビンソンに乗って草場にいきたいなあ。



10/23 土用の根菜

 慌ただしくバラエティにとんだ1週間を過ごして、またすこし内に篭る時期のよう。篭ってやってしまわなければいけないことの為にもね。日によって体調もいろいろ。咳をしている人も多いですね。
こんな時に食事があまりおろそかにならないよう、昨晩は小さいキッチンに丸椅子を置いて、煮物やスープなど保存食づくり。鍋を覗きながら傍らで梅酒をちびちびやるのがまた好くて、もはやこの為に作っているんじゃないか?と自分を疑ってしまうわけですけど。週末から秋の土用に入ったので、身体をあたためる野菜を中心に。今日も仕事をしながら土鍋でキャベツを丸ごと煮込んでおこうと思います。楽ちんで美味しいからいいよ。
 プランターの若葉たちが虫にみつかってあちこち坊主に。土用の土いじりは控えるって言うけど、今夜あたり犯人を見つけてポイです。さて、昼ご飯の米を研いだら、今日明日は机が相棒。楽しみもせわしなくやってくる時期になりました。


ドライトマト中。大根の皮もすこし厚めにむいてぴらぴらに干しておきます。トマトの半分は干し始めに雨にぬれて逆に瑞々しくなっちゃって食べちゃったけど、残りはだいぶそれらしくなってきました。ひとつつまんだら、うんと濃厚。甘くなってる。
忙しいときにコンソメスープにスライスオニオンとカットわかめといっしょにポイポイと入れたりで。カップにピザ用チーズを少し入れておいてからスープを注ぐと、ちょっとコクが出て、チーズも伸びて楽しいのです。メキシコ屋バイト時代のアイデア。
寒くなる季節ってこういうことがちょっとした楽しみ。なんかちゃんとやってるって気にもなるからね。



10/20 手を想う


 朝一番で実家から荷物が届いた。庭で採れた柿や畑の野菜と近所の農家のお米。ありがたい。これから来る冬を想わせる柿や芋と一緒に、ししとうにしか見えないピーマンや、さくらんぼサイズのミニトマト。「畑の最後の夏野菜です」と紙が添えられている。今年はとうとう夏の盛りの畑を見れなかったなあ。しょうがないけどね。陽も出てきたし、とりあえずトマトはドライトマトにしようか。
虫食い穴いっぱいの大根葉をながめていたら、葉のあいだから小さいコオロギがのそのそと這い出してきた。いらっしゃい。
身近な人の手で育てられた食材てのは、やはり格別。


友たちと仕込んだ味噌も、自分で仕込んだ梅酒も、いい色に。
今日は新しい生徒さんと顔合わせ。女の子みたい。どんな子かな。楽しみ。スカートはいてこ。



10/19 それでもそれなりにやっていくしかないのだ

 友たちの素敵な空間にお邪魔して帰ってきて、部屋を見まわして、あちこちとルーズな自分が嫌になる。そう思いながらブランケットやストールにまるまれるだけまるまって、
床に転がって寝てしまった。
そんなわけかどんなわけか肌寒い空の白さにちょっと物悲しい朝。しっぽりしてないで、掃除して絵を描こ。とりあえず でかい枝は捨てよ。




10/17 ナンプラー泥棒

 昨日お邪魔したおうちから、どういうわけか自分が持って行ったこまごました荷物といっしょに、ナンプラーの小瓶を持ってきてしまっていました・・・すみません。好きとはいえね。うちで使ってるのと一緒だったとはいえね。なにか美味しいごはんに変身させて、ご返却したく思います。きっと堂々といただいてきていたに違いない。
 仕事でも遊びでも、時間があっというまに過ぎていくこの頃。なのに実らなかった仕事時間は、振り返るときになると長くてしんどい時間で、頭が朦朧とします。というか、やり直すならやらなきゃよかった...と思ってしまうのが常だけど、やってなければやり直すかどうかにも至らないわけで、これでも半歩進んだと思いたいわけで。形になろうがなるまいが、かけた時間の重みは同じ。
 さて。気持ちは わりきってはりきって、仕切り直し。新しいいいものを考えよう。しかしなかなかカレンダーの絵に取り掛かれない!うー。いろいろ待たせている方々、すみません!



10/14 夜明けの夢 直樹の妄想

 寝起きって打ったつもりだったんだけど、なおき。まあそんな感じの妄想だからいいです。出でよ直樹。(誰?どこ?)
 昨夜は鎌倉ディモンシュにてとてもいいもの観さしていただきました。ユカさんお手製ドーナツ&ディモンシュドリンクが振舞われて、あの内容の濃さ&ボリューム、サービス にはチップ飛ばしたいくらいです。これからイベント料金にシビアになりそうなくらい。ユカさんもちろん、バックアップする沼津の方々のチームワークと仕事っぷりに、またしても惚れました。たまにイベントやる身としては、このような全力渾身のステージに、背すじを叩かれるようでもあります。いや、観てるときはひたすら口開けて笑ってましたけどー。これから紅葉や栗をみるたびに拝んじゃいそうです。
 しかしほんとに、あのデュエットの貫禄と上手さと面白さも 何? と、言い出せば尽きないわけですが、これを書いている途中で真面目な仕事の電話がかかってきて、現実に引き戻されました。もう今日が始まっています。いい話だけど、新しい責任も背負う。 出会いの日を楽しみに、すこし気を引き締めて、また新たな勉強をしていきます。 



10/11 とんぼの低空飛行

 「ああ、とんぼね、ぴーぴーぴー ね」と言ったら中学生の男の子は、はて と首をかしげたので、「いや、ぴーぴーぴーでしょ」とさらに自信満々に「ぴーぴーぴー」とそこだけ唄ってみたけれど、どうやら違ったようです。長渕はドラマの主題歌なんかで耳にしていたものの、スルーに近かったのでした。「とんぼはwoーwoーwoーでしょ」と唄われてみれば、ああなるほどそうだった、とちょっと小さくなる。ぴーぴーぴーはなんだっけ?
 目覚めてパソコンをつけたら、ここしばらく気持ちを重たくしてたことが、「あら、そうなのね それはそれは」って具合に解決していて、「よし、今日は玄米でも炊くか!」と、昨日は面倒だったこともやる気になるわけです。そんなもんですよ。わりとささいなことに左右されて、浮かれたりしょんぼりしたりして生きてます。気分がいいときは、あれこれちゃんとやろう!と決心しがちで(だいたい毎回同じようなことを決心する)身の回りを綺麗にしたりもしますが、そうでもない時はぐだぐだなわけです。そういう時はだいたい日を過ごす(こなす)だけで精一杯なわけで、だからやれるときだけでも綺麗にしないとね。部屋の中の不用物はもうだいぶ無くなってきたので、今週はすこし身体の中のことを想って過ごしてみようと思います。想うだけでも。ひじきを戻して豆でも炊きますか。




10/9 ボツ



  あれ?レッスンて今日じゃなかったか。とすったもんだ。明日でした。気を取り直して、床を拭いてお茶をいれて仕切りなおし。明日の分のデスクワークを済ませて、カレンダーの絵を描かなくてはいけません。おとついまでに描いていた絵を全部ボツにしたのでした。ボツというか、自分が欲しい"カレンダー"とはイメージが違う、という感じ。自分基準ですが、なにせ自分も使うのでここ大事です。
そんなわけで今年もやっぱり焦ることになりました。なんとか10月中に仕上げねばー。今年の(2012年の)は、イラスト全部描きおろしなのです。久しぶりに小さいひとたちを描こうかと思ってたんですけどね、どうしましょう。カレンダーつくりもかれこれ9年目になりました。



 teteriaさんの教えと茶葉でミルクティ。今度から10円安いからこっちの牛乳 とかじゃなくて、美味しい牛乳を買おうと決心しましたよ。冷めてもおいしいのは、茶葉がよいからなのですねえ。古道具の野田さんから購入したデッドストックのビーカーには、保温と持ち場所を兼ねてなにか巻きものをつくろうと思います。
私の物づくりは、こういうところから発することが基本みたい。もちろん、なにをもってどこを捉えて芸術とかアートとかいうのかはわからないけれど、自分は単に、暮らす(暮らしたい)人 なんだと思う。その中にご飯をふるまう時があるのと同じように、作ったモノを見せる時があるのかなって思いました。こういうことは、ここ数年ずっと考えていることだけど、うまく説明できないし、全く世の中に貢献しようとかそういうんでもなくて(まだ自分で精一杯)、だいたいあえて言うことも無いのだろうけど、自分が出来るのは、自分自身が気持ち豊かに愉快に暮らしていることが、周りの人の愉しさや豊かさにつながればいい とそのくらいだろうと思うわけです。まあ、人間としてそこまで素晴らしくないので、手を動かして作り出すモノにそんな想いを少しこめて補っているのかも。 とすると、作るものはやっぱり自分の一部なのです。よかった。思うモノをつくる。
さて、革にしようか毛糸にしよっかなー。の前に、カレンダー。いや、仕事。



10/7 くるくるまわるのは干した傘とキクイモの花

 郵便局の前の白い花をつける金木犀は、濡れたアスファルトに乳白色の敷物を敷いたように広がって散った。そのかわり、落ちてつぶれた銀杏から強烈な存在臭。面食らう。
今朝は、まぶしいベランダをぼうっと眺めていたら ふいに"まわる"ということばが視線の先に見えたように浮んだ。巡る、廻る、還る、生まれる、回る。輪。
 仕事先近くの生垣に植えられたお茶にも花が咲いた。静岡を出てからは、お茶の木を目にすることはほとんどなくなって、花の時期が今だったなんてすっかり忘れている。おしべをゴージャスに抱えて、ふっくりと丸く重たげに。 ふむ、おまえのおしべのゴージャスさは椿の花みたいだな、と思って調べたら、まさにその類いでした。へー。椿の花も食べたりするし、とすると、葉っぱもいけるのかね?(常に判断基準がそこですみません。いや、食べようってんじゃなくてね、あれですよ、肝心なとこです。オレ的に...) それで、椿茶ってあったっけね。あるよねえ!そうかそうなのかー。ほおー。サザンカ(山茶花)なんて漢字で表せば、まさに。


実もそっくり。これはお茶か椿かどっちか。サイズで判断するとお茶。


10/6 雨と紙魚と通り過ぎる記憶

 寝足りない顔を見ようと鏡を覗いたら、なにかつきものがひとつ落ちたような、とぼけた顔の人が映った。両手で両ほっぺたをもちあげて、ニーと笑う。どうやらひどい腹痛の周期も終わったらしい。
 昨日一日降り続いた雨で、プランターの中に少しの変化。いま育つものだけが生き残る。夏にぷっと吹いた種から芽を伸ばしたパパイヤも、まだ元気。今年はどこまで育つかな。部屋の中には最近 紙魚が棲みついた。磯の生き物のような容姿から、ひっそり歩く姿を見るたびに、ふっと頭の片隅を岩場の湿った影が通り過ぎてくようである。知ってるような知らないような、記憶のような、そんな生き物だ。そんなに好ましい姿で無いので、できればちょくちょく出てこないで欲しいけれど。増殖しないことを祈る。
 さて、体をリラックスさせつつも、あっちもこっちもどんどん手を動かしていかないと。今日はレッスン。子どもたちに今度はグランドコンサートの為の選曲。自分は、譜の基本を教えて、時々正しながらイメージを分けていくだけのことに過ぎないのに、期待以上にどんどんと伸びてってくれる。ほんとに嬉しいことだ。


10/4 ひなた

 すすきの穂も線路端を跳ねるように飛ぶ小さなスズメたちも、陽をたくさんすいこんでふっくら。毛布を干して夜を待とう。



 昨日は、浮んだカタチ、言葉、作りたいモノを一日中思いつくままにノートへスケッチした。こんなことがまたやれるようになって。やっと。
ノートに書き散らしたものが何にならなくても、今見た風景をすぐに忘れても、その中のいくらかは食べものように見えないところへ巡って、寝てる間の夢まで変えたりしてるんだろう。
ああまだ私は作れるんだな。作ろうと思ったりするんだなあ。



10/2 やさしい触手にうながされる

 ああもう金木犀の香りが圧倒的にこの路地を支配している。いい匂い。でもなんだろう、ちょっと心をふわふわっと不安定にさせるこの匂いとこのさわやかな空気は。季節の変わり目に時々ある、否が応でも追いついていかなければいけないことを知るきっかけみたいなもの。金木犀の香りに、いいかげんあきらめなさいと背中をもちあげられて運ばれているようでもある。だからこういうときは外を出歩いて自分でも歩をすすめた方がいいんだろうなあ。匂いがしているうちに、クローゼットの中を衣替えをしよう。


10/1 バランス

 あちこちで役目を終えたゴーヤのカーテンが、さみしく枯れています。採るのに飽きたのか食べるのに飽きたのか、純粋にカーテン目的だったのか、実をカラフル爆発させちゃってる家も多いですねえ。ゴーヤもね、輪切りにして干してしまえば、保存できて長くもちますよ。妹ちゃん伝授です。うちでも台所で2つばかり爆発させましたけど、それは来年用に種を採取。とにかくここのところ野菜が高いので、どれも無駄にしないよう干せるものは干して保存。立派な冷蔵庫をお持ちの方は茹でたり冷凍したりでうまいことやってるんでしょうけれど、うちは別の手でうまいことやらねばいけません。まあそんなことを考えるのも楽しいものです。


 最近は、食べれるから食べる、じゃなくて、足りる分だけ食べればいいことが わかってきました。今までは、腹八分目ときいていても、盛ったら(盛られたら)その分だけ食べてしまっていたわけですよ。もちろん日によって動く量が違うから、必要な量も違うだろうけれど、それでも 体は思っているよりもわりと足りてるってことに気づいた感じ。食べ物じゃなくても、そういうことなのかも。「まだ食べれるまだ飲める」ってときは、イコールお腹が満たされていない とは限らないんでしょうね。
 しかし買い物の量だけは癖がついているのか以前と同じようにしてしまうので、気をつけないと消費できません。特に新しい季節の食材が並び始める時期は危険。スーパーでカゴに入れるときは、あれもこれも作る気満々でも、自炊なんて仕事と気分ひとつでしたりしなかったりだしね。分かっていてもこの手の失敗はよくしてしまう。夏は食欲も落ちてたから、ほんと食材にさよならしてばかりでしんどかったー。これがさらなるダメージを生む。買う量と食べる量と作る量のバランスをとりつつ、残さない、じゃなくて 上手に残す(使う) が新しいテーマ。



9/29 知るということはそれを活かしてこそ知ったことになる

 「今日はニクの日か」とどうしても毎月思ってしまうのは私だけだろうか。といってもニクの日だからといって肉屋に行ったことも無く、世間的に肉のお買い得日なのかどうかよくわからない。冷蔵庫に鶏肉があるので、あとでごぼうやら根菜と炒め煮でもしてニクの日としよう。
 5週目の木曜なのでレッスンは休講。先週の子ども達の演奏会がまた素晴らしくて、ここまで育ったなら自分はもういつ辞めてもいいなと思えるほどだった。もっと欲を出して厳しくせねばいけないのだろうが。大きな舞台は正月明け。年末年始の予定がまた先にどんどんと埋まっていく。自分ごときが出せるものはどんどん出していこう。



9/28 ロビンソンと一緒に

 雲のかたちが複雑で繊細。空を眺めてすうっと静かになってから、口をニイっとスマイルにひろげて鼻の穴も大きくひろげて匂いを吸う。いい匂いかどうかってことでもなくて、朝こんな気持ちになれれば結構一日中穏やかにしあわせだ。まだもっと素直になれるだろうな、と思う。
すだれが風でパタンパタンと揺れる音、赤ん坊の泣き声、遠くを走る救急車のサイレン。お腹がくちゅり。
深呼吸したみたいな気分になる そんな詩が書きたいなあと思う。


久しぶりに筆で描く。水の動きにまかせて遊んでばかり。

ロビンソンてのは、新しい自転車のこと。深いグリーンで、茂みみたいだから最初は"シゲミ"って呼んでたのだけどね。シゲミ・G・ロビンソンてとこかな。これから初試乗。プッチ号が攫われた;図書館に行ってくる。これでまた遠くまでどんどん行ける。ちいさな自由を小脇に抱えたみたいな感じ。



9/26 麦わら帽子は日焼したつばを反り返したまま黙ってしまった



 長い袖に腕を通す日がくるなんて想像できないと ついこないだまで思っていたのに、もうやわらかいものに包まれることを望んでいる。今日は空も綿にくるまってるね。風邪にきをつけよう。




9/25 彼岸過ぎて雷サマも留守になる

 明るいうちに仕事から帰ってきたら、昨日蒔いた種がもう発芽していた。まさにジャストタイミング。ハイタッチ。なのに昨晩寝る前に読みはじめた本が予想以上に面白くて閉じられず、今日は一日あくびばかり。
 道端の植え込みの中に生えたイタドリには高くトウがたって、白く細かい花が噴水のように咲き乱れてた。そこにヘクソカズラの蔓が器用にまきついて、先っぽはもっと高くと空をつかもうとしている。その横を、いつもより鼻をすこし上に向けて歩く自分。人だって空を仰ぎたくなる、そんな季節。



9/22 口笛をたずさえて種をまく



 嵐に吹き飛ばされて洗い流されて、名残惜しんでいた夏もすっかりと居なくなった。申し訳なさげな蝉の声ももうしない。そのかわりに窓の外からほんのり金木犀の香がしたような気がした。すっきりと静かなスタートだ。ベランダに干した洗濯物も、そよともしない。土は十分に潤っている。少しだけ先の自分に届け物をするような気持ちで種をまこう。内にも外にも。
 さて、明日は仕事の方の本番。今日はこれからキッズたちのアンサンブルのリハーサル。




9/21 旅の記


 こんな青空で始まったjamjamjam音楽祭。夾竹桃が名残惜しげに咲き、蕎麦の花が揺れ、栴檀には丸い実がたくさんついて、緑はこんもり。麦わらの人たちがひらひらと舞うような笑顔で立っている。
関西の愉快な人たち、あたたかく迎えてくれてありがとう。こうして星ヶ丘で会えた人も、地元や身近で自分を支えてくれる人も、なかなか会えないけど気にしてくれる人もここを読んでくれてる人も、居てくれて嬉しいなあ思うから、自分もちゃんと居ます。
永井さんへのありがとうは、まだとっておく。自分でしっかり何か成し遂げた時に、きっともっとぎゅっと芯からこの言葉が出てくるのを待つ。


メインの音楽祭のあとに、盛り上がる皆と別れ、翌日からひっそりとお伊勢さんと志摩の旅。



あらゆるところに神様が宿る。写真をのせるのが気が引けるくらい。



横浜―京都―星ヶ丘―大阪―伊勢―賢島―上之郷―鳥羽―(伊勢湾フェリー)―伊良湖―豊橋―静岡―家
4泊(+バス泊)6日。珍しく随分のんびりと家を空けました。実家にもこんなに長く行くことはないから、大人になってから初めてかなあ。10年も前にイタリアに行った時が5日くらいだったので、それ以来かもしれません。




なぜかとっても懐かしい上之郷駅周辺。


たまらぬ。


英虞(あご)湾。湖のようだけど、複雑に入り組んだ湾。


大小の島々の間を抜けて、風をうけて。船に乗りたかったのだ。

星ヶ丘の一時のほかは、ずっと青空。歌って踊って笑って、牛タン食べて、お参りして歩きながら、伊勢うどん食べて、松坂牛も食べたし、伊勢海老はさすがに無理だったけど、かき氷食べたりラーメン食べたり買い食いも色々して、予算の3万よりちょっとオーバーしちゃったけど、薬草風呂も温泉も入れたし、十分うまいこと行ってこれました。鳥羽−豊橋間のフェリーとバスのセットは、かなりお得だし使えると思う。時間的には大して変わらないんじゃないかな。伊勢も志摩も同じルートでもいいから、もう1回すぐにでも行きたい。

しかしね、今回の旅の唯一の問題はこの写真にあるんではないだろうか。

音楽祭のステージ写真。(オフィシャルより拝借) みんなが自分を見ておる。なんか自分ものすごくむすっとしてて心配されてるみたいですけど...別に下手こいてませんし、怒ってもいないんですけど、なんでよりにもよって顔をあげてブサイク顔をしてるんだろか。きっとまあ、それで最後どうやって終わるん?と全員が不安になってる時だと思うんだけど、皆の険しい表情ったら、本番の図とは思えません。(大笑い) 永井さんとやってる時もこうだったんですね?可笑しい。次はにこやかに最後をびっちり〆るべし。



9/20 帰ってきました



 旅から戻ってまず湯船へ湯を張って、ざぶんと鼻の下まで浸かってから、ちょっと顔をあげて、息を大きく吐いて吸って、しばし目を瞑ってぼわーと眠る。足掛け6日もの間、あっちからこっちへ点々と移動しながら泊まり、重い荷物を背負って歩き回って、さすがに体のあちこち固まってきているけれど、深夜バスから始まって、船とローカルバスと長い東海道線での帰路にも(途中で疲れちゃって静岡の妹のところにプラス1泊したけれど)ちゃんと腰がもってくれたことに感謝。あったかいどくだみ茶で体への労い。
 旅の話はあとで改めてまた少し。旅の間は楽しく新しいことばかりで、出会った色々なことに想いもめまぐるしく過ごした。でも、この小さい部屋の小さい風呂に、体を丸めてじんわり温まりながら静かに呼吸しているうちに、ああこれでやっとゼロに戻ったのかもしれないな とふと感じる。ふわっと心もとなかった気持ちの空洞は、重たくも無いけれど、されど軽くもなく、ちょうどよく 腹八分目程度に何かがおさまったよう。過去でも未来でもなく、目の前で起きていることがすべてで、それを素直に楽しんだり、もっとずっとシンプルに感情を動かしていってみる。


 音楽祭の前日にも星ヶ丘へ。蚊取り線香の煙だけがひっそり漂う静かなギャラリーで、永井さんに「追いかけて来たよ」と話しかける。楽器の視察、なんて言っていたけれど、こうしてひとりで向かい合ってみたかったのだね。

 何も変わらない。今だって「永井さん今頃なにやってるんだろうな」とふと思う。なんかよくまだわからないな、死んじゃったってことが。これからだってきっとふいに寂しくなることだってあるだろうし、だいたいいつまでたっても全然会えないんだから、わかってるんだけれど。それでもあんまり。
でも、象の音楽の演奏中に哀しくなることは、もう無いと思う。ステージは、楽しくて気持ちよかった。なあやさんの声がいつもの声で嬉しかったし、曲のおしまいがいつもみたいにぐずぐずでしょうもなかったし、ふたりの声が重なった瞬間に ずっと歌ってたいと思ったし、ただそれだけだった。いろんなことを受けとめてくれるたくさんの仲間が居ててくれたしね。永井さんに会ったらこうしていっぺんに仲間も出来てほんま得したなあ。



9/15 雲をつれて

 櫓を川底にあてて押して岸辺からすいーと離れていくような、そんな心境の朝。そうか、イメージは塗り替えても塗り替えてもイメージのままなのだなあ、と昨日寝ころびながらふと気づく。イメージに期待するのもおかしなことで。
 jamjamjam音楽祭は、誰でもフリーで入って観れるので、よければふらっと遊びに来てくださいませ。10時過ぎから夕暮れ時まで丘の上の草原で誰かしら何かしら、わいわいと気ままにやってるかと思います。象の音楽は、晴れていれば空とお日さまが赤くなりはじめる頃に。さわさわと茂る草を両手でかき分けてそっと土の色を確認するような、そんな穏やかな気持ちで弾いてまいります。新作だってやっちゃうんだからねー。


練習もしたし、旅の支度も出来たし、もう出かけよう。 って、出かけるのは深夜です。そのまえに仕事へ行ってこなくては。レッスンも来週末が演奏会、子供らに愛と気合いを入れねば。飴とムチ? 大人は生きてるだけで勝手にムチにあたってしまうので私は要らないです。はは。ではでは星ヶ丘の草原で会いましょう。
jamjamjam music festival



9/13 蛇口から水が一滴ずつコップにたまっていくようにごく静かに



 しっとりとうなだれて月の光を吸っていたすすきの穂が、朝になったら太陽の光を受けてふわふわにひらいてた。もう飛んでいく準備だ。部屋の中で旅立ちしないように、頃合いを見て外へ出してあげないと。昨夜は、友達にもらったお月見の花と、急いで作ったお団子を並べて、部屋から月が見える間だけ静かにお月見。ようやくふわふわとばかりしていた体の真ん中にも、お団子サイズの重りが入ったようです。これで、揺れながら楽にバランスとれるかな。体の軸のことを考える時、いつも船が思い浮かびます。マストがまっすぐ空に伸びてるのと同時に、地球の真ん中を指しているようなイメージ。船って水に浮んでるからバランスとれるんだよね。
 秋の花は個性派ぞろい。上京した頃、すすきや吾亦紅が花屋で売ってるのを見たとき、その辺に生えてる草を売るなんて都会ってアコギだな、と思ったりしたけれど、その辺に生えてるのは田舎の話で、どの辺にもわりと生えてないのね、とすぐに気がついたのでした。で、性分から鮮やかな花よりもアコギな草ばかり欲しくなって、まんまと買ってしまう自分がいたわけで。ねこじゃらしのふわふわ版とか、麦とか、小判草とか。河原に探しに行ったりね。
 菊、吾亦紅、鶏頭、どの花も薬草。菊は花そのものにも鎮静作用とかの薬効がありますね。あとのは生薬(根っこを煎じたやつ?)だったような。菊を常習的に食べるのはどこの地方なのだろう。菊を食べるなんて考えたこともなかったけど、スーパーでも色々な色とサイズの菊花が並ぶようになって、耳鳴りにきくと読んだので、これは今こそと夏の終わりにはじめてチャレンジしましたよ。茹でてしまうと香りも落ち着くし、しなやかな食感になって思ったより全然食べやすい。錦糸卵のかわりにちらし寿司とかにのせたり、すこし塩でもんで漬物でもいいなと思いました。モリモリ食べよう!とは思わないと思うけれど、知っているってことは、ひとつ自由を得たってことかなって思います。
 さあ週末の音楽祭にむけて、象の音楽も静かに始動。遅い?十分だよ。ちょっとだけ大きく息を吸って、新しい曲の準備です。明後日の仕事後、深夜に発って前日に関西入りするので、そろそろ旅の仕度もしなくちゃね。間に合うかな。間に合え。あふれろ。




9/12 名月と芸の肥やし

 新しい種まきに向けて土の準備をしていたら、それこそ玉のような汗がポロンポロンとこぼれます。ポロンポロン汗は気持ちがいい。終わりかけの苗を抜いて土をほぐして、少し寝かせておいたコンポストの堆肥をまぜていきます。
このあいだ、〔芸=藝〕という字は、もともと 植物を育てる や、なんとかという草(香草)を意味した字、と読んだ。ほほう、よく見ればなるほど草かんむりだ、なんだか嬉しい と思ったわけです。〔芸〕と友達になれそうな気がして。〔芸〕も、術や技となると、その筋の学校に通っていたにもかかわらず、なんだかピンときません。そうか、自分はやっぱ 園や農のほうかもしれないなあとちょっと思いました。土が無いとね。 
コンポスト堆肥でふかふかに戻った土をなでながら、「これがほんとの芸の肥やし。なんつって、上手いこと言った!」とニヤニヤしながら(すべて心の中での会話です。念のため)、何を蒔こうかなあと考える時間が、他の時間への原動力になっていることは間違いありません。土はこのまままたしばらく寝かせて、そのあいだに自分も新しい種と共に育っていく体制を整えたいな。
 さて、昨日のお月様もすごかったけれど(光にあたってたら蕁麻疹ができた)、今夜もお月見を。いそいそとお団子の用意を、と思ったらよもぎ粉がありません。どうやらというか、つまり全部飲んでしまっていたわけです。残しておいたような気がしたのに、一番肝心な時に無いなんて。出鼻をくじかれるとはことのことか。お団子つくりは夜に持ち越し。よもぎの団子が食べたいのです。


9/9 今ごろになって


 なんだかごっそりと哀しくなったりする。こういうことにも時差があるのだね。あまりにも静かになって綺麗に佇んでいるように見えるからだよ。







9/7 どんなに押し黙っていても

 自家製ジンジャーエールしゅわしゅわ。忘れた頃に赤くなっているミニトマトを採って口に入れる。今年は虫もつかず夏中ずっとお世話になった青紫蘇に穂がたちはじめて、月下美人の葉っぱからは子葉が伸びてきた。そしてどうしたもんかイチジクにまた小さな実がついている。土の力ってすごいね。
そろそろコンポストからまた堆肥を出して新しい土の準備をしようか。種まきの季節だな。朝の涼やかでクリアな風の匂いに気づくと、少しずつ先の準備をしたくなる。そんな季節がやってきた。うとうとと目をつぶっているような歩みだけど、悪くないよ。だいぶ、持てないものは捨てられた気がする。



 と、ちょっと素敵ちっくにしっぽり書いたわけですがね、そんなもん吹き飛ばす出来事勃発ですよ。 リサイクル屋さんで冬物の引き取りが始まったので、肩が凝るコートやあまり着なくなった洋服を持って行ったのですね。 少し査定を待ち、呼ばれて再度レジに行くと アルバイトらしい若い男性が金額などの説明をしてくれ、最後に「こちらは当方ではお引取りできません・・・」と、洋服を入れていった袋をそっと返してきた。「ああ、袋は持って帰りますよー」と涼しい顔で応える私。すると真面目な感じで「いえ、中の物です...」と言う。はて、袋の見た目はぺちゃんこだし、だいたいそんなに小さい物を出した覚えが無い。ポケットにアクセサリーでも?と思って袋を覗く私。ぎゃふん!そこに衝撃映像が!何故、どうして!パンテーが申し訳なげに1枚ぴらんと入っている・・・オーマイガー!ハイ、紛れもなくオレのです。ガーンガーン。小さく頷いて、さらっと取り繕ったような覚えはあるけれど、もうパンテーが頭の中でぐーるぐる。どこでまぎれたかお前!はあ。赤面。人にパンテーを鑑定されたの初めてだわ!つか、見せたかったわけじゃないし(涙) だいたい人に見られたのも ちょっと久々だわ!いやいやいやいやいやいやー。見たこと全部忘れてください。つーかーれーた。
 自分がもっとぐいぐいいけるオバさんだったら「やっだーなんでーまぎれちゃったみったーい、はずかしい!変なモノ見せてごめんなさーい?」と堂々と笑いながら恥ずかしがれただろうか。その方が店員さんもすっきりしただろうか。すべての思考閉店ガラガラ。



9/6 旅のポケット

 古着屋で旅用のディパックを買って洗濯をしようとしたら、チャリンとポケットからコインが数枚出てきた。前の持ち主はこのバッグと海外を旅していたのだね。自分はほんの数時間離れた場所へ行くだけだけど、口を大きく開けて干されている空っぽのデイパックの中に、何をつめて行って、何をつめて帰ってくるのだろうと 少し想像する。


オーストラリア5セントと フィリピンの1ペソが2枚。まとめて50円くらい?今は海外の方が安く旅できるのかもね。


9/3 ジンジャーのつぶやきと静かな揺れ

 雨音に囲まれて仕事に篭るつもりだったのに、たいして雨というわけでもなく時々晴れたりするから、あれなんだか困ったな調子狂っちゃうな と思っているうちに日が暮れた。夕飯には少し早いけれどと、生わさびととろろを擂りおろして蕎麦。ゴーヤの輪切りと エアクッションみたいなぷかぷか生きくらげ(いつもマギーさんのでっかくなっちゃう耳 を思い出す)、新生姜を天ぷらに。食べ物がうまくて幸せだ。蕎麦が食べたくなるってことは、胃の調子もいいわけで、それだけでも好い日。
 さてと、と、夕飯の片付けをさっとして、流しの蛍光灯のひなびた青白い光の下に丸椅子を置く。保存食つくり。少し残った天ぷらの油で、茄子ピーマンししとうゴウヤを素揚げして南蛮酢漬け。これ大好物。食欲が無い時にも、茄子を買えば必ず作っておいた。ごはんにも麺でも、冷たくても温かくても、ひときれ食べれば口の中に唾が出てきてまた箸がすすむ。ひと晩置いて味がしみてくったりしたのが好きなので、すぐつまみたい手を我慢。というか、ひと口でも食べてしまったら、食べきってしまうおそれがあるからね。見えないところへ置いて荒熱とり。
 作っておきたかったのは、たくさん買っておいた新生姜で、甘酢漬けと紅しょうがと、ジンジャーシロップ。うちの冷蔵庫の定番。どんどん刻んでどんどん漬ける。最後にシロップ。砂糖をふった生姜から水分が出るのを待つあいだに、ついでにジェノバソース。松の実は今日もひまわりの種で代用。電気撹拌機(あえてこう言ってみただけだよ)なんて無くったってあっという間さ。 シロップをことこと煮つめだして、ようやくほっと腰をおろす。椅子の上に片足折りたたむような姿勢で本をめくる。
 読んでいたのは、江戸の鍼灸師の話。乾燥させた蓬をよく揉んで柔らかできめ細かいもぐさに仕立てる。それを細く細くよってから米粒ほどの大きさにちぎり、ツボにのせ線香で火をつける。小さい灸は、熱さを感じる前にあっという間に燃え尽きる。と、その描写にそそられ(実際はもっと引き込まれるような文章ですよもちろん)、嗚呼 蓬を摘んで もぐさにしてみたい と強く思う。このあいだまでは 茶に仕立てようと、今も乾かしている最中だというのに。ツボの位置さえわかれば、自分で灸だってをすえてみたいところだけど、残念ながらツボというものをこれまでに発見(ここだと実感)できたことがない。
 蓬か。お月見の団子粉を買っておかねばな。満月と新月の小豆を始めたことだし、今年は餡子ってやつも作ってみようか。自分で作れば食べられるかもしれないし。
隙間風でカーテンが孕んでいるのを眺めながら、雨の音がしないか耳をすます。 ぷつぷつと小さくお小言を言ってるのはシロップ。アクをすくってから、シロップの中で揺れてるくったりと飴色に透きとおった生姜を一枚ぺらんとつまんで口に入れて、また本に目を戻す。いつまでも黙ってそんな夜。そうだ、またあのおじいちゃん先生のところに灸をしてもらいに行こうか。いぶされたい。



9/2 1つの頭2つの腕10本の指



 いつもより早い時間にパソコンの前に座ったら、足元に届くところまで陽が射しこんでいる。ミンミンゼミが盛りの頃よりテンポアップして鳴いているような気がする。気持ちはわかるけれど、昨日はあまりの速さに笑ってしまった。最後ならのびのび歌えばいいのに、と思ったけど、そのあと静かになっちゃったから、出し切って全うしたのかも。自分もせかせかしている時は、電車の中でも歩きたくなったりするものな。
 譜面を開いてビックリの伴奏を引き受けてから、毎日朝か夜、ご飯のあとに2時間ほど練習をしている。2時間は私の集中力の限界らしい。そのあとは曲を変えるか、休憩しないと どれだけ弾いてもバラバラと散漫になっていく。
まずはとにかくガツガツとした感じで音符を拾い、ひっかかるところを何十回も練習しては、やっと1ページ進み、数ページ進むと最初を忘れ、弾き直してみれば同じところでトチリまた何十回も練習、と目の前をこなすのに必死だったのが、ようやく思うように手がついてきた。手が覚えたことで、無駄な動きや力が抜けて、腕がパンパン張ったりしなくなったから、またさらに弾きやすくなる。最初はほんとにガツガツ弾きで、これって絶対伴奏レベルの音量じゃない!ピアノの位置をステージの一番遠くに動かされるに違いない...と思ってたけど、まあとりあえず、やればまだ私にも出来るもんなのだなと感心。譜を追って弾くのって、いっこく堂さんみたいな感じだね。それでいてサーフィンみたいに目線が常に先にある。(って昨日思った)
同じミスを(同じ場所で)何十回と重ねても繰り返しやり直そうと思えることって、自分には弾くこと以外無い!と確信。もし料理だったら3回が限度だろうし、絵だって、縫い物だって、きっと手段を変えてしまおうと思ってしまう。しかし音ってのはなんだね、本番のたった一回のミスが、冗談でなく致命傷...。そこだけはやり直しがきかない。(隠せる限りはうやむやにしますけれどね、それもその余裕があってこそ) それがこわいからやるのかー。そうかーそうだーこわいよー。失敗を恐れるよー。
しかしそんな時の生徒たちには、「ならば50回弾いて50回間違えないように練習すればよし」、と軽々と言っている。回数がどうこうじゃなくて、そういうことが自信になって不安がなくなるからということなのだけど、人に言うのは簡単だわ。


 指はほぼ無意識に動きだして、聞えてくる音をどの指が出してるのかわからないところがいっぱい。でも旋律が浮き立って鳴ったりするから10本の誰かがやってるのだねえ。頭はまた別のことも考えて、楽しくなったり涙が出たり歌ったり、そして体はその時も呼吸をして生きている。おもしろいね。今さらだけど。

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