8/31 カヤツリ草の線香花火 チキチキと夏が空に飛んだ日



 ゴミ出しのついでに近所をすこし歩く。草むらに足を入れたら葉の中からあっちこっちとバッタやキリギリスがチキチキと鳴きながら飛び出した。駐車場の隅ではカヤツリ草が花を咲かせていて、その姿と線香花火が重なり、そこはかとなく終わっていく儚い夏の時間を感じさせる。
草色の小さなバッタ、すこし太ったチキチキがぴょーんと空へジャンプ。チキチキは羽根がうまく仕舞えてなくて、薄く透けそうな羽が少しはみ出したまま。ふと何故か折り紙を思い出す。バッタやキリギリスを折った記憶は無いし、折れるのかも知らないけれど、綺麗に折りたたまれた羽根や足のシルエットが、それを連想させるのだろう。と考えたら、本当に折り紙の虫たちに見えてくるのだった。頑張れば折れそうだね。
 気がついていたようで、気がつかぬ間に空がだいぶ遠くなっている。目線が遠くへ向くことは好いことだ、と、昨日 友達の家から水平線をいつまでも眺めながら思った。数えるほどしか人と会わず、ひとりじっと息をひそめていたような夏だったけれど、ぽつりぽつりと会った友たちとの時間はどれもみなゆったりとあたたかくて、人間味にあふれていて、これで十分なんだと思う時間ばかり。今日は昨日よりも少し呼吸を遠くへひろげるように。そんな気分で。



8/29 草の盛り場にて


 ぷっち号(自転車)を失いました。あるだろうところに無かったので、きっとどなたかが乗って行かれたのでしょう。無いからといって ちょっとー!と誰かを呼ぶとか地団駄を踏むような自転車でもなかったので、これはひ弱になった体に対しての「歩きなさい」という思し召しかも知れぬ、と思い 草場まで歩きです。一度 「よし、草場に行く」 と決めたら、もう気持ちに引っ込みがつかないのでね。歩き出しは 風もここちよくて軽快だったのですが、まあ着く頃にはもちろん汗だくです。

予想どおり、激しく茂る草場。一歩踏み込んだら最後、抜け出すまで 全身にうわんうわんと蚊がまとわりつきます。たまったもんじゃないので、小走り。見れる限りの草のチェックはしつつも全然ひと息つけません。横目で、むかごはまだみたい、あの花はもしや本で見たあれか?とか。忙しない。
ティーツリーの虫除けをあちこち塗ってるその手にも蚊がむらがります。そりゃそういうもんです。蚊にしてみたら、皿の上に美味しい匂いのご馳走がのっかったようなものですし。ええ。


オトコエシ?黄色い花のがオミナエシ。秋の彼岸の頃に咲いて、仏壇やお墓によく供えた記憶が。

しばらく来ないうちに、草場の中央は 秋を楽しみにしていた大きな山栗の木が何本も抜かれたり切られていて、空間が作られています。いったいこんな場所を開いて何をしようとしているのか。また桜でも植えて増やそうっていうんでしょうかね、春があれば必ず秋があることを忘れてるんでしょうか、私には全く残念としか言いようが無い・・・。(栗を拾うのを楽しみにしたいたからさ)


ちょっとむっとしながら蚊を逃れて外周に。普段あまり行かない(というか、あまり上を見てないのですね)端っこに、くるみの木を見つけました。瞬間「!」「くるみだ!」と声に出ちゃったら、さっきまで誰もいなかったすぐ後ろにおじさんが歩いておりました。聞えたか聞えぬか定かではないけれど、まあ草叢や茂みをじろじろ覗き込みながら歩く女を、ちょっと訝しげな目で見ていた、ような。おじさんが去ってから、じっくりと観察。あの実が落ちてくるのはいつだろう。それを考えるだけでもわくわくしますよ。まったく。
栗の木に限らず、あちこち整備したがって中途半端に刈ったり掘り返したりしているので、つまらない草が増えた気がします。でも草場は秋のすきま風が吹くころも、また居心地がよいわけで、きっとぶつぶついいながら行っちゃうんだなあ。次はむかご狙いで。




8/28 コラーゲンとテレビ

 日中の暑さにも秋の気配が漂うようになって、人々の思考も新しい季節でのスタートへ向いてきたよう。ぼちぼちと仕事の相談も増えてきて、自分も徐々にそういったことについていけるようになり、パソコンに向かう時間もまた増えてきました。メールの返信をしたり打ち合わせたり。来月には楽しみにしていることもあるので、体調を整えつつすこし気張って働かなくちゃと思います。
 夜は 友に誘われ、21時過ぎまで働いていたもう一人の友と合流して博多地鶏の水炊き鍋。濃厚スープに舌鼓。お肉もほんとうに久しぶりにたくさん食べて、体調も好いのでビアも解禁。とにかくビールがうまい夏なのに、8月になって初めてのビアですよ。飲みたくなかったんですもの。ほんと体ってね、正直。
しかし、コラーゲンでぷるぷるになる〜と言いながらたっぷり食べたはずなのに、まあ今朝は良くも悪くもいつもどうりです。すっかりと体内に浸み込まれて終わってしまったのかね。内臓がぷるぷる?(←シロコロホルモンを連想) バタンキュとまた床に寝ちゃったのがいけなかったんでしょうか。この歳ですから、筋肉痛みたいに一日遅れでなにかぷるぷるしてくる、とかー?あるんでしょうか。それに期待。今日はどくだみ茶で内臓をきれいにしてもらおう。
 テレビはあった方がいいよね、なんて話したせいか、今朝方、父さんにテレビ代をおねだりしている夢を見ました。親に気安く あれが欲しいとかそんなこと一度も言える性格ではないんですけれどね。お金に限らず何やかや さらっとうまく甘えてズバっと言えちゃう妹のことを、ずっといいなあと思っています。言えることというか、そういう関係性。どうもなんか硬く(難く)なっちゃうんですよね。自分。まあ妹には妹の言い分がいろいろありそうだけど。
2万か3万か、と悩みに悩んで、思い切って「さんまん」と 声を絞り出していたところが超現実的で、ちょっと笑えた。金額も、夢の中なのに身の丈に合いすぎてるだろっ。父さんとじっくり話すとか その上小遣いをもらう、ということがほぼありえないことなので(しかもどこかの空き地の
草っぱらにふたりで寝転がっていた...)、そこはやっぱり夢。3万円を握って、テレビを得た気で目覚めたからちょっと残念。はは。



8/26 音の癖

  朝、まだ布団に寝ながら頭だけ窓の方へ向けて、外の音をきく。向かいの家から出勤するおじさんの車が出る音がして、ああ7時くらいなんだなと見当がつく。小型犬と思われる犬が玄関の内側あたりでワンワンと吠えると、おばさんが外へ出てきて「気をつけてね、いってらっしゃい」とおじさんに声をかけ、車が角を静かに曲がって見えなくなると、「おとうさんいっちゃったね」と犬に声をかけながら家の中へ戻っていく。路地の道は凸凹しているから、ガス屋のトラックが通ると、ボンベがガチャンガチャンと鳴って、ああこれはガス屋さんだなとわかる。ワゴンぽい車が角で停まる音がして、ザーっと脇のドアを開け閉めするか、荷台のドアをバンと閉める音がすればたぶん宅配便。車庫から出て時々プっと小さくクラクションを鳴らして出てくのは、斜め向かいの若い旦那さんが子どもにいってきますのあいさつ。
 実家は坂をくねくねとのぼりきった丘の中腹にあって、子供のころは夕方仕事から帰ってくる父さんのトラックの音が、まだずいぶん離れた坂の下あたりを走っている時にふい一瞬きこえるようなことがあって、「帰ってきた!」と台所の母さんに知らせに行った。それでしばらくして間違いなくトラックが庭に入ってきた時は、やっぱり!とちょっと嬉しかったりしたものだ。あれはきっと、坂をのぼる前にギアを入れ替えてアクセルを噴かしてた時の音なんだなあと、今朝 窓の外の音をききながらふいに気がついた。まあ田舎で周りが静かだったこともあるだろうし、トラックの音が特徴があったことも分かりやすかったのだろうけれど、もしかしたら父さんもアクセルを踏むその瞬間「帰ってきたぞ」と知らせるように音を出して、坂をのぼってきてたのかもしれないな。





8/25 独歩 

 体調と食欲が戻ってくると、すこしずつ外部のことも見えるようになるみたい。おとつい昨日と、そうなんだそうだったんだ...へえ...みたいなことが続いて、そうか、ちょっとあぶれたか と思う。まあそうなる位置付けなんだろうな。性格的にも。ただ 離れた人からみたら人付き合いの悪い人のように見えるのか、と思うと癪だけど、でももうそういう余計な一切合切を捨てるためにも、今自分の心したところを歩いてみようと決めたのだ。それも、静かに頼れる人があって、頼ってくれるだろう人がいると思うから。
 それにしても、丸2ヶ月ほど食欲不振や小食で、もう店で食事なんて出来ないのかも、というほど自炊が続いたのに、ちゃんと食べれるようになれば外でご飯を食べたくなるんだから、体と頭ってほんと一心同体だねえ。今日は外で食べてこようかな。
 さて、来月のプチ演奏会用に、軽く 伴奏、なんぞとは言って欲しくないレベルの伴奏譜が手元にきた。「伴」じゃなくて「共」じゃないかね?必死。



いちじく。これは先日友がお土産に持ってきてくれたのでしたー。おいしーい。




8/24 夏の畑の葛藤と

 プランターからひょろひょろ伸びていた山芋の蔓にむかごがつきはじめた。とまで書いて、自分は蔓という字をたぶん一回も紙に書いたことがないのではないか、と気がついた。それでいらない紙に何回か書いてみたのだけど、この先使うことはあるかな。蔓延る、とか。蔓延るになると、どうも迷惑な印象だったり厄介者っぽい印象になってしまうね。蔓というより、なにか悪いもののようだ。山芋の蔓であればむかごは取り放題になりそうだけど。
 今の時期なんか、草場は葛が勢いを増しているんじゃないだろうか。花もそろそろだったかな。秋の七草。むせかえるほど強い香りの藤の花に似た赤紫の花。藤は垂れるように咲くけれど、葛の花は葉の影からそそり立つように咲く いかにも雑草らしいたくましい花だなあと思う。葛と藤、どちらも蔓性の植物、絡み合ってほどけないのが葛藤。
そういえば、ゴーヤもいんげんもきゅうりもスイカも、夏の野菜は蔓を出すのが多いね。違う野菜同士が蔓を結び合っちゃったら、それはもう葛藤というより混沌だ。そんな畑も嫌いじゃない。


いちじく、おしりがそれらしくなってきた。まだかな。もうすこしかな。

追記: 葛藤の場合の葛の字は〔葛(くず)〕を指すわけではなくて、〔葛(かずら)=蔓性〕ってことみたい。 



8/23 処暑



 二十四節気では、秋の候のふたつめ。えのころぐさが、わずかな風にゆらゆらと穂を揺らしてる。陽射しふたたび。昨日は不甲斐ない自分にめそめそしたりしてたけど、今日は友達が仕事帰りに遊びによってくれるっていうから、いそいそと掃除をはじめてる。洗濯機も2回目まわしちゃうぞ。お腹も減りそうだ。うれしい。でも涙が出てちょっとほっとした。



8/22 光が透けてみえても


どうしようもなくどうしようもない と思ってしまうときだってあるよ

 花摘みで摘んだポピーの花びらを押し花にしておいたのが、ぴらんぴらんに薄くできあがってた。それで一体どうするのだ、これを。たくさん作ってはみたものの。そういえば小学生くらいの頃、こんなふうに薄いシートの紙石けんてやつがあって、そっと時々つまんで眺めては使わずに大事にしてたっけ。あんなふうにひっそりどきどきと持っていることが嬉しいモノって、きっとどの時期にもあったと思うんだけど、思い出そうとすると思い出せないものだ。今は何だろな。どこかで拾った石とか貝殻とか、こんな押し花なのかもね。



8/21 それでキャラメルナッツバーのことをノートいっぱいに書いたのだ

 寝転がってばかりなので、天井を眺めている時間が多い。これまで天井のかわりに何を見ていたんだろう。テレビかな。ずっと天井というか空間を眺めていたら、箱の中のキャラメルの気持ちになって、くちゃくちゃと歯に絡むキャラメルのことを考えたら唾がでた。
白い天井には何も映らないから、あれこれ考えていても白く白くふわふわと眠気に変わって、そのうち寝てしまう。いかにくだらないことでも、興味が無くなる というのは怖いことだ と思う。やっぱりテレビはあった方がいいかな。笑ったり泣かされたり、感情を揺さぶれるのも必要だ。
 と、こんなことしか書くことがない地味な日々なのに、あまりにも予定をキャンセルすることばかりで、さらに地味な夏。まあ体と気持ちがついてこないんだから仕方がないとは諦めてもね。予定が出来ると嬉しいのと同時に憂鬱にもなる。小さく行動。涼しくなったから、ふと目が覚めた時に布団に移動して寝ています。毛布のふわふわが気持ちいい。夏の終わる前には、いつもこんなふうにふいに涼しくなって毛布に包まる日が毎年必ずあるような気がする。 (ああそうだ、今日はピアノを習いに来ているHちゃんが飼っているオカヤドカリのことを書こうと思っていたのに、キャラメルで始まったからこんな具合になってしまった)


8/18 波のまにまに

 ザザー ザザーと波の音の方へ目をやると、緑の芝生の丘の下の方に淡い美しいブルーの海が広がっているのが見えて、ああ今年もやっと海に入れるんだ と幸せな気持ちで目が覚めた。横を向くと、1時間ほど前にスイッチをいれた扇風機が強弱をつけたリズムで風を送っている。それが波の音の正体だったのだ。がっかりしたのではなくて、そんな夢を見れてむしろ嬉しかった。朝方に扇風機をつけて寝直す時には、またリズム風でまわそうと思ったのだよ。

コンポスト堆肥のおかげなのか、イチジクが今頃あちこちから若葉をだしている。そして堆肥に混ざっていたと思われるなにかの野菜の種が、あちこちの鉢から芽を出している。ピーマンかなししとうかな。

8/17 お茶事情とどうでもいい宣言



 息苦しいほどの暑さ。食欲も沸かないので気つけに梅干をひとつ。おへそにも貼って見ようかと思ったけれど、あれは車酔いのおまじないだったかな。
 最近はね、どくだみ茶を飲んでいます。最初は自分で適等に干したのがあったからそれを飲んでいて、それもスギナのあれに比べれば十分美味しくて、普通にうまい!と飲んでいたのだけど、昨日ふと乾物屋さんでどくだみ茶を見かけたので買ってみて飲んだら、普通にうまい!の比ではなかった。全然うまい!同じように干してあるだけに見えるけれど、何が違うんだろうなあ。こううまいと、やっぱり買ってしまうよなあ。

それと大豆タンパクってやつを食べてみた。私はマクロビとか菜食どうこうってんじゃ全然なくて、単純に簡単に大豆を食べる1つの方法として。自分にとっては肉がわりにというわけではないから、ふーん こんなもんなんだなあとモクモク食べてみたけど、肉が食べたいけれど我慢して、という場合にはやっぱり肉じゃないわけで。唐揚げというより酢豚みたいにあんに絡めたら美味しいかも。次はそうしてみようと思います。お肉みたいに腐らないからいいわ。
 どうも私の体は葉っぱ食べてる割には、ベジタリアン向きではないよう。先月に体力が落ちて肉とか脂とかほとんど食べたくなかった時、しばらく野菜中心の健康食事をしていたら、出るもんが出なくなっちゃったんですよ。以前にもやっぱりそんな事があったんだよね。時々1週間とか野菜で過ごしていると、その間ぴたりと出なくなる。あれはなんなんだろう。体が(あれ?肉ないの?油少ない?)とか思って、蓄えに入るのかな。で、菜食に飽きた頃に欲にまかせてファーストフードでポテトを食べたり、菓子パンを食べたりすると、翌日解決みたいな。ジャンキーな油を体が出したがって解決するのか、腸が動物脂を必要としているのか。たまたまなのか。まあいずれにせよ、食べれるうちは肉を食べます。酢豚にも、大豆タンパクを入れるけど肉も入れるだろう。うむ。



8/15 ずっとおわりとはじまりの境い目を探してる

 朝方にふと目覚めたら小さな虫の鳴き声がしているようで、ああやっぱり秋はこっそりと静かにやってきているのだなあと穏やかに思う。日の出もだいぶ遅くなってきた。ほの暗い空のもとでは、鳥たちが忙しく鳴いている。日が顔を出せば、葉の影が窓に映りだし、鳥と入れ替えのようにジージーと蝉の出番が控えめに始まって、夏が終わっていないことにもほっとする。網戸に鼻をつけて朝の空気を嗅いでみれば、網戸のほこりっぽさと一緒に、確かに澄んだ匂いがして、ちゃんと今日になったのだなと 嬉しい。



 お盆だからと言ってどこへ行くでも何をしていたわけでもない。仕事があればやって、無ければごろんとしたり、縫い物を少ししたり。何をしようにもシャキっとしないが、今はこういう時期なのだと受け入れて欲をかかないほうがいいのだろう。片付けくらいしか思いつかないので、身の回りはだいぶ整理されてきた。エイっと思い切って捨てだすと、捨てる物は無いか という視線に変わってくるから面白いね。まだまだごちゃごちゃモノはあるけれど、ほんとうは、ほとんど無くてもなんとかなるだろうと思う。とりあえず健康でさえいれば、お金だって生み出すことも出来るんだからさ。だから不健康ってのは、体だけじゃなくていろんなとこが滞っちゃって悪循環なんだなあ。体の中みたいに、壁際から少しずつモノを溜めだすわけで。そんなんで、今日もなんか捨てたい衝動。


 朝一番で妹のベランダから、緑のカーテンの副産物が届いた。使いきりサイズで丁度いい。でも欲しかったのは葉っぱさ。今年は自分で育てていないから初葉っぱ。まずは天ぷらにしようっと。今ごろ、妹は実家でお盆。今年も縁側先に提灯がさがって、月下美人の蕾がいくつもふくらんてで、母さんが今か今かと咲くのを楽しみにしているんだろう。そういえば実家の緑のカーテンは、一時スイカだった時があったけど、実がなった時はどうなってたんだろうか。網で吊ってたか?ようし、来年は風船かずらのカーテンにしよう。食べれないけど。



8/9 シエスタ



久しぶりに深い弦の音色を聴きたくなりました。
残暑お見舞い申しあげます。




8/8 立秋 葉っぱの日?

 8月は語呂がいいから色んな日がありそうだ。先月はあちこちいろんな症状が出て、その都度心配になって病院にいってたら、薬が色々とたまった。どうも薬のチャンポンてのは素人感覚だと怖くなってしまうわけで、少しよくなるともういいや、と飲まなくなる。まあ飲んで様子をみてみましょうという程度のことだからなのだけど。
 それでというわけでもないけれど、なるべくなら常用してる鎮痛剤も含めて、"薬"なんぞ飲みたくない、と強く思うようになって、また熱心に草の本なんかを読んだりしているわけです。漢方の生薬なんかは 植物類が主だから、"薬"ってひとくくりに言っちゃうのは、ちょっと違うかもしれないけれど、とにかく薬にしても何にしても、口に入れるものは信用して感謝して飲んだり食べたりしたいなあと。
で、まあだからといって 草ばかり食べようというわけでも、薬効を狙ってとか言うわけでもないんですが、勉強と名をうって 好きな本を読んじゃおーっ してやったりーてところですかね。いやそれにしても飽きない。草ってやつは。そしていいやつがいっぱい。最近気になっていた〈薬膳てなにをもっていうのか?〉も、自己解釈で解決しましたよ。薬という字です。くさかんむりに楽。つまり楽しい草ってことー!まちがえた。草を楽しむってことー!じゃないですか?いや、すごく大きくすごく発端を捉えたらです。 あ、というかそもそも、"薬"というのが〈草を楽しむこと〉、もとい、〈草を楽しむこと〉が"薬"になるのでは!! ははーん。そうかーそうだよ。ほんとうにどれだけ心身癒されてるか… ということで、目の付け所はそんなに間違ってないなと、今日も図録を開くのです。



大好きなコリアンダーには、微量の麻酔作用があるんだって。魔女の薬草についての本に書いてあった。ほんとみたい。



8/6 居場所



 テレビを処分したら部屋の片隅がぽっかり寂しくなったので、古い木のスツールを置き 透明ガラスの大きい花瓶をのせてみた。まだ物足りなくて、空っぽの花瓶にヤカンで水を入れる。ベランダの大きく茂った木の枝を3本ざぶざぶと活けたら落ち着いた。
少し隙間ができたベランダに日が射して、部屋の床にちょうど四角く光があたる。そこへクッションをひとつ置いてみれば、ああそれでここが居場所かとふと思う。太陽が屋根を通り越したら、寝ころんで空を眺めよう。



8/5 床寝の魅力 そして床の疑問

 わざわざ語らなくてもいいようなことですし、今さら書かなくても、ここを読んでくださっている方は、ああまたか とお思いでしょうが、最近床に寝ています。ころっと寝てしまうたぐいのでなく、さあ寝ましょという あえて のです。床の魅力はなんなのだろうと考えます。ひとつは、夏なので畳みたいなイ草のゴザを敷いているので寝ころびやすい、という点。ふたつめは、とにかくフラットでどう転がろうが大丈夫(物があるので面積に限界はありますが)ということ。そしてうちでは、床寝ならば外の風を感じながら寝れる(起きれる)ことでしょうか。もうひとつ、一番決定的なこととして、ロルフィングを受けて体が変わった ということがあるのですが、これについて書き始めると終わらなくなるので、今日は外的な部分で考えてみようと思います。真面目にくだらなく長いですからね。

 畳(正確にはゴザ)は大変結構な代物だ、好い買い物をした (2畳分のゴザは近くのホームセンターで2000円ほどだったと記憶しています) と、今朝も目覚めて鼻の先の畳の目を眺めながら思いました。ほどよく保湿感と温度があって、その上涼感もあって。たぶん、夏は夏の、秋は秋の肌さわりがあると思うのですよ。そして箒で掃いた時の音も、きっと季節によって違うのだろうと。シュッシュッかシャッシャか、などとその音を思い浮かべていたら、二度寝に成功したわけです。 
 今、ゴザの下には冬のなごりのホットカーペットが敷いてあって、よく寝る位置にはその下にダンボールを1枚入れてあります。敷布団は敷きません。だいたい毎日布団を敷く手間が必要なら、ベッドにあがって寝ますね。ゴザの上にタオルケットを1枚広げたり、肌寒いときは毛布を一枚広げますが、大抵起きた時には脇にいっちゃってます。雨が降っていなければベランダ窓を半分位開けておいて、網戸からの微かな風を顔を感じながら、ぺたりと床に体をつける。非常に落ち着きます。一番低い位置に体を預ける、というのは安心感があるんでしょうかね。この部屋の中で一番安定しているだろう場所は、床ですし。夏はとくに制限なく体を投げ出したように眠りたいからかもしれません。ついでに言うと、冬は冬眠のように布団にすっぽりくるまって、小さく丸まって寝るのが好きです。いや、もしかしたら床の上でも、わりと丸まって眠っているのかも。自分の寝相は見たことないし、起きるころには体を伸ばしているようなのでわからないけれど。
 床に寝るようになっての利点は、寝ること以外にもあります。部屋の片付けや床の掃除です。枕があるといっても、すきあらば枕なんぞあっちへやってごろごろ顔を床(ゴザ)につけますからね。拭き掃除をこまめにするようになりました。畳は、友人を真似してアロマオイルを垂らした雑巾で毎日拭いています。湿気が続いたので、ここのところは除菌も兼ねてユーカリオイルで。 いいことばかりのような床寝ですが難点は、朝、日があがってくると、窓越しに光があたるので、うっかりいつまでも寝ていると、寝てるあいだに日焼けする心配があるということ。ベランダの葉っぱたちが光をふせいでくれている間に起きなければなりません。それでも、目をあければまず最初に、ベランダの緑たちが目に入るということ、これが何にも増しての魅力かもしれません。ベランダの隣で転がってますから。寝ながらベランダチェックが出来るなんてね。
ま、床(ゆか)は、床(とこ)とも読みますしあれですよ。そういうことなんですよ。ん、床屋の"とこ"って何のことなんだろう。




8/4 プライスレス

 8月にこんなにしゃわしゃわと降る雨を、なんと呼ぶのだろう。昨日は、干した洗濯物の色が、たまたますべて白とブルーで気持ちいいから、窓際にちゃぶ台を移動して、書生さん気取りで書き物をしていたら、すぐにどしゃぶりになった。今日はレッスン。出かけるまでにすこし落ち着くといいけれど。1週間ぶりに電車に乗る。目玉があんまりグラグラしませんように。
 テレビを無料で引き取ってくれるところが見つかった。やっとおさらばだ。他に使わないものを一緒に引き取ってもらえるよう探すも、あまりない。CDが回らないCDデッキと、カメラ屋さんで売れなかったカメラの望遠レンズとか細かいフィルター類くらい。うちにはもう、作ったり拾ったりして大事にしているものはあっても、金になりそうなものは、ほんとうに無いなと思う。プライスレスな物ほど捨てられず溜まっていく。でもきっとそういうものは胸のうちにだけ溜めればいいんだろう。少しずつそんな整理も。

 こないだ壁を歩いていた虫(これはたぶんゲジか紙魚)のことを調べていたら、たまに見かける小さい虫の名前がわかった。米粒の3分の1くらいの毛がもじゃもじゃしたやつ。ヒメマルカツオブシムシ。うちでみるのは幼虫みたい。姫のくせにカツオブシが好きみたいだけど、繊維なんかも食べるそうだ。いいセーターにだけ穴をあけるのはこいつ。生地を見分ける力があるところが姫だなあ。



8/2 最近のベストヒット草茶

 見つけました。それはよもぎです。団子用に買っておいたよもぎ粉を、試しにお茶パックに少し詰めてお湯にポン。インスタント方式。ほほー、これはこれは。何を耐えてスギナやシロツメクサを飲んでいたのかと思うほど普通にうまいです。(自分的にはですが)
そうだなあ、草餅の餅の部分だけを湯にふやかして口に入れたときの味とでもいいましょうか。あれ、あまり美味しそうな表現じゃないか?少し濃い目のほうが味がぼやけずに美味しい気がします。粉のパッケージには、『蓬は、体を温め邪気を払う薬草だといわれいます』というようなことが書いてあります。うむ。邪気よ去れ!の気持ちで今日も飲むのです。はやく元気になって、自分で摘みに行って作りたい。スギナたちも、よもぎブレンドならいける気がします。うむ。
お茶だと綺麗なグリーン(ビリジアンぽい)ですが、夏に茂る力強いよもぎたちで布を染めると、綺麗な黄色になるみたいだよ。


もうひとつ、最近活用してるのが水ダシ。簡単だし重宝してます。ダシが出来ていれば、さっとでも何か作ろうと思える。昼は久しぶりにそうめんでも茹でようか。涼しいから温麺で。今日もゆっくりと、空気をかき混ぜない感じで過ごしてます。




8/1 葉月 葉っぱの毛づくろい



 暑さが戻りきらないうちに、昨日はロフトの生地や画材などの整理。大部分を占めている作品ばかりはどうにもできず、また同じように箱のまま同じ場所へ。今日はベランダの土いじり。窮屈になった鉢をひとまわり大きい鉢へ植え替え。コンポストの堆肥を土に混ぜながら、一番大きい鉢から順繰りに順繰りに。大して陽あたりがいいわけでもないのに、どれもこれも伸びて大きくなるので、鉢の移動も大変になってきた。実をつけないオリーブも屋根近くまで伸びきったので思い切って剪定。ここ数ヶ月くらいベランダへ急に蟻が集りだしたのはどういうわけかなあと不思議に思っていたのだけど、植え返しながらひとつひとつ眺めたら、幾つかの植物の枝にカイガラムシが行列。そこへ蟻も集っているわけでした。なるほどカイガラムシもぴったりとくっついているだけじゃなくて、アブラムシのように何かエキスを出すわけだ。普段はどうってことないカイガラムシとはいえ、たくさん居ると少々気持ちが悪い。蟻には悪いが棒でこすって排除。一枚一枚葉っぱをめくったり、枝の分かれ目を丹念に覗いたりしているうちに、まるで猿が毛づくろいをしているようだ と、ふと思う。手をかけたものは、植物とはいえども可愛いもの。でも手をかけなくても可愛いので、どれも可愛いのです。毎日ちゃんと見てるから元気に育てよ。というか、元気に育ってくれててありがとうございます、か。    

 最近なにかの本で、地球上の植物の割合は99.9%、動物類は0.1%ほどと読んだ。なにをしでかしても、植物はきっと形を変えて生き残り再生するだろうけど、人は絶えてしまうのだ。共存どころの話じゃなくて、生かされてるんだなあ。そんなことを言っちゃうのさえおこがましいくらいに。周りに緑がないコンクリートだらけのところでも、密室でも、緑の空気をすっている。人なんかより、カイガラムシの方がずっと生きるんだろう・・・。葉っぱの毛づくろいも、自分の毛づくろいのようなものだ。
さて最後にプランターへ、次の季節のための土をつくってベランダはおしまい。おお、久しぶりに字をいっぱい書いたら、頭がごんごんしてきた・・・



7/31 まずは小豆から



 郵便局へ用事に出た帰りがてらに、家の前の行き止まりの路地を初めて散策。ずっと気になっていたけれど、近所だし住宅地だし、通り抜けできる道じゃないので用事も無いし...と足を入れられなかった。
片側に木草が茂る80Mほどの小路。ここのところの雨で、道端の草は生き生き。まだ軸が弱ってるので、ふわりふらりと歩きつつも、今こそ!と草のチェック。まあざっと見、目をつけとく草は無いか、と、突き当りまで行ったらまあたいへん。若々しいわらび(もしくはイヌワラビ。どちらも食可。)がにょきにょき。この時期にわらびに出会えるとは思わなかった。もちろん少し摘ませていただきましたよ。重たい頭は相変わらずだけど、草を片手にすれば気分は晴れる。
 あっという間に帰ってきていそいそと台所に立つ。わらびとついでに摘んだスベリヒユの下処理をしてから、水に漬けておいた小豆を土鍋でことことふつふつ。こないだ会った友人から小豆の話が出て、先日偶然図書館で手にとった本にも小豆の話。昔の人は、月に2回 日を決めて小豆を食べたと書いてあったので、それじゃ私はこれから新月と満月の日に食べようかと。
今朝は小豆水で炊いた雑炊。お出汁をとる時にとうもろこしのヒゲをいれてみました。ふふ。小豆は甘いのが苦手なので避けていたけれど、豆としては好きなのだった。お赤飯とかね。



 そうか、ライフスタイルというよりも、自分の根本的なところを静かに変えていく(整えていく)時期なのだなあ。否が応でも、体に求められたら(その逆の場合も)変わっていくしかないだろうなあ。というか多かれ少なかれ自然と変わるのだわ。食生活も、気持ちのむくところへ。
それにしてもこの涼しさ。寝やすいけれど、大暑はどこへ。このまま立秋を迎えてしまうのかね。実をつけたイチジクがひとつ萎んで落ちてしまった。こちらも栄養補給が必要みたい。 



7/30 一進一退

 耳がすこし良くなったか?と思ったら、今度はめまい。寝ていようが起きていようが、ぐるぐるする時はするわけで困ったもの。うまく回らない時のコマみたいだ。



7/29 先に動いたのはマシューだった
 
  ロフトでまわしている扇風機の風で、電灯のヒモがふわふわと揺れている。部屋の中に動いているものがあると空気も見えて、自分の中も新しい空気で満たされる。それでやっと体を動かす気になったのだ。目で見えないけど音も同じだな。動いててやっぱり空気が見える。(聴いているのが自分の曲だからかもだけど)きっと今日みたいな日に作ったのだと思う。なんだかぴったりだから。
仕上げてしまいたい縫い物があるけど、あと30センチほど縫うばかりの糸が足りなくて、ぼうっとしてしまっている。BGMは、Bruce Cockburnへ。テレビが無いおかげなのか、ここのところ夜は本をすこし読んだり、言葉を書きとめたり。去年のフォルダには、くだらない詩が少しで、今年のフォルダには完成していない詩ばかり。詩は完成させないとだめだな。書いていたのは、マシューという犬のお話。犬とブドウの6編め。



7/28 完成してないほうが好い

 レッスンの子たちがみんな旅行や帰省で、急にぽっかりと休みになった。夏休み中は来る子、来ない子が入れ替わって、ぽつんぽつり。こんな日は思い切って動ける瞬発力があればいいんだけどね。静かな曇空に心を持って行かれないようにしないと。
 重力としなやかなバネのイメージをぼんやり形に思い浮かべてる。何かが見えれば、飛び出していくのは得意。射手座だからね。 手を入れる余地がないからつまんないんだな。この部屋も。足りないくらいが丁度いい。そういわれると完成してしまったものには、それほど執着はない。



7/27 happy together

 くちぶえを吹くようにふらっと家を出た。風が吹いていた。


 鶴岡八幡宮さまの蓮の花が満開。簡潔さがうらやましい。若者も年を重ねた人も、国が違う人も、独りの人も、みんな吸い寄せられるように魅入っていた。みんないっしょ。葉っぱもさらにモリモリ。平穏なその光景こそが痛いほど美しく。




7/26 花を飾る



 涼しくなった夕方、白い花のついたレモンバームを小さな花瓶に活ける。テーブルの上の雑然としたモノたちを少し整理して、花瓶を置くと、そのまわりにまるく清清しい空気がひろがった。そして自分の中にもひとところだけ、霧が晴れたように清清しい小さな空間が出来る。花は、そんなゆとりのような空間が欲しくて飾るのだろう。
 小さなゆとりに満足して、それからすぐ 穴のような自分の中の空間にもぐりこんで寝てしまった。

テレビが観れなくなったので(デジアナ変換で観れていたのに、大家さんが気を利かせてアンテナを変えたらしく映らなくなった)、その分ぼーっとしたりよく寝てる気がする。しかし映らないテレビと同居しているのが気にいらない。どこへ処分したらいいんだっけかな。




7/25 ガラスの大きな花瓶には メダカの稚魚たちを入れようと思ってる



 アトリエから貰うことにしたあの大きなキャンバスに、一体何を描こうかと考える。この部屋に届いたら、きっともっと大きく見えるに違いないあのキャンバスに。頭の中ですこしずつイメージを貼りつけては消して、貼りつけては消して、すこしずつすこしずつ早く描いてみたいと思う。同時にこんなやってたらきっと一生貧乏だな、と肩をすくめる。でも何かを作りたいと思えてるうちはずっと幸せだろうなと。
 アトリエにはさいご大ぶりのGが出て、追い立てられるようにドアを閉めた。たくさんのゴミは、ふと気が緩むとこれまでの時間のように見えて居たたまれなく、目の前の仲間の笑顔だけを見て運んだ。みんなへんてこりんなハイテンション。
なにかを選ばないといけない時は自然とやってきて、選ぶことになる。ぎりぎりのところだけど、ちゃんと生かされている。これまではこれからの為の土台であって、土台の上にのる未来はいつでもまっさらで新しいはず。試されてる。
少し疲れた友たちへ はいよと、沁みる豚汁をふるまいたいぜ。暑くたってやっぱりしみじみ豚汁。妄想よ軽やかな雲になれ。


7/22 それから まずいスープを作ろうと思ったのだ

 洗濯をして、台所の片づけをして、床を拭いて、米をといでおく。もしかしたら今より具合が悪くなるかも、と思う時ほど、やっておくことがあるものだ、独り身というやつは。ほんとにこのまま寝込んじゃったら困るから、動けるうちにせめてゴミだけまとめて、とか、果物だけでも買いに行っておきたい、とか、最悪誰かにヘルプするかもしれないから、あんまり寝巻きっぽい格好じゃなくて、とか。布団にがっつり入る前にメダカにエサもあげておきたいし、元気に茂ってる大葉を摘んで塩漬けにしておきたいし、花瓶の水も替えておきたいとかね。元気なのか?
 熱は今日も あがりそうであがらなくて、頭がぼうっと重いけれど気持ちはしっかりしてるので、普段以上にあれこれやってたらもう夕方。よしもうやめよう、と、最後にスープを作った。薬膳というのが実際のところ、なにを入れれば薬膳というのか知らないけれど、体によさそうで、汗が出そうで、嗚呼これは薬膳だ というそれっぽいスープが作りたくて、あるものでそれらしく怪しげになるようにあれこれ作ってみる。結果、なるほど少々複雑だけど普通に美味しいスープが出来ました。


見た目ちょっとそれらしいでしょ。
にんにくをつぶしたのと、ダシに手羽先1本。干してストックしといた椎茸と、薬膳といったら苦味だろう(このイメージは誤りですが)と、ゴーヤのスライス。少しお腹にたまるようじゃがいも。他に体に良さそうで怪しげなモノは無いか〜と目にとまったのが、実家の畑で抜かれて放られていたのを拾って持ち帰り干しておいたスベリヒユ。美味しいからと食べていた夏の雑草スベリヒユにも、調べたらちゃんと薬効がありました。精熱解毒、抗菌、抗炎症などなど。今のオレにぴったりかも...。さらにお茶用のスギナもパックにつめてポイ。鷹の爪もポイ。飲めないほどまずいと困るので、コンソメを1つポイ。浅葱をちらして完成。
飲み合わせを気にしながらあれこれ薬を飲むより、こんなスープの方が自分には信用できて安心する気がする。もちろん薬には即効性もあるし、今の自分には手放せないお守りのような存在だけど。どちらにしても気の持ちようってことね。

 さてと、お腹に入れたらすこし眠たいので、夜までこのままゆっくり過ごそうと思います。こんなうつらうつらしそうな時に、そばで誰かが本を読んでくれるといいのになあ。昨日、biweekly poetで まいまいが、いろいろな本を紹介してくれながら、その一部を読んでくれた時、誰かに読んでもらえれば、読める(読みたい)本はいっぱいあるなあと思ったのでした。前に図書館で借りて読んだことのある、星野道夫さんの『旅をする木』の冒頭をまいまいが読んでくれたのを、目を瞑りながら聞いていたら、行ったこともないフェアバンクスの景色や物語のイメージが、活字を追って読んだ時よりも、より自由にぐんぐん広がって、短編のロードムービーを観てるみたいな感じだった。楽しかったなあ。また借りて読み返してみよう。
まいまいは大好きな本や製本のことを話している間中嬉しそうでずっと笑顔だった。そうやって人に伝えられるってことは、それだけの積み重ねもあるってことだ。その手から生まれるものをもっと見たいよ!



7/21 内緒ばなしは右からお願い

 ここしばらく体のあちこちが戦っているので、応援の意味をこめてたくさん寝ている。左耳もダウン。休むことなかったから疲れちゃったかな。レッスンの子たちは、他愛のないことでも こしょこしょ話が好き。左側に座って今日もちゃんと内緒をもらってこよう。
赤くなりだしたプチトマトをつまんだら、いってきます。



7/19  rain rain rain falling down


 長い長い夏休みが終わったような雨の朝。過ごした誰もがひとりひとりに戻って、ぎこちなくこれからを考えているのだろう。たぶん私もそうするのだろうと思う。


 大笑いしたあとの笑顔をどう戻せばいいのか、わかんなくて困っちゃってる感じだな。自分だけ全然終わってないんだもん、みたいな。困ったもんだ。大人だからいつまでもそんなことも言ってちゃいけないみたいで。


 海の日。3ヶ月だけの一色海岸書店が閉店しました。慣れ親しんだアトリエ。いつだって夏が居る場所だった。ここへ足を踏み込んだ7年前の自分をおおいに褒めてあげよう。そして仲間に感謝。
でもこれからだな。やっぱ。永井さんが居ても居なくても、場所があってもなくても、自分これからだ。まだ全然やり切ってない。それだけはわかる。



7/18  アトリエ



 だいじょうぶ。なにもかもが無くなるわけじゃない。みんなで持ち帰るのだ。揺らさないで持って帰ろう。



7/15 アボカドの葉陰で蟻は今日も働いている



 節電で暗い電車に乗り込むと落ち着くこのごろ。夏の昼間はいつも、家の中の薄暗い場所に安心する。実家の誰も居ない台所の床とか。土間とか。ひたひたとした暗さ。実際に涼しいこともあるけれど、ほんとうに毎日明るいところの刺激が痛いほどで、似合わないんだけど、アスファルトの上を歩くにはサングラスが必要。日傘の小さな影に体を隠しながら歩いていたら、葉を茂らせた1本の木の木陰で、地べたにぺたんと座って休憩するおばあちゃん。駅までずっと歩道に木が植わっていればいいのになと思う。そういうことは難しいのかなあ。好きじゃない人がいるのかなあ。土はあるよね、埋めてしまっているだけで。
地球が熱くなってしまうのは、なかなかとめられないのかもしれないけど、もうすこし外が歩きやすかったり、自転車で走りやすくなればいいなあと思う。仕方ないけれど車はみんな窓を閉めきって、熱い空気をさらに出して走ってる。



7/14 圧倒的であれ  

 昨夜は海辺のライブハウスにて、オレンジペコーの心地好い音楽に身をゆだねた。春に会ったふわんと可愛らしげなトモコさんは、ステージに真っ直ぐに立つとまるで大地にしっかり根付いた1本の木のようで、深いところから出された声には慈愛が満ちていて涙が出た。嬉しいかわからないけれど、大仏さまだ、いや、あの大船の大きな観音さまのようだ、とすうっとすべてを解放して、ただ体ゆれるままにそこに居たのだった。生半可じゃなく 歌を皆をちゃんと愛して、歌に皆にちゃんと愛されている人。はちきれんばかりのすべてを出す姿に、もう感動したね。でもそんな人ほど傷つきやすいのかもしれないね。
 嗚呼、自分にこれほどの熱いものがあるだろうか。何をしたくてどこへ向かっていくのか今は全くわからないよ。ただ、たとえ未熟であろうとも、にわか仕込みのことは人前に出したくない と、砂のうえで踊りながら ぎゅっと思ったのであった。いやあ、しっかしトモコさんは可愛いし、会場には瑞々しい笑顔から放たれるプチプチがいっぱい弾けていて、feel so nice。いいものもらいました。素晴らしい人たちよ、圧倒的であれ。




7/13 まわれまわれ

 風がくるんと回って見えたような気がして、窓の外をもう一回眺める。
すだれがバタバタ、干したタオルがパタパタ、逆上がりの練習。てぬぐいはスカート回りみたいに物干しへぐるぐる巻きついている。スカート回りも片足回りも両足回りも得意だったよ。びゅんびゅんと洗濯物だったら厄介なくらいに膝の裏を赤くしてよく回った。今日は外の方がずっと涼しそう

汗が出にくくなっちゃって、微熱続き。体よがんばれ。あ、もしかしてこんな時こそあれを飲んでみるか。


5月のスギナの草原。


スギナ茶。春に採取して作っておいた(乾かしただけ)。たいして美味しくはないけどね。解熱や利尿をはじめ、スギナにはたくさんの効能がある。


これはシロツメクサと紫ツメクサ。こっちも大して思うほど美味しくはない。けど、見た目は可愛いでしょ。草のお茶は、熱いのをふーふーして飲むか、キンと冷やして飲むのがよいかと思う。ぼんやりした温度だと、もわっとした草感が出てしまってよろしくない。今は冷たいものを控えているので、今日は ふーふーで。



7/11 あみだくじ



 床の板目の溝の汚れを楊枝でつつきながら拭き掃除。こういうことをやり出したらきっとキリがないのだから、いい加減なところでやめようと思っても、いい加減の加減がわからなくなってしまって、しょうがないから溝をあみだくじ式に進んで終える。当たりくじなんだかハズレくじなんだか。
先週からどうも体調がすぐれなくて、そのうえここのところ耳までハウっているのでいったいどうしたものかと思う。夏は瞬きしている間にも過ぎていこうとしてるのに、じっと床目を追うような伏し目がちの日々。



7/9 夏の庭




 日陰にぽっかり落ちた光をじっと見ていると吸い込まれそうになる。宇宙の入り口。すっと目を閉じそうになったとき、どこか遠くの風鈴に 呼ばれて、風の吹くほうへ。 



7/2 ヤモさんと蚊取り線香の夜



 ベランダを開け放していたら、いつのまにか今年もヤモさんが部屋の隅に。小さく驚いてから、また来てくれたとちょっとほっとする。ヤモさんが来たら、またしばらくここで愉しく生活するすべを考えよう、来なかったら思い切って見切りをつけてしまおうか と思っていたのだ。いつも必ず隅の埃っぽいところで対面するので、おおう!とお互いにびっくりしあって、ベランダにヤモさんを逃がしてから拭き掃除。今年初めて蚊取り線香を焚いた。虫を追い払っちゃったらヤモさん来なくなっちゃうかな。あちこちの道端で、ナワシロイチゴが赤い実をつけてる。



7/1 地球の裏側で誰かが夕焼けをひっぱっているんだと思う

 街と空のかなたを見ながら歩くと、空全体が球体の天井にみえてくる。海で水平線を眺めている時は、面(海とか自分の立ってる側)を球に感じることはあるけれど、空が丸いとはあんまり感じないなあ。何が違うんだろう。街は地面とか建物で面がボコボコしているからかな。不思議だ。と、昨日雨あがりの道を歩きながら思ったのだった。





6/30 あかるい夕方 打ち水 猫の足跡

 カラフルに夏野菜のカレーをつくったら、炊飯器が壊れてごはんが炊けないのであった。ご飯用の鍋を買おう。黄色く色づいてきた梅をいただいたので、シロップと梅味噌に。熟れた梅の香りがいいにおい。
打ち水された道路から立ち上がるにおいに、ふっと記憶のどこかにタイムスリップしたような気がした。夏の長い夕方が好き。



6/29 プロペラみたいなどくだみの花に見とれてたら、頭上でネムノキがピンクの長いまつげをゆらした

 暑い。立ち枯れたコリアンダーと春菊の種を採取。レモンバームも花を咲かせ始めて種になる準備、しばしの休養のようす。人にもそんな時期が目に見えてわかりやすくあればいいのにね。わからなくて無理にどうにかしようとするから、視野がどんどん狭くなるんだろう。昨日は友人の話から、ひとつヒントをもらった。最初は思いがけないことだ、と思ったけれど、ゆっくりかみしめながら考えてみると、理に適っていて、別に意外ではないのかも、とも思う。限界をつくって、限界という言葉にちょっと逃げてたみたい。限界を回避したり、飛び越えることばかり考えていたけど、気持ちの好い抜け道が、きっとほんとは色々あるんだろう。ひとりじゃなかなか気づけないだけで。
種をむやみに蒔いても、出ないときは出ない。そんなことだって知ってたのにね。自分のことってどうもなかなか学習できないなあ。力をぬいてちょっと柔軟になろう。身近なところにもちゃんと私には愉しみがある。そんなふうに思った日。




6/28 それでなにをしたいんだろう実際のところ

 晴れ。レモンユーカリの脱皮がはじまっている。今日もアリはせわしなく。 なんだかぼうっとぬるいところに浸かっているみたいだ。そんなものにも少し向き合ってみよう。
この時間だと、影はもう部屋に入ってこないんだな。家の中は家の中、外は外、というこの明るさの違いが、いよいよ夏っぽい。外は暑そう。日焼け止めを塗ると、その匂いに感化されて海に行きたくなって仕方ない。



6/27 見えない足跡をひとつ



 雨ふり。今日は随分とのんびりなスタート。昨日はライブ明けの体を無理やり起こして仕事に行ったので、今日は思うままに過ごすことをゆるしました。クールダウン。ライブはたくさんのお客さまが足を運んでくれて、永井さんの写真に囲まれて楽しく終えることができました。ありがとうございました。弾きながら幸せだなあと気が緩んだら、様々なことが回想されてちょっとノドがつまった。でも、目の前で読み続けるなあやさんの姿と声にガンバレ!と叱咤もらって、優しく頼もしい山田さんのギターにまた調子をもらってやりきりましたよ。しかしちょっと喋りすぎましたね。あたしは。楽しくなるとついね、ちょろっと要らないこと挟んで笑いをとりたくなるんですねえ。これって永井のおっちゃんの遺伝子でしょうか。いやでも、そのくらいなんだか嬉しかったんですね。ひとりですみません。聴いて下さった皆さんはどうだったのだろう。きっと、それぞれに色々なことを想ってあの時間を過ごしてくれていたらいいな。
ようやくまた、ぽつんと 自分の点がひとつ増えました。思い出すばかりの点じゃなくて、次のための点にしたいな。



6/25 ライブブイブブイブイ

 昨日、明日は夕方から嵐みたいだよと言われて、うっそーん!とちょっとがっかりしていたけど、今のところ好いお天気。雨が降ると楽器の運び込みが困るけど、夕立でも降って少し涼しくなると体は楽かも。日暮れ時にタンバリンギャラリーでお待ちしてます。機材や楽器の設置で17時前後にはわさわさしてしまうので(ごめんなさい)、永井さんの展示を静かにゆっくり観たい方は、もう少し早めの16時前くらいがよいかと思います。今日はSWAN COFFEEの廣瀬くんが象の音楽用のスペシャルアイスコーヒーを会場に届けてくれてるそうですよ。こちらも楽しみ。廣瀬くんありがとう。
 ちょっと家の中で楽器動かしたら、すでに腰にきた。ほんとにこいつを階下に運べるのだろうか、そして戻せるんだろうか・・・。ひとまず援軍が来るまで景気よく音楽でも聴いて待ちます!



6/24 風

 ぴかぴかに晴れ。眩しくて暑い。嬉しいこと、モヤっとすること、悩ましいこと、いろいろなことがあって気ぜわしい。今日は午後から一色海岸書店のお店番へ。その前に鍵盤に向かってすこし精神統一。葉山は夏の色になっているだろうな。今日も汗でいっぱいになりそうです。わだかまりは風に流してしまおう。



6/23 長くて短い日に



 雲の合間には青空。今日は風の音がする。ローズマリーに蕾がつきはじめた。花がつくのは初めて。いつもどうしてうちのは咲かないのだろう...と思っていたので、すごく嬉しい。涼しげなブルーの花がもうすぐ咲きます。
 昨晩は、nokkaさんでの穏やかな夏至の夜のライブ。電車に乗ってやってきてくれた人も居て、やっている自分達がいちばんいい時間をもらったなあ、とつくづく思います。呼んでもらえるってことは幸せなことです。nokkaさんのワインがこれまた美味しくてびっくり。微炭酸?の赤は初めて飲みました。蒸し暑い季節にキリっと。 もしもこうしてまた聴いて頂ける機会がある時は、卓上キーボードはもうちょっとグレードアップして好い音を届けたい、と思いました。言い訳にすることなく、いつでも一番だと思えるものを聴いてもらいたいのです。タンバリンでは、言い訳出来ない装備なので、これはまた試されるわけですけどー。でも楽しみ。よだれが垂れるくらい集中して入り込んで弾きたいです。時々息するのは忘れますね。そのあと吸った時にひどくむせるので困るけど。よだれは垂れたらまあ、「よくやった」と思っていただきたい。タンバリンギャラリーのライブは土曜日18時〜です。ギャラリーでは永井宏さんの写真展が開催されています。その空間を想うととても感慨深いから、ウエットにならないよう間際まで忘れておく。ごめんね永井さん。でもすごく嬉しいんだよ。すごくね。
 さて、ひとつ終わると、ちゃんとその分の隙間ができるようで、起きてふと ああそうだと畑尾和美さんの展示のハガキを机の上に置きました。毎年七夕を挟んで開催される畑尾さんの展示。DMはその一部が七夕の短冊になるようになっています。初めて星ヶ丘へ行った時、sewing galleryで見たのが畑尾さんの個展でした。そのときは布への刺繍の作品だったと思います。木造の教室と涼しそうにゆれる布と窓の外の緑と。tableでは、抹茶のオレみたいなのをえみさんの器でいただいたのでした。

2004年のこと。7年か。まだミーハーだったから、写真とか撮っちゃってね。あの時は短冊に何を書いたんだっけなあ。そして今年はなにを書こう。いろいろなことがよぎりますが、素直にいこうか。ほんとは今すぐ短冊持ってみんなと草原に会いにいきたいくらい。でも暑そうだね。笑



6/21 象週間



 曇りがち。目をつぶれば蔓みたいにぐるぐるしていた一週間をやっとこえました。そのあいだに親メダカが一匹どこかへ旅立ったようです。メダカベビィはまた増えているようだし、プチトマトには青い実がつきました。いろいろなところで生命のサイクルが繰り広げられています。
 ライブに向けて頭の中も楽器の上も、音符や文章で もじゃもじゃになってます。そしてテーブルの下には、縫い物の生地がどーんと用意されています。がしがし縫いますよ。しかしまずは、明日のnokkaさんでのキャンドルライブ用にまだ曲が足りないので、それをちゃんと作るかその時の気分で弾くことにするのか考えなくてはいけません。即興でやっちゃおうっかなーと楽なほうに流れがちですけど、美味しいビオワインで、思考が酔っちゃうと困るのでやっぱり作りますか。(←飲む気)
そして今夜は、タンバリンライブでギターサポートをしてくれる山田さんとの合わせなので、それらの練習も。と、すでにモウレツに象に占められているわけで、ライブの夢も見ちゃうわけです。こういうところが小心者っぽいですが、夢のステージは武道館ぽかったです。でも2階席の一角で壁の方向いて弾いてましたから、やっぱりなにか反映されてるんでしょうね。アリーナでは別のバンドがチャカチャカやってて、音がかぶって聴こえない・・・と苦しんでました。大丈夫だろうかアタシ。がんばれ。
 明晩のnokkaさん、土曜日のタンバリンギャラリーと続きますが、セットリストも雰囲気もガラリと違うので、どちらかと言わずにどちらも観ちゃうのもありですよ。ふふふん。nokkaさんでは私もすこし朗読しまっす。ほろ宵ましょう。 (newsページから詳細ご覧いただけます)



6/19 うたってるんだよ



ころんころんと ことばになって見えればいいのになあ。こういうときのこういう感じが。ことばも曲もない歌みたいなきもち。

旅に出たいなあ。風くらいの気ままさで。




6/16 応援中



 曇り。夜のうちにすこし雨がふったみたい。また腹痛がやってきてあまり食欲が無いので、新生姜で紅しょうがをつくった。細切りにして塩もみしてビンにつめる。今日のはミョウガも混ぜた。私は酢好きなので(鈴木じゃないよ)酢をすこしと、最後に梅干しの中の赤紫蘇とつぶれた梅もついでにをのせれば完成。明日には色がついて綺麗なピンク色になると思う。ピンク色の食べ物を作るなんてなかなかないな。玄関の外ではこぼれ種から育った大葉も、虫にやられずよく茂っているし、夜はひやむぎにでもしよう。
 今日はこれからレッスーン。プレ演奏会前の最後のレッスン。小さな子たちがどう仕上げてくるか楽しみだ。テクニックというより、今日はなにか豊かになるエッセンスをそこにプラスしてあげられたらいいなー、と思うが先生はグロッキーです。口角あげてがんばれオレ。お腹よ、ほがらかに穏やかに。よし、レッスン後の小さなお口に ぽいと入れてあげる甘いものを買ってこ。もちろん自分の口にもごほうびを。
痛み止めが効きはじめで後頭部がずーんと気だるい。お天気のせいもあるかな。月のせいかな。



6/15  螺旋

 薄曇り。ロフトで扇風機をまわしていると窓からも風が流れてくるようで、ときどき裸足の足元をさーっと空気が抜けていく。部屋の中が物で雑然としていて、頭の中も雑然としている。なにをどこから片付ければいいんだっけ?これはまだ片付けちゃいけないんだっけ?と結局あまり変わらず。今週中にひとつわずらいが解消されるはず。そうやってなにかが終わっていって、物もひとつずつ片付いていくのを手を出さずにじっと待っている時。先週末からPMSの波にのっかってるぽい。今日はボトムラインの方かな。冷静、というか無というか、ぼー。自分のこともまだ色々知ってあげないことが多いな。


イチジクの実がふくらんできた!今年は枝分れしたから去年の2つより数が増えると思う。今度こそ熟すまで我慢するのだよ。






6/14 マリオネットの肩



 晴れてきた。突然ベランダに蟻の大群がやってきていて、あちこちを歩きまくっている。どこからやってきたのか。まだ目指すものも未定のようで、とにかく散らばってわらわらとしている。別に居てもらっても構わないけれど、もう少し動線をすっきりしてもらえるとありがたい。
 昨日はスタジオ練習の後、鎌倉へ。八幡様の蓮池に今年も葉が覆いはじめて、その緑がとても美しい。葉の上でころころと揺れる水の玉をしばし眺め、遠くを見てはモネの絵を少し思い出す。と、ぽーっとしていたらガクンと力が抜けて途端に眠くなって、モヤモヤしぶしぶと歩く。八幡様の敷地を抜けてアスファルトの道に戻ったら、ちょっと回復。睡蓮の催眠術かっ て。
 そのあとゆっくりとロルフィングのセッションを受けて、美味しいごはんをご馳走になって、蛍を見に連れてってもらう。蛍をみたのはいつぶりだろう。実家の近くの田んぼのあたりを飛び交ってるのを見たのがたぶん最後だから、20年くらい前かな。久しぶりにみた蛍の光は、哀しいような尊いような、胸が痛くなるような儚さだった。ちょうどベランダの葉っぱを陽に透かした時のような、ライトグリーンの小さな光。
 これからしばらくライブがあったり、楽しみなこともひとつふたつみっつ。自分の役割や重みをちゃんと感じて、でもどこにも押し付けになることなく、腰据えてやってこ。

 はー。今、どうして机に向かっている時に、首と肩が痛くなるかわかったよ。何でこんなことに気づかなかったか。これで肩が解放された。グレイト。



6/13 星が咲く

 夜の雨はあがっている。鳥が今こそと忙しそうに鳴く。メダカの水がまた溢れんばかりに増えていて、メダカベビィの数も増えている。窓際に干した洗濯物のせいで、部屋の中がほの暗い。自分の方が甕の水の中にいるよう。
 象の音楽、夏至の日の夜 ひとつライブが決まりました。茅ヶ崎のnokkaさんにて。ビオワインと美味しいお料理の店。行きたいなあと思っていたところだから嬉しい。ライブの詳細はnewsをどうぞ。 そして来週からはもう冬至に向けて日が伸びていくんですね。季節が変わっていってくれることは、焦りになることもあるけれど、救いだと思う。自分が代わり映えしなくてもなかなか飽きないよ。特に今年はほんとうにジェットコースターみたいに乗ってるみたいだ。気持ちも体もコリコリね。
  嗚呼、また降りだして来た。今日は象のスタジオ練習。前髪が寝ぐせで総立ちなので、シャワーして仕度。いったいどんな姿勢で寝てたんだろ?プチトマトの黄色い花が咲いた。星がたくさんついている。鮮やかな色は、さながら今日の太陽。


6/11 FOR

曇り。ベランダの植物たちがどれも葉を茂らせていて、緑一番の時期。雨水がたまったアルミのバケツには、メダカのチビたちが増えたら移そうと思ってホテイアオイをひとつ浮かせた。
うまく言えないけれど、ひとつ、別のところへ出たい。わたしは八方美人にはならなくていいのだ。へらへらばかりしてないで手を動かそう。
写真は、ZUECCAの中表紙に小さく記された文字。FOR MY MOTHER & FATHER。一色海岸書店は今日も開いてますよ。


6/10 ZUECCA 

 雨のち嵐のちくもり。早起きして前日泊まりに来ていたまいまいと、一色海岸書店のお店番へ。逗子に着く早々、嵐のような雨風。言葉を失ったまま一色海岸書店へ。いやはやびっくりの水の量でした。そんな雨も開店後には徐々にあがり、お客様もちゃんと来てくれました。そしてときどき、なあやさんちの楓ちゃんとバンジョーを弾いて即興で歌ったり、潮の香る細道に立って海の方を眺めたり。
ふとした匂いとか見るものに何かを思い出すような感じがすると、本屋になったアトリエが、なんだかすこし不思議な感じがします。そして今日も一冊、永井さんがだいぶ前に出された本を連れて帰って来ました。水にあたったからか、思考も膨張しているようでひどく眠い。布団にたどりつけるかな。


『ZUECCA』 HIROSHI NAGAI
同じタイトルの詩もありましたよね。ワークショップに通う前に手にした本に、薄いフリーペーパーが挟んであって、そこで初めてこの言葉を見たように記憶しています。ZUECCAもそうだし、象も、そんなふうに読んだ永井さんの文章のせいか、行ったことのない異国の風景がふっと頭に広がる。




6/9 うまいこといきますように

 薄日が射してきた。今年はワイルドストロベリーが豊作。といっても、3鉢中ひと鉢しか実がならないのだけど、粒が大きくてきれいな形のが次々できて、随分楽しませてもらった。蜜の香りが強くて食べると虫になった気分。 まだすこし青い実をさげてる栽培種の苺が終わったら、ストロベリーたちは一旦終わりかな。赤い実ってのはいいね。次はもうしばらく先、プチトマト。先日、ホームセンターへ野菜の苗を見にいったら、ほんとうにゴーヤの苗が全くない。噂には聞いていたけれど本当なんだねえ。うちはカーテン目当てじゃなくて、収穫目当てで(もちろん葉っぱも)2〜3本あるといいんだけど。ちょっと出遅れたよう。

つなわたりのような日々で、頭が重い。行けば仕事が出来る仕事をしようといいかげん覚悟決めているけれど、あれが終わるまで、あれが終わるまで と早数ヶ月。そういうことが終わることなんてたぶんないんじゃん?待ってたらつなが切れる。本当にやりたいことの為に、そこへ向けてやれているんだろうか。本当は大してやりたくないんじゃない?何でも為になるからと理由付けするのは簡単だ。理由がないところへも、ひとりぽっちでも、飛び出ないと。見知らぬ更地からなにか自分でやるときが来てる気がする。 という勢いづけをしないと奈落に落っこちそうなわけ。
でも落っこちてる場合じゃなくて、今日はレッスン。ライブの前に仕事の方のプレ演奏会があるのであった。子供たちはやる気満々だというのに、自分が全然気持ちが向かえてない・・・。早めに行って少し練習しよう。可愛い子たちとたくさん喋ってこよう。



6/8 白昼夢



 寝過ごした。朝の雨はもうあがってピーチピーチピと鳥が鳴いてる。気づいたらメダカが卵からうまれていたので、今日もその観察から。メダカの甕の横にはローズマリーの鉢があって、甕を覗き込むとローズマリーにすこし触れて香りがたつ。いいにおい。あとでお肉でも漬けておこう。
 昨日は、都内で展示のはしご。まずは表参道のZakkaへ小鳥美茂さんのタイパンツ展。新しいZakkaは少し奥まった静かな陽の入る場所。これまでのほの暗い地下の店は、10代の頃から強く憧れていた東京の雑貨界を象徴するような店で、いつ行っても何度行ってもすこし緊張した。新しい店舗は明るく開放的で空気が流れてる。でも私にとってはたぶんいつもいつまでも少しピリっと緊張するところかもしれない。そんな気持ちだからか、店の一角をカラフルで色とりどりに飾る小鳥ちゃんのタイパンツたちも、ちょっとおすましして見えた。これからの季節にぴったりのタイパンツ。展示は、今日17時までです。
 表参道から馬喰町ART+EATへ移動。夜は、岩崎有加さん、鈴木健司さん、吉田直嗣さんの三人展『白昼夢』のオープニングパーティ。気どりのない頼もしい三人が作り出した素敵な空間。沼津では何度か拝見していたけれど、今回初めて広い会場で一堂に拝見して、やっぱり圧倒された。なんだろうみなぎってて同時にうるおってる感じ。どこもがきらっきらに見えて(光ってたわけじゃなくて)。
おなじみという有加さんのドーナツと、ART+EATの美味しい料理の数々にも目を奪われ、もう一回落ち着いて来なければ、と判断いたしました。なにしろ東京で沼津の皆さんに会えるなんて嬉しいなあ...と終始ニヤニヤふわっふわ。一緒に居た まいまいも、わかりやすくふわふわくるくるしてましたね。珍しくワインも進み楽しい夜でした。三人展『白昼夢』こちらは、6/25(土)まで。詳しくはART+EATのサイトをどうぞ。mpレターズvol.4のイベント欄でも紹介しています。


会場にいらしていた awatenvouのまあさん先輩と幸せの輪をくぐるの図。すっかり嬉しくなっちゃってるオレ。あ、間に小さく写ってるのが、画家の鈴木さん。柔らかな物腰とはかわって、パンチのある作品が印象的でした。先日のクレマチスの丘のバードハウスも「!」だった。吉田さんのバードハウスも!忘れられません。笑
 18日(土)15時〜には、ART+EATで鈴木さんのペイントワークショップがありますよ。出来上がった作品を額に入れて持ち帰りできるそう。額ふくめすべての材料とお茶・お菓子つきで参加費¥3000。楽しそうー。

そう、それで『白昼夢』って、自分、中学〜高校の頃ひとりエアバンド(妄想)つくってまして、そのバンド名が『白昼夢』だったんですよね。妄想ですけどね、ハード系ロックです。持ち物にちょっとロゴ描いたりしてね、何気にちらっと見えるように置いて「あたしバンドやってんだ〜」みたいな雰囲気を醸し出してカッコつけてました。(妄想バンドゆえ口では言えませんので、常に醸し出しのみ) ちょっと一目置かれてる...と勘違いしつつ、そんなことで満足しつつ、緑モリモリの田舎道を好んで歩く学生でした。ええ。今思えばイタイですけど。女子学生が初のブランドバッグを持って歩くのと同じようなもんでしょう。そんなことがね、この三人展のDMをもらって、消えつつ記憶の向こうから「!!!」っと甦ったのでした。面白いなあ。



6/7 がんばるよ

 曇り。過ごしやすい気温。起きてすぐパソコンの前に座ってひと仕事。これから部屋の片づけをして都内へ。友人の展示のはしご。自分の歩みがとまっているような時でも、身近な誰かが何かを必死でやっている。そこから何かしらの気持ちやパワーを与えられることは多い。自分は今あまり手を動かしていない時期だから、ニュートラルな気分で観れるだろうな。何を感じるか楽しみだ。明日同じ時間に同じ格好でここに座っていても、きっと違うものをもってるだろう。
 なんて薄ぼんやり気味なこと言っているけれど、25日の象の音楽のライブに向けて、リーダーと打ち合わせ始動。弦楽器が抜けた穴をどうしていくか、ひと作品ひと作品可能性を探りながら、セットリストを決めていく。自分の腕だけで出来るのか、編曲するのか、音源を録音しないといけないのか、はたまた今回は無理なのか。時間制限のある中で、ジャーっとこぼした小豆をお箸でひとつひとつ拾うような感じだ。
そんな中、山田さんが音響サポートを引き受けてくれることになって、もうほんとうに力強い。CDのon,off,ボリューム調整だけでもどれだけ助かるかって...。涙) そしてさらにうちからでっかいシンセを運んでもらえる〜。らら〜。縮小じゃないぜー。フル鍵盤ー。肩をまるめず弾けるわ〜。嬉しいなあ。だから頑張ろう!象の音楽、何年かやってステージもいっぱいしてきたけど、フル鍵盤(ていうか普通の鍵盤サイズってこと)はようやく2度目だよ!!貴重だよ!ありがとう山田さん。
山田さんはギターも唄も上手いし(そしてMCが俄然面白くなってるんですけど!)先日のディモンシュライブで惚れた人もいるでしょう。ふふ。そんな山田さんも居るからね。どうぞ、観に来てくださいね。
Biweekly poet special 『象の音楽』ライブ



6/6 手放すこと



 晴れ。パチパチパンチして目がパチパチしそうなくっきりな青空。部屋の中はもう蒸し暑い。部屋の中のひだまりは、そこに誰か居るみたいな感じと似ている。それでしばらく光と影を眺めてた。テーブルの上では、カサっ とポピーが蕾の殻を脱ぎ捨てた音。
 咲くと決めた時から、もたれた蕾がどんどん上を向く。ポピーを見てると、花は咲くためにいるのではなく、散るために咲くのだなあとつくづく思う。美しい花びらを開くのは受粉の為。鮮やかな色もまやかしかフェロモンか。開ききる頃にはそれも終え、さっさと花びらも雄蕊も捨てる。捨てられるものが多い方が、生きやすいだろうなあ。手放すことは、同時に手を空けること。悪いことじゃない。一年草みたいにわかりやすく再生できればいいのに、と思う時もあるよ。


ぎゅっとした中から出てくるのだから、なるほどたしかにシワシワになるわけだ。蝉の脱皮を重ねる朝。

ここのところようやく時間が出来たので久しぶりに実家に帰ろうか、と数日前に連絡したら、「今はいい....」と今週も来週もやんわり断られた・・・。まあ忙しくて一緒に家に居れる時間が無いからだろうけど...断るのか!?あたしゃひとりでも留守番できるよ!庭と畑を見るのはまたしばらくお預けだ。

 

6/5 たまねぎ 白か茶か


 
 晴れ。陽射しがしっかりと濃い影をつくってる。先日、一色海岸書店で購入した、オニオンスキンペーパー満載の本。薄い紙をぺらーんとめくる感じ、カサカサとした手触り、微妙なシワ具合。透かしなんかがね、これまたね。中学生の頃、クラフト紙、英字新聞の次に "好きな紙"として意識したのがこのオニオンスキンペーパーでした。それでレターパッドを買ったけど、ペラペラして触っているばかりでうまく使えなかったのを覚えています。


 この本は、柑橘のラベルデザインを集めた画集みたい。版画ぽい(なのかな)ぽてっとした印刷と色がとても可愛い。この本もきっとレターパッドと同じように、時々手にとってペラペラと眺めたり触ったり、陽に透かしたりするんだろうな。というか、またオニオンスキンペーパー熱が上昇。

 その
オニオンスキン、紙は好きだけど、実物タマネギの皮がどうも持て余し気味。なぜならコンポストはどうもカサカサのタマネギの皮は分解しないらしいのだ。今は時期的に新タマネギの季節なので、皮らしい皮もなく混ぜてしまえばもやもやと消滅しているようだけど、せっかく生ゴミを出す試練から随分と解き放たれたのだし、この際あの茶色のカサカサもどうにかならないものか。とふと考える。紙みたいにぺらーと伸ばしてみる?コレがホントのオニオンスキンペーパーなんちゃって、と思うも、だいたい紙モノが多くて悩んでいるのに、そんなもの増やしてどうするよ。で、んじゃ集めて染料にでもするか?と落ち着く。そうなると、食べたいのは新タマだけど、ちょっと皮が欲しくて、つい白か茶かスーパーで悩む。という今度はまた矛盾した悩みをちょっと抱えてしまった今日この頃だったりして。
 コンポスト、未だにベランダに置くスペースが出来なくて部屋で一緒に居るけれど、匂いも何も無いしいいよ。数日にいっぺんは傍らで寝てるし。全然毎日かき回しもしませんし、毎日投入もしませんが、入れたものはなんとなく分解されてるようで、量が増えるわけでもなくいつのまにかどこかに消えている。不思議だ。(鶏の大きな骨とかはわりといつまでも居るけど、カルシウムじゃね?と思うので、土にする時の為に入れっぱなし)
エコとかなんとかじゃなくて、わたしはゴミ出しに出る回数を減らしたいがだけだけど。燃えるゴミは出しそびれても臭うモノは無いし、ゴミの大半は資源ゴミになった。これで夏を越えられれば、たぶん続けられるな。



 なぜかゴミの話になっちゃった...ので、昨日摘んだお花を。
矢車菊は蕾を多めに摘んできたのに、もうどんどん開いています。開ききったところから乾かしてハーブにしてみよう。


台所には元気なオレンジのポピー。このポピーの種の形がまた面白いのね。もちろんちゃんと種も採ってきた。


短命のポピーは、水遣り用のヤカンにガバっとさぶっと入れてあるので、あえてお見せするほどでもありませんが。蕾がひらく頃にはもう少しすっきり飾れるはず。時間とともに皺がよった花びらの質感(見目)が、オニオンスキンペーパーみたいで、たまらんね、 と思うのです。






6/4  花を摘みにいってみよか



自分にもちゃんとうれしいことをみつけてあげよう。



明日にはもう刈られちゃうのかと思ったら、ついつい欲張る。陽と風にあたったからもう眠い。寝てしまおう。今日は口を開かなかったなあ。鼻唄も出なかった。そんな日もあるさ。明日元気になれ。



6/3 約束

 薄日が射したりひっこんだり。少しゆっくり目の出だし。床でごろごろしながらベランダを開けたら、ラッキークローバー(オキザリス)がびよーんとこちらに伸びてきてたので、よしよしと葉っぱを撫でる。葉っぱたちが喋ったらいいのに、と思う。でもうちは葉っぱだらけだから、みんながみんな喋ったら騒がしいか。
 昨日のイベントは雨のこそぶる中、予想をはるかに超えたお客さんがいらして、3時間待ちの出番の間に何回もネジが飛びそうになってしまった。それでも、会場に居る人たちみんなが、愉快を紡ぎだしている人たちばかりで、とてもやさしい時間だった。いつだって想えばまた会える。すこしずつそんな風に思う。ステージもやれて嬉しかったな。出来は別として。それはたぶん前もこれからも、いつだってそうなんだろう。

 日付が変わるころ、うっすらと降る霧雨の中の帰り道。車が通り過ぎる音に、子供の頃にきいた北海道での朝の音を思い出す。静岡から家族と車で北海道へ渡り、ぐるり何週間も旅したときのこと。もう、どこだったか覚えてないけれど、北海道のだだっ広い草原の中のどこまでも真っ直ぐ長く続く道路。その傍らに車をとめて、その中で寝泊りした。朝靄がかかる早朝の道を、遠くから車が走ってきて、そして遠くへ通り過ぎていく。朝のこまかい水の粒子を切り裂いていくようなシャーという、音。まだ眠る家族のあたたかい寝息で白くくもったガラスの向こうの、静かなシャー。寝ながら何度も聴いたあの音は、耳じゃなくて背中が覚えていた。父、母、妹、私、ワゴンの中で4人身を寄せ合って寝ながらきいた、一日が始まるいっときのやすらぎの音。だから雨の日に壁に寄りかかって、壁の外の雨の音とか少し離れた道路を走る車の音とかを聞くのが好きなんだな。
そんなことを思い出したらすこし背中がゆるんで、キーボードが肩からずり落ちて、よっこらしょとまた持ち上げて、おつかれさまと肩に言う。歌なんかをちょっと口づさみながら。

やくそくもしないけど またこんど 会いたいね。ありがとう ゆめのような このよるを。

http://www.youtube.com/watch?v=3X8j-asaffg&feature=related
このvar.が好きだな。

ついでに。 今日のみんなに いいことあるといいね。
http://www.youtube.com/watch?v=fEss27tQ1jg&feature=related



6/2 雨の波紋が空気にのってゆっくりゆっくりやってくる 音の余韻ににている

 ぽつぽつ雨降り。今日はいつまでも眠くてとろり。宅配便を受取ってからレッスン。そのあとは、鎌倉のディモンシュへ。最後の生徒さんはお話好きのHちゃん。時間ぴったりに終わったためしが無いけれど、今日は急いで電車に乗り込むよ。キーボード背負って朗読会に途中参入。雨よあがれ。mpレターズの4号も出来上がりました。持ってきますよ。



6/1 あおむしはいつあおをすてるのだろう



 ひんやりとした朝。曇空の日はいつも空の音がよく聞える。ガス屋さんがボンベを転がす音も。雀がちゅんちゅん近くまでやってきているみたい。昨日とおとといはカラスが多くて、もう枇杷が生ったのか?とベランダから体を乗り出して近所の家の枇杷の木を見てみたけどまだだった。雀なら仲良くなりたいものだ。
メダカの甕の藻の中には卵がたくさん産みつけられている。じっと覗くと卵もじっと2つの目でわたしを見あげてるよう。なつくように、よく顔を見せておくことにする。

 

 

 

 


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