8/3 足るを知った日



 足りてないから作っていたんだな、とふと分かってしまってから、この頃はずっとそんなことを考えている。
 ここにきてから人にも物にも生活にも、恵まれて足りていて、愉しさにも満ちていて、今それで満足してしまっていて。
ここに来るまでずっと足りてなかった。誰かとの会話も、小洒落た喫茶店で過ごすひとときも、生活環境も、それに伴う自分のイメージも、もっと欲していたけど無かった。
だからそれを補うように、いつでもなにかを感じようと、なにかを得ようと 街をさまよい歩いて、見えないことを言葉にしようと手探りで紡ぎ、満たすように手を動かして作っていたんだな。
求めるものが見つからない街で、ないものを埋めるように絞り出すように自分から出していたもの。
ならばわたしはもう一度、いつかあそこへ戻るのかもしれない。今よりすこし孤独に戻るのかもしれない。
足りてないということ(思うこと)のマイナスからプラスに変えようとするエネルギーが、今のわたしに一番足りてない。それも欲なのか。無い頃はもっと不安で貪欲だった。
今朝も早くに目が覚めて、窓をあけてあふれる緑の庭を眺めながら また思う。もう蝉の声が山の上から降り注いでいる。



7/21 ゼロに戻していく



  湿度が高いと人も音もたるんでしまうようで、ここのところの音の伸びにはすこし困って、急いで調律をたのみました。
古く長く弾いているピアノなので、傷みもあるようですが、「よく弾きましたね」というのならそれは本望でしょう。
100段ちょっとの階段をのぼってやってきたピアノですので、もうすこし頑張ってくれるといいなあ。前回も今回もオーバーホールの話が出ましたが、全取っ 替えになるのなら金額的にも買い替えなのだろうなと、すこし覚悟を決めて。ポ−ンポーンと一音ずつ整っていくのを聴いています。調律師さんがならしていく この作業の音は昔から気持ちが1つにまとまっていくようで好きです。




7/20 カナカナの鳴く夕暮れ



 刻々と7月も過ぎていくようです。うっかりしていると海に足さえ浸からず夏が終わりそうです。
昨日は鎌倉の花火を気心知れた友人たちと、海上の打ち上げ場所真ん前のお部屋から見ました。形の組み合わせとか、構図というのかな、なんかデザイン的にもイケてて、これまでそういう見方をしたことが無かったのか、今回がとくにイケてたのか分かりませんが、
とにかくなんて贅沢な、なんて美しい、としきりに感激の拍手です。今年の鎌倉の花火は主催が降板したりで、いっとき中止になりましたが、市民のクラウドファンディング運動や企業、地元のお店の共催で開催が決行されました。
そう思うと、まだ鎌倉歴の浅い自分もいっぱしに感慨深く、がんばったな鎌倉!と こんな時ばかりは 調子のよい上から目線で満足した夜でありました。まあお祭りですから。いやほんとに海辺はお祭り騒ぎで大変な混雑でしたしね。興奮して写真をたくさんとっ たわりには、一夜明けて見返してみれば、爆発写真みたいなのが撮れてばかりで、やはり花火はこころの目で記憶しておくに限るねと思う今日です。こうして夏 がひとつひとつとはじまって、ひとつひとつと過ぎていきます。一日の終わりにゆっくり思い返す時間をとって記憶していかないと。






7/11  小暑 暑中おみまい申しあげます



 真夏日。
ご近所さんの紫陽花の剪定の音が、パチン パチンと裏山のほうからきこえます。梅 雨明けとはまだきいていない気がするけれど、ここのところ照りの厳しい晴れ。ただいるだけで、じっとりと汗が出て体力消耗。この季節、木陰の存在がどれだ けありがたいか、とまたひしひし感じています。駅前の小町から7分ほど歩いて大町エリアまで帰ってきただけでも、空気の流れが違ってほっとする。家の周り の陰もありがたい、けど、日陰と湿気で洗濯物も部屋の中も…越してきて2年目の夏ですから、分かっていますけれど。気持ちまでじっとりカビないようにたの しくやります…やりましょう。
 ひどい声のピークは過ぎて、会話ができるようになりました。まだふがふがですが、今週の仕事は予定どおりできそう。はりきりすぎないように頑張ろう。水分補給も気にしすぎるのか胃は疲れているよう。飲み物は常温かあたたかいものに。
 雨の被害をうけた方々に、すこしずつでも心が休まる時が来ますよう。



7/7  明日できることは明日やります



  七夕。
ぷすぷすとした音のような声しか出なくなってしまって、出かける予定はキャンセル。朝からひとことも喋っていないので、たぶんほんとうに声が出ないだろう な。かわりに昨夜から鼻水が出始めて、かんだティッシュの山が着々と大きくなろうとしています。明日は朝から夕方まで元気な子供たちとのレッスンなので、 声はまあ出なくても体力は戻るといい。
 窓の外のネムノキが今年も繊細な葉をたくさん広げて、木陰を作りはじめました。木には樹液を吸うのか3〜4センチの土色の細長い虫がたくさんついて、初めて見た去年は なにこれきもちわる!と嫌っていましたが、慣れました。笑
たぶんこれを食べにキツツキがピョン、ピョンピョンと幹をのぼり、コツコツしています。庭も羽根のある虫が多くなりました。木槿はぼとぼと花をどんどん落 とすし、茂みは大きくなるし、ジィーと夏の虫の声がするしで、まったく休みなくことが進んでいるようだけど、1つ1つは順番に休んだり眠ったりちゃんとし ているのでしょうね。わたしもここずっと元気に動き回っていたからちょっと休憩です。やることとやりたいことで頭がいっぱいになりすぎてたか。
今日ぼんやりした頭でやったことといえば、ピアノを弾いたことくらいです。余計なことを考えられないくらいのほうが集中するみたい。
雑踏の中の無みたいなもので。でも今朝は30分くらいで疲れました。あんまりお腹もすきませんねえ。いらないんでしょうね。

 やりたいことがたくさんある、と思っていたけれど、それはただただ自分の欲のために突き詰めてやりたいことと、外に向けて(いわば世間を意識して)やっ てみたいことのどちらかに分かれるな とふと気づきました。前者はまあわからないけれどあんまり得にはならないかもしれなくて、後者はやんわりビジネス絡 みとも言えそうです。どっちも愉しいだろうから要はバランスで。先月くらいからのわたしは、行動とは裏腹に気持ちは内面に向いているので、今は前者に没頭 したい気分ですが、これはたぶん体が元気になるとまた変わる気がします。そんなもんです人って。っていうかわたしって。でも今日はごろごろうつらうつらし て過ごしますよ。山のむこうに陽が入って、ゆるりと遅い夕暮れがやってきました。窓辺に座って居よう。



7/6 ギフト



 毎年送ってくれるさくらんぼ。こうやっていただける季節の楽しみがいくつかあります。わたしもなにか贈れる人になろう。とく に果物とかモノというわけではなくてね。そうだ、と 誰かを想ってなにかをする。まあ想うだけでもいいのかもしれない。すこし前までは、季節の手紙やハガキがそういうものだったのだろうな、とちょっと思った りします。今は朝でも夜でも、電波で通信できちゃうけれど。それもいいけれどね。普段そうして連絡をしている人でも、そうでない形でなにかが届くのはうれ しいこと。そうだ、あのひとにお手紙を書いてみようかしら、と思いました。
 今年初めての台風が過ぎて、晴れ間のでた朝。木陰が多いせいか、部屋も家も午前中は涼しい。数日前から喉の調子が悪くて、レッスンでも太くてかすれてが びがびの声で、それでもしぼるように歌わなくてはならないのですが、これじゃあ喉がつぶれてしまう…と思いつつも1曲歌うと、ちょっと出がよくなったりし て(いっときのことですけど)、喉があたたまるとはこのことかと思いました。夜はだいぶ普通に戻るけど、寝て起きたらまたがびがびです。コンコンとした 空っ咳が突発的に出るのもしんどい。天気や日々の疲れなんかもあるのでしょうかね。でも最近は風邪をひかなくなったので、咳だろうが鼻水だろうが、体から なにか出ていくのは、体がいらないものを出したい時なのだろうと思っていて、あまり嫌じゃありません。時期的にも、気管支や喉にくる方が多いみたいです ね。今日は 樅のエキスとティーツリーオイルで蒸気吸入して、おとなしめに出かけようと思います。
 さあ、そうこうしている間に、鎌倉は海開きして、海の家の営業もはじまって、夏が走り出しています。季節が変わらずにめぐってくるというのも、ひとつのギフトですね。



6/27 庭だと思っていたらもう山際だった  みたいな


 
  あちらこちらが徐々にしっとりと。
庭も裏山もたくさんの水分を含んで、また大きくなろうとしている圧が部屋 の中まで伝わってくるよう。窓の外に目をやるたびに、むむっ とこちらも気を。じゃないとのまれる。夏はこの閉塞感が陽射しを遮ってくれて安心するのだけどね。山の斜面が迫ってきて庭が確実に小さくなっている。
足の裏の畳の感触も、ここ数日で変わってきた。ドライにしている草たちがまたしんなりしないよう、今年はなにか案を考えないと。
 屋根の上でネムの花がまつげを開き、縁台の前の薄桃色の木槿が咲き出して、もうすぐ萱草も咲く。夏の手前。やりたいことがたくさん。アトリエにも行きたいし、家でもじっと考えたい。雑多にならず、ひとつひとつをきちんと形にしていけるといい。


 今日は妹の誕生日。妹がもうそんな歳かとおもうと、自分のことよりびっくりする。健やかにたのしく。おめでとう。



6/26 いつかじゃなくて いつもこのとき



 2軒隣のご近所さんが、山の斜面いっぱいに育てている紫陽花がほんとうに見事。鎌倉は今、 紫陽花見物の人でいっぱい。先日の北鎌倉の明月院は3時間待ちだったそう。少し前の週末に電車で通り過ぎたときも、改札前の道はどこまでもどこまでも続く ような長蛇の列、ホームにもずら〜と外に出られないくらい。次々と電車からまたたくさんの人が降りてくるだろうし、どうするのだろう…と思いました。お寺 さんの開く前だったからかな。みんなほんとうに紫陽花がそんなに好きなの?と思ったりしますけれど、そのくらい見事なのでしょうね。
う ちはご近所さんのおかげで、部屋から毎日斜面にひろがる 色とりどりの紫陽花を眺められています。きれいに咲かせるために、一年中お世話をしている姿をお見かけします。何本くらいの株があるのか数えられません が、チョン チョンと、ひと株ひと株 丁寧に剪定を繰り返す音が時々聞こえます。そしてさらに紫陽花ゾーンが着々とひろげようとしているから、そんな様子もまた頼もしい。
 わたしの小さな畑では、コリアンダーの花はもうおしまい。刈って乾燥させて今度はシードにして使います。隠れたところでトマトやきゅうりがちいさく実り はじめました。イモムシは居なくなって、ダンゴムシやらたくさん星があるテントウムシやらカメムシやら…新しい虫たちとの奪い合い!葉っぱはよそにもいっ ぱいあるのにー!っと遠くへぽーい。飛んで帰ってくるかな。もうこないでー。




6/13  梅雨冷えと季節のおしごと



 いよいよ雨。窓の前にある木槿の葉っぱも雨粒を受けて いつもと違う揺れ方をして、あちこちで瞬きをしているみたい。ずっと窓の外を見ていたい気持ち。ちいさな鳥が木の中で遊んでいる時も、こんな感じの揺れ方です。
朝のいっとき晴れ間が出たので、家のひとたちと草むしりをして、そのあとひとりで庭を見回っていたらまたサーっと降ってきました。ほんとうにサーと線に書くような雨です。降っても降ってもどんどん地面に吸い込まれていくんだな。ふしぎだなあ。地中の水脈がどうなっているのかみてみたい。
庭の真ん中に立って、ジャンパーのフードをかぶってを顔をすこしだけあげて頭上の木々と空とそこから広がるように降ってくる線を眺めていました。下から見 上げると わーっとパラソルのようにひろがってくるのですよ、雨って。あたりまえでしょうけれど。シャーと降ってる時にあんまり真上を見ることはしないので、たまに やってみるとやっぱりおもしろいです。けして雨に濡れるナルシストで
はありません。



  庭のあちこちに咲き始めたドクダミの真っ白い花を片手いっぱいに摘んで、チンキを仕込みました。放ったらかしで伸び放題だったローズマリーもたくさん剪定 したので夏用のバームを作ろう。先週には 梅も シロップや酢漬け(サワー)、梅醤油、梅味噌と仕込んだのでこれからが楽しみです。梅酒は一昨年くらいのがたくさんあるし。
一時期 夏の甘いの(とくに白いお砂糖)はあまり手が伸びなかったので、シロップや砂糖が入るものは必要ないかも と作らなかったのですが、今年はいい梅をたくさん頂くことが出来たので、きび砂糖や黒糖でまた少し仕込んでみました。色も濃厚でとろりとしたのが出来上が りつつあります。シナモンも入れてみたので早く味見したいな。

気温が低いのでまた長袖を引っ張りだして、靴下も履いて、それでもまだうすら寒い。こういうの梅雨冷えとでも言うのかな。明日はショウガごはんを炊こう。
などと思っていたら、友だちから「これから波があったら波乗りするんだ」とメッセージがきました。たしかにサーファーには雨なんて関係ないですもんね。今年はわたしももうちょっと乗りにいこう。




6/8 梅雨のはじまり



 雨降り。時折サーと降ったり、すこし明るくなったり。遠くに鳥の声がきこえる。お隣の庭のツツジの花が終わったあとしばらく緑一色の世界だったのが、裏山の斜面に植えられた紫陽花が青、白、薄紫と咲き始めて、デスクの横の窓からの視界が華やか。鎌倉は紫陽花の季節です。
 すこし光が戻ってきた。天気のせいもあるだろうけれど、緑が重たく覆い被さるように面積をひろげていて少しずつ部屋の中への光がさえぎられている。夏は これが助けになるので、ほんとうにうまいこと出来ている。お隣の家には高齢の方がひとりで住んでいて、最近は家族のところへ行っているのか時々しか家に居 らず、庭は草が生え放題伸び放題、このままなにもしなければ確実に飲み込まれてしまうだろうとおもわせるほどに確実に山肌が近寄ってきているのが分かる。 あの草むらの庭に入るのは、ざぶざぶと波間へ入っていくようなのだろうと 紋白蝶が飛び交う庭をみておもう。使わず見ずに放っておくならば庭だけでも貸してもらいたいものだなあ。うちよりも陽当たりがよさそうだし。なんて呑気に 暮らしていると思われがちだけど(たいていはそうだけど)、会いたくない足の多い虫も出てくる季節で、先日もハっと目を向けた畳の上を大きいヤツがうねう ねと歩いており硬直。部屋に出入りする度にあちこちに目をくばらせて、真剣にハンモックを買おうかと今も悩んでいたところ。



6/3  風の通り道


インゲンできたよ

 21時。さーっと雨が降り出したのかと思ったら、森の木々の葉が鳴っているのでした。裏山の木のてっぺんくらいのところで風が走っているようです。雨の降り始めの時の音と、よく似ている。
昼 間はじんわり暑いくらいでしたが、この時間になると空気はひんやり。朝晩は毛布にまだ包まりたいくらい。でも朝になるときれいに毛布だけが布団から蹴り出 されて1メートルくらい遠くにあるのであります… どんな寝相しているのであろうか… しかし寝ながら身体が動くというのは、凝りなんかを自ら動いてほぐ して解消しようとしているのでもあって、一概に悪いわけでは無いようです。隣に誰か寝ていたら迷惑でしょうけれども。
あ、音がとまった。風が道を変えた。



6/2 ほたるこい



 アトリエの近く、二階堂の川で蛍を見て帰ってきました。鎌倉宮の辺りに飛んでいるのは見たことがありましたが、あんなにたくさんの蛍が乱舞しているのを見るのは初めてで、口をあけたまま、ただただ見つめるばかり。
た き火を棒でつついた時に、パーっとふわっと舞い上がるこまかな火の粉のように、風なのか舞なのか10匹くらいずつが群れて、光ったり消えたり。手が届きそ うなところから暗い川の奥までたくさんの蛍がふわ〜ふわ〜といつまでも飛んでおりました。光りっぱなしではなくて、ふっと消える、というのがなんともね。 人間て儚さに弱いのかもしれません。それにくらべるとうちの近くの川は少ないですが、それでも毎晩ちらほら光っています。街灯が明るいんだな。鎌倉に来る 前は、こんなに蛍の時期を意識することはなかったな。もう じきにおしまいだ。




5/31 森呼吸



 珍しい水曜休み。水曜休みの友だちと大雄山にあるお風呂へ。木々の緑に囲まれたなんとも気持ちのいいところ。お湯に入ったり、ハンモックでうつらうつら うたた寝したり、ごはんを食べたりしてのんびりと過ごしました。木の葉が揺れている様を眺めながら、風の通っていく場所を見たり、無数の木の葉に 一体1本の木に葉っぱって何枚くらいあるんだろうかと考えたり、何千枚?何万枚?の葉を生み出すって、すごいなあと思ったり。人も毛をいっぱい生やすけ ど。
普通に見ているけれど木ってなんだか不思議がいっぱいだーと、じんわりあったまりながら、木々と呼吸してリフレッシュした5月最後の休日。帰り道、家の近くでも蛍がたくさん飛んでいました。さあ、水の季節が近づいてきましたよ。水分とり過ぎと冷えに気をつけよう。




5/29 つま弾き、海へつづく小径



 忍冬(スイカズラ)の香りのかぐわしいこと。特に夜、景色が見えない闇から漂ってくる香りというのは、視覚が無い分強烈に感じるのか。もしくは夜の方が香りを強く出しているのか。金木犀、沈丁花に加えて忍冬もうっとり香な季節の花。
 
 今日は久しぶりにギターを弾いて、そのあとこちらも久しぶりの一色海岸へ下って、浜辺の草を摘んだ。陽射しが眩しく強く、海は潮が大きく引いていて磯で遊ぶ人たちも居て、海の家の枠組みが建ちはじめている。また夏が来るんだな。
ゆっくりとひと足ごとに砂に足をとられて沈む感じを久しぶりに味わいながら、端から端まで歩く。次はビーチサンダルを持っていこう。お目当ての草を摘ん で、木苺の茂みを発見して空きっ腹をすこしなぐさめて、水玉模様の小さな貝をひとつ拾った。ギター、こんどこそ弾けるようになるかな。


 先日いち早く見た花火。暴発?と思うほどのいきおいでたくさんあがりました。きれいだった。




5/21  必要なものは窓の外にあるから 自分は極力シンプルで



 汗ばむ陽気。陽の高い時間に自転車で街の中を移動していたら腕を日焼けした。着たいものをどんどん縫わないと。
近くの小川では蛍が光りはじめた。はやいのか、いつもどおりなのか…
最近はレッスンが続いたりすることも多く、もう暦の感覚が分からなくなっていて、その日やることにだけ引っ張られて過ぎてゆく。ああ お風呂にとっぷり浸かりたい…(←なにかにつけて、いつも言っている気が)
庭や畑の緑をどんどん食べていくイモムシも増えて、虫も飛ぶし、葉は茂るし、なんだろう、雑多な密度が濃くなった。
反対に身辺を一気に削ぎ落としてすっきりさせたい気分。捨てられるものは捨てて、自分も部屋もスカスカにしたい。大掃除でもしようかな。今日はじめて地面 の中でモグラが動いている!という現場を目撃した。土がもこもこ動いてた。昼間でも土の中なら働くんだね。粘土質の固い土を耕してくれるといいんだけど、 やっぱり柔らかいところを掘ってるね。畑の中は掘らないでいてくれるといいなあ。





5/12 遠くないところで夏がはじまっている なにかをすませてしまわないといけない気がしている



 初夏を思わせる暑い一日。夕方から空気が水気をおびてきて、そのせいか窓の外の暗がりから緑のにおいがプンとする。これから雨がやってくるのだろう。そのにおいに混じってけもの臭が徐々に漂ってくる。雨に毛を濡らした犬のような、あの、強い、生きもののにおい。
春先には家族連れのタヌキが昼間から家の周りや階段をとことこと歩いていた。去年数回見たウサギもまだ住んでいるようだ。なにが何匹いるのかわからない
けれど、裏山のなにか。この庭に関していえばたぶんわたしのほうが後釜であるので、大人しく気配を隠すのは自分のほうで、窓を少し閉めながら、もう一回網戸に顔を近づけて夜を覗く。鼻の先に感じる湿度と温度と暗闇のにおい。もう遠くないところで夏がはじまってる。辺り一帯を包むような水の季節が。





5/10 5月の窓から



 窓の前の木の枝に鳥がやってきて、ピィーローピィーローピロピロ〜とよく響く声で鳴きながら、すこしずつ高い枝、高い木に移動して、またどこかへ飛んでいきました。あちらこちらで呼応するように色々な鳥が鳴いています。鳥が鳴くなら雨があがるのかな。
 好い天気の続いた連休が明けて、平日2日ほどのんびりと静岡に帰ったりして気持ちもひと息おちつきました。そんな雨の朝は少しひんやり。葉にあたる水の 音、土に水をどんどんと沁み込ませて、また一層に緑がふくらむのかと思うとどきどきします。ちいさな畑はコリアンダーやルッコラ、イタリアンパセリ、いく つかのハーブが伸び伸びと伸びて、花を咲かせようとしていて、実家から持ってきた夏野菜の苗も植えたしたのしみたくさん虫もたくさん…
 連休中の鎌倉の人は毎年すごくて、GW恒例のバイトも5年目、来る電車 来る電車からホームいっぱいに降りてくる人の山を見ながら、あの人たちはみんな本当にいったいどこへどう散って行くのだろう と毎年のことながら思うのです。駅一帯が人のエネルギーの大きなかたまりみたいで、普段働いているのに、みんなパワフルなんだな。おつかれさまでした。
もちろんお店も忙しくてわたしもそれなりにパワフルに働きましたけれど、その分普段ぴゅーっと空気が抜けたように動けなくなるのでね。今朝も新緑に染まっ た庭や裏山をぼうっと眺めているうちに、そうだ日記をまたしばらく書いていない…と思い出して、仕事へ行く前にパソコンを開いた次第です。もはや備忘録に すらなっていなくていけません。
最近はパソコンをひらかなくても、携帯で調べ物もメールもちょっとしたことなら出来てしまうので、ついつい携帯ばかりをみてしまいます。Facebook でもインスタグラムでもそうですが、写真を撮ることの方が多くなって、「ああ、見る(た)もの(撮るもの)を見つけることが増えたせいで、言葉をみつける ことが出来なくなっているのかもしれない」と、以前はあふれてくることばをとりとめなく書き留めていた帰省の電車の中や乗換えのホームで、通過する街の空 を眺めながら思いました。言葉はぱっと見えないから、ちゃんとその時をみつめて見つけないとだめですね。


河原で、畑で、草を摘んだり、野菜を摘んだり。



ブロッコリーの脇芽はブロッコリーよりも好き。今年はラズベリーがたくさん実りそうでうれしい。


どこへいっても、だいたい同じことをしているので、ぶれていないといえばそうなのかも。さあ、またもりもりがんばろう。




4/20  陽がとどいて花はじけて



 数日間、強い雨や風が吹き荒れて、また新しい空気が満ちる。部屋から見えるすべてが緑で、なんでここに居るんだろうな、と今さらまだ不思議に思う。陽が伸びてあたたかく心地好さしかない窓辺に座るしあわせったら。

 冬からなのか秋からなのかじりじりと続いていたイベントごとも、隙き間があればしてきたアトリエの体力仕事も、ようやくひと段落した今週は隙あらば庭に降り、草の様子をじっと眺めたり草むしりをしたり気の向くまま摘んだり食べたり。
庭草もどんどんと伸び、木々の葉も芽吹き一面の緑。ようやくと思えば、強く成長も早い夏草がもうあちこちに出ている。その勢いやほんとに速い。自然に生え ている草をあまり一掃してしまったりするのは好みではないけれど、夏草の勢いの陰になって育ちきれない草をすこし残して好みの草むら(庭ともいう)にすべ く、下草の育つ光の入る場所をつくる。草にも誰にも悟られないくらいのことを、毎日ちょっとずつ、ちょっとずつ。


 庭に居る自由であり蜜であり繊細で緻密な、このなんでもない時間。これだけで十分に満足できる性質でよかった。ことばも音も、理由も意味もいらない。しなくていい。すべてが感じるものの中にあるから。
さああと1ヶ月もすれば、おいしい葉っぱは虫食いだらけになるだろうし、またあのいつもどこかが湿っているような水っぽい季節になるのかと思うと、今の貴 重な一瞬を存分に過ごすのは大事かも! と、もっともらしく言って庭にまた降りる。ちいさな畑の緑も、そこらの草もモリモリといただいて、ときどき遠くに 想いを馳せたり、会いたい人のことを考えたり、うっかりしたりもしますけれど、
おかげさまで私は元気にしております。

すこーしずつアトリエの方でも作業がはじめられそうです。来月にはお知らせできるかな。





4/12 桜は満開 たっぷりと春降り注ぐ



 淡い緑や桃色に色づいた山が美しくて、歩きながらうっとりする。大雨があがって気温があがり、桜は満開を過ぎたっぷりと花をたたえ、春降り注ぐ。またこの美しい季節に、あのおじさんのことをたくさん
の人が想う日。お元気ですか。
永井さんが居なくなってから6年、いろんな巡りあわせがあって、まるで予想もできなかったことが次々と何食わぬ顔でやってきて、もうなんかすごいねとしか言葉が出ない。
“すごい“ってなんだ?って感じだけど。“すごい" の 意味ってなんだっけ… すごいはすごい か。

 わたしたちは特別ってのが好きで、とかく繋がりだとか偶然だとか必然だとか、いちいちさもありげに言うけれど、いや偶然でも必然でもなく、自然なんじゃないのかな、って。
これが。こうなることが、こうなったことは自然なことなんだよって、ここのところ思う。別に物事をすぐに特別になんかしなくていいのだよ。だって特別じゃないことなんて、あんまりないような気がしているから。

へー、ふーん、わーと能天気に面白がってたら、気づけばまわりに愉快な人がいっぱいで、日常のちいさい愉快に気づけるようになったから、ますます愉快でこんなことになっちゃってるよ。
みんながそれぞれ日々を見つめるやさしい眼差しと大切な想いをもっているから、こういうことになるんだね。



4/4 清明



 うららかに、淡く春色。山肌に桜が咲きはじめた。放ったらかしの隣の庭ではショッカサイ(紫大根)の花が咲き乱れて、その上を紋白蝶が2匹戯れ舞ってい る。ようやくようやくほんとうにこれで暖かくなるのだろうか。あちこちの窓を開け放して、ひさしぶりに机に向かい窓の外を眺めながらこうして日を綴ってい る。心配してもしなくても日々は過ぎていって、あたらしいことがやってくる。やりたいこともすこしずつ変わるし、食べたいものも変わるし、気になる色も行 きたいところもも、陽のあたり方が変われば家の中の好きな場所も変わる。循環のなかにいる。日々あたらしくて、自分の中でもなにかが死んでなにかあたらし いものがうまれてる。

 毎日食卓にあがる 畑の葉っぱ、庭の、海辺の、道端の おいしい草たち。うつくしくて生命力にあふれていて、取り入れたいと(ああ食べたいと)身体が欲している。食いしん坊なだけ? 日頃の不摂生はたくさん。浄化の季節だ。




3/26 白木蓮は満開 



 冷たい雨の日。満開になった白木蓮の花びらがおしむことなくどんどん散る。庭中に白い小舟が浮いているみたい。
桜の開花宣言は出たものの、寒い日が続いていっこうに気持ちがふくらむことはなく。今日の冷え込みは、花冷えにしてもこの寒さはないんじゃない?と 心底からふるえて過ごす。変わらず慌ただしい毎日。何もしない日、と決めないとそういう日はやってこないのだろう。何もしないなんてことは無いけれど、人 との約束をつくらない日。
ちゃんと休めてだっているはずなのに、追い込まれていることばかりに焦点があたって、タスクをこなすことよりも気持ちに折り合いや納得をつけることがヘタクソなんだろう。毎日が異なる行動パターンでルーティンが無いのもかえってメリハリがつかないのかも。
それなら1週間ほどタイムテーブルをつくってそれ通りにきっちりやってみようか。
 ずっと体を縮めて居たから、首も背中もかちこち。お風呂に首まで浸かって目を閉じて口を開けてぼわ〜としたい。来週は仕事帰りにどこかでお風呂いこ。桜も体もゆるんで開くといいな。みなさまもお体ご自愛くださいね。


 今年は父さんの誕生日にメッセージを送るのも忘れてしまった。忘れてはなかったけれど、気づいたら過ぎてしまっていた。ごめん。父さんお誕生日おめでとう。身体気をつけてまだまだどうか元気でいてください。
静岡も帰りたいな。ここよりあったかいだろうな、静岡は。



3/13 花をゆらす春の雨




 寒の戻り中。夜になって雨が降りだした。
ここ毎日鶯の声ではっと目が覚める。まだ拙い鳴き方。ホーホケキョのホーがない。ホケキ、ホケキヨ。可愛い。生まれた てなのかな。外へ出かけたり人と会うことがずっと続いていて、濃密でめまぐるしい日々。部屋の中も自分の中も新しい季節のために整えないとね。
見上げれば、部屋の前の 白木蓮が高いところで咲き出していて、白い羽根の鳥たちがふっくらととまっているよう。ここに越すと決めた日も白木蓮が満開だった。もうじきに一年経 つ。あっというまで、無我夢中の一年。ここに居る限り、きっとずっとそうなのかもしれないなって思いはじめてる。それがどうとかじゃなくて、ただそういうこ となんだろうな。先のことはわからな
くて、目の前の選択だけ、気持ちよくこころの向く方へ。
  明日から来週の弦との演奏の練習と、来月のライブの練習と、イベントの音楽づくりを。その合間にあちこちに草の様子も見に行きたいし、洋服も縫いたいし、 土いじりもしたい。こりゃますます早起きしないと。頑張るんじゃなくて、夢中でいたい。無我じゃないほうがいいけれど。


*おしらせ

■4/8 sat. 18:30~ 

永井宏 作品展 la musique sur l'elephant
ライブイベント「音楽で表現すること」 in 巣巣

山田稔明
中森泰弘(ヒックスヴィル)
直枝政広(カーネーション)
イシカワアユミ
草とten shoes(Opening Act)

今年も永井さんの展示期間中のイベントに、すばらしいミュージシャンの方々に交ぜてもらい参加いたします。

fee 3200yen *キャンセル待ち受付中
(立見でもいい!という方は私に声かけてください)

詳細は susu.co.jp で。



■4/16 sun.  13:00~/ 15:30~
『DERBARさんの ジャム教室』
奈良で無添加の素材にこだわり、とびきりおいしいバウムクーヘンを手作りしていらっしゃるデルベアさんを鎌倉にお招きし、いちごジャムの教室を開いていただけることになりました。
場所は、toricot 赤城さんと一緒に借りているアトリエにてtoricotさん主催でおこなわれます。
あたらしいアトリエにあそびにいらしてください。

13:00〜15:00 / 15:30〜17:30  //料金3800円 
鎌倉市二階堂のアトリエにて。
詳細、お申込みはtoricot (www.toricot.com)にてどうぞ。
もしくは私に声をかけてもらっても大丈夫です。

■『詩と珈琲』vol.7

・次回は4/22 sat. 

『マーガレットの庭』

 fee; 前売1000yen,当日1200yen  /with 1coffee
古書ウサギノフクシュウ 
info@usaginofukushu.com

詩を読む人の傍らで、それを聴く人の傍らで、珈琲を淹れる人。耳で聴いたことばを、珈琲の香りともに、舌で記憶する。ことばと珈琲の味わいをお楽しみください。

村椿菜文、イシカワアユミ、SWAN COFFEE、ウサギノフクシュウ




2/28 沈丁花の香る庭



 気づいたらふきのとうが、あちこちにぽこぽこと顔を出して、そうかと思うともう董がたって花が咲く。2月も終わり。冬が過ぎていく。ひんやりと、でも穏 やかに晴れる朝。
 庭に降りるとどこからともなく沈丁花の香りがする。お隣の庭ではないよう。駅までの路地を歩いていても、ふいに香ってきてハッと目が覚めるような気持 ち。なんど嗅いだかわからないこの匂いも、季節が一周してきたときはいつも新鮮だ。そして記憶の中の匂いと相まって、どこか遠く懐かしい。沈丁花の香る庭 で育った。花も木ももう無いけれど、いつかのその場所にそのとき自分をひと握り分くらい置いてきたのだと思ってる。だからいつも行かずともその庭のことを 鮮明に思い出せる。



2/17 春一番がふいた



 あたたかく風の強い一日。木々のざわめきが 波音のよう。
イベントなどで表に露出することが多くなればなるほど、こころは内面に向っていく。静かな孤独の中へ意識を置いて、そこにぽつりと落ちてくる、ちいさく光 るガラスの欠片のようなことばや、音をただじっと待っていたい。
今日も金星がチカチカと瞬いている。穏やかに祈るような呼吸。力の入っていた体もほどいていきましょう。夢中になるのはいいけれど、がんばらなくていいで すよ。みんなね。




2/10 風がみえる日



 爽やかに晴れた朝。昼には梢や薮の陰で遊ぶ鳥たちを見ていたのに、夕方になってまた雪が舞い、少し吹雪いてうっすらと庭を白く覆った。家のある丘の上に むかって巻き上げてくる風に白い雪が乗ってうねったり巻きあがったり引いたり。風の流れがみえるのが面白くて、そして美しくて、大きな窓の前に立って わー と小さく声をあげる。明日は1週間ぶりのレッスン。朝は冷え込みそう。鳥たちはどこで過ごしているのかな。薪ストーブの前から離れられない。



2/9  雪のちる日



 冷たい一日。
朝は痛いほど冷たい鍵盤とピーンと張った音。春のイベントや予定が着々と 入ってきて、さあ楽しみ。反面、楽しいからといって来るもの拒まずにしていると、しんどくなるのかもしれないと思ったりもする。今きっとなにかが わっとやってくる時期なのだろう。遊びも仕事もその時の自分が大切に思える量や事柄を選んでいくのが今年の課題かな、と 燃える薪ストーブの炎をぼんやり眺めながら考えた。やりたいことがたくさん、でも手がつかなくて追いつかない。




2/6  春ふくらむ



 昼過ぎに雨雲がやってきてあたたかい雨が降ってやんで、またすこし光が射して空気が冷え込んだ。立春が過ぎて、こうしてひと 雨ごとにまた寒さと暖かさを繰り返し春がやってくる。土の中も森も庭も、冬の間にひそめた くわえたエネルギーを隠しきれないよう。雨を光をよろこんで吸っている。大地からふくらんであふれるエネルギーに、わたしも静かな興奮。
 しばらく慌ただしくて目まぐるしくて、それは充実していて愉しい日々だったけれど、これからはまた自分にとって大事なことをひとつひとつ確認していくよ うな暮らしに戻していこう。
小雨にあたりながら、ちいさな畑のちいさな緑にこれまた小さなビニールハウスをつくった。 ちょっと遅かったかな。ようやく肩をおとして腰をおとして、先を眺めていくような一日。



旧暦七草の日に。
家のまわりと庭で摘んだ草たちを食す。ふきのとうもふくらんだ。鎌倉に摘みのテリトリーを増やしたいな。庭以外はまだよそ者気分。まあまだ1年経たないも のね。10年以上通い続けたあの草場のようなわけにはいかないか。




1/26 ことばが外へ出るとき



 のんびりの朝。布団に入ったまま、というか部屋で本を読むなんていつぶりだろうか。壁にもたれかかって、顔と手だけかろうじて布団から出して、自分の白 い息と文字を眺め、時折光があたってきた窓を眺める。朝活などという言葉ができて、最近はわたしも朝から外へ出ることが多くなって、やっぱり朝から体を動 かすのはいいな!などと思ったりはしたけれど、いや午前中は何も用事が無いのがいいな。光と共に一日が立ち上がってくるこの時間に、静かにただ思うことだ けをちゃんと思って、何でも無いことを見つめて、気づいた言葉にこころをとめていたい。できれば毎日がいいけれど、そういうわけにもいかないだろうから、 一日置きくらい。んー、2日置きで出かけるくらい。笑
ならばもっと早く起きればいいじゃん、という話だろうが、朝早くて電気をつけなければいけない時間じゃだめなんだな。ゆるくてダメ人間に近い時間のほうが いい。その方がわたしが気づいていたいことには気づけることが多い気がする。こんな寒い季節は、必要最低限にのっそり生きていけるといいのに。なんて。
 本は数ページだけ読んで、窓に当たる光や影の変化を眺めている。庭の木々の葉の影がちらちらとうつってる。思うことを外に出そうとすると言いたいことを 囲っているまわりの小さな言葉ばかりがでてきて、遠回りになってしまう。いちばん大事なことば、ひとつ、ふたつが見つからない。そんなことを考えている。
あ、鳥が飛んだ。お腹がすいたし、さて起きよう。

 

1/20 冬土用



 寒いです。ピアノもパソコンも指先が痛くなる冷たさで、毎年言っているけれど、鍵盤暖房が欲しいです。でもこ の土用が明ければ立春ですね。そう思うと、もうすこしゆっくり時間が過ぎてくれればいいなあと思ったりします。2月のまん中まで大きなイベントも続くの で、体調管理もしていかないと。
 さっむい、と言わない日が無い毎日ですが、こんな季節でも、太陽が顔をだすと家のまわりの木や草むらには鳥がきます。キツツキは相変わらずどこかでコン コンと音をたてているし、リビングから見える木々にはメジロが5〜6羽集って、パタパタしたり地面をつついたり。メジロが群れているところを見たのは初め てで、緑色のころころしたちいさいのがちょんちょんしているのは なんとも可愛い!葉陰ではヒヨドリくらいの鳥が羽繕い。リスも枝を走ります。陽当たりの良い斜面ではタンポポが蕾をつけたり、水仙もそろそろ咲きそうで す。たくさん咲いたらいい匂いだろうなあ。全身一割増くらいに着たり巻いたりかぶったりで着膨れておりますが、食欲は変わらずあるし、冬には冬のたのしみ がたくさんです。
ああ、そうだ、去年稲刈りのお手伝いに行った初収穫の米を、このあいだ友だちが持ってきてくれて、なんていうかああほんとうにこうして、あの田んぼの稲の 1粒1粒が米になったのか、と 手渡された時もえらく感動したのですが、つやつやと炊いたごはんが美味しくて、長野にわたってひとつひとつ生活を築いている友たちを想いかえしては、また じーんと米と一緒に噛みしめました。貴重な米だというのに、美味しくてどんどん食が進んでしまうのが悩みどころ。さて、みなさんはいかがお過ごしですか?



1/9  新春
 


 あけましておめでとうございます。
鎌倉、静岡と愉しくのんびりしたお正月を過ごしている間に、新年もとんとんと過ぎておりました。イレギュラーな予定や作業から、すこしずついつものルー ティンが増えていくことで、日常へと落ちついていくのかもしれません。変わらないことのありがたみ、変化や刺激のあることのありがたみ、どちらも感じなが ら これからの日々がまたこころ穏やかで気持ち豊かな一年になるといいです。みなさまにとっても。今年もよろしくお願いいたします。


 



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